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(証拠資料)M作成による「元学生と両親たちが先生と私に行使した暴力の核心に関する一考察――少年期に経験した暴力の記憶と対峙しながら」全文

元学生と両親たちが先生と私に行使した暴力の核心に関する一考察 

――少年期に経験した暴力の記憶と対峙しながら。

2019年10月25日 M作成

 私が過去に経験した出来事に基づいて、主に2011年度から2012年4月11日までの元学生と両親たちに対する考察を以下に展開してみたいと思う。本考察が、本件大組織犯罪の全容解明に資する文書になるかどうかは、私自身にも全く予測が付かない。ある読者の方々からは、私に対して殺意に近い憎悪が掻き立てられる内容を含む文書として本考察が誤読されることも起こり得るかもしれない。判断を急がれることなくお読み頂ければと願うばかりである。以下の考察で展開していく内容に精緻に目を通して頂けるならば、私が個々の人間に、先験的によい価値・悪い価値が宿っているなどとは決して考えておらず、諸個人の様々な価値は、諸個人とは一切関係がない外部の原因につねに媒介されてその都度恣意的に決定されると考えていることが、理解して頂けると思う。しかしながら、本件大組織犯罪の発端となった元学生と両親たちの行動を、私の視点から正確に抽出しようと試みるならば、日常と呼ばれる世界の中では決して表面化してはならないとされる非日常的な深層の言語領域にまで、恐れることなく思考の射程を広げていくしかないと考えている。

 元学生は、自らの意志で倍率3倍近くの入ゼミ試験をくぐり抜け、先生が担当されていた現代思想のゼミの正規受講生となった。しかしながら、私は元学生に対して、当初より不穏なざわめきを伴う既視感を掻き立てられずにはいられなかった。私は、先生とお会いする機会を頂くまで、長期間に亘り各地を転々とする生活を続けてきた。その時々に解決しなければならない自分自身の切実な難問に背を向けて、逃走に次ぐ逃走を続けてきた落伍者であった。逃走を重ねるごとに私を取り巻く状況は確実に悪化していった。そして、これ以上の逃走はもはや不可能な最終局面に追い詰められた最後の時に、本件大組織犯罪に見舞われることになった。

 私に逃走を初めに決意させたのは、地元の中学から地元の高校に進学してしまったならば、卒業を待たずして、高校生活の途中で確実に命を奪われることになるという切迫した恐怖であった。地元の中学生活の前半から開始された遊びとからかいの装いを纏った私への言語的・物理的暴行は、中学三年生になったときには際限のない剥き出しの暴力に発展していた。私の机が中庭の池に投げ込まれたり、私の鞄が国旗掲揚台の紐にくくりつけられ回収が不可能な中学の屋上に上げられることも日常と化していた。隙を見せれば、あらゆる方向から同級生たちから、跳び蹴りが見舞われる危険な日々が続き、私の黒い学生服はいつも同級生たちのシューズの足裏の跡で埋め尽くされていた。同時期に起こり始めた成績の極端な悪化にも歯止めがかからず、事情を知らない父親たちからの叱責と、成績向上のための怒号に満ちた個別の受験指導も、私が最後の拠り所としていた自分に対する僅かな肯定感覚を、根こそぎ抉り取っていった。

 そのような不安にして危険な日々が連続する中で、最も切実に生命の危機を感じたのは、十人近くの同級生と下級生たちに囲まれ、給食の配達場所であるコンクリート製の置き場の近くに設置された自動販売機の中に、力ずくで監禁された時であった。中から壁を叩き、偶然通りかかった用務員に助けを求め辛うじて救出されはしたが、近い内に私の命が絶たれるという恐怖が、確実に起る未来として経験されたのはこの時が初めてであった。加害者の一人が薄ら笑いを浮かべ、「おまえ、このまま閉じ込められたままになっていたら、どうなったと思う」と聞いてきた。「おそらく死んでいたと思うよ」と答えた私が加害者たちを見回してみると、加害者たちの全員が、救出された私の前に青白い表情を浮かべ無関心そうに立っており、彼らの口元は等しく斜めに歪んでいたのである。この放課後に起った事態を聞きつけはしたが、監督責任の追及を恐れる当時の担任教師は加害者たちの行なった一切の残虐行為を全て黙認した。それどころか、担任教師は、様々な場面を用いて、「加害者たちが加害行為を繰り返すのは、加害者に無関心であるクラス全員の責任である」などと口にし、「クラスの全員に彼らを更生させる義務がある」などと被害者に責任をなすりつけるに等しい発言を繰り返す始末だった。その担任教師も、いつもは快活で陽気な表情を見せていたが、あの加害者たちと同じ青白い表情を時折浮かべていた。この担任教師は社会を担当しており、極めて人権教育に熱心な人物であった。差別される人々の苦しみを苦渋の表情で、だがどこか誇らしげに語っては、「いかなる時代においても差別された人々は、人間の尊厳を守り抜き、たとえ他の領内で飢饉が起こり人口が大きく減少した時代においても、互いに食料を分け合い子供を育て抜き人口を確実に増やしてきた」などと熱意を込めて語るのだった。その教師の同一性の根源を形成していると思われる人権という価値と、同人物が語る人間が子供を作り、無限に増えていくという崇高な価値に対する異議申し立ては絶対に許されなかった。

