最終解決個人版・未遂の記
――絶滅を待望された被害者の証言
【献辞】
本書を以下の方たちに捧げる。
法によって、社会によって救済されなかった全ての犯罪被害者たち、犠牲者たちに。
法によって、社会によって救済されないまま捨て置かれ続ける全ての犯罪被害者たち、犠牲者たちに。
――井上莉絵瑠
第一章 「最終解決」の亡霊の集団的憑依
それゆえ、私は彼らが消滅していくという根本的な期待をしている。彼らは取り除かれるべきである。……彼らは自分たち自身を消し去るしかないのだ!
(「最終解決」を行なう計画についてのハンス・ミヒャエル・フランクの演説から引用。ロベルト・S. ヴィストリヒ『ナチス時代ドイツ人名事典』。ハンス・ミヒャエル・フランク:弁護士、法学博士、バイエルン州法相、ドイツ法律アカデミー総裁、国家社会主義ドイツ労働者党法務部長、ポーランド総督府総督、「ナチスの法制及び立法綱要(刑法及び刑事訴訟法の部)」編纂、ニュルンベルク裁判にて死刑判決を受けて処刑された)
私はあの者たちに何をされたのだろうか。
人生の後半の9年間を「私が自由に使うことができる生」という身体から切り離され続けた。「生きること」を果てしなく邪魔・妨害され続け、「好きなように生きること」を限りなく不可能にされ続け、9年間の「私の生」という身体をいわば象徴的に殺され続けた。学問からも読書からも、探究からも創造行為からも、友人たちとの交流・議論の場からも、音楽を聴くこと・映画を観ること・劇場に行くことからも、8年前まで「私の生」を構成していたこれらの全要素から実に執拗に、情け容赦なく、徹底的に遠ざけられ続けた。同じ場所に存在していながら、いかなる産出可能性とも絶縁した極限的な不毛地帯、時間(=未来)との対話というオアシスが見事なまでに蒸発した広大無辺な砂漠へのトポロジカルな移住を、来る日も来る日も強制され続けた。時間(=未来)との関係から排除され、まもなく完全に排除されるに至る過程で、私の居住空間自体が凄まじい荒地と化した。未来の自明な到来に支えられて初めて可能となる秩序への意志、整理整頓への意志、健全で快適な生活への意志が連続的に剥奪され、相互に異質なカテゴリーに属する膨大なモノたちが境界を失って何重にも複雑に重なり合い癒着し合い、居住空間の至るところに醜悪なオブジェのような大小様々な塊となって薄汚く存在し続けている。大量の書物、CD、DVD、衣類、服飾小物、カバンと靴、薬品、文房具、家庭雑貨、食品、紙袋、大学関係の書類、そして長年に亘り壮絶な暴力行使を受けた痕跡群――中央大学から送り付けられた全文書、民事訴訟の全資料、捜査機関から送り返された何通もの告訴状・書面・全証拠資料など――、分厚い埃を被ったこれらのモノたちが整然とした秩序への回収など想定することすら不可能であると、視線を送る度にいとも無関心そうに伝えてくる。私を居住者とする居住空間は、これらのモノたちとの関係の仕方、それらの使用の仕方を完全に忘却し、生活という観念を喪失し果ててしまった本来の居住者に打ち捨てられ、それから信じられないほど長い間、時間の中断という深海の底に沈潜し続ける廃墟、カオスの廃墟のようである。8年が経過するうちにヴェランダへと通じる開き戸のサッシが壊れ、真冬でも隙間風の侵入を防ぐことができない。水のトラブルが数回発生したトイレは、経年劣化による決定的な機能不全にいつ襲われるかわからない。居間のライトも蛍光灯を固定する器具自体が壊れかけていて、いつ決定的な破損により部屋の光が奪われるかわからない。清掃が全くできないエアコンはいつのまにか使用不可能になり、猛暑の夏でも扇風機一つで過ごさなくてはならない。修理や買い替え、そして改装には精神的・身体的・社会的・経済的な条件を満たしていることが不可欠で、いずれの条件も満たしていない私には何一つ変更を加えることなく過ごし続ける以外の選択肢はない。8年間を通じて掃除らしい掃除が一度もできない不安定で不潔極まりない居住空間には、ふとした弾みに横断してしまいかねない生から死への境界線が潜在的に至るところに走っているため、もっとも安心できるはずの自分の家の内部が外の世界と変わらないほど、私にとっては危険な場所であり続けている。私の居住空間が属しているマンションでは年に一度、作業員の全戸室内への立ち入りによる排水管清掃が行なわれるのであるが、秩序の再建から無限に遠ざかるばかりのカオスの空間への立ち入りを、8年間毎年断り続ける以外にどうすることもできない。8年間を通じて共同責任を一度も果たせない居住者に対し、管理会社が「異常者」のようなイメージを次第に抱くようになったとしても、私にはどうすることもできない。真性の両性具有者であったエルキュリーヌ・バルバンは、自殺する前に書き残した手記のなかで、自分のことを「形而上学的なホームレス」と呼んだ。私は自分の家に、私の家であることを拒否され続ける潜在的なホームレスである。
私はあの者たちに何をされたのか。ここまで書いてきたことは、その生が自分たちの生の存続にとって決定的な障害となる私に対し、あの者たちが長年に亘り行使してきた殺人的暴力の連鎖の効果、あの者たちには絶対に見えない私の生に実際に出現した効果である。誰からも尊敬の念を抱かれる「立派な人間」である自分たちが、私の生に対してどれほど破壊的で致命的な作用を及ぼす暴力を行使したか、その極端な加害の生々しい記憶が彼ら彼女らの限界に内部から触れることはたまにあるかもしれない。しかし、社会的に自明視されているだけでなく、他者の評価を通して自分を見るとき彼ら彼女ら自身も倒錯的に自明視してしまいかねない彼ら彼女らの存在のイメージ、「人権を尊重する法的正義の体現者」という彼ら彼女らの職業に由来するイメージは、自分たちの殺人的暴力行使がどれほどの破壊的効果を私の生に及ぼしたか、それを鮮明に映し出す鏡を差し出されたとしたら彼ら彼女らの顔を必ず背けさせるだろう。そんなものを一度でも直視したら、社会的に自明視されている偽りの仮面と自分の本当の顔が一致していると誤認する滑稽な幻想に、もう二度と浸れなくなるだろう。上に書いてきたことは、不意に直面させるように彼ら彼女らに私が差し出した鏡、鏡の開幕である。何をしているか知らず、ある種の集団的狂気のなかで、彼ら彼女らは私を標的とする殺人的暴力を次々と実行に移した。自分たちが何をしたか、あの者たちは依然として知らないし、知る必要などないと思っているし、ニーチェの言葉を捩って言えば「自分たちのしたことの全ては何もしなかったことと同じになるし、何も起こらなかったことと同じになる」という非現実だけが唯一の現実になると長い間確信し続けていたし、おそらく確信し続けることを今に至るまで断念していない。狂気と名づけるしかないその確信を処刑し、絶滅させることに本書は一貫して照準を定める。自分たちの社会的立場を完全に裏切り、自分たちの社会的立場に対する大勢の人々の信頼と期待を完全に裏切る空前絶後の殺人的暴力をあの者たちはなぜ次々と実行に移したのか、また移せたのか、獰猛な殺意と悪意と憎悪に漲る暴力は一体どのようにして生成され、その標的に向けて一体どのように連続的に行使されたのか。前代未聞の大悪事というこの犯罪身体を切開し、内臓を露出させ、毛細血管に至るまで解剖すること。犯罪身体の解剖図を微細に描出し、それをあの者たちに鏡として差し出し続けること。私が描き出す言葉の鏡には、あの者たちが知らないと確信し続け、したがってもっとも知りたくない、見たくない自分たち自身の所業の内部とそれを実行し続けた自分たち自身の顔が、私の生に破滅的な作用を及ぼし続けた所業の効果と連動するようにして鮮明に映し出されるだろう。あの者たちは耐えなくてはならない。鏡に映され続ける自分たち自身の所業の内臓を、目を背けずに直視し続けるという試練に。それが、あの者たちを信頼していた大勢の人々にも同時に直視され続けているという試練に。
この大悪事が明示的に勃発した日、私はあの者たちの一人によって「寄生虫」と蔑称された。デリダの言葉を借りれば、私はあの者たちによって「人間として実存するという、あるいは人間として実存すると自負するという罪(償い得ぬ)の咎を負った者」と明確に見做された。ジャンケレヴィッチの言葉を借りれば、あの者たちにとって「……存在し続け生き延びるために闘うという彼の自負は〔私の自負は〕、それ自体一つの理解不可能なスキャンダルであり、どこか常軌を逸したところがある」と明確に見做された(〔 〕は井上による挿入)。そういうわけで、「寄生虫」と蔑称され、「存在すること自体が罪」であると見做された私は、あの者たちによって絶滅を果てしなく欲望され、待望され続ける者となった。絶滅を果てしなく待望される者の生が営まれる場所は、繰り返し押し寄せるあの者たちの殺人的暴力の津波が、「健全で快適な生」の維持にとって必要不可欠な秩序を全て押し流し、何もかも破壊した残骸でありカオスの廃墟である。この廃墟を描写した冒頭の一節は、私の絶滅を目指して私の生の全域に殺人的暴力の津波を繰り返し押し流したという大悪事、その大悪事が確かに存在したことを証明する痕跡をあの者たちの目に突き付ける鏡にほかならない。私の絶滅を目指し、私の生に殺人的暴力の津波となって繰り返し押し寄せ、私の生が営まれる場所に、生の存続が限りなく不可能に近づいていくような破壊と蹂躙の痕跡を残した。
私の生の絶滅を待望し続けたあの者たちの大悪事の名の一つは、したがってセルフネグレクトの連続的な強要である。
あの者たちは私の絶滅をなぜ待望しなくてはならなくなったのか。それだけが、彼ら彼女らが「立派な人間」としての社会的立場を失うことなく生き延びられる条件となったからである。言い換えれば、私の生の絶滅とは彼ら彼女らが実行した未曾有の大組織犯罪の絶滅を意味していたからである。その存在が露見したら、この国の法的秩序が崩壊しかねない大組織犯罪を彼ら彼女らはどんな手段に訴えてでも完全隠滅し、歴史から抹消削除しなくてはならなくなった。「最終解決=ショアー」の完全隠滅を目論み、歴史からその巨大犯罪の痕跡を抹消削除しようとしたナチスのように。あの者たちにとって、私の生は自分たちの大組織犯罪のスティグマであり、私がまだ生きていて自分たちに抵抗してくるという事実は、自分たちの犯罪の露見可能性と自分たちの「犯罪者」への転落可能性がまだ残っているという事実そのものだった。
