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(証拠資料)KR氏作成による「2012年4月10日以降 中央大学で私がみたものと、平常状態を装うことの危険性について」全文

    2012年4月10日以降 〇〇大学で私がみたものと、

    平常状態を装うことの危険性について

                                           2020年1月27日 KR氏作成

私は2010年に井上先生の基礎演習「現代思想入門ゼミ」を受講した、2013年卒の〇〇大学 法学部の卒業生です。

2012年4月10日に発表された先生の全授業閉講を発端として、今日まで全面解決をみることなく継続している○○大学による組織ぐるみの退職強要ハラスメント事件につき、一卒業生の観点から見てきたこと、考えたことをこの場をお借りしてお話しさせていただきます。

公式説明なき全授業閉講という異常事態が発生した瞬間から学内外で大きな騒ぎを引き起こした当案件につき、私自身が〇〇大学の現状を正対して目の当たりにすることができたのは実際のところ、2012年のすでに初夏に差し掛かったころの某日のことでした。

ハラスメント防止啓発委員会により、先生に対する再度の「取り調べ」と銘打たれた呼び出し行為が行われた際、先生の授業の受講を公式にはなんの説明もなく断念させられることになった多くの学生をはじめ、異様な大学職員の対応、変化してゆく学内の空気に違和感を抱いた学生達が、その場に立ち合うべく1号館前に集まりました。

私は「公開質問状」「Xくんへの手紙」等をきっかけに、先生へと向けられた退職強要行為という学内で起きている異常事態を知り、その場に居合わせた学生の一人でした。

30分程度前に到着すると、外の1館前にはすでに多くの関心を持った学生が抗議、立ち合いのために集まっていました。しばらく後、面影は残すものの、一瞬別人ではないかと見紛いそうになるほど痩せた姿の先生が現れました。

定刻になり1号館2階の指定された部屋の前へと赴くと、部屋の入口前に一人の職員がいました。

入口には窓がなく、大きな真っ黒の鉄の扉でした。

部屋の前に立つ職員が緊張の面持ちで、「どうぞこちらへ」と言って先生を中へと導こうとしました。

助手のMさんが「中に入る必要はありません」とそれに答えました。

さらに部屋の中から、ハラスメント防止啓発委員会の者達が怒号とともに数人現れ、先生を部屋へ強引に導き入れんと出揃い、正当な事情聴取のためだからとにかく早くしろと急き立てました。

Mさんが再度、「あまりにも危険過ぎる、あなたたちは誰一人として信用できない。中に入る必要はありません」と答えました。

私達取り巻きの学生は、ハラスメント防止啓発委員会による不正行為に対する危機感並びに各々の想いを、あるものは叫び声として、あるものは静かなる怒りとしてその場で語ることができました。

先生は激怒し、身に受けた暴挙を激しく非難しました。ハラスメント防止啓発委員会という組織の信用が、完全に失墜していることを告げました。

居並ぶ大学教員 の中に、それに対して反論できる者は誰もいませんでした。

私は特に、あの時の押し黙る大学教員達の対応に恐怖を感じました。

一人の講師の「取り調べ」と銘打って、数人の教職員 たちが窓のなく重たい黒い鉄の扉を抜けた先の密室のうちに強制的に導こうとする。

それに対してなぜ取り調べをしなければならないのか、先生の全授業閉講措置の本当の理由とはなんだったのか、見守る我々学生たちを前にしては何一つ説明することもできない。

それでも「取り調べ」と銘打たれたなにかしらの強要行為を反復しようと彼らがそこにたたずんでいることは明白でした。

その空気と、大学組織の人間達のすべてを隠し通そうと押し殺した表情が、もはやここが、私がいままで知っていたはずの通常状態の〇〇大学ではないということ、つまり、〇〇大学という空間が一人の人間の生を握りつぶす完全犯罪を目指す空間へすでに変化しており、〇〇大学という組織が恐ろしい犯罪組織へと変貌を遂げてしまっているという現実を、否応なく私に実感させました。

私はおそらくこの場へ立ち合う時まで、大学で起きている事件について知ってはいたはずなのですが、〇〇大学=犯罪組織という図式が頭の中で成立していませんでした。

その理由はなぜかと問うたとき、私自身が陥っていた(あるいは陥っている)正常性バイアスというものについて考えることとなりました。

「〇〇の〇〇」と銘打たれた大学が、組織的な犯罪行為を行うという「ありえない」事実を認識しようとした瞬間、私の脳に「そんなはずはない、考えてはいけない」という無意識の命令が響いてきたのです。

少し時間軸的飛躍をしますが、この正常性バイアスというものが現在において、当組織犯罪の被害者に対して及ぼしている暴力性と狂気というものは計り知れないものであるということが、先生の証言のいたるところで読み取ることができます。

ゆえにここで、私自身の経験に即して、可能な限り自身の経験を1例として相対化しつつ、正常性バイアスの暴力というものについてお話させていただくことを試み、その危険性を少しでも共有できるようにしたいと考えます。