 2011年度のゼミが開始されてから2012年1月17日に狂言失踪を遂げる一週間前まで、元学生は私の後ろの座席に座っていた。元学生は、一見人当たりが良く、器用にすら思えるコミュニケーション能力を示すこともあった。しかしながら、先生の講義を聴き教室を出て行く際に何度も目にした元学生のあの青白く、時には真っ白と言ってもいい顔面の内側が抜き取られたようなあの虚ろな表情を目にする度に、私は恐怖にも似た不穏な既視感を掻き立てられ続けた。当時の私は、少年期の経験があまりに遠いものとなっていたために、明確には意識できていなかったが、おそらく過去に見てきた加害者たちの青白い表情を、元学生の顔に再発見していたように思う。だから、元学生が機会を伺っては執拗に先生への接近を試み、授業を妨害するに止まらず、十通以上のメールを送信し、ついにはゴールデンウィークには先生をデートに誘うメールを送り付けるまでに至ったとの話を、疲労困惑された先生から伺った時、私が元学生に感じていた既視感は明確な脅威として認識されるに至った。少年期に経験させられた生命にかかわる切迫した危機感を呼び起こされずにはいられなかったからである。脅威をあらかじめ取り除くために、2011年6月、私は、元学生に対し先生への接近を控え、授業の内容に虚心坦懐に耳を傾けるよう諫める厳しい文面のメールを送信した。迂闊なことに私は、そのようなメールを送信させてしまう自分自身の無意識の動きに対してあまりに無自覚であった。そのメールが、自分だけは無条件に先生に接近することができる特別な価値を有していると信じ込んでいる元学生の自尊心を大きく毀損したことは想像に難くない。だからこそ、私はこの時点で、自分がしでかした大失態に関して厳しく自問自答し、自分の行為が引き起こすかもしれない破滅的な結果について、対策を考え抜いておく必要があったのだ。

 少年期の私は両親から、「少しでも自尊心を毀損されたと感じたならば、その相手に復讐するだけでは飽き足らず、殺すまで追い詰める種類の人間たちが存在する」という内容の話を、骨身に恐怖を刻み込むような語りで伝えられてきていた。そのためか私は、中学校の人権教育の中で使用される人権という言葉に、底知れぬ恐怖を喚起されずにはいられなかった。熱狂的に人権を口にする教師たちの上気した顔には、人権を否定した者に対しては容赦の無い弾圧を加えるという暴力性と、その高揚感に満ちた口調の陰には根深い怨恨感情が渦巻いているようにしか思えなかったからだ。当時の私が、人権という言葉から感じ取ったものは、滲み出す真っ赤な血の匂いと生暖かい肉の感触だった。 

 人権教育は、人類という至上の価値への強制された同意を自分の意志で獲得したかのように植え付ける平和教育と結び付き、さらに強化された。両者は渾然一体となり、教室内に血塗られた暴力空間が形成されているかのような強い印象を私に刻みつけたが、そのように感じていたのは私だけであるようだった。そこにあるのは通常の授業風景ではあったが、私の視界に映るのは、自分たちが最も大切なものを獲得したと信じ込んでいる、ある種の使命感に熱意が滲み出している同級生たちの誇らしげな背中であった。

 「神聖にして侵すべからず」、これが人権と人類という概念に与えられた普遍的価値であり、誰もが無条件に同意すべき絶対命令である。2019年も残り僅かとなった現在に至るまで、その前提は数十年前から全く変わっていないどころか強化されているように思うことすらある。これらの概念を完全に否定するどれほど残酷で凄惨な事件が起こっても、概念それ自体が否定されることは絶対に起こり得ない。私が住んでいた地域の近隣に位置する某自治体では、1980年代頃まで、根拠無く差別された側に置かれ、多くの苦難を無理矢理飲み込まされてきた人々が、自分たちの子供たちの学生服の胸に金属製のバッジを付けて登校させるという風習が残っていた。何も知らない者たちが、「どうしてそんなバッジを付けているの」とでも尋ねようものなら、状況はたちどころに一変する。尋ねられた子供に加えその親族までもが乗り出してきて、「おまえたちは許されざる差別を行なった。慰謝料を払え」と家にまで押しかけてくるのである。時には、農具を持った集団が現れ、差別を行なったと見なした相手の家が、粉々に破壊されるという事態が発生することすらあった。

 人権という概念は、法の潜勢力という概念を正確に映し出す裏の鏡に等しく、空気のように不可視化されているのだが、それは生活空間のあらゆる局面に潜んでおり、その剥き出しの暴力を現勢化させる機会を今か今かと狙っているのである。多くの人々は法の存在を意識することなく存在しているが、気付かぬ内に法の境界線を踏み越え、違法の側に踏み出してしまえば、本人が知っている知っていないに拘わらず法が発動する。そして、当人の身体及び財産に対する刑罰が課されることになる。この不可避的に発動する法のメカニズムの裏側に、人権という概念・人類という概念は存在する。この両者が一体となることで、自分は自分よりも価値があり、有限である個人の人生が尽きようとも、個人の人生を超えて、人類が永遠に存続していくべきであるとする難攻不落の人間世界の領域が確定される。その侵犯者に対しては、たとえ罰する対象とされた相手が死亡したとしても、その罪を確定させようとする血塗られた暴力は作動し続け、その人物は死亡した後も、永遠に追いかけ回されることになる。