起訴されるくらいなら、多くの犯罪被疑者が迷わず選択する贖罪の態度表明、すなわち被害者に赦しを乞うということが、しかし彼ら彼女らには絶対にできなかった。神の座、あるいは崇高な法の座を空席にして、彼ら彼女ら自身が最終審級(=神=絶対者)としてそこに着席していたからでもあるが、それ以前に彼ら彼女らにとって私は他者ですらなく、自分たちとの関係の内部に最初から絶対に入らせない未知の存在であったからだ。名前と最低限の個人情報程度は知っていたにせよ、私は彼ら彼女らにとって事実上匿名同然の誰だか知らない存在、誰でもいい誰かであった。というより、私を匿名同然の誰だか知らない存在のままにしておくことが、あの者たちの最初の犯罪を実行に移し成功させるための絶対必要条件だった。ある男子学生が大学から追放したいという屈折した願望を抱き、そのための手段としてストーカー冤罪、及びハラスメント冤罪に陥れた相手がたまたま私であり、その学生の願望実現に全面的に協力することにしたあの者たちにとって私の真実、私の主張、私の説明、その他私から提供されるどんな情報も全く不必要であるばかりか、犯罪(=退職強要)を不首尾に終わらせかねない危険で有害な障害物であった。学生が捏造した虚偽だらけの物語を唯一の真実として受け入れるように凄まじい暴力によって強要し、そこに描かれた学生に対する深刻な加害者、極悪人という像と私を強制的に一致させることで、あの者たちは犯罪の実現を妨げる厄介な障害物という他者性を徹底的に抑圧し、排除した。「あなたは誰か」と私は一度も問われず、ジュディス・バトラーが批判する「自分自身を説明すること」という倫理的暴力が作動する圏域にさえ、私の言説を悉く圧殺する獰猛な怒鳴り声の連続によって入ることを禁止され続けた。大学内部の「取調室」である最初の犯罪の実行現場に私が召喚されたのは、学生が申立てた加害行為の本当に主体であるかどうかを判断されるためではなく、一切の判断を暴力的に停止して学生が捏造した虚偽だらけの物語のなかに私を封じ込め、「真実の私」はそこにしかいないという恐るべき不正義を飲み込ませるためであった。「他者を判断する以前に、私たちはその他者と何らかの関係を持たなくてはならない。この関係は、私たちが最終的に行なう倫理的判断の基礎をなし、それを告知するだろう」とバトラーは書いている。あの者たちは「取調室」に私を召喚するかなり以前から、学生が捏造した虚偽だらけの物語に登場する世にもおぞましい人物だけを唯一の「真実の私」として決定するという暴力を、倫理的暴力ですらない暴力を誰だか知らない匿名同然の人間に対して既に行使し始めていた。だから、私に対する判断を一切行なわないこと、私を他者として(=倫理的な責任主体として)絶対に認識しないこと、私の真実に一切関心を持たないこと、私の主張や説明を(とりわけ学生の捏造した物語を別の可能性に向けて開くような言説を)一切聞かず瞬時に撃退することが、あの者たちによって採られた狡猾な戦略であったことは極めて当然のことなのである。つまり、あらゆる判断の外に遺棄し続けるために私と絶対に関係を持たないこと、自分たちとの関係の内部から徹底的に排除し続けること。それだけが、この悪質な犯罪を完遂に向けて導くための条件であったのだから。
『自分自身を説明すること――倫理的暴力の批判』のなかでバトラーは次のように述べている。
もし主体が自分自身にとって不透明であり、自分自身にとって完全に判明でも理解可能でもないとすれば、それによって彼が望むことをしていいとか、他者に対する義務を無視してもいいということにはならない。……主体の不透明性は、主体が関係的存在――その始原の関係は、意識的な知が必ずしもつねに知りうるものではない――と考えられることの結果ではないだろうか。自分自身についての非知の諸契機は、他者との関係において現れる傾向があるが、それはこうした関係が、つねに明白で反省的に主題化できるわけではないような、関係の原初的諸形式に訴えることを示唆している。/実際、人が自分自身に対して不透明であるのはまさしく他者への関係ゆえであるとすれば、また、他者へのこれらの関係が人の倫理的責任の発生源であるとすれば、そのときおそらく次のように言うことができるだろう。すなわち、主体がその最も重要な倫理的絆の幾らかを招き寄せ、支えるのは、まさしく主体の自分自身に対する不透明性によってなのである(邦訳36-7頁、強調線井上)。
同書の別の個所で、バトラーはまた次のように述べている。
非難、弾劾、痛罵は、たとえ他者から自分を解き放つためであれ、判断する者と判断される者とのあいだに存在論的差異を設定するための手早い方法として機能する。非難は、私たちが他者を認識不可能なものと規定する方法、あるいは、私たちが非難する他者へと委ねている、私たちのある側面を放棄する方法になるのである。この意味で非難は、判断される者との共同性を否認して自己を道徳的だとする限りで、自己についての知に対立するかたちで働いている。……非難は、自分自身の不透明性を追放し、それを外化するためには、まさしくこのように働くのである(邦訳87頁、強調線井上)。
同書のさらに別の個所で、バトラーはまた次のように述べている。
私は「私」として語るが、そうした仕方で語っているときに、自分のしていることがすべて正確にわかっていると思うような過ちはおかしていない。思うに、私は自分のなかに他者を含むかたちで構成されているのであり、私自身に対する自分の疎遠さとは、逆説的にも他者たちと私との倫理的つながりの源泉なのである(邦訳157頁、強調線井上)。
バトラーのこれらの考察は、あの者たちによって行使された暴力の機制についての理解をより精密にしてくれる。最初の犯罪を決行した日、あの者たちは私と関係を持つことを一貫して拒否し続け、そうすることで私を認識不可能な他者と規定するどころか、そもそも未知の他者として認識すること自体を徹頭徹尾暴力的に拒否し続けたのである。あの者たちが私に行使した暴力は「非難、弾劾、痛罵」ですらなく、あの者たちに対して私が未知の他者として現前すること、あの者たちの支配の全体性を逸脱する可能性を湛えた未知の他者として私が自分を現前させること、あの者たちが決定した私の意味と私の歴史=物語の外に未知の他者として私が存在することを絶対に許さないという暴力、すなわち未知の他者としての私を文字通り殺すという暴力であった。あの者たちにとって私はどんな尊厳も剥奪された単なる「寄生虫」であり、アウシュヴィッツのユダヤ人たちの各々の未知性に対してナチスが徹底的に無関心であったように、私の未知性に対して、「私がどんな人間であるか自分たちが本当は何も知らない」という事実に対してあの者たちは徹底的に無関心であり、無反省であった。私と絶対に関係を持たないあの者たちのなかに、自分自身についての「非知の諸契機」が現れることなどあり得ず、自分は何をやっているのかという自己言及を促す「自分自身の不透明性」にあの者たちの内的視線が向けられることもあり得ない。自分自身との反省的距離の不在、自分自身との絶対的一致をその狂暴で単純な存在の印象からこれでもかと湛えているあの者たちのなかには、それを含む形で自分は構成されているとバトラーが述べる「他者」が絶望的に欠落している。「他者」を含む形で自分が構成されているゆえに、自分自身にとって自分は「疎遠」であり「不透明」であるとしても、人を倫理的な責任主体として覚醒させるのは、その「疎遠さ」と「不透明性」の撤廃を無限に延期させる「他者」への関係だけなのである。私と絶対に関係を持たないことで、「他者」への関係が厳命する自分自身にとっての自分の「疎遠さ」、自分自身の「不透明性」を初めから完全に撤廃しているあの者たちが、倫理的な責任主体として覚醒する契機などどこにも存在しない。
最初の犯罪の犠牲者として無力さの底に沈んでいきながら、「取調室」もそれを内包する大学組織も、プリーモ・レーヴィが「灰色地帯」と呼んだ地球上に遍在する場所の明らかな一つであると確信せざるを得なくなった。アガンベンによれば、それは「善と悪を融点にもたらし、それとともに伝統的倫理のあらゆる金属を融点にもたらす、休みなく働く灰色の錬金術」である。「無‐責任というこの破廉恥な圏域はわたしたちの原初の圏域であり、どのような責任の告白もわたしたちをその外に引っぱり出すことはできない」と『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』には書かれている。中央大学法学部の2年生を対象とする現代思想のゼミで、最初の犯罪が実行された2012年の前年度まで数年間にわたり、アガンベンの名著であるこの本をゼミ生たちと一緒に毎年読んできた。大学から追放したいという歪んだ欲望に取り憑かれ、私を破廉恥極まりない冤罪に陥れた学生は、この現代思想のゼミの2011年度の受講生だった。この学生が私に激しい恋愛性の転移感情を抱いていたことは、中央大学を被告とする民事訴訟第一審で第三者証言となる陳述書を書いてくれた数名の学生や卒業生のほとんど全員に共通する見解である。「灰色地帯」、すなわちアウシュヴィッツにおいて全面的に現出する「例外状態」に関して、アガンベンは例えばこのような説明の仕方をしている。「しかし、愛がそうであるように、極端な状況においては、現実の人格とその規範、生と規範のあいだに、わずかにでも距離を置くことはできない。というのも、この場合、生と規範のいずれか、内面と外面のいずれかがその都度優位に立つからではなく、それらがあらゆる点で混じりあい、威厳をもった妥協の余地をまったく残さないからである。(パウロが『ローマ人への手紙』のなかで愛を律法の完結と成就と定義するとき、かれはそのことを知り尽くしている。)」(同書、邦訳90頁)。この学生がアガンベンの名著を精読し、その思想を深く理解していたとは到底思えない。しかし、狂気の犯行に及ぶに至るこの学生の極限的な心的状況の分析として、上記のアガンベンの引用を読むことはそれほど的外れではないかもしれない。いずれにせよ、私の絶滅を最初に望んだのはこの学生である。この学生の最大の動機は、私の絶滅を待望することになるその後の組織犯罪者たちの動機とはおそらく完全に一線を画している。それは、愛する対象を殺害してしまう、フロイトが分析したストーカーの心理に非常によく似ている。フロイトによれば、愛する対象の愛が自分以外の者に決して注がれることがないように、その狂気の愛の極点でストーカーは愛の源泉である対象そのものを殺害してしまうのである。
