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最終解決個人版・未遂の記 ――絶滅を待望された被害者の証言 第三章 「法の起源」の忘却者たち(実名表記)

最終解決個人版・未遂の記

 ――絶滅を待望された被害者の証言

【献辞】

本書を以下の方たちに捧げる。

法によって、社会によって救済されなかった全ての犯罪被害者たち、犠牲者たちに。

法によって、社会によって救済されないまま捨て置かれ続ける全ての犯罪被害者たち、犠牲者たちに。

                            ――井上莉絵瑠

第三章 「法の起源」の忘却者たち

人間とは自己自身に居合わせない存在のことであって、この自己喪失と、それが端緒を開くさまよいのうちに存在している。

(ジョルジョ・アガンベン『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』、邦訳183頁)

わたしは、自分のしていることがわかりません。わたしは自分がしたいとおもうことではなく、憎んでいることをしているからです。

(パウロ『ローマ人への手紙』七章15-19節)

一つの命題が、あるときは制御されるべき命題として、またあるときは制御の規則として扱われうる。

(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン「確実性の問題」、『ヴィトゲンシュタイン全集9』、邦訳32頁)

 「法の起源」とは、法が自らの超越性(=先験的正当性)を自分自身の力だけでその身に宿すこと、あるいは証明することの絶対的不可能性である。法はいつから、自分の命令を単に必然的なものとしてではなく真理として受け入れさせ、したがって自分に服従することは絶対的な義務であると人々に信じ込ませることができるようになったのか。ベンヤミンなら、法措定暴力というそれを裁ける上位審級がまだどこにも存在していない「原初の侵犯行為」が完遂されたときから、「神話的暴力」の次元が開かれたときからであると言うだろう。「原初の侵犯行為」が完遂されたことの結果としてではなく、自ずと超越性をその身に宿して出現した法は一つも存在することができない以上、自らを侵犯した者たちを裁くあらゆる法は、「原初の侵犯行為」というまさしく自分自身の出自のおかげで、自分たちによって裁かれる者たちと厳密には全く同列であるということにならざるを得ない。言い換えれば、あらゆる法が法であるためには、あるいは自らを法であると主張するためには、自らの内部に自らが法(=正義)であることを不可能にしてしまう不正義の記憶を、すなわち「法の起源」という自らの出自にまつわる記憶を内在させていることが不可欠の条件なのである。別の言い方をすれば、法は自らの内部に自らをどこまでも損ない、穢し続ける不純物としての「例外」を内在させているのであり、法がいつまでも不完全・未完成な状態に留まることを絶対的に強制するこの「例外」に依存することによってのみ、法は自らを法であると主張し、法として存続していくことが可能となる。法の「正義」をつねに内部から脅かし、侵蝕する「不正義」としての「例外」とは、したがって法それ自体の瑕疵であり、無限に再生産され続ける法の剰余(=自分が間違っているかもしれないという可能性)であり、世界の外部に存在している崇高な「法」に通じている欠如、あるいは開口部である。そこを通って、崇高な「法」の禁止する声が絶えず聞こえてくる。法は法と一致してはならない、法は法と一致して完成してはならない、法は法と一致して「全能に=完全に正しく」なってはならない、法は「法の起源」=「原罪」を決して忘却してはならないという声が。

 自分自身と一致すること、一致して完成することを絶えず禁止される法が首尾一貫性を欠き、偶然性の侵入に対して無防備であり、「外傷的で統合され得ない性格」を帯びるのは当然のことである。それこそが法の「権威の決定的な条件」なのだとジジェクは言う。法に「決定的な権威」の衣装を纏わせているのは、あるいは「正常に」機能しているかのような外観を与えているのは、もちろん法自身ではない。法には「意味」があり、万古不易の「正義」と「真理」が宿っているという人々の信仰、あるいは転移である。すなわち、法は「決定的な権威」の衣装を自ずと纏っているのでは全くなく、人々の転移に全面的に依存することで初めてその衣装を纏うことができる。自ずと「正常に」機能しているのでは全くなく、人々の転移に全面的に依存することで初めて「正常に」機能しているかのような外観を装うことができる。人々の信仰、ないし転移はどこからくるのか。首尾一貫性や整合性を欠落させ、自分の象徴的な宇宙には統合され得ないがゆえに「外傷的」であり、「理解不可能」であるという人々の法に対する経験の仕方からくる。しかし、そのような経験の仕方を通じて人々が法に転移することができるのは、法が普遍とされる実定的な象徴規範として出現することに成功した場合、すなわち「理解不可能」を「理解不可能」としてどんな違和感も喚起させることなく受け入れさせることに成功した場合に限られる。法が普遍とされる実定的な象徴規範として出現することに失敗し、失敗し続けた場合、すなわち「理解不可能」が理解可能な「理解不可能」として強い違和感を延々と喚起させ続けた場合、法は信仰どころか最低限の信頼さえ人々から得ることは全くできなくなる。人々が出会うことになるのは、「法の起源」を完全に忘却した「全能の神」の化身ばかり、法が「われわれの行為の内容が不断に不確定性を孕んでいることの証言者」(ジジェク)であることになど一度も覚醒したことがないような、自らが「法」そのものと化した剥き出しの生という絶対的主権者ばかりとなる。

  第一章と第二章で徹底的に証言してきたとおり、私とMに「滅罪的暴力」を散々行使してきた者たちが、「法の起源」を完全に忘却した驚異的な「全能の神」の化身たちであったことは言うまでもない。とりわけ、告訴権・告発権を剥奪するなどという超法規的暴力の行使は、「決定的な権威」の衣装を纏うために法が全面的に依存しなければならない転移を強大にするどころか、転移の条件である「理解不可能」に巨大な裂け目を生じさせ、犯罪の疑惑への通路となる理解可能性をこれでもかと覗かせることで、法に対する最低限の信頼さえ絶望的なまでに不可能にする。

 第一章と第二章では、絶滅するまで私を絶滅収容所に強制収容しておくことで、巨大犯罪身体の全痕跡の絶滅を謀るという「最終解決個人版」の壮絶な被害経験の相貌を証言するだけで精一杯だった。しかし、元中央大学法学部兼任講師問題の「最終解決」を謀ることで、巨大犯罪身体全痕跡の露見可能性の完全消滅という「最終解決」を実行しつつあった巨大犯罪身体の形成者たちに、「最終解決」が確実に達成されるように共謀者として明らかに関与したと思われる別の者たちが存在する。第一に、私の名誉を著しく毀損する虚偽記事を書き、2012年10月15 日発行の中央大学新聞第1234号にそれを掲載した中央大学新聞学会の者たちである。第二に、中央大学の提訴に少し遅れて中央大学新聞学会を提訴したのであるが、その対中央大学新聞学会民事訴訟を担当した裁判官たち、とりわけ訴訟指揮を執った裁判長裁判官である元東京地裁立川支部の民事部担当の裁判官、中山直子である。さらに、中央大学の全犯罪を始めとして、反国家的組織的犯罪の実行に共謀者として関与したのではおそらくないが、その行為・言動・態度が反国家的組織的犯罪の遂行を容易ならしめ、助ける(=「過失により犯罪を幇助する」)結果になってしまった者が存在する。対中央大学民事訴訟、対中央大学新聞学会民事訴訟の私の代理人であると同時に、森川久範の要請を受けて私が依頼することになった強要罪の刑事告訴の告訴人代理人でもあった弁護士である(この弁護士のことは、以後NN弁護士と表記する)。

 本章では、中央大学新聞学会の者たち、及び対中央大学新聞学会民事訴訟の裁判官たちから行使された「滅罪的暴力」について証言する。また、NN弁護士のどのような行為・言動・態度が反国家的組織的犯罪の遂行を助ける結果になってしまったのか、同時にそのようなNN弁護士の行為・言動・態度によって私がいかなる被害を発生させられることになったのかについて証言する。

 虚偽の名誉毀損記事を書かれるという形で中央大学新聞学会から行使された「滅罪的暴力」について証言するためには、「醜悪な加害者」という唯一の意味の檻に封じ込めるため、首謀者たちが私に対して狂気じみた暴力行使を連続的に差し向けていた2012年初夏頃まで遡行しなくてはならない。

 虚偽の申立てを行なった学生、及びその保護者と会って話がしたいので機会を作って欲しいと当時の法学部事務室長土方善明に依頼したが、どんな応答も得られなかったので、正確な事実確認を行なうためのあらゆる手段を断たれた私は、当時仕方なく実名で開設したツイッターアカウントにその学生及び保護者に直接語りかけ、また問いかけるための「Xくんへの手紙」、「Xさんへの手紙」という連投ツイートを行なった(もちろん、Xという匿名を一貫して使用しているので、Xが具体的に誰を指しているのかは特定できない)。

 大変な反響を呼んだこの連投ツイートに触発を受けたからかどうかは定かではないが、2012年6月15日に中央大学新聞学会の学生記者の〇〇〇が私のツイッターアカウントに取材を依頼するダイレクトメッセージを送信してきた。同年4月11日に壮絶な退職強要を行ない、のちにそれを隠蔽するための偽造録音媒体を作出して民事訴訟に提出することになる中西又三からの脅迫状が何通も送付されてきて、私の疲弊と憔悴がほとんど極限状態に達している時期だったので、私に代わってMが〇〇〇に断りの返信をしてくれた。「学生の親族が<息子を法律家にする>という夢を邪魔する極悪人として井上先生を大学から追放しようと大学関係組織に働きかけた。そのための<口実>として<ハラスメント>という<冤罪>を着せて、先生を大学から追放することを大学関係組織とともに画策した。先生はハラスメント防止啓発委員会から退職強要を受け、その後、名前を名乗らない法学部長の橋本基弘がいる会議室で、重ねて退職強要に同意するよう圧力をかけられた。ハラスメント防止啓発委員会が実行した退職強要は、ハラスメント防止啓発ガイドラインに悉く違反している。本日も、中西又三から脅迫状が送り付けられてきたため、先生はその対応に追われている。支援者が作成したサイト<証言置き場>や<Xくんへの手紙>、<Xさんへの手紙>などから適宜引用して記事を作成して欲しい」。これが、Mが私に代わって〇〇〇に返信してくれたメールの概要である。Mが返信したメールに対し、同年6月18日に〇〇〇は次のような内容のメールを送信してきた。「今回の事件を一人でも多くの人に知ってもらえるように記事作成に尽力します。新聞の発行日は7月上旬を予定しておりますので、発行、もしくは何らかの不具合が生じましたらまた連絡致します」。

 しかしその後、7月上旬を過ぎても中央大学新聞が発行される気配は一向になかった。不吉な予感でいっぱいになったMは、同年7月18日(解雇予告通知が送り付けられてくるちょうど一週間前)に中央大学新聞学会の会室を訪れ、「〇〇〇より中央大学新聞7月号で記事になる話を持ちかけられた件で、〇〇〇に会いたい。中央大学新聞7月号が発行されたかどうかを知りたい」と伝えた。その瞬間、会室の中の雰囲気が凍り付いたようになり、ドアの隙間から顔を覗かせた女性部員が「本日、〇〇は出ておりますので、今のご質問の件をお伝えしておきます」と返答した。すると翌日、〇〇〇からMの元に次のような内容のメールが送信されてきた。「井上先生の件についてですが、大変申し上げにくいのですが7月号で取り扱うのは急遽不可能になりました。この理由について、詳しくは述べられないのですがM様ならば大体の予想はつくと思うので察していただければ……と思います」。〇〇〇のこのメールの言葉が示唆していること、「述べられない」ことを幾分苦しそうに明示することによってMに伝えようとしているメタメッセージは非常に分かりやすい。大学上層部(=首謀者たち)から、何らかの脅しの含蓄がある強い圧力をかけられ、私が被害者とされた事件について記事にすることを禁止された。しかし、その者たちの言説には、記事にしないことが正当であると自分も納得することができる論理的説得力が欠落していた。記事にされては都合の悪い真の理由を隠蔽しているように感じられた。自分は、本当はMがメールで伝えてくれたことが真実であると思っている。〇〇〇のメールのメタメッセージを解読するとこのようにしかならない。

 ところが、私が「偽装解雇」されてからひと月ほど経過した2012年8月20日と同年9月9日、〇〇〇はMの元に再び私に取材を依頼したい旨のメールを送信してきた。「先生の都合がつく日でいいですので、9月上旬までのどこかで一度取材の機会をいただけないでしょうか」。この時期には、NN弁護士が学校法人中央大学の当時の理事長に宛てて和解を打診する内容証明郵便を送付し、民事の法的手続きに向けた準備を私たちはすでに開始していた。また、中央大学新聞学会が大学上層部(=首謀者たち)の強い支配下に置かれている可能性は極めて濃厚であったため、〇〇〇からのメールに対してMは取材に応じるとも、応じないとも返答しないでおいた。