 私塾を経営していた私の父親が、ある塾生に「理解が遅いようだね」と苦言を呈してしまったことがある。その夜すぐさま、その塾生の両親が私の自宅に怒鳴り込んできた。「人権侵害を行なうとはどういうことか」と激怒しているのである。父親は私塾の教師として複数の生徒を見てきた経験則から一つの事実として「理解が遅いようだね」と単に口にしただけであった。しかし、事態は既に、父親の事実認識からはるかに離れたところに運ばれてしまっていた。私の父親の言葉は、自分の子供の人権という不可侵の尊厳に対する侮辱として解釈され、彼に猛烈な怒りが差し向けられる事態が生じたのである。幸い、その両親は私の父親と腹を割って話すことを通じ両者は和解に至り、事態はそれ以上悪化することなく収束した。だが、この出来事は私に、自分の発する言葉がどのように受け取られるか予測できず、何が相手の怒りに触れるか分からないという恐ろしさを身体的な恐怖として刻みつけた。

 長らく都であった京都を境にして、関西には肉食文化が流通し、関東には草食文化が流通する時代が継続することにより、関西には関東と比較して動物の殺害に関わる職業に従事する人々に対する差別意識が大きく残ったと指摘する書物を何冊か読んだことがある。自分たちが「穢れ」として遠ざけておきたい動物の殺害に関わる職業を、他人に押しつけておいて他人が穢れていると蔑み差別意識を抱くなどというのは根拠を完全に欠落させた態度であることは言うまでもない。ある手順に則って営まれる一つの職業に恣意的な価値判断を与え、全く根拠のない差別意識を投影し、それを実体化する人間たちの品性こそが最も浅ましく卑しい。

 しかしながら、その加害者と被害者の関係性は現在に至るまで解消されておらず、極めて複雑な圏域で、絶え間なく被害者と加害者が入れ替わりながら、この国に根深く残存していると私は考えている。たとえ、関東圏の学校教育の中で、人権教育・平和教育が行なわれないまま教育課程が修了し、その言葉自体が、晴れの場としての日常に出現する機会を封じられたとしても、状況は全く変わらない。就職においては、企業が調査会社に委託して新入社員の家柄や門地の情報収集にあたり、結婚においては、家族が興信所に依頼したり、問い聞きを行い相手の素性を調査していることは暗黙の了解事項である。これらの差別が厳然と存在している以上、差別意識が消滅したなどとは到底言えないだろう。差別解消を謳う様々な法律が制定されても、遵守する義務を負わされた人々の意識が変わらなければ、状況に変化など起りうるはずがない。多くの人々が、人前では「差別をするな。人間は皆平等だよ」と教えながら、家の中では「あそこの川の向こう側に行ってはいけないよ」と言うのである。

 したがって根拠なく差別の対象とされた人々が、不当な差別に対して加害者に抗議する無数の事態が出現してくるのは自明であると私も考える。しかしながら、差別を受けていないにも拘わらず「差別を受けている」、「お前は差別をしている」などと虚偽の主張を行い、法外な利益を貪ろうとする人々が紛れ込むことがある。私人に対しても公的機関に対しても人権を口実にし、違法な強要・脅迫を行なう事態が出現している。諸個人には、先験的にいかなる属性も価値として付与されているわけではなく、外部からの価値判断も根拠のない物語に過ぎず、実体的意味など宿ってはいないという事実に基づき、その事実に接近しようと試みているつもりではあるのだが、これまで直接目にして耳にしてきたことを文字にすればこのように書くしかない。

 だからこそ、元学生の授業妨害と、先生の極めて複雑な精神性と存在様態を完全に無視した執拗な付きまとい行為について、先生から相談を受けた際に、それらの振る舞いを控えるように強く諫めるメールを送信してしまったことに対する、私の恐怖と後悔の念は強まるばかりであった。メールを送信した後に、「この学生は先生への接近を邪魔した私を許さないだろう」という絶望的な確信に貫かれたからだ。事実、元学生の先生に対する一方的な承認欲望・独占欲望・先生との同一化欲望は2011年度のゼミが進行していくにつれて過激化の一途を辿り、最終的には先生が身につけている服と、同じ雰囲気や色合いの服を身に付けてゼミに出席するようになった。