この学生も、自分にとって私が未知の他者であることが絶対に許せなかった。自分の知らないところで、様々な社会的・個人的文脈のなかで、私が自分以外の複数の者たちと親密な関係を持ち、彼ら彼女らとの(とりわけ彼らとの)関係において自分の知らない「快楽」を彼ら彼女らが享受し、私もまた享受しているという可能性のリアリティが、おそらくこの学生にはひどく耐え難いものであった。その関係性の親密圏から自分はつねに排除されているという激しい嫉妬と孤立感を伴う妄想的感情に、この学生が絶えず苦しめられていたことは想像に難くない。私との特権的な関係から「快楽」を得ている/得ることになると想定される、この学生にもっとも距離が近い者たちとは、中央大学法学部の学生たち、卒業生たち、これから入学してくる不特定多数の学生たち(とりわけ現代思想のゼミの学生たち)であったことだろう。この学生は、自分以外のどんな学生にも私の授業をもう二度と受けさせなくなかったし、私の現前に立ち会わせたくなかったし、私との特権的な関係に入ることを絶対に認めたくなかったと推察される。大学の外でも、自分の知らないどんな者たちとの親密な関係からも私が排除され、孤立無援になり、どんな「快楽」も喜びも満足感も二度と味わえない砂漠のような不毛地帯に、「生きるに値しない生」として延々と遺棄されるままになっていて欲しいとおそらく密かに願っていた。一度は通読したと推察される『アウシュヴィッツの残りのもの』に描かれていた「人間ではなく豚」と見做され続けたユダヤ人のように、絶滅収容所同然の生存環境に私が打ち捨てられ、零落の極限まで味わい尽くせばよいとこの学生はおそらく密かに願っていた。だから、あらゆる社会的・個人的関係から徹底的に孤立させて、どんな者たちとの親密な関係のなかにも入っていくことがもう二度とできなくなるような変更不可能な負の経歴のなかに閉じ込めること、誰に対してももう二度と現前することができなくなるような汚辱に塗れた意味とイメージの衣装をその存在に縫い付けることが、私を大学から(そして潜在的には社会からも)追放したいと画策する学生にとってもっとも効果的でもっとも邪悪な唯一の方法となったのである。真のストーカーである彼が、私の絶滅を欲望しているという真実の動機を大学に伝えることなどあり得ない。嫌悪と不快感でいっぱいになりながら、私の加害行為に仕方なく耐え続ける無力で不憫な学生という状況演出を巧妙に行なった。そして、公的な第三者機関ではなく、大学内の擬似捜査機関であるハラスメント防止啓発委員会に虚偽の申立てをした。「井上先生から執拗なストーカー加害、及び深刻なハラスメント加害を受け、法律家になりたいという夢を妨害され続けるため、恐怖のあまりもう大学に行くことができません。井上先生がいるから怖くて大学に行けないので、先生にはもう大学にいて欲しくないと思っています」という大嘘をついた。のちに私が申立てた労働審判、提起した民事訴訟第一審、第二審において、大学側はこの学生を証人尋問に出廷させることを強硬に拒否し通した。話すことが可能であったとしても、この学生に何か話させれば、偽証罪に問われる陥穽が直ちに至るところに開き始める危険があったからである。
おそらくこの学生自身が絶滅収容所同然の生存環境にのちに遺棄されることになったとしても、8年が経過するうちに私の生存環境は本章の冒頭で詳細に描写したような砂漠同然の不毛地帯と化したので、この学生が欲望したとおりに私の人間世界からの絶滅は緩慢に進行しつつあると言えなくもない。もっとも、バトラーの言う「哀悼不可能な生」、「生きるに値しない生」に確実に分類される(そのこと自体に異存はない)私の緩慢な自殺としてのセルフネグレクトは、様々な暴力的形態を取って私の生の全域に作用し続けているあの者たちの待望、すなわち私の絶滅の長期にわたる連続的な強要(=死ぬことの強要)の結果以外の何ものでもない。その生の切断、死ぬことへの不可逆的で連続的な強要をあの者たちに開始させたのは最初に私の絶滅を欲望したあの学生であったとしても。この元学生を含めたあの者たちの包括的な罪名が捜査機関によって最終的に「殺人罪」に決定されたとしても、現在に至るまで死ぬことを強要され続けている私にとっては至極当然の帰結である。先例のない大組織犯罪の過程で、絶滅を強要されてすでに死者となった被害者もいるかもしれない。程度の差こそあれ私と同じように絶滅を待望され、その殺意の現れとしてセルフネグレクトを強要され続けている被害者も存在しているかもしれない。放置しておけば、死の到来が確実に早まる犯罪被害からの救済を求められる国家の公的機関の窓口を、あの者たちは次々に暴力的に閉鎖していき、ついには一切の法的保護を受ける資格がない者として、どんな根拠もなく私を法治状態の外に締め出した。実際、その惜しみない献身によって8年間の長きにわたり私を支え、連続的に行使される異常極まりない暴力への対処の仕方を辛抱強くともに検討し、どん限界的状況下でもつねにともに闘い続けてくれた研究助手のMの存在がなかったら、大組織犯罪の被害者にされた初期の段階で私は確実に落命していたと断言できる。Mもまた、一切の法的保護を受ける資格がない者として、どんな根拠もなく私とともに法治状態の外に締め出されたのである。
あの者たちとは誰か。私の絶滅を待望する者たち、すなわち自分たちの反国家的大組織犯罪の歴史からの絶滅を待望する者たちとは誰か。最初の犯罪を実行するに当たって、実行犯である中央大学の者たちが採った悪魔的な戦略、すなわち彼らにとって未知の他者である「真実の私」を徹底的に排除し続け、学生が捏造した虚偽だらけの物語の登場人物だけを「唯一の本当の私」として暴力的に同定し、犯罪を完遂に導くために私と絶対に関係を持たないという戦略をあの者たちは文字通り反復したのである。自分たちにとって未知の他者である「真実の私」をどこまでも排除し続け、「自分たちが本当は真実の私を何も知らない」という真実を自分たち自身に対してひたすら隠蔽し続け、犯罪被害からの救済を求める「真実の私」の現前と参加、及び真相究明への一切の法的関与を法外な暴力によって全面的に抑圧し、先験的に法権利を剥奪されている者に対するようにあまりにも執拗に撃退し続けた者たちとは誰か。
この国が法治国家であるという幻想を国家機関の内部から侵蝕し、破壊する主権者たちである。崇高な法の座から法(=神)を追放し、その座に自分の剥き出しの生をナチスの総統のように法(=神)として着席させ、自分の剥き出しの生(=暴力)の恣意的な発現と象徴的な実定法の運用を盲目的に一致させている権力者たちである。しかし、自分たちの組織的犯罪を社会と歴史から完全隠滅するように、国家の各公的機関に所属するこれらの権力者たちに依頼した中央大学の首謀者たちであり、また彼らからその同じ不正な依頼を様々な段階や局面で受けた多くの弁護士たちであるから、私的組織に所属する中央大学の首謀者たちもその共謀者である弁護士たちも、法と自分の剥き出しの生を一致させているあの者たち、反国家的主権者たちの群の筆頭に位置する。したがって、私と絶対に関係を持たず、未知の他者である「真実の私」を徹底的に排除し続けるという悪魔的な戦略を反復した主な反国家的主権者たちの群を、その「立派な」社会的肩書とともに明記しておかなくてはならない。中央大学の元法学部長・元副学長・現常任理事・法学部教授の橋本基弘(専門は憲法学)、同大学の元法学部教授・現名誉教授・ハラスメント防止啓発運営委員会元運営委員長の中西又三(専門は行政法)、同大学の総合政策学部教授・ハラスメント防止啓発委員永松京子(専門は英米文学・ジェンダー論)、同大学の現学長・法学部教授福原紀彦(専門は商法)、同大学の法学部教授中央大学新聞学会顧問の森光(専門はローマ法)、〇〇〇〇法律事務所の弁護士・渋村晴子と古田茂(ともに第二東京弁護士会所属)、文科省高等教育局私学部の元参事官付・梅木慶治(2013年に辞職)と2012年7月26日にその者と一緒に文科省の密室に現れた正体不明の男、元東京地裁立川支部の民事部担当の裁判官・市村弘、同裁判官・太田武聖、同裁判官・須藤隆太、同裁判官・前田英子、同裁判官・中山直子、同裁判官・安井龍明、元東京高裁の民事部総括判事・田村幸一、同裁判官・浦野真美子、元東京地検立川支部の検察官検事・森川久範(2015年3月31日に辞職して弁護士に転身。現在は活動状況が完全に不明)、元東京地検立川支部・現東京地検本庁の検察官検事・二瓶祐司、元東京地検立川支部・現横浜地検の検察官検事・鈴木久美子、現東京高検の検察官検事・瓜生めぐみ、元最高検幹部の検察官検事2名(現段階では、実名表示は保留)、元東京地検特捜部特殊直告班の検察官検事ないし/及び検察事務官(現段階では実名特定は不可能)。この者たちに付け加えるとすれば、中央大学の首謀者たちによる私の大学からの違法な追放計画に、故意であるか過失であるかを問わず、積極的にせよ消極的にせよ協力し続た中央大学に所属する/所属した全教職員たち。
中央大学犯罪絶滅計画、それと完全に同義である中央大学法学部兼任講師(=私)絶滅計画を、法治状態の保護と維持を概ねその職責とするこの者たちは、自分たち自身が法治状態の外へ甚だしく逸脱するという危険を冒してまで、前代未聞の極点にまで推し進めた。というより、推し進めざるを得なくなった。なぜなら、「未知の他者」である私を自分たちが終始一貫して徹底的に排除し続けているという事実、「真実の私」に対する知を自分たちが本当は何一つ所有していないという事実にこの者たちが驚愕するほど無関心であり、いかなる心配も配慮も抱くことがなかったからである。この者たちにとって中央大学の一非常勤講師に過ぎない私は人間ではなく、尊重に値する人格も一切の法権利も先験的に剥奪されている薄汚い「寄生虫」以上の者では断じてあり得なかった(実際、最初の犯罪が実行されたとき、実行犯である当時同大の行政法教授であった中西又三が最大の侮蔑をこめて口にしたこの言葉を、極度の人権侵害ないし差別的発言であると糾弾はおろか、認識した者は上記の反国家的主権者たちのなかには一人もいなかったのである)。ところが「寄生虫」であっても、「寄生虫」であるがゆえにあの者たちの自己欺瞞に満ちた生に絶えず取り憑いていながら、あの者たちの自己意識の視界には決して現れることがない夥しい影の残余として、私の生の領域は存在していた。例えば、この者たちの誰一人として読んだことがなく、大多数がその存在すら知らないと想定されるジョルジョ・アガンベンの『アウシュヴィッツの残りのもの』を、すでに10回以上は徹底的に精読していてかなりの個所を暗記するまでに至っていること。アウシュヴィッツから奇跡的に生還し、数十年後に自殺するまでアウシュヴィッツにおける限界経験を証言し続けたプリーモ・レーヴィの著作の大部分を読んでいること。アガンベンに限らず、法の原理論や法に関わる様々な問題系をそれぞれの方法で限界まで探究するとりわけ現代思想の思想家たちの著作を、例えばヴァルター・ベンヤミンやジャック・デリダやミシェル・フーコーやスラヴォイ・ジジェクやジュディス・バトラーたちの著作を絶えず読んできたし、現在でも可能な限り読んでいること。商品として流通経路に乗ることは全く期待できない恐ろしく難解な現代演劇やコンテンポラリーダンスについての評論をある時期まで書いてきたこと。固有名として小説家や評論家になることを全く望まず、『瀆神』のなかのアガンベンの言葉を借りれば、世界から「かくれんぼ」した状態で小説や評論を書き続けたいと希求し、実際に膨大なエクリチュールを書いてきたこと。組織の権力構造に組み込まれることを望まない自由人としての意志が、専任教員として大学組織に定在することを拒ませ、どれほど不安定であっても非常勤講師の境遇に留まることを自ら積極的に選択したこと。あの者たちの偏狭で単純で粗雑な生の視界には決して入らない私の影の残余としてもっとも強調しておきたいことは、生き延びるための経済的・精神的な糧を漸進的にゼロに近づけ、生の全域に及ぶ「兵糧攻め」を彼ら彼女らが組織的に行なっていたことは間違いないが、経済的・精神的に私が完全に孤立した状態に陥ることは絶対にないということである。