 理事長に隠れて「偽装解雇」を強行した首謀者たちは、代理人弁護士を通じて無内容同然のゼロ回答を当然のことながら送付してきたので、私は学校法人中央大学に対して直ちに労働審判を申立てた。すると、労働審判第1回期日を36日後に控えた2012年10月15日に、中央大学新聞学会は「法学部兼任講師解雇問題」と題した記事が掲載された中央大学新聞第1234号を発行したのである(偽造録音媒体の最終録音日である2012年10月17日の二日前に当たる。さらに、この日から二週間後の同年10月29日に当時の理事長は解任された)。中央大学新聞は発行部数が8000部にも上る大規模な媒体である。同年11月4日、同日から開催された中央大学の大学祭の最中に、まだ中央大学法学部の4年生であった当時の共闘仲間が彼の知人であるという文学部4年の学生から、当該新聞を発見したという連絡を受けた。同年11月5日、当該新聞が学生食堂に置かれているのを共闘仲間本人も発見した。一読した共闘仲間は、当該記事が虚偽の事実を前提として、私があたかもハラスメント行為を認め、大学側の違法解雇が正当であるかのように結論付けられていることを確認した。「A氏(=私)が、学生に対してハラスメント行為、及びネット上での名誉毀損とプライヴァシー侵害とを行なったため中央大学を解雇された」、「今回の件はA氏が自らの潔白を訴える目的で、インターネット上にて逐次情報を公開していたために学生の間でも話題を呼び、注目の集まるところとなっていた」、「A氏が解雇の決定を受けてから具体的行動を起こしていない現状などに鑑みて、A氏が全くの潔白であるとも言えないのでは、という意見が現在では支配的となっている。4月から始まった一連の騒動も、これで一応の決着を見た」。これが、「法学部兼任講師解雇問題」と題された当該虚偽記事の概要である。同年11月7日、共闘仲間が私とMのところに当該新聞を持ってきたので、私とMは仕方なく当該虚偽記事に目を通さざるを得なくなった。同年4月11日の凄絶な退職強要、及び「偽装解雇」という暴力行使を、このような学生新聞を利用して隠蔽を謀ることを通じてあの者たちは依然として反復していると思うと、暴力行使を受けた苦痛が恐ろしい不快感と嫌悪感、そして耐えがたいほどの屈辱となって喉元を締め付け、全身を激怒で硬直させた。まだ学生であった共闘仲間には、こんな醜悪な代物をわざわざ持ってきてなぜ私に読ませる必要があるのかと、屈辱と激怒の底からひと言抗議してやりたくなったが辛うじて抑制した。

 早速NN弁護士に当該虚偽記事を読んでもらうと、私たちの意見には滅多に同意しないNN弁護士が一読するなり「これはひどい!」と衝撃を受けた様子で言った。相手方を判断する際には極度に慎重であり、何重にも留保をつけるNN弁護士が「これはクロだね」と非常に珍しく断言した。まだ学生であった共闘仲間が醜悪な代物を持ってきたことが契機となって、中央大学に加えて中央大学新聞学会まで名誉毀損の不法行為により提訴しなくてはならない文脈が生起してしまった。名誉毀損の損害賠償請求訴訟の代理人を依頼する際の着手金は、中央大学を相手取った地位確認等請求訴訟よりも高額なのであるが、明白にクロであるなら勝訴する確率は相当に高いと示唆されたようなものなので、対中央大学新聞学会訴訟の代理人も依頼する契約を速やかにNN弁護士と結ぶという展開になった。被告は中央大学新聞学会の顧問である当時法学部准教授の森光、当該虚偽記事の作成者である〇〇〇、同会の代表である当時中央大学法学部4年の和田進の3名であった。NN弁護士が作成した準備書面等によると、「記事内容が虚偽であり、井上に対する名誉毀損を行なっている」。その理由としてNN弁護士は次の四つを挙げている。(1)2012年9月3日、井上はハラスメントの事実がなかったにも拘らずハラスメントを理由に解雇されたとして、解雇無効と復職等を要求する内容証明郵便を中央大学宛てに発送している。(2)さらに同年9月28日、井上は東京地方裁判所立川支部に解雇無効を理由とする地位確認等請求労働審判事件の申立てを行なっている。(3)A氏と匿名にはしてあるが、当時の状況からA氏が井上であることは誰の目にも明らかであった。共闘仲間の知人である文学部4年の学生も、A氏が井上であると認識して共闘仲間に連絡を入れている。(4)被告代理人の渋村晴子と古田茂は、2013年3月14日付けの答弁書7頁にて、新聞学会は大学当局やハラスメント防止啓発支援室からも取材を拒否されたと答弁しており、新聞学会は大学当局にもハラスメント防止啓発委員会にも井上にも取材をせずに虚偽記事を作成し掲載している。

 一方、2012年11月16日と同年11月18日、Mは虚偽記事を作成した〇〇〇に宛ててメールを送信した。同メールのなかで虚偽記事を作成したことに強く抗議し、訂正を求めるとともに、〇〇〇が同年7月19日に送信してきたメールの内容から、中央大学新聞の記事掲載に関する最高決定権を保持しているのは学校法人中央大学と見做す以外にあり得ないと指摘し、その上で中央大学新聞に記事掲載を行なう全責任が帰属する法人名にて見解を示すよう要求した。このメールに対し、〇〇〇からは一切返信がなかった。2012年11月26日、私自身が中央大学新聞学会の代表である和田進と〇〇〇に宛ててメールを送信し、虚偽の名誉毀損記事が掲載されている第1234号を完全に回収した上で、次号(第1235号)に訂正記事を掲載するよう強く要求した。虚偽記事を作成した〇〇〇からは返信がなかったが、同年同日に中央大学新聞学会の代表である和田進が私の元に次のような文言が含まれるメールを返信してきた。「本日中には何らかのご連絡を差し上げられると思いますので、少々お待ちください」、「しかしながら、再三のお尋ねや直接取材のお願いにも拘らず井上先生側、すなわちMさんからのお返事を得られず、また法学部事務室からも回答を得られませんでしたので、取材に対応してくださったハラスメント室と大学側からの公式発表に基づいて、記事執筆時点で言及可能なことを書いたと記憶しております」(この和田進の返信内容は、上述したとおり中央大学新聞学会訴訟の被告代理人が答弁書に書いてきたことと明らかに抵触している。被告代理人によれば、中央大学新聞学会はハラスメント防止啓発支援室からも取材を拒否されたのである)。しかしその後、和田進からの連絡は一切なかった。ところで、肝心の作成者である〇〇〇は、信じがたいことであるが中央大学新聞第1234号が発行された2012年10月15日にはすでに中央大学新聞学会から除名・追放されていたらしいことが、最近のMの調査によりほぼ明らかになっている。中央大学新聞学会に所属していたこと自体が抹消されているようである。中央大学新聞学会のホームページの過去記事には「波紋」という項目が存在し、2012年10月15日の「波紋」(1234号)には「まあ、喧嘩別れで一人の友人を失ってしまったことは残念だったが、それも運命というものなのだろう」という(おそらく代表である和田進の)言葉が残されていたそうだ。

 Mの報告を受けた直後、2012年12月頃に中央大学新聞学会の会室前まで様子を探りに行った共闘仲間が、虚偽記事の作成者である〇〇〇の私物がもっともプライヴェートなものに至るまで、まるでゴミでも廃棄するように会室の外に無造作に捨てられ、散乱しているのを発見して驚愕したという話をしていたことを思い出した。対中央大学新聞学会訴訟の第1回口頭弁論期日に、マスクを着用していたから顔はよく見えなかったが、人目を忍ぶような孤独感と寂寥感をその姿から繊細に放っている一人の若い青年が傍聴に来ていたことも思い出した。その日、彼の存在の印象に罪悪感の波立ちのようなものを漠然と感じ取り、あれは〇〇〇であると直感したのであったが、Mの報告を受けた現在、あの孤独感を湛えた青年は間違いなく〇〇〇であると深く確信するに至った。中央大学の首謀者たちに、自分たちの犯罪を隠蔽するために私の解雇に関する虚偽記事を作成するという汚れ役を、おそらく彼は引き受けさせられたのだと思う。虚偽記事を作成したという全責任を、中央大学の首謀者たち、自己保身のために完全に彼らの支配下にある他の部員たちは、おそらく彼一人に負わせたのだと思う。「「犠牲者と処刑者を結びつけている長い鎖」がほどける地帯であり、そこでは、被抑圧者が抑圧者となり、つぎには処刑者が犠牲者となる」とアガンベンが書いている「灰色地帯」、中央大学全体にその濃霧が立ち込めている「灰色地帯」の〇〇〇は住人であったと言うしかない。

 2012年12月上旬、中央大学新聞学会は「灰色地帯」である中央大学の各部署に、中央大学新聞第1234号を大々的に再配布するという倒錯した「滅罪的暴力」を行使し始めた。共闘仲間が確認したところによれば、中央大学新聞学会は、6号館の法学部事務室前やサークル棟の入り口には「法学部兼任講師解雇問題」と題した手書きの広告をわざわざ新聞ラックに貼り付け、配布するというその邪悪さがあまりにも際立つ倒錯した「滅罪的暴力」を行使した。2012年12月25日には、虚偽記事を訂正する記事など一切掲載することなく、元中央大学法学部兼任講師問題の「最終解決」を粛々と執行する部隊である中央大学新聞学会は、中央大学新聞第1235号を発行した。第1235号が発行されたにも拘らず、学生食堂、商学部事務室前、法学部事務室前、4号館(サークル棟)の入り口という各場所に、「最終解決」執行部隊である中央大学新聞学会は中央大学新聞第1234号を収めた新聞ラックを設置し続け、第1234号を配布できる状態に留めておいたばかりか、「法学部兼任講師解雇問題」と題した手書きの広告も貼り付けたまま放置しておくという悪魔的な「滅罪的暴力」を行使し続けた。共闘仲間が確認したところによると、「中央大学犯罪露見可能性問題の元中央大学法学部兼任講師問題へのすり替え」の完全なる視覚化である中央大学新聞第1234号は、彼が卒業する2013年3月まで中央大学内の各部署で配布され続けたのである。まるで、「真実の私」の幽霊が決して回帰してこられない隠蔽の結界を強迫的に張り巡らすようにして。

 そのような次第で、2013年3月14日に開始され、完全犯罪の舞台として利用されただけの対中央大学訴訟と較べると幾分かはまともな裁判手続きに従って進行していったように見える対中央大学新聞学会訴訟もまた、2014年3月6日に原告全面敗訴という原告側の誰もが予想していなかった「理解不可能な」形で終結した。すなわち、現時点から振り返ってみると、「中央大学犯罪露見可能性問題の元中央大学兼任講師問題へのすり替え」の完全なる視覚化である中央大学新聞第1234号の虚偽記事が仮にも名誉毀損記事であると認定され、被告中央大学新聞学会が全面敗訴するなどという展開は、中央大学新聞学会の背後にいる首謀者たちにとって「最終解決」の失敗という絶対に受け入れられない破局的事態の到来だけを意味していたからだ。当該虚偽記事が明白な名誉毀損記事に当たることをNN弁護士は最高裁判例を引用してほとんど完璧に立証したが、法律論においても圧倒的に優勢であった原告を全面敗訴させるよう、首謀者たちとその共謀者である代理人弁護士たちから何らかの不正な働きかけがあったと見做さない限り、対中央大学新聞学会訴訟の「理解不可能」な判決にはあまりにも不自然な裂け目が開き過ぎているということだ(同年2月26日には対中央大学訴訟第一審という民事法廷を舞台とした完全犯罪がすでに終結していたが、森川久範に控訴の意向を告げたとき、対中央大学訴訟の判決書だけではなく対中央大学新聞学会訴訟の判決書も東京地検立川支部に送付するよう、森川久範はNN弁護士に指示を出した。対中央大学新聞学会訴訟は控訴しても全く無益であると判断したので、控訴する意思はないことを伝えたにも拘らず、対中央大学新聞学会訴訟の判決書も送付するようにと森川久範は要求した。争点自体が強要罪とは無関係である対中央大学新聞学会訴訟の判決書をなぜ必要とするのか、当時大変不可解に感じた。対中央大学新聞学会訴訟において原告を全面敗訴させるよう不正な働きかけをしたのも、対中央大学訴訟第一審という民事法廷を間接殺人のための完全犯罪の舞台として利用した者たち――中央大学の首謀者たちとその共謀者である弁護士たち、検察官検事たち、そして対中央大学訴訟第一審に関与した裁判官たちであると現在では確信している)。