 当然のことながら、他者の欲望の対象とされることを徹底的に嫌い抜いている先生は、教師として元学生を他の学生と同様に尊重されながらも、元学生から一方的に向けられた欲望の対象として振る舞うことは、断固として拒絶され続けた。このことも元学生の自尊心を大いに毀損したように思う。私が、精緻な論理に基づく言語化能力を有していたならば、先生に、「いかなる理不尽な欲望を差し向けられても、本人が持つ自尊心を十全に満足させるように振る舞わなければ、無際限に殺意を向けてくる種類の人間が存在するのでお気を付け下さい」という危惧の念をお伝えすることができたのかもしれない。しかしながら、当時の私には、先生に納得して頂くに足る言語が使用できるほどの思考力が身についていなかっただけでなく、私の過去との対峙も不十分なままであった。2011年の末に入ると、青白い表情をした元学生は薄暗く疚しそうな雰囲気を立ち上らせ、憎悪を交え敵意を宿した視線を座席の前にいる私に向けてくるようになっていた。そして、2012年1月17日、学生はいかなる理由も告げず、メールアドレスのみを開通させたまま、ゼミから狂言失踪を図った。

 状況を測りかね困惑されている先生に対し、後に共闘関係から抜けることになる当時のゼミの聴講生は、「両親から虐待を受けている可能性がある。自傷行為に及んでいる可能性もある。最悪の場合、死んでいる可能性もある。絶対に捜索活動を行なうべきである」などと繰り返し、過剰なまでに先生を煽り続けた。極端な可能性を示唆する元聴講生の過激な表現が、元学生の捜索に向けて先生を動かす要因になったことに疑いの余地はない。元聴講生の言う可能性を完全に否定できる根拠がない以上、先生には、行方不明になった元学生の捜索を、ゼミの担当教員として行なう以外の選択肢がなくなってしまった。私は「怪しすぎます。ここまできたら、学生の両親も動いていて、先生を陥れるための罠を張っています。捜索は危険です」との趣旨の言葉を何度か先生にお伝えした。過去に、自尊心を傷つけさせるように仕向けておいて、自尊心を傷つけるという行為に及んだ相手を容赦なく殺人にまで追い込む人間の存在を見聞きしてきたし、自分も被害を受けてきたからである。

 そして、元学生の手口は(本人が明確に自分の行為を意識化できていたかどうかまでは判断できないが)、対象とする相手に挑発行為を繰り返し、その挑発行為に対して本人が自分の主観で決めつけた人権侵害の基準(本考察においては、先生が元学生の欲望を拒絶するかしないかが人権侵害の有無を決定する基準である)に基づき、自分の人権が侵害されたと判断した場合には、相手を徹底的に攻撃するという、私が過去に見聞きしてきた加害者の手口に極めて類似していたと思う。このような場合においては、人権侵害を受けたと主張する子供に両親が加担し、家族ぐるみで相手に恐るべき暴力を振るう事態が出現することを、私は過去に何度も見聞きしてきた。したがって、メールアドレスだけを開通させておき、安否確認を行なうために、先生が元学生に否応なしに関心を向け続けざるを得なくなる状況を作り上げるという不自然極まりない構図も、「これはどこかで見たことがある」という既視感を強く呼び覚ますものであった。元学生の安否確認を行なわざるを得ない状況を故意に作り出しておいて、そのことを元学生と両親が先生に暴力を振るうことを正当化する材料の一つとして利用するということは、十分にありえるという深刻な懸念は強まるばかりであった。

 現代思想においては、両親と子供は、独立した個々の主体であるという思考が徹底されている。ゆえに、他者としての子供の存在を全く尊重しない、両親の暴力的な無意識は徹底的に批判されることとなる。子供の意思を無視して特定の職業に就かせるために子供を束縛するなど考えられない話である。そのような無意識の暴力を全く自覚していない両親は言うまでもなく、その両親に呪縛され精神的に自立できていない子供も、真っ当な対話が可能である存在とは見なされない。無数の他者の恣意的な物語の集合体である、支離滅裂で一貫性を欠いた危険な無意識から、全く距離を取ることが出来ない危険な人間と対話することなど、原理的に不可能であるからだ。元学生は、先生を独占しようと執拗に接近を繰り返しながら、先生と不可分である現代思想を虚心坦懐に学ぶことを頑迷に拒んでいた。そして、両親たちに至っては(○○大学法学部の全教員も同様だが)、現代思想という学問領域が存在することすら知らなかったように思われる。成人した子供から「許せない相手を大学から追放したいので手を貸してくれ」と頼まれたら即座に加担して、家族ぐるみで相手を抹殺する暴挙に打って出るなどということは、現代思想の観点からは言うまでもなく、例え現代思想を知らなくとも、自分の子供を一個の独立した他者と見る視点を僅かでも持ち合わせている両親からは断じて起こり得ない。