例えば中央大学の首謀者たちは、中央大学犯罪絶滅計画=元中央大学兼任講師絶滅計画という大悪事を完遂するための中心的な武器として、偽造録音媒体というあり得ないほど邪悪な代物を作成した。2012年4月11日に決行された1時間50分に及ぶ凄絶な暴力行使、私の絶滅の組織的な待望の端緒を開いた犯罪の一部始終は、首謀者たちが用意したICレコーダーに録音された。同年7月26日に「偽装解雇」されたあと、首謀者たちが文科省に送り込んだ暴力団まがいの男による提訴を断念させるための凄まじい強要も虚しく、私が申立てた労働審判、提起した民事訴訟第一審・第二審に、大学側はICレコーダーの録音内容全編に編集・改竄を徹底的に施した偽造CD-Rを、2012年4月11日当日に録音された内容のコピーと偽って「真正の」証拠として提出してきたのである。労働審判の裁判官を除き、中央大学犯罪絶滅計画の全面的な協力者である民事訴訟第一審の前半の裁判長裁判官・市村弘、後半の裁判長裁判官・太田武聖はともにいかなる事実確認もせず、鑑定申請も無条件に却下したうえで偽造CD-Rを「真正な」証拠と断定した。2013年1月30日から開始された民事訴訟第一審に4カ月ほど遅れて、私はその偽造CD-Rを主たる証拠として、東京地検立川支部に学生も含めた加害者たち5名を強要罪の被疑事実により刑事告訴した。2013年6月24日に告訴状が正式に受理されたので、2012年4月11日の犯罪のもう一人の実行犯である総合政策学部教授・永松京子も2013年10月6日に追加告訴した。ところが強要罪の「捜査」は不自然なほど延々と引き延ばされ、時効成立のほとんど直前である2015年1月30日付で、被疑者全員が「嫌疑不十分」により不起訴処分とされた。告訴状が受理されたということは、少なくとも2013年6月24日の段階では東京地検立川支部は、中央大学の犯罪隠蔽に関わる汚職とは無縁であったということである。当時の東京高検の次席検事は、のちに最高検幹部の一人となる中央大学法学部出身の検察官検事であった。2013年11月までの間に、おそらくこの検察官検事から中央大学の犯罪については一切捜査をしないようにという不正な指示が出た。それどころか、刑事捜査と民事訴訟を連動させて、民事訴訟で被告(=中央大学)を不正に勝訴させるため原告(=私)が偽造CD-Rを決して自費で鑑定に出さないように、偽造CD-Rは必ず鑑定に出すと告訴人(=私)を断続的に欺罔し続け、時効直前まで欺罔し続けて不起訴処分に強引に持ちこむという邪悪な計画が、おそらく密かに企てられた。東京高検の次席検事、前任の捜査担当検事である森川久範、後任の捜査担当検事である二瓶祐司、東京地裁立川支部の前半の裁判長裁判官である市村弘、後半の裁判長裁判官である太田武聖、中央大学の被疑者たち、中央大学の二人の代理人弁護士たち、少なくともこの者たちがその邪悪な謀議に同時的ではないとしても参加していたことは間違いないと思われる。「もう(鑑定の)見積もりも済んで決済も下りています」とまで伝えてきた森川久範は、それ以後の経緯を完全に曖昧にしたまま東京地検本庁に突然異動になった。収入の少ない非常勤講師には到底手が出る金額ではないという強い示唆をこめて、「(鑑定費用は)本当に高いですねえ」と私の代理人弁護士に語った。「処分決定は2015年1月末までに出します」と2014年12月中旬に私の代理人弁護士に伝えたとき、二瓶祐司は「鑑定はこれから出します」と至極理不尽なことを語った。録音媒体の科学的鑑定には最低でも三カ月半ほどは要するからだ。2015年1月27日に東京地検立川支部に私と代理人弁護士を呼び出して不起訴処分に決定した理由説明を行なったとき、「鑑定には出しませんでした」と二瓶祐司は白状し、「理由は自分の耳で聴いたけれどおかしなところはなかったからです」と子どもにも分かるような冗談を大真面目に口にした。民事訴訟は2014年7月22日の段階で控訴も棄却されて、全面敗訴がすでに確定していた。
民事法廷と、それと不正に連動させられた刑事捜査が、中央大学の犯罪完全隠滅の、したがって犯罪の被害者である元中央大学法学部兼任講師の間接的な殺害の舞台装置として、法的秩序を守ることがその職責である者たちによって使用されたという先例のない反国家的暴力事件である。民事と刑事という二つの法的救済の可能性を完全に消滅させたことで、中央大学犯罪絶滅計画としての元中央大学法学部兼任講師絶滅計画は、ひとまず成功したとあの者たちは思ったことだろう。しかし、どんなに絶滅を欲望されても、あの者たちの生の視界には決して入らない私の生の影の残余が、2015年4月の段階で彼ら彼女らの欲望を決定的に挫折させる方向に動いた。Mを始めとした当時の共闘仲間の三人が、偽造CD-Rを科学的鑑定に出すための高額の費用をどんな躊躇もなく四分の一ずつ負担してくれ、彼らの惜しみない経済的支援により人間世界からの私の絶滅の危機は、あの者たちの知が決して及ばない影の残余の領域で回避された。国家の法的秩序を守ることを職責とするあの者たちは、自分たち自身が法的秩序を破壊し、法治状態の外に自分自身を排除するという危険を冒してまで、中央大学全犯罪絶滅計画としての元中央大学法学部兼任講師絶滅計画を、前代未聞の極点までなぜ推し進めざるを得なくなったのか。もちろん、中央大学法学部の上層部の者たちが、中央大学が被告として提起された民事訴訟に露骨な偽造証拠を提出したことが、科学的鑑定結果によって完全に証明されてしまったからだ。しかしそれ以上に私と絶対に関係を持たず、彼ら彼女らの生の死角に取り憑いている「真実の私」という夥しい影の残余に対し、あまりにも無関心であり無知であり過ぎたからだ。中央大学全犯罪絶滅計画としての元中央大学法学部兼任講師絶滅計画を、あの者たちがそこまで推し進めざるを得なくなった前代未聞の極点とは何か。次章以降で詳細に展開するが、私とM を法的保護の外に、あらゆる法的救済が二度と訪れない絶対的無法地帯に、どんな根拠もなく追放し遺棄したということである。具体的には、捜査機関への犯罪の申告である告訴と告発をする権利を剥奪するという超法規的暴力を、どんな根拠もなく私とMに行使したということである。その超法規的暴力は、「生きるに値しない生」であることに無条件に同意せよ(=おまえたちのような寄生虫はさっさと死ね!)という絶滅収容所における絶対的命令、時間(=未来=潜在的なあらゆる可能性)の完全なる破壊を告げる沈黙の恫喝そのものであった。
あらためて問う。私の絶滅を待望するあの者たちの大組織犯罪は、私と絶対に関係を持たないという戦略をなぜ執拗に反復することになったのか。
簡単に言えば、中央大学犯罪露見可能性問題を元中央大学法学部兼任講師問題へと巧妙にすり替えて、中央大学の首謀者たちと国家の各公的機関に属する者たちを始めとした全共謀者たちの全組織的犯罪を、一人の元中央大学法学部兼任講師の「不祥事」によって完全隠蔽するためである。自分たちの全組織的犯罪の中心的被害者である元中央大学法学部兼任講師問題の「最終解決」を謀ることで、自分たち自身の全組織的犯罪露見可能性の完全消滅という「最終解決」を達成するためである。
2012年4月11日に実行された最初の犯罪に関する限り、私が「未知の他者」であるという事実、「真実の私」には夥しい影の残余が存在しているという事実を完全に忘却し、その事実に対して自分たちが積極的な無知と無関心を貫き通すことに、おそらく実行犯たちはどんな恐怖も抱かなかったと推察される。社会的なポジションによる価値の差別的序列化を盲目的に実体化しているこの者たちにとって、「最下位の」非常勤講師である私はどんな尊重や理解や関心の対象にもならない最下等動物であり、夥しい影の残余などその無価値な生には一切存在していないと最初から決めてかかっていたからである。大学組織に対してどれほど微々たる影響力も持たない、足で踏んづければ簡単に絶命するほど無力で限りなく弱い「寄生虫」なのだから、主権者たる自分たちの暴力行使の直ちに犠牲になって、汚辱に塗れた意味の衣装だけを身にまとって、大学から逃げるように自己追放するだろうと思い込んでいた。そうでないとすれば、最初の犯罪が失敗に終わることなどあり得ないという絶対的確信がなければ、「調調室」で退職強要が決行される前日の2012年4月10日に、当時の法学部長であった橋本基弘が私の全授業の閉講措置を執ることはできなかった。橋本基弘によって事前に強行された私の全授業の閉講措置は、翌日の「取調室」における「事実聴取」(と大学側は一連の法的手続きの過程で主張した)の中身が私を大学から確実に追放するための犯罪であったことの絶対的証拠である。
ところが一週間も経たないうちに、首謀者たちが単純な忘却と無関心のなかに埋葬したつもりになっていた「他者」としての私の未知性が、彼ら彼女らの視界には絶対に入らない私の生の夥しい影の残余が、幽霊のように突然回帰してくる。彼ら彼女らの犯罪の露見可能性の閾値をにわかに高める「真実の私」という恐ろしい幽霊の現前である。私の生の夥しい影の残余のなかには、たかが一非常勤講師に過ぎない最下等動物である私は学生たちの間で根強い人気があり、私の授業に期待を寄せる大勢の学生たちがつねに存在し、学生たちに対する私の影響力は非常に大きいものであるという事実が含まれていた。全授業の突然の閉講と私の消失の理由を「諸事情に因る」としか大学は説明せず、私の授業を受ける権利をいきなり奪われた学生たちの間で、あまりの理不尽さと不可解さをめぐって大騒ぎが引き起こされた。大学に強い抗議を表明し、学生たちの疑問にも答えるために、Mが原案を作成してくれた「公開質問状」をインターネットに実名で公開したのち、法学部事務室に赴いて私はそれを当時の事務長であった土方善明に直接手渡した。2012年4月11日の「事実聴取」がハラスメント防止啓発ガイドラインに悉く違反し、私をハラスメント冤罪に陥れることだけを目的とした極めて暴力的な違法行為、それ自体が過激なパワーハラスメントであるという断固たる抗議が「公開質問状」には記されていた。私を陥れた学生、及びその保護者と会って話がしたいので機会を作って欲しいと土方善明にメールで要求した。Mを筆頭に共闘仲間三人とともに法学部事務室に抗議に出かけ、不可解極まりない暴力行使に対する糾問を次々とぶつけた。しかし、法学部全体に法学部長が命令したとしか考えられない徹底した箝口令が敷かれ、いかなる方法による抗議表明に対しても一切相手にしない、すなわち「私と絶対に関係を持たない」という態度が貫徹された。