 現時点から考えると、巨大犯罪身体の全痕跡の絶滅を謀るために、絶滅収容所に絶滅するまで私を強制収容しておくという邪悪な謀議に、対中央大学新聞学会訴訟の中山直子を始めとした裁判官たちも、訴訟が開始された時期からか途中からかは定かではないにせよ非同時的に参加していた可能性は限りなく高い。少なくとも裁判長裁判官である中山直子、完全な茶番である和解の偽儀式に一人で立ち会った裁判官・安井龍明が、いつ頃からかは明確には判断できないにせよ、巨大犯罪身体の内部にそれを形成する一員として取り込まれていた可能性は限りなく高い。対中央大学新聞学会訴訟の民事法廷は、一見するとまともな裁判手続きに従って進行しているような外観を維持していたため、NN弁護士の自信に満ちた弁護活動も手伝って、裁判官には全く転移していない私にもある程度は信頼してよいのかもしれないという半信半疑の印象、あるいは漠然とした淡い期待を抱かせ続けた。ある時期から、同時進行していた対中央大学訴訟第一審という民事法廷を舞台とした間接殺人の完全犯罪を幇助するための準間接殺人の舞台に微妙に変化を遂げ、中山直子と彼女に手厳しい批判を何度も受けていた二人の弁護士たちに(つまり、彼ら彼女が巧妙に演じていた芝居に)騙されるようになっていたとしても、私とNN弁護士は何の疑いも抱かずに見事に騙され続けた。漠然とした淡い期待を抱かされ続けて迎えた判決期日、勝訴を確信していたNN弁護士は原告席の立ち位置まで変えて、「主張を受け入れてもらえる気分を味わってみて」とまで言ったのだ。法壇に登場してきた中山直子の印象は、それまでの傲岸不遜と言ってもよい泰然自若とした雰囲気とは驚くほど一変していた。終始俯いていて、いかにも自信を喪失した不安そうで覚束ない印象、できることなら隠れたいと身体の現前全体が無言のうちに告白しているような印象とともに法壇に立ち、「原告の請求を全て棄却する」と信じがたいほどの小声で早口に言うと、瞬間的に身を翻して逃げるように立ち去った。これを聞いて誰よりも衝撃を受けたのが勝訴を確信していたNN弁護士だった。「負けましたねえ」と茫然自失した声で言うと、想像を絶する事態の展開に打ちのめされてほとんどよろけそうになった。巨大犯罪身体を形成する一員として、あたかも被告中央大学新聞学会が圧倒的に劣勢であると偽装するために被告代理人たちと芝居を続け、私とNN弁護士を徹底的に騙し通してきたのだとすれば、原告の勝訴はほぼ確実であるという印象をこれでもかと醸成してきた訴訟展開から必然的に演繹される結論とは、全く正反対の結論を最後の最後に中山直子はついに言うしかなくなったのだ。したがって、判決言い渡しの際にその存在の印象に極端な変化を出現させざるを得なかったことにより、あるいは出現させることを抑止できなかったことにより、「原罪」の摘出にまだ完全に成功しているわけではない中山直子は、私たちを長期にわたり騙していたこと、対中央大学新聞学会訴訟も被告を不正に勝訴させることを目的とした出来レースであったことを、暗黙のうちに告白してしまったのである(もっとも、裁判所と裁判官に対する転移が極めて強いNN弁護士は彼女の「判決」の名を借りた自白を、文字どおりに「判決」と受け取った)。したがって、対中央大学新聞学会訴訟における原告全面敗訴という判決の「理解不可能」に、犯罪が実行されたかもしれないという疑惑に直結する理解可能性の巨大な裂け目が開いていたことは言うまでもない。言い換えれば、中山直子は「法」を普遍とされる実定的な象徴規範として出現させることに完全に失敗したということだ。当然のことだ。対中央大学新聞学会訴訟も最初から、あるいは途中から、民事法廷を間接殺人の舞台として利用している対中央大学訴訟という完全犯罪と連動しながら、その完全犯罪を幇助する準間接殺人の舞台として使用されていたのだから。勝訴するという期待を次第に高めさせるように中山直子は訴訟を狡猾に展開していき、1年近くにわたって期待をほとんど頂点にまで引き上げた瞬間に、対中央大学訴訟の「殺人判決書」によってすでに絶滅収容所の中に汚物同然に遺棄されている私を、まるで絶対的致命傷を与えてやると言わんばかりに断崖絶壁からもう一度突き落とし、絶滅収容所の中の生の存続にとってさらに危険な地帯に再び遺棄したのである。

 対中央大学訴訟に続いて、中央大学新聞学会も私によって提訴されたことを知ったとき、中央大学の首謀者たちは中大学訴訟との併合審理を要求してきたが、裁判所はこの要求を却下した。「中央大学犯罪露見可能性問題の元中央大学兼任講師問題へのすり替え」の完全なる視覚化である中央大学新聞第1234号の虚偽記事が名誉毀損記事として認定されることを事前に阻止し、中央大学新聞第1234号による「滅罪的暴力」の明確な延長である対中央大学訴訟との併合審理に持ち込むことで、首謀者たちが決定した「醜悪な加害者」が私の唯一の意味であるがゆえに中央大学新聞第1234号の記事は虚偽記事などではなく、したがって名誉毀損には当たらないとする展開に持ち込みたかったという意図が透けて見える。争点が異なるという理由により併合審理が却下されたとき、対中央大学訴訟と同じ二人の被告代理人のうち渋村晴子が曝した落胆の表情には演技の色が全く見えなかったので、おそらくこの時点では中山直子たちへの働きかけはまだ行われていなかったと思う。

 対中央大学訴訟とは異なり、まもなく弁論準備手続きも開始された。対中央大学訴訟においては自信の欠如のなかを不安定にさ迷い、被告代理人たちに対しても遠慮がちであったNN弁護士が「クロ」と自信を持って断言しただけのことはあり、被告代理人たちが提出してくる準備書面には、明らかな「クロ」を「シロ」に変色させるという奇跡的な化学変化を起こすどころか、「グレー」の領域にさえ移動させられないことからくる極端な支離滅裂さが不自然極まりない「理解不可能」となって毎回現出していた。不可能を無理矢理可能にしよとするその無理な悪足掻きが論理の全体的破綻、意味作用の絶えざる混濁となって現れ、必然として受け入れさせる基準値を甚だしく逸脱したその「理解不可能」、文字どおり狂気じみている「理解不可能」にNN弁護士も心底呆れ果て、苦笑し、被告代理人の能力を疑う発言が思わず飛び出すことさえあった。中山直子と安井龍明とともに弁論準備手続きが複数回行われたのであるが、訴訟が開始されてから初期の頃の弁論準備手続きの部屋で、私とNN弁護士の目の前で二人の代理人弁護士は私たちのほうに一切視線を向けず、中山直子だけに顔を向けながらほとんど同時に文字どおり支離滅裂で意味不明なことをかなり大声で喋り続け、あまりに異様で狂気じみた二人の様子にNN弁護士と私は驚き呆れて思わず顔を見合わせたほどである。このときの「理解不可能」も必然として受け入れさせる基準値を過激なまでに逸脱していたので、「クロ」を「シロ」に変化させるという論理的地平では完全に不可能なことを暴力的に可能にするため、途轍もない論理の欠如と意味作用の攪乱ないし連続的破綻という狂気じみた戦略に訴えるしかないのだと思った。それと同時に、能力さえ疑われかねない狂気じみた一連の言動は明らかにパフォーマティヴ(=芝居であるとは悟られない芝居のなかで演技をしている)であり、しかも「理解不可能」が極端すぎるゆえにパフォーマティヴに徹することに二人の弁護士は明らかに失敗していると感じた。つまり、二人の弁護士は論理的な議論の場に引っ張り出されて、そこでNN弁護士と私から理路に敵った追及を受けることを徹底的に回避するために、明らかに過剰な演技をしていた。ある時期から、おそらくかなり早い時期から、中山直子と安井龍明も裁判官の仮面の内側で、「クロ」を「シロ」に変化させるという不可能を可能にするための大芝居に役者として参加していたことは間違いないと思う。疑われないために弁論準備手続きは行わないわけにはいかなかった。対中央大学訴訟の裁判長裁判官であった市村弘も太田武聖も、弁論準備手続きを一度も行なわないことで私と直接対面して話をするという機会を絶対に作らず、「私と絶対に関係を持たない」という巨大犯罪身体の形成者たちに共通する徹底排除の戦略を実行した。弁論準備手続きを行なわざるを得なくなった中山直子は、狭い部屋にいるので私の存在はいやでも視界に入るが、一貫して視線を曖昧に漂わせながら私を直視するということを一度もせず、私に直接語りかけることもなければ、私の主張や意見を求めるということも一度としてなかった。複数回にわたって開かれた弁論準備手続きを通じて、宙吊りにされたような不快な気分で私が一貫して抱き続けたのは、原告側に心証が傾いているかのような言説や行為とは裏腹に、中山直子から全く関心を向けられず、弁論準備手続きの場にいながらそこから明らかに排除されているという決定的な感覚であった。「クロ」を「シロ」に変化させるという不可能を可能にする大芝居の役者として、中山直子は裁判長裁判官の仮面の下で、弁論準備手続きという狭い部屋の中ですぐ近くにいる私と厳密には決して対面せず、私には一切関心を向けず、直接的な対話を私とは一度も交わさないことによって、巨大犯罪身体の形成者たちの戦略である「私と絶対に関係を持たない」ことを実に注意深く反復したのである。訴訟がもう後半に差し掛かっていた頃だと思うが、被告代理人が相変わらず支離滅裂で意味不明な準備書面を提出してきたので、中山直子は厳しく叱責して書き直しを二度命令したのであったが、命令に従って被告代理人が三度目に提出してきた準備書面も支離滅裂の程度が若干軽減された程度で実質的には依然として意味不明であったにも拘らず、中山直子がどんな異議も唱えず違和感も呈さずにすんなり受け入れたとき、中山直子の態度自体に極めて不自然な「理解不可能」を読み取らざるを得なかった。さも自然であるかのように推移した準備書面の二度の書き直しをめぐるこの一連の展開は、不可能を可能にするための大芝居のなかで、中山直子と二人の被告代理人があらかじめ共有されたシナリオに基づいてまことしやかに行なった正真正銘のパフォーマンスであると確信する。訴訟が中盤に差し掛かった頃、中山直子は一度和解のテーブルに着いてみることを提案してきた。ところが、被告中央大学新聞学会の当時顧問であった現法学部教授の森光が、成立することなどあり得ないと初めから分かり切っている和解ための話し合いの場に被告代理人たちとともに姿を現したところ、安井龍明が「裁判長は風邪のため欠席なので、私だけで行ないます」と言った。自分が提案した和解交渉の場に出席できないほど重症の風邪をこんなに都合よくひけるものかと驚愕した。たった一度の和解交渉の場に和解を提案した裁判長自身が欠席という、これもまた不自然極まりない「理解不可能」だった。和解交渉の場となると部屋がさらに狭くなり、いやでも私と直接対面して、私と言葉を交換しあうことを余儀なくされるので、欠席することにより中山直子は「私と絶対に関係を持たない」という鉄則を文字どおり実行したとしか考えられない。NN弁護士は、次のような一節が含まれる全7行の訂正記事を中央大学新聞に掲載することを和解の条件とした。「中央大学新聞第1234号の3面、……という記載がなされましたが、いずれも事実に反しますので、ここに前記部分の記事を取り消し、法学部兼任講師A氏の名誉と信用を失墜したことに鑑み、深くお詫びいたします」。これに対し、中央大学新聞学会顧問の森光が提出してきた訂正記事案は、たった2行程度のお世辞にも謝罪・訂正記事などと呼べる代物ではなかったので、成立するはずのない和解はもちろんその場で決裂した。この狭い部屋においても、二人の被告代理人が目の前にいる私の顔を一度として見なかったことは強調しておく。対中央大学訴訟が本人尋問も証人尋問も一切省略したので、対中央大学新聞学会訴訟でも完全省略というわけにはいかず、中山直子は私が陳述書を提出したのち本人尋問だけを行なうという展開にすることを最後の弁論準備手続きの部屋で告知した。標的が私である準間接殺人の舞台として中央大学新聞学会訴訟の民事法廷がいつのまにか使用されているなどとは、さすがにこの時点では意識的に気づけるはずもなく、まともな裁判手続きが進行しているという偽装工作を維持するための本人尋問なるパフォーマンスに、まるで滑稽な道化師の見世物のように私は参加させられることになった。

 元中央大学法学部兼任講師問題の「最終解決」の中央大学における執行部隊である中央大学新聞学会から倒錯した「滅罪的暴力」を散々行使された事実経緯、その連続的な暴力行使によって蒙ることを余儀なくされた精神的・身体的な被害の実態、そして中央大学新聞学会による連続的な暴力行使の背後には彼ら彼女らにそれを命令した人物が存在するという濃厚な示唆。これらの三要素から構成された陳述書を書き、それとともに中央大学新聞学会から受けた精神的・身体的被害の症状は「適応障害」であるとする医師の診断書を、本人尋問の前に裁判所に提出した。2014年1月23日の本人尋問が最後の裁判手続きであり、同年3月6日が判決期日となると知らされていた。完全犯罪の舞台であった対中央大学訴訟第一審の判決期日はおよそ8日前の同年2月26日、対中央大学新聞学会訴訟のあらかじめ原告全面敗訴が確定している判決言い渡しの日には、原告はあの狂暴な悪意と憎悪で全編が貫かれている「殺人判決書」をすでに読んでいるというわけだ。

 本人尋問の冒頭で、私はどんな転移もしていない中山直子に「神聖な法廷で宣誓するように」命令された。これこそ「意味なく効力を持つ法」、「啓示の無」とショーレムが言っていた典型例だと内心で深く嘆息しながら、私は「穢れた法廷」、「完全犯罪を幇助する準間接殺人の舞台としての法廷」で、目の前に置かれた「宣誓」の文面を機械的に読んだ。自分で自分の超越性(=先験的正当性)を証明できない「法」の運用に携わる裁判官自身が、本当はまず「宣誓」しなければならない。中山直子自身が「良心に従って真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べないことを誓います」と、私の前に「宣誓」の文面を読まなければならない。一体、誰が「習慣」を破壊したのか。パスカルが次のように言う「習慣」を一体誰が破壊したのか。

  習慣は、それが受け入れられているというただそれだけの理由で、公正さそのものである。それが習慣のもつ権威の神秘的基礎である。習慣をその起源まで突きつめていくと、それを破壊してしまうことになる(ブレーズ・パスカル『パンセ』、原著46頁。スラヴォイ・ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』、邦訳60頁に引用。強調線井上)