 そのため、私が抱いていた危惧を伝えようとする拙い言葉が、その存在様態が思想的実践を通して現代思想と一体化している先生に影響を及ぼせる余地は全くなかった。この時期の私が、過去を直視し決着を付けることを回避していたために、実感が宿った言葉を用いて、先生に懸念を伝える段階にまで到達できていなかったのがその最大の理由である。過去に受けた数々の暴力の経験を自分自身の経験としてしっかりと引き受け、乗り越えるという境地にまで至れていなかったのである。引き受け切れていない自分の不十分な経験を唯一の経験として、他者である先生にその経験を受け入れるよう強引に説得を試みていたならば、元学生と大差は無く、その行為は無理を押し通そうとする暴力としてしか作用しなかっただろう。仮に私の言葉が先生に正確に伝わり、理由を告げずに失踪を遂げた元学生の安否確認が中止されていたとしても、失踪が狂言ではなく、元学生が狂言ではなく本当に失踪していて、私たちの知る由もない何らかの事件に巻き込まれていたとすれば、その責任も先生に全て押しつけられることになっただろう。いずれにせよ、元学生が狂言失踪をしたことが判明していない当時の段階では、安否確認を行なう以外に方法はなかった。さらに、2012年当時の法学部長の指示を受けた○○大学法学部事務長と事務副課長は、安否確認を行なうよう執拗に先生を唆し続け、元学生の住所まで教えて先生が元学生のマンションを訪問しなければならない状況を故意に作り出した。この段階にまで事態が進行させられてしまっては、先生を抹殺しようとする暴力を発動させるために、元学生の両親のみならず大学関係者まで動き始めている可能性も考慮に入れざるを得なかったが、安否確認を中止するという選択肢などもはやありはしなかった。

 元学生の狂言失踪した段階から謀略は開始されていたのだが、先生から欲望される対象として承認されず自尊心を傷つけられた元学生が、先生への憎悪をつのらせ抹殺しようと画策する欲望は、まさしく両親たちの欲望でもあった。元学生と同様に、元学生に法律家になる以外の選択肢を決して許容しない両親も、一度も先生と会い話をしたことがないにも拘わらず、先生を法律家になることを邪魔する危険人物と断定して大学から追放しようと欲望していた。先生を抹殺するという欲望の動機に違いはあるものの、元学生と両親の欲望の目的は完全に一致していた。そして、学生の失踪が本当に狂言失踪であったという事実は、最悪な形で証明された。2012年度の法学部長により、2012年4月10日に先生の担当されていた全科目の閉講措置が強行され、当時のハラスメント防止啓発運営委員会委員長○○○○による2012年4月11日の殺人的暴行が行なわれて以降、事態は元学生と両親たちが欲望した通りに動き始めた。元学生と両親たちの代理人となった同法学部長が「学生の人権擁護のためである」と称し、「為すことを知らざればなり」を地で行く支離滅裂な殺人的暴力を行使して、先生の人権を悉く踏みにじったことは、元学生と両親たちの欲望と法学部長の欲望が完全に一致していた証左に他ならない。

 尋常ならざる暴力の行使者たちは同法学部長だけではない。当時の○○大学全体が異常な限界状態に置かれ、教職員たちの間には強力な箝口令が敷かれていた。2011年度のゼミ生は、大学当局が振りかざす強権に怯えきり、自分で思考する術を完全に喪失していた。その全員が、加害者である元学生と両親たちではなく被害者である先生と私を恐怖し、目をそらし、見ないふりをして通り過ぎていった。時期は相当後となるが、恐怖のあまりあらゆる冷静さを失い、先生を加害者と断定するに等しい脅迫的なメールを送信してきたゼミ生すらいた。

 私が少年期に経験してきたことを踏まえて、できる限り当時の状況を正確に書き記してみると、彼らを最も恐れさせていたものの正体は、同法学部長が事あるごとに振りかざした人権という概念であったと思われる。人権概念の中身をしっかりと凝視してみるならば、その概念の持つ属性は「同和」という概念が持つ属性と完全に等しいとしか私には考えられない。古来の日本人たちが、動物の殺害に関わる職業を「同和」と呼ばれる人々に押しつけ、動物殺害の現場を遠ざけようとしたのは、彼らの中にあった神道由来の「穢れ」という概念ゆえであった。これらの概念は、死という観念の全て言い換えである。これらの概念は、死という人間にとっての最大の恐怖を指し示す標識となってしまっているからこそ、古来より恐怖の対象とされ続けてきたのである。

 2012度の全教職員に加え、先生と私を最も危険でおぞましい「穢れ」と見なし通り過ぎていった者たち全員が、「人権擁護」という不可侵の権利、即ち死の権力を独占した同法学部長の言葉に恐怖し、生殺与奪の権を握られていると思い込んだ。誰もが、私たちを排除することが、自分たちから死を遠ざける唯一の手段であると盲信し狂乱の体で、私たちからの逃走を図ったのである。いうまでもなく、これは事実誤認の最たるものであり、元学生と両親たちと共謀し私たちに違法行為を仕掛けてきたのは、同法学部長を始めとする当時の法学部全体である。彼ら彼女らは、捏造された物語によって私たちが「加害者」と断定された当時の状況が、永遠に変わらないとでも思っていたのだろうか。少なくとも、私が当時目にした限りでは、状況が変われば「加害者」と「被害者」の位置が完全に逆転し、私たちを排除する側に回った全員が、類を見ない刑事罰を課される被告人の側に回る恐れがあると、想定できた者は一人も存在しなかった。

