人間が「瑕疵(きず)ある者」であるということは、何をやっても、どんな改善や改良や改革を試みてみても、人間は必ずどこかで間違える、誤る、過ちを犯すということです。
言い換えれば、どうすれば人間が――究極的にはすべての人間が――幸福になれるのか、人間には(少なくとも現状のままでは永遠に)わからないということです。つまり、どんな改善や改良や改革をやってみても、その効果が全然波及しない不幸な人間、弱者の立場におかれる人間は、必ず存在し続けるということです。
そんなことは当然だ、すべての人間が幸福になれるなんてことは絶対にあり得ない、どんな社会になっても不幸な人間、精神的・物質的・肉体的に迫害される弱者は必ず存在し続ける、そうあなたは思うでしょうか? どうしてそう思うのでしょうか? もし、極めて当然のことのようにあなたがそう思うとすれば、人間が「瑕疵(きず)ある者」であることを、あなたは経験的に熟知しているということです。「瑕疵(きず)ある者」の構造を、決して深くは洞察できてはいないとしても。
でも、よく考えてみてください。次に述べることは、どんなに残酷に思えるとしても、否定しがたい事実であることが、あなたにもすぐに理解できるはずなのです。つまり、どんな社会であれ、不幸な人間、いたぶられる弱者が存在する限り、あなたも、今は取りあえず幸福な人間も、あるいは不幸ではない人間も、いつでも不幸な人間に激変する可能性が潜在的には無数にあるということ。逆に言えば、自分以外のすべての人間が幸福にならない限り、あなたも、私も、本当に幸福になることはできないということ。
では、<本当に幸福になる>とは何を意味するのか? マルクス、ニーチェ、フロイトの思想を貫通し、現代にまで継承されている「瑕疵(きず)ある者」としての人間についての深遠な洞察は、この問いをたてる前に、まずこんなふうに問いをたてるのです。<そもそも人間は、本当に幸福になることを望んでいるのか?>と。そして、一様にこう答えるのです。<本当に幸福になりたくないからこそ、人間は、間違いを犯し続け、誤り続け、過ちを犯し続けるのである>と。
皮肉なことに、人間だけが「進歩」の前進運動を続け、比類ない文明を築き上げ、文化を創造し、そして存在し続けることを可能にしている力は、まさしく人間が<本当に幸福になることを望んでいない>ことから湧出してくるのです。つまり、人間が「瑕疵(きず)ある者」であるがゆえに、不幸な人間を産出し続けるがゆえに、人間は<本当に幸福になること>を永遠に望み続けることができるのです。より正確に言うと、<本当に幸福になること>を永遠に望み続けることができるように、人間は<本当に幸福になることを望むこと>を禁止され続けるのです。簡単に言えば、人間は、幸福になるためには、不幸な人間の存在を必ず必要とする、自分自身のなかにさえ、不幸になる可能性を延々と保存し続けるということです。それが、人間が「瑕疵(きず)ある者」であるということの意味です。
<本当に幸福になることを望むこと>を、一体何が人間に禁止するのでしょうか? つまり、一体何が人間を「瑕疵(きず)ある者」にした/し続けているのでしょうか? 現代世界と日本の社会現実が直面しているような人間の根源的な危機は、人間という「瑕疵(きず)ある者」のまさにその「瑕疵(きず)」にこそ由来しているのです。
本ゼミでは、以上、可能な限りわかりやすく書いてきた人間という「瑕疵(きず)ある者」の構造を、皆さんにより深く理解していただくことを目指します。それが、ひいては、現代の世界情勢と社会状況が直面している様々な危機の諸相を、目が醒めるように理解することを可能にしてくれるからです。この根源的な問題を理解することなしに、現代の様々な深刻な危機について何をどう思考し議論してみても、それはどこまでいっても不十分で皮相的な認識しかもたらしてはくれません。
現代の人間が直面している危機について真に思考するためには、現代の思想を学ぶことが不可欠です。マルクス、ニーチェ、フロイトは、現代思想の源流を築いた三巨頭です。彼らの思想をわかりやすく解説しながら、彼らの思想をそれぞれの方法で継承している現代の思想家たちの思想を一緒に学んでいきたいと思います。本ゼミで取り上げる予定の現代の思想家たちは、ヴァルター・ベンヤミン、ジャック・デリダ、ジャック・ラカン、ミシェル・フーコー、スラヴォイ・ジジェク、そして昨年同様ジョルジョ・アガンベンです。こうした思想家たちに、本年度はアガンベンよりさらに若い現代イタリアを代表する思想家であるパオロ・ヴィルノが、決定的に重要な思想家として加えられます。現代のもっとも重要な女性の思想家として、ガヤトリ・スピヴァク、ジュディス・バトラーの思想なども、適宜織り交ぜながら解説していく予定でいます。
現代思想は、身体の内部を内視する内視鏡と同様に、もっとも身近であり、もっとも自明であるがゆえに、もっとも見えにくい皆さん自身の「生」そのものを内視させてくれる内視鏡のようなものなのです。
本ゼミの究極的な課題が、どうすればすべての人間が本当に幸福になれるかを探究することであるのは、もはや言うまでもないでしょう。法律家を目指す学生には、とくに参加していただきたいゼミです。人間という「瑕疵(きず)ある者」の構造を知らずに、人間の運命を決定する立場に立つことは、実はとても危険なことであるように思えるからです。
現代思想の基礎知識をちゃんと身につけたくても、なかなか機会がなく、必読の文献も読書の方法もいまひとつよくわからないでいた学生の皆さん、あなたたちの参加をこそ期待しています!