 2012年4月11日に、私が「未知の他者」であるという事実を完全に関心の外に置き、壮絶な退職強要の暴力を私に行使した者たちである。私を大学から追放するように彼らに不正な働きかけをした元学生とその親族である。私の手が彼ら自身の手となって私自身を殺さない限り、「法を破壊する暴力」の長期にわたる連続的行使の発端とならざるを得ない2012年4月11日の暴力事件は、それが全面解決されるまで私によって、私を通じて厳正なる捜査機関によって、習慣(=法)をその起源まで突きつめるという形を取ることによってしか追及することができず、接近することもできないもっとも愚かしく、もっとも危険な事件であったということだ。法の原理論を何も知らない彼らは、自分たちの暴力行為が「法を破壊する暴力」、「滅罪的暴力」の端緒を開いてしまうなどとは微塵も考えず、その破廉恥で危険極まりない暴力行為に及んだのだ(行政法教授の中西又三は、自分が何も知らない現代思想を「妄想だ!」と罵った。ほとんどの人間には耐えられない世界と人間存在についての究極の知を、現代思想は困難を極める思考によって探究し開示してきたのであるが、中西又三を始めとする首謀者たちと共謀者たちの全犯罪は、現代思想がもたらした世界と人間存在についての知を取り返しのつかない形で完全証明する結果になってしまったのである)。危険極まりないという意味は、「法」とそれを執行する者たちへの人々の転移が解けてしまうということだ。だからこそ、国家の法的機関に属する者たちまで共謀者に含まれているこの前代未聞の反国家的組織的犯罪はテロリズムであると断ずるほかはない。

 私が滑稽な道化師の見世物として、「穢れた法廷」で本人尋問を受け始めたときの状況に戻る。NN弁護士の事務所で綿密に打ち合わせしたとおりに、NN弁護士は私に対する尋問を開始した。すでに提出してある陳述書の内容を再確認する尋問ばかりであったが、二つ目の尋問に対する私の答えが長引きかけると、中山直子は私の言説を突然制止して「答えは簡潔に! 一問一答で答えるように」と高圧的に命令してきた(命令権を無条件に、根拠なく<法=自分自身>に認めることを中山直子が無意識に<前提>としていることは明らかである)。陳述書を一読すれば誰でも分かるように、到底一問一答で答えられるような単純な内容ではない。それにも拘らず、これほど高圧的に答えを単純化するよう命令してきたということは、「最終解決」の中央大学における執行部隊である中央大学新聞学会(と彼ら彼女らを支配下に置く首謀者たち)の数々の暴力行為の違法性を強く喚起する意味作用が、私の言説によって不可避的に生成されてしまうのを阻止したかったからだ(本人尋問ということで、傍聴席には平素の数倍の傍聴人が来ていた。自分の言葉を裏切って、ついに私のメールに返信してこなかった中央大学新聞学会の代表である被告和田進も、顧問である被告森光も、被告席ではなくなぜか傍聴席に来ていた。おそらく、NN弁護士の尋問に対する私の答えのなかに、彼ら、あるいは彼らのうちの誰かに聞かれては都合の悪い情報が含まれていたのだと思う。ちなみに、後に裁判所から与えられた本人尋問の音声記録の反訳書からは、中山直子の命令の言葉は削除されていた。ということは、録音媒体自体にも僅かながら編集が加えられているということになる)。転移の不在が露骨に分かるような語り方でNN弁護士の尋問に答えながら、私の右斜め前方に並んで座っている二人の被告代理人の姿が視界に入るので、実際の視線ではなく注意の視線をずっと彼らに向けていた。本人尋問の間じゅう、二人とも僅かに俯いてずっとメモを取り続けていて(あるいは、メモを取っているふりをし続けていて)、一度として顔を上げて私のほうを見なかった。二人の顔は赤くなっていて、疚しさの入り混じった「恥ずかしさ」を顔一面に汗のように分泌しているように見えた。自分を標的とした準間接殺人の舞台である民事法廷で、まともな裁判であることを偽装するアリバイ工作であるとも知らずに馬鹿真面目に本人尋問に答えている私の姿がいかにも恥ずかしいと感じ続けていたのかもしれないし、「法を破壊する暴力」を裁判所ぐるみで私に行使していること自体を恥じていたのかもしれないし、あるいはその両方であったのかもしれない。全尋問が終わると、中山直子は私に命令したときの冷酷な口調が嘘であったかのように赤い顔の被告代理人に向けて、いかにもあらかじめ了承済みという含蓄を湛えた穏やかな(しかし、微かに決まり悪そうな)口調で「反対訊問はありますか」と訊いた。「ないですよね」という、言われなかった言葉まで余韻として聞こえてくるような口調だった。二人の被告代理人のうち、渋村晴子は少し俯いた状態で、中山直子のほうに視線も向けずに疚しさと「恥ずかしさ」が入り混じった赤い顔のままで、「いいえ」と声を出して答える代わりにいかにも決まり悪そうに慌ただしく首を横に振ることで反対訊問は一切ないという意思表示をした(そう、対中央大学新聞学会訴訟の本人尋問における原告の全回答に対して被告代理人は反対訊問権を一切行使しなかったのだ。言い換えれば、本人尋問に対する全回答を通じて原告は被告中央大学新聞学会から差し向けられた全暴力行為の違法性を立証したのであるが、原告の全回答に対して反対訊問を一切行なわなければ、被告は原告が立証したことを全面的に認めたという結論にしかならない。中央大学新聞第1234号の当該記事という証拠もあり、NN弁護士による最高裁判例を引用した厳密な論証もあり、医師の診断書もあり、本人尋問における全回答を通じて被告の暴力行為の違法性を徹底的に立証した。それにも拘らず、全面敗訴とされたのは原告のほうだった。初めから、あるいは途中から、事実として「クロ」である被告をどれほど理不尽で滅茶苦茶な展開に思われようとも全面勝訴させるというシナリオが存在していたと考えない限り、絶対に起こり得ないことが起こったのである。残念ながら法の超越性=先験的正当性を微塵も疑わず、「法の起源」を忘却していることで裁判所と裁判官に驚くほど転移しているNN弁護士は、正義を装う不正義どころか露骨な不正義が明らかに行なわれたというのに、何一つ問題化しようとはしなかった。私が控訴する意思は全くないことを伝えると、「新聞学会訴訟のほうは、控訴してみたらどうなるか、法律家としてはすごく興味あるけどね」と言った。そもそも虚偽記事を書いた〇〇〇、私の追及のメールに対し、返信すると一度は書いておきながらついに返信してこなかった代表の和田進の証人申請をNN弁護士はなぜ行なわなかったのか、どうせ対中央大学訴訟と全く同じ被告の全面勝訴があらかじめ確定している出来レースなのだから意味はないとしても、中山直子や被告代理人がどう反応するか確かめることぐらいはできただろう。対中央大学訴訟に続いて、NN弁護士の訴訟戦略の信じがたい甘さと不徹底さに憤りを覚えずにはいられなかった)。

 リアリティが少しも感じられない本人尋問を終えてふと傍聴席のほうを振り返ると、意外な光景が目に入った。顧問である森光が驚くほど蒼白な顔になり、今にも嘔吐しそうなほど気分が悪い様子でよろよろと歩きながら傍聴席の外に出ていくところだった。おそらく陳述書を読んでいない彼は、中央大学における中央大学新聞学会の暴力行為が法学部長の橋本基弘を始めとした首謀者たちの多数の違法行為を大学内外に隠蔽する手段であること、新聞大学新聞学会に私の名誉を毀損する虚偽記事を書かせた上でそれを大々的に配布させたのは橋本基弘たちであること(その橋本基弘たちの影響下に自分も置かれていること)が、全尋問に対する私の答えにまるで鏡に映し出されるように鮮明に映し出されていると感じ、同時に自分たちの全違法行為の露見可能性がにわかに浮上してきて気分が悪くなったのではないだろうか。あるいは、顧問の森光も法学部長の橋本基弘からは真相を何も知らされていなくて、つまり虚偽ばかり伝えられていたので、全尋問に対する私の答えが真相へと通じる幾つもの扉のように森光の認識に作用し、法学部長の橋本基弘から自分も騙されていたという真実、都合のいいように利用されていたという真実、知らないうち橋本基弘たちの共犯者にされていたという真実への扉が、彼の内部でいっせいに開いて耐えがたい認識の像を結んだという可能性もある(その場合、中山直子が尋問に対する私の答えをもっとも聞かせたくなかったのは、森光であるということになる)。一方、森光の反応とは対照的に代表である和田進は、同伴者である女子学生と笑いながら一見楽しそうに話していたが、その笑いには緊張感による微かな引きつりが宿っていて、自己防衛的であると同時に自嘲的な笑いでもあると私は感じた。

 「クロ」を「シロ」に変化させるという不可能を可能にする最後の仕上げとして、対中央大学新聞学会訴訟の第一審判決が、いかなる疑惑への裂け目も開いていない極めて自然な「理解不可能」として私たちに受容されたなどということはもちろんあり得ない。それどころか、中山直子が作成した第一審判決は、法の「決定的な権威」にほかならない純然たる「理解不可能」として自らを組織化することに完全に失敗している。判決言い渡しの際の中山直子が、威厳も自信も完全に喪失し果てていて羞恥心でいっぱいになった自身の姿を曝し、法を普遍とされた実定的な象徴規範として出現させることに失敗したのと完全に相同的に、彼女が作成した判決書も「理解不可能」として、すなわち真理ではなく必然として自らを無条件に受け入れさせることに失敗している。言い換えれば、対中央大学新聞学会訴訟の判決書は疑惑へと通じる理解可能性の裂け目が開いているどころか積極的に「理解可能」であり、判決書に法の「決定的な権威」を授ける「理解不可能」として自らを支え、持ちこたえることが全くできないのである。「クロ」を「シロ」に変化させるという根本的不可能は、犯罪の痕跡にほかならない「理解可能」として、対中央大学新聞学会訴訟の判決書にも影を落とさないわけにはいかなかったということだ。

 NN弁護士が最高裁判例を引用して被告中央大学新聞学会の不法行為を完璧に論証し尽くしたにも拘らず、対中央大学訴訟の「殺人判決書」に引き続いて対中央大学新聞学会訴訟の判決書にも、法律の引用も全くなければ最高裁判例の引用ももちろんなかった。論理的に不可能なことが明示的に書きつけられ、論理学的に恐ろしい破綻と誤謬を露呈させているその文書が、仮にも「判決書」という象徴的意味を担うことができるとすれば、それを書いた裁判官に、その裁判官である人物が「神の代理人」として超越的審級に属しているという強い転移を読み手が投影している場合に限られる。NN弁護士とは全く異なり、中山直子にどんな転移もしていない私にとって、その文書は私の可傷性を徹底的に蹂躙し、絶滅収容所からの出口は絶対にないことを思い知らせるためだけに書かれた悪意に満ちた文書であり、巨大犯罪身体の全痕跡を隠蔽しようという意図を持った人間であれば誰にでも書ける、裁判官でなくても書ける対中央大学訴訟第一審の「殺人判決書」の威力と効果を補うことを狙って作成された文書以外の何ものでもなかった。

 対中央大学新聞学会訴訟の判決書はどのように積極的に「理解可能」なのか。全体を貫通する趣旨は、「学生のやったことだから大目に見てあげなさない。許してあげなさい」というものだった。原告を全面敗訴させる判断根拠として、次の二つの命題が頼りなげに明示されていた。①「大手新聞社が書いた新聞と同じ基準で測るのはおかしい」、②「学生の取材能力には限界がある」。この二つの命題が「絶対的真」ないし「絶対的普遍」として通用する、あるいは自ずと正当化されるとすれば、それは中央大学新聞学会がこれまでに発行してきた全新聞に掲載された全記事を自分たちの取材能力だけで作成し、自分たちの筆力だけで書いたということが完全に証明された場合に限定される。中山直子を始めとした三人の裁判官たちは、当然のことながら私に関する虚偽記事が掲載されている中央大学新聞第1234号しか読んでいない。したがって、この圧倒的な事実確認不足から上の二つの命題を「真命題」として導き出すことは絶対に不可能なのである。中央大学新聞学会が発行した大学新聞のなかには、2012年10月29日に解任された理事長の名誉を甚だしく毀損する記事が掲載された号も存在するが、もし中山直子たちがこの元理事長に対する名誉毀損記事を読んでいたとすれば、①②のような命題は絶対に「真命題」にはならないことを即座に理解するしかなかったことだろう。元理事長に対する名誉毀損記事を一読すれば、大手新聞社発行の新聞記事を丁寧に読んだことがある者なら誰でも、それがどんな大手新聞社発行の新聞記事をもはるかに上回る詳細にして精密を極める内容になっていることが直ちに感得できる。元理事長に対する名誉毀損記事には、学生が取材できる範囲を大きく逸脱した複雑極まりない内部事情が、驚異的な厳密さと精確さで書かれているからである。②「学生の取材能力には限界がある」。文脈から切り離して単独で取り出せば、この命題自体は「恒真命題」であると言えるかもしれない。しかし、だからこそ中央大学新聞に掲載された「全て」の記事には当て嵌まらず、とりわけ元理事長に対する名誉毀損記事には全く当て嵌まらない。判決書が無邪気に前提にしている(あるいは、前提にしているふりをしている)のは、中央大学新聞に掲載された全ての記事は、例外なく学生たちが自分たち自身の力で取材し、自分たち自身の力で書いたということである。しかし、元理事長に対する名誉毀損記事を書いたのは、断じて学生たちではない。理事長職からすでに解任されている元理事長に「付属中学不正入試問題」の全責任を押し付け、自分たちは潔白であるという印象操作を大学内外に対して行なうために、中央大学の首謀者たちが学生には覗き見ることすら叶わない詳細な内部事情を悪質な名誉毀損記事に仕立て上げ、それを学生たちに掲載させたとしか考えられない。