 誤解を恐れることなくはっきりと書いてみよう。法務省の公式ホームページには、違法行為として堅く禁止されている行為が掲載してある。「えせ同和行為」と呼ばれる行為である。「同和」問題を口実にして脅しをかけ、企業や自治体に様々な利益供与を強いる違法行為であり、このような脅迫行為を受けたら毅然とした態度を取り要求を即座に拒絶し、直ちに法務省に相談するようにとの内容が記載されている。ここで断っておきたいが、「えせ同和行為」には「同和」の人間であると僭称した上で脅迫に及ぶ行為も含まれる。いずれにしても、これらは一般の人々に根拠のない差別意識を植え込み、日々を実直に生きている「えせ同和行為」とは全く関係のない人々にまでいわれのない差別を及ぼしかねない許し難い行為であることも併せて強調されている。

 ここで強調したいのは、古来より日本に存在してきた「同和」と名付けられた言葉には、何一つ内実が宿っていないという事実である。単に、それぞれの時代を生きた人々が、「死ぬのが怖い」、「死から遠ざかりたい」という欲望を「同和」という言葉に投影し差別のしたに過ぎず、それはあくまでも「あるように見せかけられたないもの」、即ち単なる観念に過ぎない。その事実を踏まえた上で、「同和」、そして人権と言う言葉に対して、人々がなぜ恐怖の感情を抱くと同時に最大限の神聖な価値を与えてしまうのかという問いに向けて思考を進めていく必要がある。同法学部長が「人権擁護」と言う言葉を用いて後先考えずに暴力を振るい続ければ、自分だけは死から遠ざかっていられると盲信できていたとするならば、それは、法学部長である彼自身が死という観念に全面的に生殺与奪の権を握られ、恐怖の絶頂にある死の奴隷であったからである。実際には、同法学部長を初めとする法学部の全教員たちは、死から限りなく遠ざかっているつもりになろうと足掻いていただけであった。彼ら彼女らの凄まじい怯えに基づく足掻きは、自分たちを単なる犯罪行為者に転落させたに過ぎない。彼ら彼女らは、象徴的秩序からの集団的投身自殺という形で、二度と彼ら彼女らがそこにいたもとの場所には戻れない犯罪者集団に転落するという正反対の結果に向かって、全速力で逃走したに過ぎなかった。

 本件大組織犯罪が起こされる以前に、同法学部長と先生の間に一切の相互認識すら存在していない以上、先生が人権侵害の限りを尽くされる理由は両者の関係性の中には存在しない。ならば、同法学部長がハラスメント防止啓発運営委員会委員長○○○○と共に先生にあれほど凄まじい暴力行使を行なった理由は、先生と同法学部長の関係性の外部に存在する。いうまでもなく、当時の法学部長と元学生・両親たちの間に取り結ばれた違法な関係性が、同法学部長たちの先生に対する暴力行使を発動させる直接的原因となったのである。犯罪首謀者たちが一堂に会した密談の場を経て、同法学部長たちは、元学生と両親たちの脅迫の核心をなす死の権力に容易に屈し、積極的に先生に対する殺人的暴力を行使することで生存を維持しようと図ったのだ。以上のように思考を推し進めてくれば、同法学部長を心底恐怖させた元学生と両親たちの働きかけの原型が自ずと浮かび上がってくるように思われる。元学生がメールアドレスだけは開通させた状態で狂言失踪を遂げた直後の2012年1月下旬から2月上旬くらいの期間に私たちを陥れる謀議が行なわれたと私は確信している。元学生は、先生の関心を引き独占するために、一年近くに亘り執拗に先生への接近を試みたが、先生が全く応じなかったという事実を根底から改竄し逆転させた。元学生は、先生から、そして私からも許されざる屈辱を受け、執拗に付きまとわれているという虚偽の物語を理由として私たちを訴えた。元学生の虚偽の訴えに併せて両親たちも、法律家になるという息子の夢が先生に邪魔されたという虚偽の物語を捏造し、その責任を同法学部長に取るよう凄まじく暴力的な糾弾を行なった。元学生の「人権擁護」を狂乱の体で叫びながら、先生の人権をこれ以上ないほどに踏みにじる同法学部長からの言動から、元学生と両親たちが行なった脅迫の内容が自ずと浮かび上がってくるように思われる。「息子が受けた侵害行為に対する人権救済を行ない、健全な修学環境を整えなければ、学生保護に責任を持たない大学として、この度起った出来事をあらゆる手段を用いて内外に流出させる。そうなれば、大学は致命的な打撃を受け、あなたたちの社会的生命も終わりになる。そうなりたくなければ、井上と助手と名乗る人間を大学から追放しろ」と言う類いの脅迫が行なわれたとしか、私には考えられない。これは上述した、「えせ同和行為」の際に行なわれる脅迫の典型例である。少なくとも、このような脅迫が行なわれなければ、仮にも憲法学者である同法学部長が、易々と脅迫に乗り元学生と両親たちに積極的に加担する共犯者となったことの説明が付かない。これ以前から、元学生と両親たち、同法学部長たちの間に不正な関係が存在したとしたら、問題はさらに深刻さの度合いを増すに違いない。さしあたっては、元学生が入学した2009年度に、同法学部長は既に法学部長の座にあり、○○大学公式HPに先生への最たる名誉毀損である兼任講師解雇に関するニュースを掲載した学長の○○○○も同年度には学長の座にあり、元学生の家に夜に一人で行くように執拗に先生を唆した法学部事務長は、同年度に入試課に配属されていたことだけは明記しておく。