世の中には、平常状態での生活が不可能なほど困難な状況に直面している者に対して、「それでもなおそのようにせよ」「とはいうもののとりあえずはそうせよ」ということで、平常状態の外観を装って生きるように強いるという暴力があります。

周囲の環境すべてがあたかも平常状態であるかのような外観を作出して見せつけることによって、以下のようなメッセージを意図せずか、あるいは意図的に示すことこそその最たるものではないでしょうか。

「お前以外のすべては平常運転中であり、我々を取り巻く環境には何の異常もないなのだから、お前だけが異常者なのだ」

「でもお前がもし暫定的な異常者であり、そのことを認めるなら大丈夫、お前も正常者に戻れる希望があるかもしれない。」

ですが、私は上記にあげたようなメッセージを発する側の存在こそが、事態を悪化させ、好転に向かう可能性のある状況を最悪の状況へと転落させうる狂気になりうると、自身の経験から確信しています。

私はこの暴力の根深さと狂気性について当組織犯罪事件より以前に、自身の家族関係の崩壊を見たひとつの経験を通じて学ぶことがありました。

私には4歳年上の兄がいます。

兄は幼少期~学生時代、「周囲の状況を把握する能力が他の子どもに比べて劣っており、人の話をきけていないことがときどきある」と学校の先生から指摘されることがよくありました。

両親も幾分かそのことを認めてはいましたが、当時の私の両親や私からみる限り、友人との交友関係や学業において大きな問題があるようには見受けられず、「障碍者」というレッテル張りを行うことなく兄弟として兄を慕って過ごしていました。

ですが、兄が高校に入学して以降、少しずつ状況が変化します。

兄は時折、中学時代の交友関係の苦悩、また小学校時代に中学受験のためと親から塾通いを強いられたが途中で断念した経験などが大きなトラウマとなっていることを親に話すようになりました。

また、社会における自身の将来の立ち位置に関する本質的な問いを発するようになりました。

「なぜ働かなければならないのか」

「今学業に励んで学歴を得るのは将来の可能性を広げるためだとKR(私)はいうが、

それは本当に意味があるのか」等という内容でした。

そしてその高校時代、兄が語学留学先のオーストラリアで、ホームステイ先のホストマザーに暴力を振るい、帰国するという事件が起きます。

後の兄の証言によると、自分の意志では現勢化した暴力を止めることができず、暴力を振るう自分を、なにもできない自分が「離れて」見ているかのような状況であったとのことです。

私と両親は暴力をふるった兄を責めることはできませんでした。兄は帰国した後、親に連れられて赴いた先の一つの医者のもとで、「発達障害」という診断を受けます。

「障碍者」というレッテル貼りを受けた兄はひとたび、自身の苦しみの状況に名付けを得た安心感により落ち着きますが、次第によりいっそう、これまでの交友関係のトラウマとフラッシュバックが憤怒と苦痛へと変化するようになり、それは家族への暴力として現勢化しました。

この時期に、私は些細ないさかいから兄と殴り合いの暴力喧嘩となり、それをきっかけに私は兄との関係が決定的に決裂します。

私は再び暴力喧嘩に発展する恐怖から放課後も家に帰ることができず、両親も私を兄から隔離するように考慮しました。

そのため私は放課後の大半の時間を母が個人で実施する英語教室の住居スペースで過ごし、兄が就寝した後に、兄の視界の隙をついて逃げるように実家に帰宅するという異常な別居生活が始まりました。

こうした時期であってもしかし、両親も私も、私と兄の決裂、もしくは家族関係の崩壊を、心の中では認めつつはあったとしても、決定的なものにしてしまうことができませんでした。

それゆえ、決して毎晩ではないにせよ、事情をつけて「逃げる」ことができない場合には、家族で夕食を食べました。

私はこの晩餐が最も苦痛でした。

私は兄と決定的に崩壊した関係にあり、異常な別居生活をしている。

にも関わらず、否応なく対面せざるを得ない。

母と兄は顔をあわせれば必ず、喧嘩のような言い合いをするか、兄をなだめるような会話しか発生しない。

私はその場に、ただ無言で着座して夕食の風景の一部となりました。

そして、明らかに異常な状況で、通常状態の外観を装うためだけに私はその場に居合わせました。

高校卒業後、兄は親のすすめで再び「正常」な人生の路線を歩むべく語学系の短期大学を受験し、入学に成功するが、「統合失調症」という病名を得るまでに憤怒と苦痛はピークに達していました。兄は症状の改善のためには「よい経験を積むことが必要」と医師からアドバイスを受けるが、その言葉は中身がなく、憤怒を増進するだけのものでしかありませんでした。

このころ、兄が刃物を持ち出して両親を恫喝する案件も起こり、私は自身の安息と将来のために兄にはいっそのこと早く死んでほしいと考えるようになりました。

「こんなに苦しいならいっそのこと自殺する」と何度も叫んだ兄の言葉を恐ろしく感じつつも、「言っているうちは大丈夫ではないか」と考えていた私や両親の予想を他所に、兄は列車への飛び込みというかたちで自殺を遂げました。