 私が「偽装解雇」された当時の理事長は、2012年2月に中央大学付属中学への孫の入学を望む知人から「孫をよろしく」と言われた。入学試験を受けて合格した知人の「孫」は成績が合格ラインに達していなかったことがまもなく判明したため、当時の学長兼総長であった現学長の福原紀彦が合格を取り消させた。付属中学の職員が「当時の理事長の不正入試問題」を内部告発したのであるが、その時期は私が首謀者たちから暴力行使の限りを尽くされ、「偽装解雇」を強行されるちょうど直前頃に当たる。私が「偽装解雇」され、ちょうどNN弁護士が和解の打診を行なう内容証明郵便を学校法人中央大学の理事長に宛てて送付した頃に同理事長の「付属中学不正入試事件」が発覚し、2012年9月に新聞報道が行われるに至った。同理事長は、「特別な計らいは要請していない」と意図的な関与を否定したにも拘らず、学長兼総長の福原紀彦を始めとする教職員たちの追及を受け、「不正入試事案に関与したにもかかわらず、その責任を認めず、学校法人中央大学理事会を始めとする学園全体を混乱させた」(2013年5月30日付けJ-CASTニュースより引用)として、6学部の教職員の全会一致により2012年10月29日に開催された理事会において理事長職を解任された。私に対する名誉毀損記事が掲載された中央大学新聞第1234号が発行された日のちょうど二週間後であり、私が申立てた労働審判第1回期日を、ちょうど22日後に控えた時期でもあった。解任されて二日後の同年10月31日に同理事長は記者会見を開き、学長兼総長による生徒の合格取り消しは「人権上、適切な措置ではない」と訴え、「解任手続きに関する規定は定められておらず、決議は違法であり無効だ」と強調した上で「法的な論争をしないといけない」と述べて、今後地位確認訴訟を行なう可能性があると示唆した(日本経済新聞より引用)。「中央大によると、学内の全ての学部と専門職大学院の教授会が理事長の退任を求める決議をしていた」(毎日新聞より引用)。2012年10月31日同日、中央大学も同理事長の記者会見に先立って記者会見を開き、「合格取り消しが適正だったか、検証を進めることを明らかにした」(朝日新聞より引用)。それから、中央大学が第三者委員会を組織して調査を行なったところ、いったん合格した生徒の入学を取り消させた学長兼総長の行為が人権侵害に相当するという結論が出された。2013年1月上旬に同元理事長は記者会見で示唆したとおりに、中央大学を相手取り地位確認請求訴訟を提起した。私が提起した対中央大学訴訟の第1回口頭弁論期日は2013年1月30日だったので、私を解雇したことにされたのみならず自身も解任された同元理事長が提起した対中央大学訴訟は、ほとんど同時的に進行していたことが分かる。中央大学が内部で発行している教職員向けの当時の広報記事によると、同元理事長が提起した民事訴訟第一審でも私の提起した民事訴訟と全く同様に本人尋問・証人尋問が省略され、事実確認がほとんど行われまま進行していき、同元理事長が敗訴させられるという結果になった。同元理事長は直ちに控訴したが、一度出された和解案は決裂に終わり、同元理事長の全面敗訴が最終的に確定した。同元理事長の提起した民事訴訟は第二審も含めて、私の提起した民事訴訟より早く2014年1月から3月頃に終結していた。中央大学の教職員向け広報記事の第一面には、同元理事長が提起した民事訴訟で中央大学側の代理人を務めた〇〇〇〇〇〇〇事務所の所長の顔写真が大きく張り出され、「中央大学大勝利」という見出しの下、同元理事長の解任が法的にも正しかったという内容の記事が掲載されていた。ここで是非証言しておく必要があると思われることを書く。偽造録音媒体の科学的鑑定を自費で依頼している最中の2015年6月11日、私は〇〇〇〇〇〇〇事務所の立川支店のプラットフォームに民事訴訟に偽造録音媒体と偽造反訳書を提出したことを始め、〇〇大学がその共謀者たちと繰り広げてきた複数の違法行為について圧縮して伝え、民事の再審請求と新たな告訴・告発に関して法律相談をしたいという依頼を記載してメール送信した。すると、当時〇〇〇〇〇〇〇事務所の立川支店の支店長であった中央大学出身のまだ若い弁護士が、同事務所には中央大学の出身者が多く、利益が相反する可能性があるため、法律相談は受けられないとする断りのメールを3時間足らずで返信してきた。もっとも強調して証言しておきたいことはその次にくる。2017年10月にMがこの若い弁護士のフェイスブックを確認したところ、何とこの若い弁護士は死者になっていたのである。哀悼の意を表明するフェイスブックには記載がなかったので、彼の死因が何であるかはもちろん分からない。分かっているのは、とても不幸な偶然によりこの若い弁護士が、〇〇大学が常軌を逸した幾つもの違法行為を犯してきたという事実を知ってしまったこと、そしてその事実を知らせた私に〇〇〇〇〇〇〇事務所には中央大学出身者が多く、利益が相反する可能性があるなどという内容のメールを返信してしまったことである。立川支店を彼とともに任されていた彼の友人である若い弁護士も、同事務所を辞めて現在は企業法務にのみ従事する弁護士となり、以前の勤務先が同事務所であったことは公表していない。

 というわけで、中央大学から連続的に差し向けられる不可解な暴力行使からの救済を求めて私とMが文科省高等教育局私学部に相談に赴き、梅木慶治が期限付きの回答要求書を中央大学に送付したのとちょうど同じ頃(2012年7月上旬頃)、「当時の理事長の不正入試問題」を付属中学の職員が内部告発し、私が「偽装解雇」された頃には学長兼総長を始めとする教職員たちからの厳しい追及を当時の理事長はすでに受け始めていて、学内におけるその絶大なる影響力を急速に失いつつあった。これは一体どういうことか。当時の学長兼総長がいったん合格した生徒の合格を取り消すことができたのは、すでに2012年2月上旬頃に付属中学の職員からの内部告発があったからにほかならない。それから暫くの間(4カ月ほどの間)、「付属中学不正入試問題」を殊更に前景化し、そのことにより当時の理事長を全教職員が糾弾する文脈が生起してくることはなかったのだ。おそらく、文科省から期限付きの回答要求書が送付されてくるまでは。それは可視化された自分たちの犯罪の露見可能性そのものであったので、恐怖に駆られた首謀者たちは、理事長に隠れて理事長の決済を執らずに、「真実の私」の幽霊が二度と回帰してこられなくなるように一日も早く私を大学から完全追放する必要に迫られた。自分たちの犯罪が決して理事長の知るところとならないように、私の「偽装解雇」を一日も早く強行することが彼らの火急の課題となった。そこで、理事長の全注意を自分自身の危機的状況に集中させておくために、すでに2012年2月に行われていた付属中学の職員による内部告発がまるで同年7月に初めて行われたかのように偽装工作し、「付属中学不正入試問題」を極端に誇張してより大袈裟に再燃させ、理事長が全教職員からの非難と怒りと軽蔑を一身に浴び続けて他のことは何も見えず、何も考えられなくなるように大学内外の状況を徹底的に操作したのだ。稟議書に理事長の決済印だけがないことを何度も確認した私は、少なくともそう確信している。さらに、「不正入試事件」が「発覚」して新聞報道されたのは2012年9月、NN弁護士が学校法人中央大学の理事長に宛てて和解を打診する内容証明郵便を送付した時期と完全に合致している。学校法人中央大学が私によって労働審判を申立てられ、提訴されることをついに回避できなくなったとき、理事長に隠れて理事長の名義を冒用して民事の法的手続きに臨まなくてはならなくなった首謀者たちには、もはや理事長を解任するという選択肢しか残されていなかったと思われる(労働審判の申立書に対する答弁書を被告代理人たちが送付してきたのは、理事長が解任された2012年10月29日の6日後である)。理事長が地位確認請求訴訟を提起してくる可能性は十分に想定内だったと思う。いやでも集中せざるを得ない過酷な訴訟が続いている間は、自分の名義が冒用されて「偽装解雇」が行われたり、労働審判が勝手に進められたりしたことなど、知る術もなければ想像する一滴の余裕も奪われ続けるだろうから。それに、私の提起した訴訟が完全なる出来レースであったのと同様に、本人尋問と証人尋問を省略し、事実確認をほとんど行わなかった理事長が提起した訴訟も、おそらく〇〇〇〇〇〇〇事務所の弁護団による何らかの働きかけを媒介にした出来レースであった可能性は限りなく高いと思う。完全敗訴したとしても、前理事長は中央大学にどのような形であれ必ず戻ってくるだろう。そうだとすれば、2012年12月25日に発行された中央大学新聞第1235号(私についての虚偽記事を訂正した記事が掲載されるはずだった号)に、前理事長に対する詳細を極める名誉毀損記事をどうしても掲載しなくてはならなかった首謀者たちの理由とは何か。「真実の私」の幽霊が二度と回帰してこられないように、私に対する虚偽の名誉毀損記事が掲載された中央大学新聞第1234号を発行し、それを長期にわたって大学内部に配布し続けたのと同様の心的機制が働いていたのではないだろうか。首謀者たちが絶対に突き付けられたくない、あるいはどんなことがあっても否認し通なくてはならない彼ら自身の真実とは、理事長の名義を冒用して理事長に隠れて私の「偽装解雇」を行なったこと、さらに理事長の名義を冒用して理事長に隠れて学校法人中央大学が申立てられた労働審判に勝手に臨んだことである。ならば、首謀者たちは「真実の私」の幽霊が二度と回帰してこられないように「醜悪な加害者」という意味の檻にどんなことがあっても私を封じ込めておく必要があったのと同様に、「真実の理事長」の幽霊が二度と回帰してこられないように「不正入試問題を引き起こした極悪人」という意味の檻にどんなことがあっても理事長を封じ込めておく必要があったのである。理事長によって解雇されたことになっている私を、その解雇を正当化するために「醜悪な加害者」という意味の檻に封じ込め、私を解雇されたことにされている理事長を、その事実が決して露見しないように「不正入試問題を引き起こした極悪人」という意味の檻に封じ込める。「偽装解雇」が絶対に露見しないように、「真実の私」と「真実の理事長」が決して邂逅することがないように、理事長によって解雇されたことになっている私と私を解雇されたことにされている理事長を、それぞれスキャンダラスな意味の檻に徹底的に封じ込める。理事長によって解雇された「被害者」である私と、私を解雇した「加害者」である理事長を、ともに「醜悪な加害者」という意味の檻に封じ込めることで中央大学内外に自分たちの犯罪が絶対に露見しないように謀るという、その悪質さと狡猾さにおいて類を見ない隠蔽工作(理事長に解雇されたことになっている私も、私を解雇したことにされている理事長も、前者は「偽装解雇」されたのちに、後者は理事長職を解任されたのちに、名誉毀損記事を書かれているという点で完全に共通している)。それでも、力強い前理事長が彼らにとって耐えがたい真実を携えて回帰してくる可能性は十分にある。だからこそ、回帰してくる前理事長の絶大なる影響力の復活をあらかじめ阻止しておく必要があったからこそ、中央大学新聞第1235号に掲載された前理事長に対する名誉毀損記事は、「不正入試問題」の全責任を前理事長に徹底的に還元する詳細にして精密を極める内容に、「学生の取材能力」をはるかに凌駕する内容になっているのである(しかし、現在も中央大学の同窓会組織である学員会の会長を務める同元理事長は、首謀者たちがどれほど悪質な複数の犯罪に手を染めてきたか、ほとんど知り尽くしている。なぜなら、2016年8月10日に東京高検検事長であった西川克行氏に大長文の抗議文を送付した直後に、同元理事長の自宅に宛てても私が長文の書簡を内容証明郵便で送付しているからである。首謀者たちが実行してきた複数の犯罪とそのために法の保護の外に遺棄され続けている凄惨な被害実態を詳細に知らせ、大学内のもっとも信頼できる人物に極秘に伝えた上で、首謀者たちへの対応策を相談して欲しいと切実に嘆願しておいたからである)。

 そのような次第で、「学生の取材能力には限界がある」という対中央大学新聞学会訴訟における原告全面敗訴の判断根拠は、対象を中央大学新聞に限定する限り、判断根拠としては完全に無効である。中央大学新聞についてもそれを「真命題」とするための条件は、①虚偽記事の作成者ということになっている〇〇〇と代表の和田進に証人尋問をする、②中央大学新聞学会がこれまでに発行した全新聞に記載された全記事を読むという事実確認を行なうことだけである。学生が自分たちの意思で書いたのではないことを濃厚に示唆する私の陳述書を読み(読んでいるとすれば)、陳述書に基づいた本人尋問に対する私の答えを聞いているにも拘らず、中山直子は当然のことながら①を完全省略し、②はもちろん不可能であるがゆえに一切行なわなかった。それにも拘らず、「学生の取材能力には限界がある」を「真命題」として、原告全面敗訴の判断根拠にするという不可能なことを行ない、その「偽命題」を判決書のなかに書き記した。完全に「偽命題」でしかない判断根拠が「真命題」として書き記されていることによって、対中央大学新聞学会訴訟の判決書は犯罪が実行されたことの痕跡、あるいは自らが犯罪を実行していることの痕跡として、積極的な「理解可能」を私に易々と開示してしまうのである。これは、見せかけの本人尋問すら行わず、それこそ一切の事実確認を完全省略した対中央大学訴訟の「殺人判決書」が、全編を通じて「偽命題」の洪水と化しているのと完全な相似形を成す。両者とも「クロ」を「シロ」に変化させるという不可能を可能にするための完全犯罪の舞台であったことは明らかであり、対〇〇大学訴訟において「シロ」に無理矢理変化させなくてはならなかった最大の「クロ」が偽造録音媒体であったとすれば、対中央大学新聞学会訴訟においては「シロ」にどうしても変化させなくてはならなかった「クロ」が、「学生が自らの意思で当該虚偽記事を作成・掲載したのではない」という事実であったことは言うまでもない。また、「学生の取材能力には限界がある」という命題は、中央大学新聞学会の当該虚偽記事を作成した学生がどんな形態であれ「取材」をしたことを前提にしているが、2013年3月14日付けの答弁書7頁において被告代理人は「新聞学会は大学当局やハラスメント防止啓発支援室からも取材を拒否された」と明記しているので、判断根拠とされたこの命題の前提自体がそもそも成立しないのである。すなわち、中央大学新聞学会は大学当局にもハラスメント防止啓発支援室にも私にも「取材をせずに」当該虚偽記事を作成し、掲載したのであると、被告代理人自身が命題の前提となる事実を最初から否定しているのである。