 法務省のHPには、「えせ同和行為」は、「同和」は怖いという感情につけ込んでくるとの記述があった。「同和」という言葉が死の言い換えである以上、脅迫を受けた者が、あらゆる論理を超えて作動するといわれる恐怖の前で、思考停止に陥ることもあるだろう。しかしながら、本考察では、「えせ同和行為」の「同和」という言葉に投影された死の恐怖が作動する速度を追い抜く、意志的な思考を試みたい。同時に、この「同和」という概念が呼び込みそうな様々な位階序列に基づく価値判断も宙吊りにし、「えせ同和行為」という行為の具体的な手口そのものをできる限り精緻に描き出せるよう思考したい。本考察が本件大組織犯罪の全容解明に僅かでも寄与してほしいという切なる願いからである。最も重要な問題は、元学生と両親たちが、「えせ同和行為」を忠実になぞったとしか考えられない暴力行使の手口の精密な理解である。上述した通りの手口におそらく限りなく近い手口を用いて、元学生と両親たちは同法学部長たちを脅迫し、本人たちは決して先生と私の前に姿を現さず、安全地帯に隠れて極めて狡猾に、特に先生に標的を定め自殺に追い込むために、同法学部長たちに際限なく暴力を行使させ続けた。「被害者」を装う最大の「加害者」たる元学生とその両親たちによって、『最終解決個人版・未遂の記――絶滅を待望された被害者の証言』で書かれた通りの組織的殺人未遂事件の端緒が開かれたのである。

 「えせ同和行為」の本質は、「同和」、人権と呼ばれる概念に投影された死という観念を持ち出して、死の権力を狡猾に使用して相手から違法に利益を貪ろうと謀る、極めて悪質な脅迫行為である。そして、法も同様に、国家法が機能する領空、領土、領海に存在する全ての人々の生殺与奪の権を潜在的に握ることで、その実効力を担保するという意味では、同じく死の権力であると言える。極めて危険なことであるが、死の権力を作動させる場(裁判所・捜査機関)に無条件に同一化していればいるほど、あるいは死の権力に親和的な人間であればあるほど、「えせ同和行為」に屈する可能性は否応なく高まっていくと考えざるを得ない。あえて単純化すれば、無意識の内に、「死が怖い=永遠に生きたい」、「他者から承認されていたい=共同体から排除されたくない」、「自分にはこの上ない価値がある=自分は永遠に死なない」などと盲信しているような人々は、「えせ同和行為」、並びに同行為に類似した違法行為の標的になり易いということになる。特に、死の権力たる法を基盤として運営される法曹界や各公的機関に所属する人々は、死の権力である「えせ同和行為」との親和性を、否応なくその身に帯びていることになるだろう。そのことに無自覚・無批判であるならば、非常に危険なことである。ゆえに、それぞれの組織に内包されている死の権力が持つ危険性を常に意識することは、非常に重要であると私は考える。「あるようにみせかけられたないもの」に過ぎない死という実在しない観念を実体化してしまうならば、それは錯誤であり、錯誤に捕らわれた分だけ、現実の世界との間に生じる誤差は拡大していき、やがてそれは世界からの致命的な自己疎外となって、正確に回帰してくるだろう。

 元学生と両親たちの脅迫に屈し、積極的に犯罪行為に手を染めた○○大学に巣食う犯罪首謀者たちが開始した本件大組織犯罪が、最高検の最高幹部検事にまで至る国家の各公的機関にあまりに易々と拡大していったことも、上述してきた考察内容と無関係であるとは考えられない。組織的犯罪者たちの間に属性としての死の権力に対する親和性が全く存在しないのであれば、ここまで犯罪の規模が拡大し、(局所的にではあるが)法が停止される例外状態まで引き起こされる本件大組織犯罪が成立する余地はなかったであろう。

 しかしながら一方で、ここまで考察を続けてくると、ある問いが浮かんでくる。人権、「同和」、「穢れ」に投影された永遠に経験不可能な死を遠ざけ、崇高な対象でもある死を遠ざけ生存競争を続ける生き方が、果たして現在の世界の中で通用するのかという問いである。世界の至る所で日々多くの人々が戦火に追われ、国内でも昨今までのインフラ対策が全く役に立たないと言われるほどの未曾有の災害が連続し、自動車事故による突然の生命の切断が次々に起り、昨日の嘘が今日の真実になり明日の嘘となる世界の出鱈目さは、日々加速度を増すばかりではないだろうか。正誤判定が不可能な情報だけが爆発的に増大し、諸個人の能力だけでは到底制御が不可能なまでに世界全体が複雑化する一方で、崩壊の予兆が隠しようもないほど露呈してきてしまっている世界の中で、死を遠ざけることのみを唯一の行動基準とする個人の自由意志など、一体何の役に立つのだろうか。壊れた羅針盤ほどにも役に立ちはしないだろう。死をいくら遠ざけようと細心の注意を払ってみても、突然それは、何の根拠もない偶然によって断ち切られる。ベンサムの言う「(自分たちにだけ適用される)最大多数の最大幸福」を求めて大組織犯罪の端緒を開いた元学生と両親たちはそれで幸福を手に入れられたのだろうか。元学生と両親たちに積極的に加担した○○大学を中核とし、その共犯者たちが規模だけはやたらに大きく、方法としては最も見え透いた程度の低い犯罪隠蔽の三文芝居を繰り返した結果、彼ら彼女らは、本人たちが絶対に回避したかった死を遠ざけることができたのだろうか。答えは明らかであるように思える。最高検の最高幹部検事にまで働きかけを行ない、自分たちの生存を確保するために規格外の超法規的違法行為に手を染めてみても、彼ら彼女らは思い描いていた豊かな生に辿り着くどころか、自分たちが最も恐れていた最低最悪の結末に辿り着いたようにしか思えない。本件大組織犯罪の無残極まりない失敗に至る過程が、死を恐怖するという中身のない行動基準が既に無効化されている何よりの証拠であると言えるのかもしれない。死を恐れる組織犯罪者たちがどれほどの無理を押し通して、死を遠ざけようと試みてみてもその全てが無益に終わる。彼ら彼女らは、あらゆる人間から排除憎悪の対象とされ、人間世界の内部で生きる場所を完全に失うことになる。