こうした大騒ぎや抗議活動は「真実の私」という危険な幽霊を加速的に再来させ、それとともに犯罪の露見可能性の閾値は高まる一方だったので、首謀者たちは自分たちが強制的に着せた「醜悪な加害者」という意味の衣装を、ますます暴力的かつ強迫的に私に縫い付けようと狂奔し始めた。「醜悪な加害者」という意味の衣装は、私が彼らにとって「未知の他者」である限りにおいて不可逆的に縫い付けることが可能になるものなので、「未知の他者」に絶えず取り憑いてくる「真実の私」という夥しい影の残余を抑圧し、あるいはそれらの切除手術をすることが、恐怖に駆られた首謀者たちの暴力行使の常套手段となった。最初の犯罪を実行したときには、そのこと自体に完全に無関心でいられた私が「未知の他者」であるという状態、すなわち「私と絶対に関係を持たない」という状態を、「真実の私」の幽霊に何度でも回帰してこられるようになった首謀者たちは、つねに意識的に、その都度狂気じみた暴力を発動させることで再創造しなくてはならなくなった。もちろん、私の唯一の意味を「醜悪な加害者」として限定し続けるため、そうすることによってしか可能にならない自分たちの犯罪の絶対的な隠蔽のためである。大学の内部においても外部に対しても、自分たちの犯罪を絶対的に隠蔽しておくため、すなわち私を「醜悪な加害者」としてのみその都度扱う必要があるため、私が「未知の他者」であることを忘却する強度、「私と絶対に関係を持たない」ことの強度が、首謀者たちの行使してくる暴力の質に異常なほど激しく内包されるようになった。彼らが実行した犯罪を大学の内外に対してだけでなく、彼ら自身に対してさえ完全隠蔽しておくため、まさにそのためだけに、私は彼らによってつねに「醜悪な加害者」としてのみ扱われ、私が「醜悪な加害者」としてしか現前できないように彼らはあらゆる文脈、あらゆる場面、あらゆる状況を暴力的に設定し、組織し、統御した。「醜悪な加害者」という意味の檻に私を閉じ込めておく限りにおいて、犯罪を実行したという事実を自分自身に対して隠蔽しておくことができたし、犯罪を実行したという記憶が自分の行為、態度、職能に与える有害性を暫定的に無化しておくことができた。それどころか、自分たちは犯罪など実行していないという偽記憶を自己防衛的に作り出し、その妄想の偽記憶を真実であると本気で信じ込んでいた可能性すらある。これは、中央大学の首謀者たちだけではなく、中央大学の諸犯罪を隠蔽するために次々と犯罪を実行し、空前絶後の規模の大組織犯罪という身体のそれぞれ一部を形成することになった全ての組織犯罪者たち――弁護士たち、裁判官たち、検察官検事たち、文科省の官僚たち――に、必然的に共通して現出した精神症状である。
強要された自主退職に絶対に同意せず、学生たちの熱心な要望に応えざるを得なくなって犯罪隠蔽だけを目的とした全授業の閉講措置の壁を突き破り、私は授業の実施に二度挑もうとした。法学部長は絶対に姿を現さず、職員たちに命令して一度目は教室のロックアウトという形で、二度目は大教室の電源遮断という形で「私と絶対に関係を持たない」こと、「醜悪な加害者」という意味の檻から絶対に私を解放しないことを極めて暴力的に実践した。意識の視界に絶対に入れないために強大な暴力を用いて彼らが絶えず撃退する「真実の私」という夥しい影の残余は、2012年7月上旬のこの頃、連続的に行使される凄まじい暴力からの救済を請願するため、Mと二人で文科省高等教育局私学部を訪問するという具体的な行動となった。最初は何も知らなかったので、当時の参事官付であった梅木慶治は中央大学に出現している不可解極まりない異常事態に驚愕し、連続的な暴力行使の犠牲になり続ける私の惨状に深い憂慮と理解を示した上で、中央大学に期限付きで回答を要求する文書を送付した。二度目に訪問したとき、梅木慶治の印象は微妙に変化していた。最初の訪問のとき、彼がごく自然に表明した衝撃と私に対する共感はすっかり消え失せていて、幾分冷たい距離を感じさせながら、「文科省にできることはないので、司法に頼っていただくしかないと思う」というようなことを、私たちから終始視線を逸らしつつ苦しそうに小声で言った。文科省から送付されてきた期限付きの回答要求の文書に眼を通したとき、中央大学の首謀者たちがどれほど恐怖で戦慄したかは想像に難くない。どれほど無茶苦茶な、狂気じみた暴力を行使してでも彼らが非存在の領域に隔離しておかなければならないものが、すなわち「真実の私」の幽霊が明確な輪郭をまとってそこから立ち現れてきたのだから。「真実の私」の幽霊を通して、彼らの犯罪の露見可能性がその閾値を最大限に高められた状態でそこから立ち現れてきたのだから。適正手続きなどに配慮している猶予はもう一刻もなかったと思われる。可能な限り早く、大学内部にもう二度と回帰してこられないように、「真実の私」の幽霊を非存在の領域に完全に封印してしまう必要に彼らは迫られた。だから、2012年7月25日に当時の理事長名義の「解雇予告通知」を彼らが速達で私の自宅にいきなり送り付けてきたのは、極めて当然の成り行きであったと言える。「解雇予告通知」という形態を取って彼らが本当に送り付けてきたのは、自分たちの犯罪の露見可能性を絶対的に排除するという邪悪な宣言であった。したがって、幼稚な文章で綴られていた幾つかの解雇理由は、私の他者性ないし未知性という残余の彼らによる全面的な剥奪、「醜悪な加害者」だけが私の意味の全てであるという彼らの決定を、無抵抗に受け入れるしかない状況で私に無理矢理受け入れさせるための絶対的な強要、もしくは強迫であった。2012年4月11日の退職強要が私を大学から、社会から、人間世界から追放するための、つまり自分たちの犯罪の露見可能性を絶滅させるための「最終解決」の第一段階であったとすれば、同年7月26日の「偽装解雇」はそれをさらに推し進めた第二段階であったと言える(そう、「解雇予告通知」は解雇日の前日に送り付けられてきた)。なぜ「偽装解雇」なのか。のちに民事訴訟に大学側が証拠として提出してきた稟議書には理事長の決済印だけがなく、私の解雇決定に関して当時の理事長は完全に蚊帳の外だったからである。中央大学の首謀者たちは、自分たちの犯罪を理事長に対しても絶対的に隠蔽しておく必要があった。したがって、理事長名義の「解雇予告通知」を勝手に作り、それを私の自宅に送り付けてくるという行為は、明らかに有印私文書偽造・同行使罪という刑法犯罪なのである。
「解雇予告通知」が送り付けられてきた直後、Mが文科省に電話をして梅木慶治にその事実を伝えると、彼は数秒間絶句したのち「中央大学から回答が届いています。明日、文科省においでください」と言った。この絶句が何を意味するのかは分からない。「偽装解雇」された当日、梅木慶治に呼び出されて文科省に足を運んだ私とMを待ち受けていた壮絶な受難は、中央大学の首謀者たちが梅木慶治、あるいはその上司に不正な働きかけをした結果であるとしか到底考えられない。密室に通された私たちは、梅木慶治と正体不明の男の二人と対面する形で着席した。男は中央大学からの回答を伝えると言い、耳を疑うような露骨な虚偽を平然と口にした。「2012年4月11日には何もなかった。ハラスメント防止啓発委員会など開かれなかった。4月下旬にハラスメントに関する調査が行われた。ハラスメント事案はもう停止している」。そして「お互いにとって不利益になるから、大学側は訴訟を起こさないことを望んでいる」と強い口調で言った。訴訟を絶対に提起しないように、この男は明らかに私に強要していると感じた。「最終解決」が進行していく過程で、私たちが直接出会った大学外の加害者のなかで、もっとも不快で暴力的な人物がこの男である。彼は、おそらく中央大学の首謀者たちが送り込んだ弁護士で、自分との関係から私たちを徹底的に排除すること、「私と絶対に関係を持たない」ことを恐るべき暴力によって反復した。この男が並べ立てた虚偽や理不尽な主張に対し、Mが少しでも反論したり異議を唱えたりしようとすると、ほとんど反射的に凄まじく暴力的な言説の礫を投げつけてきてMの言葉を封殺し、否定するためだけの粗悪な論理でMの論理的な思考の発生を次々と瞬間的に挫折させた。恐ろしい怒鳴り声、物凄い恫喝口調で私たちに沈黙を強要し続けたその男は、中央大学の首謀者たちの犯罪を隠蔽するため、「醜悪な加害者」という意味の檻からの出口は絶対にないことを私に思い知らせるため、その不正な使命を遂行するためだけに派遣されてきたのである。その男が自分の隣で私たちに情け容赦のない暴行を連続的に加え、人権蹂躙の限りを尽くしている間、密室の中で梅木慶治は制止に入るわけでもなく、最後まで俯いて一言も喋らなかった。「私と絶対に関係を持たない」ことを上司から厳命されていたのかもしれないが、梅木慶治もまた反復した。
中央大学犯罪露見可能性問題、すなわち元中央大学法学部兼任講師問題の「最終解決」は、こうして第三段階である不正な民事訴訟へと発展し、検察官検事たちと共謀した弁護士たち・裁判官たちによる中央大学の犯罪完全隠滅計画、元中央大学法学部兼任講師の絶滅計画が開始されるに至る。民事訴訟第一審、第二審を通して、中央大学の首謀者たちは誰一人として一度も法廷に姿を見せず、「私と絶対に関係を持たない」ことをその持続的な不在によって実践したが、彼らの欲望の代理人である二人の弁護士は私の顔を絶対に見ないこと、私の代理人弁護士とさえ(最低限の挨拶など)直接的な接触を一切持とうとしないことによって実践した。実際、法廷の外で関係することを露骨に拒絶された私の代理人弁護士は、「被告代理人は本当に感じが悪い」と傷ついた様子で訝しげに不満を口にした。自分たちの犯罪隠蔽のために無理矢理「偽装解雇」した私によって提訴されたのは学校法人中央大学であり、その機関名としての理事長であった以上、首謀者たちは理事長・理事会を始めとした自分たちの協力者以外の大学内部の者たちに絶対に知られないように、無法地帯で進行する民事訴訟の存在を徹底的に秘匿しておく必要があった。「真実の私」によって提起された民事訴訟は、首謀者たちによってその「真実の私」という夥しい影の残余を悉く削ぎ落して、非存在の領域に今度こそ完全埋葬するための最大の好機として利用されることになったのだから。「醜悪な加害者」という強要された私の意味の完全確定、すなわち自分たちの犯罪の完全隠蔽を、司法という国家の公的機関を隠れ蓑にすることで今度こそ最終的に成し遂げられる、最高の完全犯罪の舞台として使用されることになったのだから。したがって、完全犯罪の協力者たちである弁護士たち、裁判官たちは、「私と絶対に関係を持たない」という戦略を民事裁判の最初から最後まで貫き通した。「醜悪な加害者」という意味の檻に私を最初に封じ込めたのは問題の学生の陳述書であり、捏造された虚偽だらけの物語がそれだけを私の唯一の「歴史」にしたいという過激な欲望に駆動されるあまり、恐ろしい剣幕でどうにも動かしようのないほど断定的に書かれていたため、「真実の私」と関係を持ったら最後、他の可能性の幽霊が始末に負えないほど湧出してきて「醜悪な加害者」という意味に致命的な破綻が生じる危険性があった。その危険性を回避するために、弁護士たち、裁判官たちは、「私と絶対に関係を持たない」という戦略を恐ろしいほど徹底させ、その説明不可能なあまりにも異様な展開に不安と動揺を絶えず掻き立てられた私の代理人弁護士は、「こんな変なことばかりが起こる裁判は初めてだ」と嘆息した。