 労働審判に向けた準備を進めていた頃、解雇予告通知の極めて不自然な外観と内容、稟議書に理事長の決済印だけがないこと、加えて同理事長が2012年10月29日に解任されたという事実から、同理事長は〇〇〇〇法律事務所の二人の弁護士に本当に授権を与えているのかという大きな疑惑に私とMは必然的に苛まれることになった。そこで、〇〇〇〇法律事務所の二人の弁護士と本当に委任契約を結んでいるのかどうか、同理事長が会長を務める会社にまで足を運んで、同理事長に直接面会して確認してきて欲しいとNN弁護士に依頼してみた。すると、「そんな素人弁護士のようなことはできない」と言って、NN弁護士は依頼者の要求を言下に拒絶した。大変恐ろしいことに、このときNN弁護士が同元理事長に直接会って話してきてくれていたら、2012年4月11日に実行された強要罪がその悪質さと規模において空前絶後の反国家的大組織犯罪にまで膨れ上がることはなく、未然に阻止することができていたという結論にどうしても辿り着いてしまうのである。稟議書を開示し、〇〇〇〇法律事務所の二人の代理人弁護士から送付されてきた書面(「本件につきましては、当職らが大学よりその一切につき委任を受けております。本件に関する今後の大学へのご連絡等につきましては、すべて当職ら宛とされますようお願いいたします」という一節が見られる書面。理事長の印鑑がある委任契約書の写しは一度も提出していない)を開示すれば、同元理事長は大変驚愕して、「そんなものは知らない」という単なる事実を即座に口にしたことだろう。

 弁護士職務基本規程には、「弁護士は、真実を尊重し、信義に従い、誠実かつ公正に職務を行うものとする」(第一章 基本倫理、第五条)、及び「弁護士は、良心に従い、依頼者の権利及び正当な利益を実現するように努める」(第三章、第一節 通則 第二十一条)とある。本件事件は一連の犯罪が複合的に作用して引き起こされた結果であるという強い確信を潜在的に抱いていた依頼者からの前述の依頼を即座に拒絶したとき、NN弁護士はこれらの規定(=規則)に従って行動しなかった、あるいはこれらの規定(=規則)を遵守しなかったと言えるのだろうか。もちろん全く遵守しなかったし、そのために私が最終的に蒙り、現在に至るまで蒙り続けている損害は測り知れないものだ。しかし、NN弁護士の思考の射程からは完全に脱落している問題の本質は、もっとはるかに深いところにある。たとえばこの弁護士職務基本規程という規則の総体自体が、具体的な個々の事例にそれらがどのように適用されるべきかを一切語っていない。規則の命令には依存しないその場その場の恣意的な適用があるだけである。この点に関して、パオロ・ヴィルノは次のように述べている。

  規則とその具体的な実現との間には断絶があり、それはむしろ本当に通約 不可能だと言える。同じ規範的内容から出発しても、原則としては、まったく異なった行動、ときには正反対の行動に向かうことさえありうる。ウィトゲンシュタインは、「規則の適用を制御する規則」(……)を生み出すのがいかに困難であるかを書いている。つまり、この第二の規則に適用される第三の規則(規則の適用を制御する規則の適用を制御する規則)が必要となるのは明らかで、このように次々と際限なく後退するからである。これは、法に服従する義務を法から導き出そうとする者たちが陥る、とホッブズが述べたような無限遡行と等しい(パオロ・ヴィルノ「いわゆる悪と国家批判」『ポストフォーディズムの資本主義――社会科学とヒューマン・ネイチャー』、邦訳201-2頁、強調線井上)

 NN弁護士のみならず、現行の司法制度一般が、実際には規則あるいは実定法の適用が極めて恣意的で曖昧、かつ矛盾に満ちたものであるとしても、規則あるいは実定法の適用は「風俗習慣や制度、または社会通念」なるものに依然として基づいているという説明しかできない。ヴィルノが述べる人間動物の「生物学的不変項」としてのネオテニー(身体的発達の遅延が原因となって、成熟した個体のうちに幼形状態が保たれていること)、ネオテニーすなわち「恒常的な幼年期」に由来する不決断・不安定・絶えざる不確定の経験・方向喪失状態における不定の余所者体験・どんなふうにでも言葉を語りうるという潜在力が、<法治状態>の「規則性なき規則」の下層から間断なく浮上してきては<自然状態>と同義である「規則なき規則性」としてそれを絶え間なく侵蝕し、攪乱し、無効にしているという現在の危機的状況に理解と洞察が全く追い付かない。パルカルの言う習慣が壊れ、実践を導く力が制度から決定的に失われたこの危機的状況、すなわち慢性化した不可視の例外状態の直中で、例外状態そのものとして本件大事件は引き起こされたのである。<自然状態>としての(=生物学的不変項としての)「規則なき規則性」は、一瞬の途切れもなく<法治状態>の「規則/適用」という二項に干渉し続ける。「それは何よりもまず、対応する規則から決して一義的には演繹できない適用が、多かれ少なかれつねに規則性へと舞い戻るからだ。[……]ところで自然状態=規則性、国家状態=規則/適用という二重の身元確認がたとえ部分的にせよ正しいのであれば、国家状態の内部における規則の適用は何であれ、自然状態への帰還を含意することになる。すると、二つの領域の間の断絶はその根拠を失ったのである」(ヴィルノ、前掲書、邦訳203頁)。生物学的不変項としての「規則性」は、イノヴェーションにとって不可欠な種に固有の資源と殺人的悪意という危険性のいわば同一の源泉であり、また保護であると見えるものが同時にもっとも危険な同種間の攻撃性になり得るというアンビヴァレンスを孕んでいる。「規則」から引き離されると、<自然状態>としての「規則性」はたちまち不安定になって危険性だけが際立つようになり、アンビヴァレンスのうち同種間における攻撃性だけが出現してくることになるだろう。一方、「規則性」から無理矢理自らを引き離そうとすると、「規則」あるいは実定法は、「有無を言わせずこれを守らせるために、その場その場の規範的内容とは無関係な服従の仮契約を必要とする」だろう(ヴィルノ、前掲書、204頁)。そうすると、「規則」あるいは実定法の具体的な適用は、生物学的不変項としての「規則性」を基準とすることができないがゆえに、フロイトが次のように言う「強迫観念」に不可避的に似てしまうのである。

  秩序[制度的な]とは、はっきりと定められた規範によって、どのような  類似の場合においても躊躇することなく、何が、いつ、どこで、どのようになされなくてはならないかを決定する、一種の強迫観念である(ジークムント・フロイト「文化への不満」、『フロイト著作集3』、パオロ・ヴィルノ「いわゆる悪と国家批判」に引用、182頁)。

 NN弁護士との協議の場にほとんど毎回同席してくれたMの観察によれば、NN弁護士は私のことを恐れているように感じられたそうだ(私は、NN弁護士と一対一で会うことを極力避けていた)。とにかくNN弁護士は、「生物学的不変項」丸出しの私の不安定で決定不可能状態に宙吊りになったような言葉の出し方、話し方、分節化の仕方のほとんど全てが気に入らず、耐え難かったようで、私の話を最後まで丁寧に聞けたことは一度もなかった。労働審判の準備をしている頃までは、「この事件には独特の気持ちの悪さがある」と何度も口にしていた。しかし、極めて残酷で苛烈でありながら何重もの不透明さと不可解さに包まれた自分の被害経験を私が複雑な言葉で語ろうとすると、NN弁護士は決して最後まで聞かずに苦痛に満ちた私の言語化の努力を途中で挫折させ、私の内部の記憶との対話そのものを必ず抑圧した。そうすることで、自身もはっきりと嗅ぎ取っているこの事件の「独特の気持ちの悪さ」が一体何に由来するのかを決して考えようとはせず、私やMが様々な可能性を想定して究明しようとすることに対しても批判的な不同意を暗に伝えてきた。私がハラスメントの冤罪を着せられ、不当にも「解雇」という「死刑宣告」(NN弁護士の言葉)を受けただけの単なる労働事件であると単線的に解釈する姿勢を崩さず、多様な可能性や情報の過剰に曝されることに一貫して拒否反応を示し続けた。労働者側の依頼しか受任しない弁護士たちはどうなのか知らないが(NN弁護士は、経営者側と労働者側双方の依頼を受任していた)、NN弁護士はあらゆる出来事を徹底的に字義どおりに、一義的に、表層的に認識することに頑迷なまでに固執し続け、それらの出来事の背後に隠された複雑な深層事情に辿り着くことを可能にするメタの視線、すなわちそれらの出来事から距離を取って様々な疑念を抱いたり、別の意味や可能性を読み込んだりする解釈者の視線が驚くほど欠落していた。その根本的理由は上述したとおりである。<法治状態>の「規則性なき規則」をNN弁護士はあまりにも純化しようとし過ぎていて、その下層にあってあらゆる「規則」や実定法の前提となっている<自然状態>の「規則なき規則性」が絶え間なく浮上してくるのを全力で押さえつけ、知覚的刺激の過剰そのものである「生物学的不変項」を全面的に排除しようと強迫的になり過ぎていたからだ。本件事件も、本件事件の被害者である私も、<法治状態>の「規則性なき規則」を無限に純化させたいNN弁護士に、まさしく彼を「規則」から引き離すような可能性の不協和音、情報の過剰、あるいは「世界への開かれ」を絶え間なくもたらし、その度ごとに彼はそれらの「規則なき規則性」という夾雑物を暴力的に削ぎ落すしかなかったのだ。「規則」から引き離されたNN弁護士自身が「生物学的不変項」を全開にせざるを得なくなり、<自然状態>としての「規則性」の完全なる現前である危険な攻撃的側面だけを、私に対して頻繁に差し向けざるを得なくなったとしても。本件事件が<例外状態>(=<自然状態>と<法治状態>の区別がつかなくなった不分明地帯)、すなわち「規則なき規則性」の全体的発現であるがゆえに、あらゆる権利問題が事実問題となり、<文法的レヴェル>(=「規則性なき規則」=法)と<経験的レヴェル>(=「規則なき規則性」=生)の懸隔が撤廃されているので、その被害経験を何とか分節化しようとする私の言語も不分明地帯を彷徨うことを必然的に余儀なくされる。「言語能力がつねに新しく前言語的な衝動へと降りてゆき、その深みにおいてこれを再組織する境界線」(ヴィルノ、前掲書、202-3頁)である「規則性」の深層を彷徨うことを絶えず余儀なくされ、それを削ぎ落そうとして思わず剥き出しの生を発現させてしまい、攻撃的になることによってNN弁護士も「規則性」の深層を同じように彷徨うことになるのだ。「例外状態は、法が保証する擬似環境の画一性を転覆させ、偶然性に満ちた「世界への開かれ」を回復させる」(ヴィルノ、前掲書、200頁)のであるから。

 したがって、現代思想のゼミに自らの意思で入ったにも拘らず、全く理解していない現代思想を侮辱・否定・拒絶するというモラルハラスメントを繰り返してきた問題の学生にやむを得ず教材としてゼミ論考を提供したという私の行為をNN弁護士がひたすら責め、「なぜか」と執拗に問い質し、パワーハラスメントと断じるしかない暴力的追及を延々と行ない続けたとき、彼の態度が壮絶な退職強要を実行した中西又三の態度に幾分似てきてしまったのは当然のことなのだ。「ある行為がハラスメントになるかどうかは、その行為を差し向けられた者の反応と解釈に全面的に依存する」というのが「規則」であり、「規則」の内部で事実を徹底的に検証しようとしたNN弁護士の攻撃的な態度がいつのまにか彼を「規則性」の領域に逸脱させてしまい、彼の求める答えを強要する彼の暴力的な行為自体がパワーハラスメントであるという反応と解釈を私のみならず、一部始終を目撃していたMのなかにまで強く喚起する結果になった。こうして、「規則の適用を制御する規則の適用を制御する規則……」という「法に服従する義務を法から導き出そうとする者たちが陥る」とホッブズが述べた無限遡行に陥ることを回避することができなくなる。「その力のゆえに法が有効となる服従の義務は、あらゆる法に先行する」というホッブズのパラドックスは依然として健在であり、それどころか剥き出しの生(=「規則性」=<自然状態>)とそれを統御する法(=「規則」=<法治状態>」)の区別がつかない不可視の例外状態が慢性化している現在、服従の仮契約を必要とする実定法はその効力を確実に失いつつあると言わざるを得ない。本件事件に関してNN弁護士が何度も口にした「独特の気持ちの悪さ」はおそらくそこに由来している。言い換えれば、NN弁護士は「命令権を無条件に認めることが<前提>でなければ、個々の具体的な法律や「規則」は(「規則」を侵犯してはならないという命令も含めて)どんな効力ももたない」(ヴィルノ、前掲書、195-6頁、一部変更)というホッブズのパラドックスを一気に飛び越えて、「自然法」ないし「超法律」がすでに「自ずと命令権を持った」法として成立している地点から出発しているのである。だからこそ、NN弁護士は「法の起源」の忘却者なのであり、「規則なき規則性」から可能な限り離れて(=純化されて)こそ、実定法はその内部に自ずと宿している自らへの服従の義務によって、自ずとその効力を発動させることができると信じている/信じていたのだと思う。法の超越性(=先験的正当性)へのその強固な信頼こそ「転移」と呼ばれるものであり、法の超越性の地上的体現者である裁判所と裁判官にNN弁護士が激しく「転移」しているのは至極当然のことであると言わざるを得ない。