 この8年間近く、人権を一方で至上の価値として信仰しながら、敵として認識した他者からは徹底的に人権を剥奪しておいて、何一つ恥じるところがない人々だけを見てきた。それは、マスコミでもSNSでも代わりはしなかった。それはつまり、誰もが人権など何一つ信じてはいないということではないのか。換言すれば、その事実は、人権の唯一の中身である死が無意味化しているという一つの証左のように思える。それにも拘わらず、なぜ他者の領域を暴力的に占有しようとしないではいられないのか。『バートルビー――偶然性について』という書物のなかで、アガンベンは「あらゆる過去の撤回不可能性を問いに付す」という趣旨の言説を述べ、救済の端緒を開く思考を推し進めている。先生の担当されているゼミは、まさしくこの思想をあらゆる側面から考察し、微細に研ぎ澄ませていく過程の中で、最も知覚不可能な自分自身というブラックボックスにまで思考を届かせる妥協無き試みの場であった。

  純粋な潜勢力という状態にあって、存在と無の彼方で「より以上ではない」をもちこたえることができるということ-これがバートルビーの試練である。(ジョルジョ・アガンベン『バートルビー――偶然性について』、邦訳53頁)

 本件大組織犯罪は、近い内に全面解決を見るに至り、再び法に犯罪を抑止する力が宿るのかもしれない。しかしながら、この8年近い時間なき時間を過ごすことを強要される中で、上に引用した、『バートルビー』の一節とは正反対の動きである犯罪行為を、元学生と両親たちが実行に移さない状態に踏みとどまってくれていたらと何度考えたか分からない。元学生と両親たち、並びに○○大学の首謀者たちと各公的機関の共犯者たちから構成される組織的犯罪者たちにとっては、死の恐怖から遠ざかるために、自分の視界に入るあらゆる人々と自分を比較して「(比較対象にした人々)より以上になろうとする」生き方自体が無効になっているという事実を受容することは、自分が死んでしまうことよりも恐ろしいことのようだ。誰が生きても死んでも、誰も何一つ覚えていないし、他者に興味など全く抱こうとはしないにも拘わらず、他者が興味を抱いてくれる価値が自分にだけには宿っている、その価値を否定した者はあらゆる手段を用いて抹殺する。こんな人々ばかりが溢れかえるようになれば、本件大組織犯罪が全面解決に導かれ、どんな法律が立案され施行されたとしても、有効に機能することなど二度と起こり得ないのではないかという思いすらよぎってしまう。本件大組織犯罪の全面解決も、例外状態が例外状態の中で解決されたというだけの話に過ぎないのかもしれない。

 しかしながら、他者との比較の中で「より以上になろうとする」生き方が事実上無効化しているのと同時的に、死の言い換えに過ぎない人権という概念も「同和」という概念もこれほど中身が空洞化されてしまったことは、今日までなかったのではないだろうか。私は、そのこと自体は非常に肯定的に捉えられてもよいことなのではないかと考えている。自分の生とは全く関係がない見知らぬ他者の言葉・物語・価値序列に媒介されずに生きていけるならば、どのような境遇に生まれた人々であっても、否定的な価値を帯びさせられていたとしても、自分の価値を、自分の力で回復し、「より以上になろうとする」以外の方法を見つけられるのかもしれない。

 だからこそ、現代思想という学問領域すら知らない○○大学が、先生の担当されていたゼミを蹂躙し暴力的に断ち切った愚かさがもたらした損害が、学生たちにもたらした損害は計り知れないと言うしかないのだ。学生は元学生だけではないのだ。そして組織犯罪者たち全員の身に起ったことは、彼ら彼女らが法律の教員として、弁護士として、裁判官として、検察官として復帰できるあらゆる可能性が永遠に断ち切られてしまったということだ。「あらゆる過去の撤回不可能性を問いに付す」先生のゼミを「不可能を可能にする暴力」を用いて潰したのだから当然の帰結であるという他はない。