狭い部屋で裁判長裁判官が原告と直接対面して協議しなくてはならない弁論準備手続は信じがたいことに一度も行なわれず、公開裁判の閉廷後に市村弘は代理人弁護士だけを密室に呼び出して極めて老獪な言葉で彼を説得し、裁判長裁判官の言葉を伝達する彼を通して「訴訟を取り下げるように」私に隠密に強要した。太田武聖も同様であるが、閉廷後に密室に呼び出すのはつねに代理人弁護士だけで、二人とも私と直接対面して言葉を交わす機会を絶対に作ろうとはしなかった。偽造録音媒体に関しては、どんな事実確認も行なわない状態で「出されたものは出されたものとして扱う」と市村弘は断言し、太田武聖に至ってはどんな根拠も示さずに鑑定に出す必要性を無条件に否定した。証人尋問のみならず本人尋問の必要性も、太田武聖はどんな根拠も示さずに無条件に否定した。原告全面敗訴によって民事訴訟第一審が終結した2014年2月26日、東京地裁立川支部で受け取った冗長を極める第一審判決を分析すれば、原告側から提出されたほとんど全ての証拠資料が証拠採用されず、つまり裁判官たちによって全く読まれず、原告側の主張との関係を裁判官たちが一切持たなかったことの痕跡が全編にわたって析出される。私やMの陳述書はもちろん、私が作成した「精査された反訳書」(――大学側が提出してきた偽造録音媒体をMとともに17時間あまりを要して反復聴取し、その録音内容を忠実に「反訳」したものと称して大学側が別に提出してきた「反訳書」なる文書に、2012年4月11日の「取調室」における私の経験の記憶と明らかに異なる箇所を徹底的に書き込んでいくことによって作成した文書――)も、学生たちと卒業生たちが作成してくれたもっとも証拠価値が高いはずの第三者証言としての陳述書も、作為的な(=悪意ある)無視と無関心によって「判断材料」から徹底的に排除されていることが分かる。当然のことだ。これは裁判などではなく、裁判が行われる公的な場所=法廷を舞台として実行されたからこそ可能になった完全犯罪、原告である私の意味を「醜悪な加害者」として完全確定し、そうすることで中央大学の首謀者たちの犯罪の完全隠蔽を実現させる完全犯罪として初めから仕組まれていたのだから。そのことを何よりも雄弁に物語っているのが当の第一審判決である。原案の作成者である判事補の須藤隆太の隠蔽への努力を裏切って、隠蔽への努力そのものとして、この裁判が中央大学の首謀者たちの諸犯罪の完全隠蔽を目的とした完全犯罪の舞台であったことを、第一審判決は赤裸々に自白している。第一審判決全編は、「真実の私」という夥しい影の残余(=問題の学生が捏造した虚偽だらけの物語を逸脱する一切の可能性)を物凄い悪意と憎悪と侮蔑、そして何よりも殺意の刃物で徹底的に切除するということだけに焦点を絞って書かれている。逆に言えば、それを読んだら精神的虐待と強烈な凌辱の暴力に打ちのめされて二度と立ち直れない衝撃を受け、私が私自身を殺すしかなくなるような世にも「醜悪な加害者」としてのみ私が存在していること、世にも「醜悪な加害者」だけが私の唯一の意味であり、唯一の真実であり、唯一の無価値という価値であることを私にこれでもかと突き付けるための、殺人判決書として書かれている。もちろん、法律への参照や判例の引用など、この殺人判決書には全く不必要なので一切存在していない。しかし、この第一審判決が、中央大学の首謀者たちの欲望の忠実な代理人である弁護士の渋村晴子が私の人格と尊厳の全的否定の猛々しい表明として、毎回物凄い悪意と憎悪と侮蔑を注ぎ込んで書いてくる準備書面を概ね下敷きとして書かれていることは、強調しておく必要がある。裁判官たちが中央大学の首謀者たちの犯罪の完全隠蔽を実現させるための完全犯罪の舞台として、国家機関である民事法廷を彼らとともに私物化し、利用し、それを思い切り汚したという事実の証拠として。
こうして民事訴訟第一審中央大学の首謀者たちの犯罪の完全隠蔽という完全犯罪に弁護士たち、裁判官たちも全面的に協力することにより、中央大学の犯罪が空前絶後の規模の大組織犯罪に不可逆的に膨張していくことを決定づける最初の舞台となった。「私と絶対に関係を持たない」、あるいは「未知の他者」としての私を絶滅させるという完全犯罪の実現にとって不可欠の暴力が、中央大学の首謀者たち、弁護士たち、裁判官たちによって徹底的に実践された排除と否定の暴力が、それを極限値にまで高めた殺人判決書によってもっとも邪悪な読書効果を内在させる形で最終的に反復されたのである。ところが、「真実の私」という夥しい影の残余のなかには、13歳からニーチェの愛読者であり、のちにニーチェが自分の唯一の先達であると述べるスピノザの思想にも習熟することになった私が存在していた。もっとも単純化して言えば、現実の他者たちによって汚辱に塗れた者として自分の意味をどれほど残酷に決定され、それを受け入れるようにどんなに強要されても、他者たちが決定した意味には絶対に汚染されない「残余」が、あらゆる比較を絶する比類ない存在という自分の唯一=特異な意味が私のなかに、私自身として残り続けるということである。私の存在全体に致命的な影響を及ぼすことを目指し、生の存続に繋がるどんな行為への意志も根絶させようと殺意の刃物を限界まで研ぎ澄まして書かれた殺人判決書は、したがって私自身として残り続ける私の「残余」にまで届かなかった。それどころか、速やかに控訴され、中央大学の首謀者たちは、第二審においても完全犯罪を反復しなくてはならない苦境に立たされた。中央大学犯罪露見可能性問題を元中央大学法学部兼任講師問題へと巧妙にすり替え、すでに第一審の裁判官たちと複数名の検察官検事たちもその共謀者に含まれている組織的犯罪を、一人の元中央大学法学部兼任講師の「言語道断の悪事」によって完全隠蔽するという第一審では成功した完全犯罪が、第二審では成功しないかもしれないという苦境に彼らは直面させられた。なぜなら、最初に問題の学生によって捏造された「醜悪な加害者」という第一審判決によって完全確定された私の意味の衣装に、諸々の破綻や亀裂を生じさせる可能性が2011年の過去から、当の学生が私に宛てて書いたメールのなかから、第二審における完全犯罪の失敗の不吉な予兆のように彼らに向けて不意に押し寄せてきたからである。「ストーカー加害」、「ハラスメント加害」の捏造された被疑事実によりハラスメント防止啓発委員会に申立てをしたとき、自分が捏造した虚偽だらけの物語と露骨に抵触するこれらのメールを、問題の学生は提出しなかった。2012年の冒頭に私のパソコンが壊れ、新品を購入したことを知っていたこの学生は、醜悪な冤罪に私を陥れて大学から追放するという自分の計画にとって甚だしく不都合であり、その邪悪な計画の断念さえ強要してくるこれらの危険な証拠を、私の壊れたパソコンが都合よく隠蔽してくれたと信じ込んだ。パソコンが壊れる直前に、メールも含めた全データのバックアップを私が取っていたとは、この学生は夢にも思わなかった。第二審に向けた準備を進める過程で、Mが驚異的な忍耐強さを発揮して、バックアップを取ったDVDのなかから学生の全メールを復元してくれた。自分を見て欲しい、自分を知って欲しい、自分だけに関心を向けて欲しい、私に承認されたいという願望あるいは求愛の含蓄が、学生が「自分のほうから」送信してきた全メールを貫通して、それら全体から否定しようもなく立ち上っている。私を食事に誘う直接的な文言もあったし、私と出会えたことの喜びを、私を「メシア」に喩えることで表現している文言さえ見られた。「小学生の頃から抱いていた法律家になりたいという夢」を私とMに妨害されたと陳述書の中では主張していたが、学生が「自分のほうから」送信してきたメールには、「自分は、本当は法律家にはなりたくない」という強い意味作用しか読み手に与えない表現が随所に見られた。実際、「法律家になりたいという夢」をそんなに実現させたければ、彼は現代思想のゼミなどではなく、法律関係のゼミに入ればよかった。だから、「自分のゼミに入るように井上先生に強要された」という露骨な虚偽を陳述書の中では書かざるを得なくなった。彼が捏造した虚偽だらけの物語全体に一貫した信憑性を保証する、それこそが大前提であり、基盤であり、土台であった。もちろん、事実はそれとは全く異なる。現代演劇やコンテンポラリーダンスを、現代思想を通して考察する私の講義科目を1年生の秋学期に受講した彼は、授業が開始される直前に大勢の学生を掻き分けて私に急接近し、「来年、先生のゼミに入ることを希望しています」とわざわざ伝えにきたのである。大変な苦労をしてMが復元したこの学生自身のメールの言葉が、のちに大学から追放するために彼が私を封じ込めた「醜悪な加害者」という第一審で完全確定された意味の檻を、突如として決壊ないし消滅させるような破壊力を持った濁流として過去から押し寄せてきたことは言うまでもない。