 第一章で詳述したとおり、対中央大学訴訟第一審の民事法廷は、私を絶滅するまで絶滅収容所に強制収容しておくという間接殺人を完全犯罪にするための舞台として利用されたのであり、もとより法律の具体的な適用など全く必要としていなかった。<法治状態>の「規則性なき規則」は、先にも引用したとおり「有無を言わせずこれを守らせるために、その場その場の規範的内容とは無関係な服従の仮契約を必要とする」(ヴィルノ、前掲書、204頁)わけだが、対中央大学訴訟第一審の裁判官たち(及び中央大学新聞学会訴訟の裁判官たち)は、<自然状態>の「規則なき規則性」のアンビヴァレンスのうち殺人的暴力を行使するためにのみ「服従の仮契約」を利用し、「規則」の適用が自動的に保証される領域=民事法廷で「規則なき規則性」の最高度に危険な側面を「規則」の見せかけの下で発現させるという、およそ前代未聞の倒錯的な完全犯罪を実行したのである。裁判官に強烈に転移しているNN弁護士に、民事法廷が刑事捜査と連動しながら反国家的組織的犯罪を実行しているなどということは、彼の世界が完全に崩壊することと等しいので、微かな可能性としてすら想像することはできなかった。ましてや、民事と刑事を連動させるための媒介者の一人として自分が利用されているなどとは想定すらできなかった(森川久範は、NN弁護士に告訴人代理人も依頼して欲しいと私に要請したとき、私が差し出したNN弁護士の名刺を手に取ってまじまじと見て、「この先生はお一人で事務所をやってらっしゃるんですか?」とさも満足そうな笑みを浮かべて、不自然なほど強く確認した。森川久範の要請を受けて、その後NN弁護士は、まさか民事法廷を舞台とした完全犯罪のために利用されているとも知らずに民事訴訟の全資料を東京地検立川支部に送付し続けた。2015年1月27日、二瓶祐司から不起訴処分に決定した理由説明を聞かされたあと、NN弁護士は「あれじゃあ、民事訴訟と全くおんなじだよね」とさすがに少し訝しげに言った)。対中央大学訴訟が進行していくにつれて、「こんな変な、異様なことばかり起こる裁判は、自分は一度も経験したことがない」と何度も口にしたが、私やMが様々な可能性や疑念を推論の形で提示すると「それは邪推だ!」と言って反射的に否定し、彼自身も強く実感している裁判の「脱規則化された」異様さや不可解さが一体何に由来するのか、想像したり推理したりすることを自分自身にも固く禁止し続けた。どれほど異様で不可解な裁判であっても、NN弁護士はあくまでも通常の裁判であるという自分の実感に反する信念に固執し続け、その裁判が中央大学の犯罪の露見可能性を絶滅させるための(=私を絶滅するまで絶滅収容所に強制収容しておくための)完全犯罪の舞台であるという深層の意味に、すなわちその裁判という仮面を被った間接殺人が実行されている「規則なき規則性」のもっとも残忍で危険な領域に、NN弁護士の想像力の視線が届くことは絶対になかった。NN弁護士が身を置いているのは、実定法の下層にある「規則なき規則性」が全面的に浮上した<例外状態>でしかあり得なかったのであるが、彼自身が「変な、異様なこと」と実感している中央大学の首謀者たちの共謀者である裁判官たち、弁護士たちの危険な「規則なき規則性」に由来する行為や態度の通常状態からの逸脱の過剰さを、彼の強力な「転移」は不協和音・夾雑物として悉く削ぎ落した。裁判はあくまでも<法治状態>の内部で進行しているという絶対的な信仰=転移に促され、「和解」を得意とするNN弁護士は、裁判官に過度な配慮を示されているように見える被告代理人の機嫌を損ねないように私に対してひどく懐疑的になり、依頼者よりも被告代理人の主張を信じるという態度を次第に顕在化させ、被告代理人に対して不安に満ちた気遣いを絶えず示すようになった。対中央大学訴訟第一審の民事法廷では、私に対する「これは(尊重に値する)人間である。未知の他者である」という明瞭であるはずの知覚が、裁判官たちと被告代理人たちの「否」という含蓄だけが溢れかえる言語的働きの下でその明証性を完全に喪失させられていたというのに(人間動物が問題的または不安定で危険であるということの一つの例として、ヴィルノは食人やアウシュヴィッツを挙げている。同類を認知しないという極限にまで導かれた場合は、「社会的相互作用の境界にありながら、社会の中枢にまで影響を及ぼし、その全体的な構造に浸透する。言語は、同種族間の攻撃性を和らげるどころか、極端なまでに激化するのである」とヴィルノは書いている。前掲書、188頁)。すなわち、元中央大学兼任講師問題の「最終解決」へと向けた儀式が、人間動物の最大限に危険な無制限の攻撃性を全開にして目の前で繰り広げられていたというのに、NN弁護士は対中央大学訴訟において(とりわけ「殺人判決書」において)なぜ法律が適用されないのか、言い換えればその裁判がフロイトの言う「強迫観念」になぜ少しも似る必要がないのか、「自分の判断が誤っているかもしれない」という徴候がなぜ何一つないのか(本人尋問と証人尋問の省略、鑑定申請の却下、事実確認の不在など)、その根本的な異常さ=「規則違反」を転移の被膜によって覆い隠し続けた。法律の具体的な適用が「強迫観念」に似てくるのは、人間動物の生物学的不変項=「規則なき規則性」にその基準を見出すことができないからであり、したがって「強迫観念」に少しも似る必要がない裁判とは「規則/適用」(=<法治状態>の条件)とは全く無関係な裁判ではない何か、「規則なき規則性」(=<自然状態>)の危険性だけを基準とする文字どおりの<例外状態>の舞台でしかあり得ない。そこでは、尊重に値する人間=未知の他者として、生きるに値する生として、私を絶対に認知しないことが中央大学の共謀者である裁判官たちと被告代理人たちによってあらかじめ決定されているのだ。人権や人格を激しく否定され続けるのみならず、人間=未知の他者であるという明証性さえ喪失させられ続けているというのに、自分の尊厳を守るためにできることの一切を、自分の尊厳を守ることそのものを、私はNN弁護士によって徹底的に妨害・邪魔され続けた。逆に言えば、NN弁護士は裁判所と裁判官に対する強大な転移によって、民事法廷を舞台として密かに進行していた前代未聞の反国家的組織的犯罪を、そうとは知らずに(したがって過失により)完遂に向けて幇助する結果になったのである。

 NN弁護士の最大の失敗は、巨大犯罪身体の心臓部である偽造録音媒体の扱い方を決定的に誤ったことだ。私を陥れた学生のことを、当初は「頭がおかしい、狂っていると言ってやりたい」と強い感情をこめて批判していたNN弁護士だったが、偽造録音媒体の音声記録を自分のアイフォンに録音し、偽造反訳書と突き合わせないで反復聴取しているうちに、「それは偽造物」であると私がどんなに主張しても積極的に信じようとはしなくなった。NN弁護士の指示に従って、拷問のような長時間の作業を経て私が作成した「精査された反訳書」ですら、全面的には信じなかった。強要罪の刑事告訴の際に証拠資料として提出したものを民事訴訟でも提出しようとしたが、「反訳書」の上の空欄に私が赤字で書き記した「全編を通じて、原告の記憶と明らかに異なる箇所」以降、次の(1)から(4)までをNN弁護士は全て消去するように命令した。

(1)中西氏は原告のことを一度も「先生」とは呼んでいない。

(2)中西氏は原告のことを一貫して侮蔑的に「あんた」と呼び続けていた。

(3)中西氏は、この反訳書にあるような丁寧語で一度たりとも語っていない。

(4)中西氏は、一貫して高圧的な恫喝口調で語り続けていた。

 偽造録音媒体の音声記録をイヤフォンで反復聴取し過ぎたために、まだ一年も経過していない過去に壮絶な退職強要を実際に経験した私の記憶より、何度も聴いているうちに彼のなかで「真実らしさ」の効果を急速に高めたらしい偽造録媒体の音声記録のほうを信じてしまったとしか言いようがない。だからこそ、NN弁護士は目に見えて弱気になり、私が主張することには悉く懐疑的になる反面、被告代理人たちの虚偽と極端な誇張だらけの主張に強い影響を受け、依頼者ではなく被告代理人たちの主張をもっぱら信じてしまうようになったのである。NN弁護士がまるで、地下で中央大学の首謀者たちとその共謀者たちの反国家的組織的犯罪に加担していると思われても仕方のないようなパワーハラスメントを、私に行使したことも明らかにその延長線上にある。他方で、偽造録音媒体の鑑定の「見積もりも済んで決済も下りています」とまで伝えながら、その後の経緯を完全に曖昧にしたまま突然本庁に異動になった森川久範に対しても、どんな疑念も抱かなかった(のちに法科学鑑定研究所の鑑定人に森川久範の言葉を伝えたところ、「決済が下りているということは、それはもう鑑定に出したってことだよ」と即座に明言し、森川久範がNN弁護士に伝えた情報は明らかに虚偽であったことを言外に教えてくれた)。2014年12月中旬にNN弁護士に電話をかけてきた二瓶祐司が「処分は来年の1月末までに決定します。録音媒体の鑑定はこれから出します」と伝えたときも、鑑定には最低でも三カ月半は要するのであるから、二瓶祐司が理不尽ないし不可能なことを、あるいは端的に虚偽を語っていることは明らかであったが、このときもNN弁護士はどんな疑念も抱かずに二瓶祐司の言葉を字義通りに受け取った。2015年1月27日、不起訴処分に決定した理由説明を聞くために東京地検立川支部にNN弁護士とともに赴いたとき、「録音媒体は鑑定には出しませんでした。理由は、自分の耳で聴いたけれど、おかしなところはなかったからです」という二瓶祐司の子ども騙しの冗談を聞いても、NN弁護士は何一つ抗議しなかった。「昨年12月中旬にこれから鑑定に出すと言っていたではないですか。自分の耳で聞いたというけれど、ICレコーダーとCD-Rの両方を聞いたのですか? 精査された反訳書と突き合わせながら聞いたのですか?」という至極当然の質問をNN弁護士は何一つしてくれず、ここでも裏の意味は一切読まずに二瓶祐司の空疎な言葉を字義通りに受け取っただけだった(のちに法科学鑑定研究所の鑑定人に二瓶祐司の言葉を伝えたところ、「いや、それは絶対にあり得ない理由だ」と言下に否定した)。そのあと、Mたちとともに話し合いの場を持ったのだが、そこでNN弁護士は「悪いことをしたやつらは、いつか必ず捕まるから」と言った。二瓶祐司の子どもでも騙せないような理由説明を聞いて、さすがに「何か犯罪めいたことが行われたかもしれない」と内心では強く思ったのかもしれないが、その疑惑を私たちに向けてNN弁護士が明言することは決してなかった。