私は今、兄の行った暴力のすべてを赦していると断言することはできません。

しかし、私がこの経験において言いたいのは、我々家族の中に一人でも、「平常状態を装え」という命令に抵抗することができる者がいれば、間違いなく事態は違った形に動いたのではないかということです。

崩壊した家族の中で、「平常状態を装え」という強迫観念のもと、兄と夕食をともにするというのは決して生きた心地のしない経験でした。

兄の葬儀で、参列者の誰かが「元気だった時期の○○君(兄)が、○○君の本当の姿だ。だから彼が元気だったときの思い出話をいろいろしよう。」と言って、周囲の幾人かも同意しました。

ですが、私にはそうは思えませんでした。

仮に「本当の兄」なるものがあるとしても、それは現勢化した暴力と「元気な兄」のいずれでもないのではないか。

苦痛の日々をさまよい続けたその言葉の中に、傾聴するべき真実があったのではないか。そのような感覚が今日まで残り続けています。

もしあの時に、私にそこにあるものを直視する勇気があり、平常状態の外観を装う暴力を中断させることができていれば、私は兄とともに今も生きていたかもしれないと夢想することもあります。

改めて強調しなければならないことですが、私の家族の崩壊経験と、〇〇大学が裁判所という舞台をも巻き込んで決行し、法そのものをも破壊した本件大組織犯罪は、規模の面でも内容の面でも決して比類しうるものではありません。また当然、私や私の家族と、本件大組織犯罪の被害者である先生、Mさんは全くの他者として独立した存在であるのは言うまでもありません。

ですが一方で、平常状態の外観を装う暴力が事態を大きく悪化させうるのだという側面については、現在の状況と自身の経験とで通底するものを感じずにはいられません。

そして、このような経験をした私も、自身の経験と真剣に向き合い、「平常状態を装え」という強迫観念に抗い、「あるものを見る」ことができるように常に完全に覚醒できているとは言い切れません。

なぜならひとつの家族崩壊を経験した後であるにも関わらず、私はあの恐ろしい黒い扉の前に立つ日まで、「そんなはずはない、考えてはいけない」という無意識の命令が響き、〇〇大学=犯罪組織という図式を認識できていなかったのですから。

本件大組織犯罪は先生とMさんの証言によってすでに完全に立証されています。

本件大組織犯罪が全面解決へと導かれるまでの残りの時間、またはその後も、私のような〇〇大学の卒業生ならびに、「〇〇大学の実態を知りえないはずがなかった者」に課せられている課題の一つは、例外状態において平常状態を装うことの狂気を強く認識し、直接被害者への暴力を行わないことができるようになるということではないかと考えています。

ここで最後に、学生時代の基礎演習「現代思想入門ゼミ」の課題図書であった『アウシュヴィッツの残りのもの』から、私が述べさせていただいた平常状態を装うことの危険性について、明晰に表現したと思われる引用を残してお話を締めくくらせていただきます。

以下引用

ところで、レーヴィが伝えるところにでは、アウシュヴィッツの最後の特別労働班のなかでわずかに生き残った者のひとりであるミクローシュ・ニイスリという証人は、「作業」の中断中に、SSとゾンダーコマンドの代表者たちがサッカーの試合をしているのを観戦したことがあったと語っている。

SSのほかの兵士と特別労働班の残りの者は、その試合を観戦し、選手たちを応援し、賭け、拍手喝采し、声援を送る。それは地獄の門の前でではなくて、まるで村のグラウンドで試合をやっているかのようだった。

ことによると、この試合がかぎりない恐怖のただなかでの人間味のある小休止に見える人がいるかもしれない。だが、わたしの目には、証言者たちの目にそう映ったのと同じく、この試合、この一見してごく平常の瞬間は、収容所の真の恐怖を物語っているもののように映る。というのも、わたしたちはひょっとすると、虐殺はもう終わったものと考えているのかもしれないからである――たとえあちこちで、わたしたちからさほど遠くないところで散発的に繰り返されているにしてもである。ところが、試合はけっしておわってはいない。どうやら、途切れることなく、いまだに続行されているようなのだ。それは「グレイ・ゾーン」の永遠なる完全数であり、時間を知らず、あらゆる場所にあまねく存在している。生き残った者の苦悩と恥ずかしさ、「いっさいが神の精神〔霊〕のもとに圧せられていて、しかしながら人間の精神はまだ生まれていないかすでに消滅してしまったために不在のトーフ・ヴァヴォフ〔『創世記』一・二参照〕、すなわち荒涼とした空虚な宇宙にいるあらゆるもののうちに刻み込まれた苦悩」(p.66)は、ここから生まれてくる。しかし、それはわたしたちの恥ずかしさでもある。収容所を知らず、それでもどういうわけかその試合を観戦しているわたしたちの恥ずかしさでもあるのだ。その試合は、わたしたちのスタジアムでおこなわれるあらゆる試合のうちで、あらゆるテレビ放送のうちで、日常のあらゆるありきたりなもののうちで繰り返されている。わたしたちがその試合を理解し、それを止めさせることができないかぎり、希望は絶対にないであろう。

(ジョルジョ・アガンベン『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』、邦訳28-9頁)

                                                了