控訴理由書(私の代理人弁護士が作成した渾身の力作)、第一審判決、「精査された反訳書」、新証拠として提出された学生のメール、そしてもう一点新たな資料として提出された偽造録音媒体についての「報告書」(――Mがフリーソフトを用いて素人にできる限界までCD-Rを鑑定し、今度こそ鑑定申請が通るようにその録音空間に顕著に現出している幾つもの不自然な現象を明晰かつ簡潔にまとめ上げたもの――)を読み終えた段階で、第二審の裁判長裁判官である田村幸一は、第一審の民事法廷が完全犯罪の舞台として使われたことをおそらく看破した。弁護士たち、裁判官たち、検察官検事たちが中央大学の首謀者たちと共謀して、民事法廷を犯罪現場として使用することで、中央大学の首謀者たちの諸犯罪の完全隠蔽を謀るという完全犯罪を実行したことを。審理不尽を理由として控訴した私の代理人弁護士は、「逆転勝訴する可能性は3割か4割くらいある」と予想していた。第1回口頭弁論期日である2014年6月5日、法壇に姿を現した田村幸一は、証人尋問の必要性はないとだけ言って、録音媒体については鑑定に出すとも出さないとも言わず、何一つ言及しないまま、次回7月22日が判決期日であると述べると早々に法壇から立ち去った。この時点では、中央大学の首謀者たち、彼らの諸犯罪を完全隠蔽するという完全犯罪に様々な位置から様々な方法で協力した共謀者たち、すなわち組織犯罪者たちによる田村幸一への協力要請ないし働きかけは、まだ行われていなかったと確信する。なぜなら、第一審では口頭弁論が終わると例外なく早々に立ち去った二人の弁護士が、私がその顔をよく知っている岩見という中央大学法学部の事務職員と三人で、法廷に隣接する待合室でいかにも不安そうな顔を浮かべ、何やらひそひそと相談し合っていたからだ。田村幸一の極めて短い言説のなかに、控訴人による録音媒体の鑑定申請についての判断が露骨すぎるほど不在であったこと。これが、被控訴人側の弁護士たちの顔をあれほど不安そうにした理由である。録音媒体を鑑定に出すか出さないかについて、あえて一切言及しないことによって、田村幸一はおそらく次のことをメタメッセージとして被控訴人側の弁護士たちに伝えたのである。鑑定に出すまでもなく録音媒体は偽造証拠であること、学生が私を陥れたこと、学生からの不正な働きかけに乗って中央大学の首謀者たちが実際に退職強要を行なったこと、適正手続きを一切踏まない解雇は無効であること、したがって控訴人を逆転勝訴させる可能性が濃厚であること。そればかりではない。控訴人側から新証拠として学生のメールが提出されてきたとき、中央大学の首謀者たちも弁護士たちも、自分たち自身が学生に根本的に騙されていたことを初めて知ったのである。真の「醜悪な加害者」は学生であること、真のストーカーは学生であることを初めて知ったのである。あるいは、どんな手段を使ってでも私を大学から追放して欲しいと自分たちに依頼した学生の内部の真の理由、すでに詳細に述べた彼の欲望の正体に、このとき初めて目が開かれたのである。この学生が私に心酔し、激しい愛着を抱いていることはもちろん最初から知っていた。一人っ子である彼が弁護士になることだけを生き甲斐としている親族から、法律の勉強の妨げになるので私を大学から追放して欲しいという要請を受け、おそらく不正な報酬と引き換えにストーカー冤罪、ハラスメント冤罪を私に暴力的に着せることで退職強要という犯罪を実行した。しかしそれは、どんな手段を使ってでも彼を法律家にしたいという親族の欲望、そしておそらくは自分たち自身の欲望を実現するためであって、彼が両親にさえ秘匿しているストーカーの欲望を実現してやるためではなかった。ストーカーの欲望を実現してやるために退職強要という犯罪を実行し、理事長に隠れて「偽装解雇」を強行し、これらの諸犯罪を隠蔽するために偽造録音媒体と偽造反訳書まで作らざるを得なくなり、これらの複数犯罪の完全隠蔽を謀るために民事法廷を利用した完全犯罪まで実行することを余儀なくされた。全て、ストーカーの欲望を彼に代わって実現してやるため、それどころかストーカーを全力で、命懸けで守ってやるため。
田村幸一のメタメッセージを受け取った直後、弁護士たちが浮かべていた不安そうな顔つきは、「醜悪な加害者」という意味の檻の中にはいない私、夥しい影の残余である「真実の私」、すなわち「未知の他者」である私が初めて可視化されそうになった衝撃、あるいは恐怖に由来するものだ。しかし、彼らにどうすることができたというのだろう。裁判官たち、検察官検事たちもそのなかに含まれている組織的犯罪者集団として、民事法廷を舞台とした反国家的完全犯罪をすでに実行してしまっているのだから。退路はもう完全に断たれているのだから。彼らに残された方法は、もちろん一つしかなかった。ほんの一時、それに対して目が開かれそうになった「真実の私」という夥しい影の残余をどんな躊躇もなく削ぎ落し続けること、言い換えれば彼らの複数犯罪の露見可能性問題を元中央大学法学部兼任講師問題へと絶対的にすり替え続けること、そうすることで彼らの反国家的全組織的犯罪を一人の元中央大学法学部兼任講師の「不祥事」によって完全隠蔽するという「最終解決」を成し遂げること。どれほど滅茶苦茶な、常軌を逸した手段に訴えてでも、「醜悪な加害者」という意味の檻からの出口はない、救済へと通じる出口はどこにもないという事実だけが絶対不変の現実であることを骨の髄まで私に思い知らせ続け、人間世界からの私の絶滅という彼らが待望する「最終解決」を達成すること。2014年7月22日、彼らの願望どおりに控訴は棄却され、第一審で完全確定された「醜悪な加害者」という私の意味はついに最終的に完全確定されるに至った。しかし、控訴の棄却を告げるために裁判長裁判官が法壇に現れた刹那、控訴人側の誰もがぎょっとした。裁判長裁判官が別の人物に交代したのかと思わず確信しそうになった。まるで暗黒舞踏の舞踏家を想起させるように、同年6月5日の第1回口頭弁論期日には当たり前のようにあった頭部半分の毛髪が忽然と消失し(ているように見え)、もう半分の毛髪が随分と長くなり、顔に影を作るようにひどく無造作に前方に垂れ下がっていた。幽霊のような風貌のその人物が、田村幸一と同一人物であるとは到底思えなかった。右陪席の裁判官である浦野真美子の毛髪も、田村幸一ほどではないにせよ、第1回口頭弁論期日の落ち着いた風貌の彼女と較べると相当に乱れていて、その表情もどこか苦痛に歪んでいるように見えた。田村幸一も浦野真美子も、まるで法壇に登場する直前に激しい物理的暴力を加えられたかのようにしか見えなかった。第二審の民事法廷も完全犯罪の舞台として利用することを至上命題とする者たちは、協力を要請するため、その心証を無理矢理捻じ曲げさせるため、より正確に言えば反国家的組織犯罪者集団のなかに引き入れるため、田村幸一に一体何をしたのか。何をしたのかは具体的には分からない。しかし、心証を無理矢理捻じ曲げさせられ、判決を書き換えることに強制的に同意させられるような「途方もない何か」をされたことを、田村幸一はその「異形」をあえて私たちの目に曝すことで、無言のうちに伝えようとしたのだと思う。そして、「私と絶対に関係を持たない」ことを形式的には反復することを余儀なくされたとしても、田村幸一が自らの心証を裏切って書いた第二審判決には、殺人判決書である第一審判決のように私を「醜悪な加害者」の意味の檻に徹底的に閉じ込めることへの違和と不同意が、まるで私だけに判読できる隠語のように一貫して書き込まれている。凶悪な殺意で全編が貫かれている第一審判決とはあまりにも対照的に、信じがたいほど弱々しく力のない、申し訳なさそうな文体で書かれた第二審判決は、「真実の私」という夥しい影の残余に対して自らを開いている。「真実の私」という夥しい影の残余を決して排除できないこと、「醜悪な加害者」という意味の檻に私を最終的に閉じ込めるよう自分が「途方もない何か」をされたことを、かくも申し訳なさそうな弱々しい文体で書くことを通じて、田村幸一は私に伝えようとしたのだと思う。
「最終解決」を達成するに当たって、組織犯罪者集団のなかに田村幸一を無理矢理引き入れるため、あの者たちが具体的に一体何をしたのかは分からない。しかし、2014年6月5日の第1回口頭弁論期日から同年7月22日の判決期日に至るまでのおよそひと月半の間に、時期的に明らかに不自然であると思われる出来事が二つ起こった。一つ目は、強要罪の前任の捜査担当検事である東京地検立川支部の森川久範が、中央大学の被疑者たちがCD-Rのオリジナル音源であるICレコーダーと、被疑者たち全員の陳述書を自分のところに提出してきたという情報を、私の代理人弁護士を通じてわざわざこの時期に伝えてきたということである。2013年11月下旬に、私に電話をかけてきた森川久範は、CD-Rの原本であるICレコーダーを提出してくれるように中央大学に依頼したところ、何の抵抗もなく提出してくれることになったと話していた。代理人弁護士から森川久範が伝えてきた情報を聞かされたとき、依頼されてから半年以上も経過した頃に、あの者たちがICレコーダーを漸く提出してきたという事実にまず驚愕した。そして、Mとともに17時間を費やしてCD-Rを反復聴取した拷問のような経験は、それが完全なる偽造物であることを圧倒的な説得力で私に教えてくれていたので、強要罪の直接証拠となるオリジナル音源のICレコーダーをあの者たちが提出してくるなどということは絶対にあり得ないと確信した(次章以降で詳述するが、科捜研出身の鑑定人に科学的鑑定を依頼した結果、このCD-Rは紛れもない偽造物であることが完全に証明された)。したがって、民事法廷を犯罪現場として使用することで初めて可能になった第一審における完全犯罪のすでに協力者であった森川久範が、このとき知らせてきた情報は明らかに全て虚偽である。控訴人による鑑定申請の判断結果について田村幸一が一切言及しなかったことでにわかに不安に駆られた中央大学の首謀者たちとその代理人弁護士たちが、CD-Rは「真正の」コピーであるという虚偽を私に強引に飲み込ませるために、そして田村幸一にはその虚偽を真実であると密かに伝えてそう思い込ませるために(したがって、鑑定に出すまでもなくCD-Rは「真正の」コピーであると思い込ませるために)、オリジナル音源のICレコーダーを自分たちが提出してきたという虚偽情報を森川久範に伝えさせたのである。被疑者全員が陳述書を提出してきたという虚偽は、第二審の民事法廷を完全犯罪の舞台として利用できる条件(=「醜悪な加害者」だけが私の唯一の意味であるという第一審で完全確定された条件)そのものを台無しにしてしまう学生のメールの劇薬級の毒素を、いわば中和するためである。被疑者の一人である学生が提出してきた陳述書には、例えば「あれらのメールも、単位を取得する必要から、井上先生のご機嫌を取るために仕方なく書いたのです」といったような、彼の最初の陳述書の内容と明らかに整合することが書かれてあったのだという不都合な想像に、私や田村幸一を誘導するためである。さらに、学生と他の被疑者たちとの間にはどんな不和も軋轢も分裂も生じてはいないという外観を、私や田村幸一に強く印象づけるためである。