 2015年4月16日に法科学鑑定研究所に偽造録音媒体の鑑定を依頼してからおよそ二カ月後の同年6月6日に、科学的鑑定結果が出たら直ちに再審請求を行ないたいので再び代理人を依頼したいという趣旨の長文の書簡を何点かの資料とともにNN弁護士の事務所に送付した。ところが、NN弁護士は書簡も含めて私が送付した郵便物一式をレターパックに入れて送り返してきた。その直後あたりだったと思うが、私はNN弁護士からの電話を受けた。「今、本を書いていて時間的に余裕がない。自分は再審請求をやったことがない。もっとマンパワーのある大手の法律事務所に頼んだほうがよい。それに、もし、偽造の痕跡が出なかったら、自分が渋村弁護士たちから懲戒請求を出されかねない。仮に、録音媒体が偽造だと科学的に証明されたところで、それで強要罪があったことの証拠にはならない。Mくんの(第二審に提出した)「報告書」なんて、あんな素人がやった鑑定、当てになるわけがない(NN弁護士自身がMに依頼し、当初は「よくできている」と称賛していたのである)」などという耳を疑うような被害者への配慮の欠片もない、どこか幼児めいた言説を次から次へと聞かされて衝撃を受け、ひどく不快な気分になった。このときのNN弁護士が生物学的不変項である「規則なき規則性」のアンビヴァレンスのうち、不安定で危険な攻撃的側面を私に対してどんな抑制も効かない状態で現勢化してきたことは間違いない。私が送付し、NN弁護士が早々に送り返してきた書簡には、本証言テクストのまだ粗削りではあるが原型と言ってもよい内容がかなり含まれていて、したがって彼が激しく転移している「超越的な法」の代理人である裁判官と検察官検事が中央大学の犯罪の露見可能性を消滅させるために共謀して組織的犯罪を実行したという濃厚な可能性が、科学的鑑定の途中経過報告とともにほとんど論駁不可能な論証によって提示されていたからである。とりわけ、森川久範がNN弁護士に伝えた情報が虚偽であったこと、そして鑑定に出さなかった理由として二瓶祐司が話したことは全く理由にはならないことを法科学鑑定研究所の鑑定人が証言してくれたことが、NN弁護士のなかに様々な疑念とそれに伴う大きな不安を呼び覚ましたことは明らかだと思われる。まず、自分が森川久範と二瓶祐司に騙されていたという疑念。彼らが裁判官と共謀して、中央大学の犯罪の証拠隠滅と犯人隠避を本当に実行していたかもしれないという疑念。もしそうだとすれば、自分は(あの裁判は変で、異様なことばかり起こると私たちに明言していた以上)過失により彼らの犯罪を幇助していたという嫌疑をかけられるかもしれないという疑念。もしそんなことになれば、私に測り知れない損害を発生させた責任の一端は自分にあるという事実を引き受けるしかなくなるかもしれないという疑念。さらに、私の書簡には、対中央大学訴訟におけるNN弁護士の判断の甘さと経験値の不足を抉り出すような鑑定人の言説も記載されていた。「録音媒体に編集を加えたか」という趣旨の求釈明を一応NN弁護士は行なったのだが、それに対し「(原告が退室した後の)委員たちによる雑談部分をカットしたのみである」と被告代理人は回答してきた。この僅かな操作であっても「それも明らかな編集である」と鑑定人は答え、「どのような個所であれ、録音媒体に編集を加えたことを見逃さず、そのことを厳格に指摘し、雑談部分をカットしていないオリジナルの録音媒体を提出してくるように強く要求する弁護士もいる」と述べたのである。これを読んで、自分が被告代理人に騙されたのみならず、偽造録音媒体に対する扱い方を決定的に誤ったかもしれないという疑念にもNN弁護士は苛まれたと思う。これらの幾つもの疑念が交錯し、相互に浸透し合って深刻な影響の翳りを広げ、NN弁護士の内部は不安の霧が立ち込める灰色地帯と化したのだと思う。灰色地帯は例外状態であり、例外状態は「規則性なき規則」(=法治状態)の下層にある「規則なき規則性」(=自然状態=生物学的不変項)を直ちに浮上させるのであり、NN弁護士はその危険な不安定性のざわめきのなかで私に書簡を送り返し、電話をかけてきて被害者に対する配慮の欠片もない残酷な言葉を次々と投げつけざるを得なかったのだろう。「最終解決個人版」という巨大犯罪身体の内部に、知らないうちに外部として、外部であることによって取り込まれていたという覚醒の萌芽に激震のように襲われたのであるから。

 2018年7月6日、私は検事総長を退任される直前の西川克行氏に宛ててNN弁護士について証言する書簡を送付し、NN弁護士に宛てて送付したが送り返されてきた書簡も証拠資料として送付した。西川克行氏に宛てて送付した書簡の一部を以下に引用する(原文はもちろん実名であるが、自らの限界を超えるようにして素晴らしい控訴理由書を書いてくれた人物でもあるので、NNの表記に変更する)。

  NN氏は録音媒体が偽造証拠であるという鑑定結果が出ることを極度に恐れていたと推察されます。なぜなら、民事訴訟第一審でNN氏は私の言うことを信じなかっただけでなく、録音媒体が偽造証拠であるとは思っていなかったからです。NN氏が強烈に転移している国家の法的機関(民事裁判所と検察庁)が鑑定に出す必要を感じなかった録音媒体が万一偽造証拠であった場合には、転移が解けて弁護士として活動していくことが限りなく困難になるからです。メタの位置を確保できず、あらゆる出来事を字義通りにしか受け取れず、疑いを抱くことを抑圧している弁護士は、自らが原告の代理人を務める訴訟の背後で犯罪が進行していても何一つ見抜けないという意味でも、今後恐怖で活動していくことが限りなく困難になるからです。それに加えて、地獄のような被害経験をかくも長期に亘り私に耐え忍ばせている元凶は、ほかならぬ自分であり、法律家としての自分の非力さと未熟さであり、何よりも人間観の根本的な甘さ乃至誤りであるという残酷な事実に直面しなくてはならなくなるからです。おそらくNN氏は、録音媒体が偽造証拠であるという科学的鑑定結果が出てしまったら、犯罪幇助の嫌疑がかけられるという可能性を既にこの時点で想定しないわけにはいかなくなっていたと推察されます。

 以上が、時間的にも経済的にも精神的にも私がその犠牲になり続けているNN氏の問題点です。NN氏は、勿論故意にこれほど長い年月に亘り、私に地獄のような被害経験を味わわせてやろうと思って、民事においても刑事においても私にとって不利=加害行為にしかならないことばかり実行したわけではありません。民事においても刑事においても、NN氏の人間洞察力の圧倒的な不足が促した判断・認識・思考・行為の一切が裏目に出てしまい、私を抹殺しようとする反国家的組織犯罪をまさに最初から幇助する結果になってしまったのです。

 NN弁護士についての証言から離れると、「絶滅を待望された被害者の証言」は本テクスト上ではもうじき終着点に辿り着くことになる。

 「絶滅を待望されている被害者」は明示的に待望されたこの被害者だけではなく、現代の人間世界において潜在的には無数に存在しているので、依然として解放されない絶滅収容所のなかから最後に問題提起をしておこうと思う。

 何度か使用した「生物学的不変項」という用語であるが、これはあらゆる歴史を貫いて決して変わることのない「人間的自然」としてのネオテニー(=恒常的幼年期)、それに起因する不安定・不決断・絶えざる不確定の経験・方向喪失状態における不定の余所者体験・無限の潜在力(=衝動の過剰と危険性)にほかならず、この「生物学的不変項」がメタ歴史としてあらゆる歴史と一致を遂げてしまっているということが、この空前絶後の反国家的組織的犯罪が引き起こされた根本的要因であると私は思わずにはいられない。 

 自然状態には、「自然法」という規則らしきものがあるとしても、規則の適用を保証するものが何もないがゆえに、それは真の規則となることができない。法治状態には服従の仮契約というものがあり、そのおかげで規則の適用は自動的に保証されるがゆえに、規則は真の規則となることができる。しかし、「規則の適用を制御する規則」を生み出すことがいかに困難であるか、ウィトゲンシュタインが指摘していたように、千差万別の事例に自分がいかに適用されるべきかを規則自体は決して語らない。ヴィルノの言葉をもう一度引用すると、「規則とその具体的な実現との間には断絶があり、それはむしろ本当に通約不可能だと言える。同じ規範的内容から出発しても、原則としては、まったく異なった行動、ときには正反対の行動に向かうことさえありうる」(「いわゆる悪と国家批判」、201頁)。だからこそ、自然状態の「規則なき規則性」から自らを切り離した実定法は、「良心」「社会通念」「制度的秩序」のような曖昧な観念のみを基準とすることしかできず、フロイトの言う「強迫観念」に必然的に似てくるしかなかった。しかし、この未曾有の反国家的組織的犯罪が引き起こされたということは、実定法はもはや「強迫観念」に頼ることができず、「良心」「社会通念」「制度的秩序」のような曖昧な観念に依存することができず(依存したつもりになっていても、少しも依存したことにはならず)、人間動物の「生物学的不変項」の危険な側面である衝動の過剰や残酷な攻撃性を制御する方法が、実質的にはもう存在していないということを意味しているのではないだろうか。実定法のつねに前提となっている「生物学的不変項」、すなわち<自然状態>としての「規則なき規則性」は、ヴィルノが指摘していたように一瞬の途切れもなく規則/適用という<法治状態>の二項に干渉し続ける。「対応する規則から決して一義的には演繹できない適用が、多かれ少なかれつねに規則性へと舞い戻るからだ」(ヴィルノ、前掲書、203頁)。そうすると、<法治状態>の内部における規則の適用は何であれ、「<自然状態>への帰還を含意する」ことにしかならないという結論がどうしても導き出される。より厳密に言えば、実定法の適用を回避できない<法治状態>は、実定法を適用することにより<自然状態>との境界領域に、つまり不分明地帯に(=不可視の例外状態に)事実上はつねに自らを定位しているということにならざるを得ない。規則/適用の二項がもっとも厳格に存在するはずの裁判は、<自然状態>の「規則なき規則性」に絶え間なく干渉され続ける場であり、したがって<法治状態>の中心に設定されている裁判には、<法治状態>と断絶していなくてはならない<自然状態>の「規則性」が実はつねに存在していることになる。すなわち、「権利の問題と事実の問題のあいだ、<文法的>命題(実定法)と<経験的>命題(具体的行動に関わる)とのあいだ、そこに明確な一線を引くことができない領域」(ヴィルノ、前掲書、207頁)である「規則なき規則性」が、厳格な「規則」の領域である裁判にはつねに存在していることになる。<自然状態>は、ひたすら快楽を追及し苦痛を回避するだけの前‐言語的な衝動の総体を指しているのではない。<自然状態>の危険は、ロゴスの不在に由来するのではなく、どんなふうにでも言葉を語りうる(語ってしまう)人間動物に特有のロゴスの無限の潜在力にその原因を持っているのだ。

 「規則の適用を制御する規則」の探求に内在する無限遡行を避けるために、ホッブズは服従の義務を自然状態からの脱出に依拠させた。「生物学的不変項」というメタ歴史があらゆる歴史と一致してしまったように思われる現在、「規則の適用を制御する規則」の探求に無限遡行を強制してくる最終審級=「神」は不在となり、「規則の適用を制御する規則」の探求自体が必然性を喪失し、<自然状態>としての「規則なき規則性」だけが唯一の規則となってしまったのではないか。たとえば、事実上の自救行為でしかないMe too運動を貫いている「規則」とは、「規則なき規則性」以外の一体何であるだろうか(一例として、イタリアのある映画監督の娘であり、自らも映画監督をしている女優Aは、全世界で連鎖反応のように引き起こされているMe too運動の潮流に乗って自分も性的被害に遭ったと告発したところ、彼女から性的暴力の被害を受けたと別の男性から告発された)。Me too運動のような自救行為が積極的に奨励され、受容されている現在の世界とは、いつ、どこで、誰が加害者として告発され、被害者として告発した者がいつ、どこで、誰に加害者として告発されるか、全くわからない「生物学的不変項」の無際限の攻撃的側面だけが現勢化した慢性的例外状態としての世界、自然状態からの脱出が不可能であることの視覚化そのものとしての世界ではないだろうか。したがって、「規則なき規則性」という唯一の「規則」の適用を保証し、あるいは適用を要求する強制力となるのは、自らが「法」ないし「神」と化した一人一人の剥き出しの生以外の何ものでもないということになるのではないだろうか。

 <法治状態>の中心に設定されている裁判には、<法治状態>と断絶していなくてはならない<自然状態>の「規則なき規則性」が(私が身をもって経験したとおり)実はつねに存在しているのであるから、規則/適用の厳格な二項を裁判にまだ保証できるものが辛うじて残っているとすれば、厳密この上ない事実確認、すなわち精査され尽くした「証拠」だけなのである。その意味で、実定法を適用するに当たって「証拠」を何よりも重要視すると伝えられている現検事総長の稲田伸夫氏は、規則/適用の二項がもっとも厳格に存在するはずの裁判あるいは刑事捜査が、<自然状態>の「規則なき規則性」に絶え間なく干渉され続ける場であるという仮借なき事実をよく理解されていると思う。規則なき規則性」が実践を導くようになり、ルーティーン化した不可視の例外状態がたとえばSNSなどで言語的動物の日常的経験となっているという時代状況の未曾有の危険性も、よく認識されていると思う。

 「最終解決個人版」と私が名づけたこの空前絶後の反国家的組織的犯罪は、厳格を極める「証拠」の積み重ねにより、すでにもう尽きかけている私の生存可能性が完全に尽き果ててしまう前にその全面解決が果たされるのであれば、「未遂」に終わることになるだろう。おそらく「未遂」に終わらせない限り、この前代未聞の反国家的組織的犯罪が証明してしまった「自然状態からの脱出は不可能である」という破局的事態は、国家の各公的機関の内部にますます「生物学的不変項」の危険な側面を解き放つようにしか作用しないだろう。巨大犯罪身体の徹底的な解剖図を白日の下に曝すことによってのみ、「生物学的不変項」の無限の潜在力という測り知れない危険性に人々の注意を喚起し、恒常的に抑止するように促す効果はもしかしたら生まれるのかもしれない。

 しかし、この反国家的組織的犯罪が最終的に完全に未遂に終わることによって、依然として絶滅を待望されつつ絶滅収容所から解放されない私がついにそこから解放されたとしても、私は依然として絶滅収容所のなかに自分がいることに気付くことになるだろう。レイ・ブラシエが言うように「絶滅」が「時間‐空間の絶滅」であるならば、すなわち「先行する事後性」において人類の時間に対するクロノロジカルな操作を一切受け付けないのであれば、私は私の生も死もあらかじめ絶滅している収容所空間にいることになるだろう。

 だから私の絶滅など待望しても無益なのだ。

 私を殺そうとしたあなた方も、あなた方の果てしない欲望も生も死もあらかじめ絶滅している収容所空間のなかにしかいないのだから。

 そのことに気付く日はきっともうすぐ、必ず訪れるから。                              (了)

2022年8月25日に実名表記に変更