もう一つ起こった不自然なこととは、2014年6月20日に大学側が、学校法人中央大学の理事長が交代したことを知らせる上申書を裁判所に提出してきたということである。「履歴全部証明」なる書面がその中に含まれていたのであるが、それによると、新理事長に就任したのは元最高裁判事であることが判明した。しかし、元最高裁判事であるこの人物が新理事長に就任したのは同年5月26日であったにも拘らず、第二審における代理人として自分たちと委任契約を結んだとされる理事長が誰であるかを、6月5日の第1回口頭弁論の段階では、弁護士たちは控訴人側にも裁判所にも明示せず、いわば曖昧に隠した状態で第二審を開始させたのである。この時期には、元最高裁判事である人物がすでに新理事長に就任していたにも拘らず、第二審の第1回口頭弁論期日までに学校法人中央大学の理事長がこの新理事長に交代したことをなぜ明示しておかなかったのか。あるいは、なぜ明示しておくことができなかったのか。すでに述べたように、中央大学の首謀者たちは当時の理事長の名義を冒用して2012年7月の「偽装解雇」を強行したため、学校法人中央大学が、すなわちその機関名としての理事長が提訴されているにも拘らず、理事長と大学内部に発覚しないように、徹底的に秘密裏に民事裁判を進めていかざるを得なくなった。さらに言えば、偽造録音媒体や偽造反訳書の作成と裁判所への提出という違法行為を、潜在的には理事長に全て帰責しながら民事裁判を進めていかざるを得なくなった。したがって、労働審判、民事訴訟第一審、第二審を通じて理事長が二度交代したのであるが、自分たちが提訴されているという事実自体を知らないこれらの理事長たちは、当然のことながら誰一人として訴訟行為を行なう授権を二人の弁護士たちに与えていない。これは、刑事よりもさらに困難であると言われる民事の再審請求が無条件に通る絶対事由であるが、通ること自体が稀である民事の再審請求について豊かな経験知を持った弁護士はおそらくあまり存在せず、だからこの二人の弁護士も訴訟行為を行なう授権に関して私たちは全く無知であり、中央大学の機関名がどの理事長であろうと関心など示さないと高を括っていたように思う。次章以降で詳述する機会があると思うが、私が「偽装解雇」されたときの理事長は、書面上は学校法人中央大学の機関名にされていたにも拘らず、学校法人中央大学が申立てられた2012年11月20日の労働審判第1回期日の時点では、同年10月29日に解任されてすでに理事長ではなくなっていた。同様に第二審が開始された時期に書面上は学校法人中央大学の理事長にされていたにも拘らず、その名義の人物は元最高裁判事の新理事長と交代して、すでに学校法人中央大学の理事長ではなくなっていた。おそらく、第二審の第1回口頭弁論期日に田村幸一が「鑑定に出す必要はない」と明言していたら、中央大学の首謀者たちも弁護士たちも、学校法人中央大学の理事長が誰であるかを曖昧に隠したままにしておいたのではないかと思う。第二審が開始される以前からすでに新理事長に就任していた元最高裁判事である人物に理事長が交代したという事実を知らせる上申書を、第1回口頭弁論期日から半月ほど経過した時期になって、なぜわざわざ裁判所に提出してくる必要があったのか。田村幸一に圧力をかけるためであったとしか考えられない。
第二審で「醜悪な加害者」が私の唯一の意味であると最終的に完全確定されてしまったとしても、第二審判決が「真実の私」という夥しい影の残余に自らを開いていること、永遠の批判に曝され続ける余白(=自分の判断が誤っているという可能性)を確実に残していることから、第二審判決を「最終解決」の第四段階に数えようとは思わない。「最終解決」の第四段階中央大学の首謀者たち、弁護士たち、裁判官たちと共謀して民事法廷を完全犯罪の舞台として利用し、中央大学の諸犯罪の完全隠蔽を謀るために「醜悪な加害者」という絶滅収容所に私を最終的に強制収容したのち、そこからの解放はないという未来の切断の宣言として2015年1月30日、森川久範・二瓶祐司が強要罪の被疑者全員を不起訴処分にしたことである。同年2月に入り、私は威力業務妨害その他多数の被疑事実により、中央大学の首謀者たちを始めとした複数名の加害者たちを告訴する長文の告訴状を作成し、膨大な証拠資料とともにそれを東京地検特捜部と警視庁に送付したが、いずれからも返戻されてきた。同年2月下旬に、裁判官たち、検察官検事たちと共謀し、自分たちの諸犯罪の完全隠蔽を目論む中央大学の首謀者たちが、常軌を逸した殺人的暴力の連続的行使により私をそこに遺棄することを絶対に停止しない無法治状態からの救済を求めて、Mは当時の東京高検検事長であった渡辺恵一氏に宛てて苦悩の絶頂で痛切極まりない請願書を作成し、送付した。その規模と悪質さにおいて空前絶後である反国家的大組織犯罪の犯罪身体の解剖を続けていく上で、Mが渡辺恵一氏に宛ててこの請願書を送付したという事実は大変重要であり、次章以降で再度言及する。
民事訴訟第一審判決、第二審判決、そして時効成立直前の不起訴処分という相互に複雑に連関し合った自分たちの完全犯罪を文字通り完全にする、つまり「何も起こらなかったこと」と完全に一致させるためには、完全犯罪からそれが実在した/実在し続けていることの生き証人である被害者を何としてでも差し引き、「生きるに値しない生」としてその生を自ら絶滅させるよう仕向けなければならない。そのために、あの者たちは私を「醜悪な加害者」という唯一の意味の絶滅収容所に強制収容し、私がそこから絶対に出られないように絶滅収容所に鍵をかけた。偽造録音媒体という鍵。「法的手続き」を偽装した上記三つの完全犯罪の舞台を貫通し、それらの複雑な相互連関の核心に位置する偽造録音媒体という鍵。しかし、それは意外に脆弱な鍵で、科学的鑑定に出されない限りにおいて鍵として機能する鍵だ。自分たちの諸犯罪の完全隠蔽のために「法的手続き」を偽装して実行されたあの者たちの三つの完全犯罪のおかげで、私はすでに測り知れない経済的損失を蒙っていた。それでも、強制的に幽閉された「醜悪な加害者」という唯一の意味の絶滅収容所からの解放の契機を掴むためには、もはや偽造録音媒体を自費で鑑定に出すという選択肢しかなかった。Mを始めとした当時の三人の共闘仲間が、どんな躊躇もなく鑑定に出すための経済的支援をしてくれた。2015年4月中旬に、私たちは都内にある某法科学研究所に赴いて科学的鑑定の依頼をした。鑑定にはやはり三カ月半ほどを要し、漸く鑑定結果が出たのは同年7月下旬であった。科学的鑑定結果によれば、CD-Rは紛れもない偽造証拠であり、そのことをもっとも顕著に裏付けている偽造の痕跡は次の二点であることが判明した。CD-Rの最終録音日は2012年4月11日ではなく、同年10月15日。CD-Rのオリジナル音源はICレコーダーではなく、おそらくウィンドウズのパソコン。第一審、第二審に提出された証拠説明書には、CD-Rの録音日は2012年4月11日とあり、それは同日にICレコーダーに録音された「事実聴取」の音声記録の「原本」であると記載されていた。したがって、偽造証拠は録音媒体だけではなく、その音声記録を反訳したものと同じく証拠説明書に記載されている「反訳書」も、必然的に偽造反訳書でしかあり得ないことが科学的に証明された。
こうして私たちは、絶滅収容所の鍵を破壊する最終兵器として、科学的鑑定結果が詳細に記された鑑定書数冊を漸く手に入れた。ところが、その最終兵器で脆弱な鍵が破壊されるという解放の契機は訪れなかった。それどころか、偽造録音媒体であった絶滅収容所の鍵は、その鍵を核心的な媒介にすることで三つの完全犯罪の実現を可能にした一つの組織的犯罪の隠蔽という鍵、その度合いが加速的に激化していく隠蔽の連鎖という鍵に今度は変貌を遂げてしまったのである。鑑定書などなくても、汚職が開始される以前の東京地検立川支部はCD-Rだけで強要罪の告訴状を受理したというのに、鑑定書を直接証拠として告訴状と告発状の提出を何度試みてみても、どこの捜査機関からも悉く暴力的に突き返された。鑑定に出す前までは、「私と絶対に関係を持たない」ための偽装された「法的手続き」の舞台が曲がりなりにも設定されていたのに対し、科学的鑑定結果が出てからというもの、「私と絶対に関係を持たない」ことそのものが異常なまでの過激さで反復されるようになった。「醜悪な加害者」という唯一の意味の絶滅収容所に私を監禁しておくことが、彼ら彼女らの反国家的組織的犯罪を歴史から完全隠滅するための至上命題であるにも拘らず、鑑定書の存在とは、その至上命題を完全に空洞化してしまう「真実の私」という夥しい影の残余の撃退不可能性そのものの現前であったからだ。2015年9月9日には東京地検特捜部に告訴状と告発状を提出したが、およそ三週間後に返戻されてきた。同日には、犯人隠避罪・証拠隠滅罪で森川久範と二瓶祐司を告訴する告訴状、及び鑑定書を同封した請願書を当時の検事総長であった大野恒太郎氏に宛てて提出していたが、特捜部から告訴状が返戻されてきたということは何の効果もなかったということ、大野恒太郎氏によって(隠蔽の意思表示として)無視黙殺されたということ以外の何ものでもないと解釈することを余儀なくされた。2015年11月中旬過ぎから同年12月下旬にかけて、当時の東京地検立川支部の受理担当検事であった鈴木久美子から、告訴状と告発状の取り下げの強要を実に巧妙かつ執拗に反復され、とりわけ無印私文書偽造・同行使罪で中央大学の首謀者たち・共謀者たちを告発したMは、鈴木久美子から何度もかかってきた電話でのやり取りのなかで、「私はもう自殺するしかありません」とついに口にするしかない精神的・身体的な極限値にまで追い詰められた。2016年3月18日には、限界まで彫琢が加えられた告訴状と告発状をついに最高検に提出したが、最高検はそれらを特捜部に回送し、回送されてからたった一日で(ということは告発状と告発状、及び鑑定書を始めとした膨大な証拠資料には一切目を通さずに)特捜部はそれらを極めて暴力的な仕方で返戻してきた。
そしてこの時点で、私は2016年4月1日に、Mは同年4月14日に、「最終解決」のついに第五段階を経験することを絶対的に強要されるに至る。捜査機関に犯罪申告をする国民の当然の権利としての告訴権・告発権を、どんな根拠もなく最終的に剥奪されるに至った。法治状態の外観によって巧妙に隠蔽された無法治状態、法律の適用範囲外という絶滅収容所のなかに、そこからの解放を約束する鍵が今度こそどこにも存在しない(絶対的内在の世界という)牢獄に、ついに私とMは絶滅するのを待望されるだけの囚人として強制収容されたのである。
鑑定書という最終兵器によって絶滅収容所の鍵を破壊し、その外に漸く出ることができると思って出てみたら、そこもまた絶滅収容所の中だった。捜査機関という法的秩序の内部に遍在する法的秩序の外部、その捜査機関によって法的秩序が守られているという信仰が遍在する法的秩序の外部、法的秩序の内部と外部が信じがたい一致を遂げている剥き出しの世界という絶滅収容所の中だった。
したがって、私が主たる被害者とされたその空前絶後の大組織犯罪を「最終解決個人版」と名づける。
2022年8月25日に実名表記に変更