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最終解決個人版・未遂の記 ――絶滅を待望された被害者の証言 第二章 滅罪的暴力の誤使用、あるいは「原罪」の集団的摘出(実名表記)

最終解決個人版・未遂の記

 ――絶滅を待望された被害者の証言

【献辞】

本書を以下の方たちに捧げる。

法によって、社会によって救済されなかった全ての犯罪被害者たち、犠牲者たちに。

法によって、社会によって救済されないまま捨て置かれ続ける全ての犯罪被害者たち、犠牲者たちに。

                            ――井上莉絵瑠

第二章 滅罪的暴力の誤使用、あるいは「原罪」の集団的摘出

それは、彼らが自分たちを超人と見なし、ユダヤ人たちを劣位の‐人間として扱ったからであり、この二つの側において、ナチ党員たちは人間の限界を超え得ると信じたから、彼らが人間性=人類に対してあれらの償い得ぬ罪を犯したから、つまりは、法律上の翻訳と人間の権利に従うなら、すなわちここでのわれわれの問題の地平である人権に従うなら、時効にかかり得ぬ罪の数々を犯したからである。

(ジャック・デリダ『赦しについて――赦し得ぬものと時効にかかり得ぬもの』、邦訳73頁)

 こうして私とMは、どこにも「外」が存在しない絶滅収容所という剥き出しの世界に最終的に強制収容された。「外」とは法的保護、法的救済を求められる可能性の本来的には無尽蔵であるはずの貯蔵庫であり、生存可能性の模索がそこにおいてのみ約束される未来との潜在的には無数の対話の供給源である。したがって私とMの生は、アガンベンが収容所の絶対的な状況であるとする「根源的な時間性のあらゆる可能性の終焉」、「空間における単独の状況、すなわち(ダー)の時間的な土台の終焉」に次第に侵蝕されていたが、剥き出しの世界という絶滅収容所に強制収容されて以降、決定的に侵蝕されるに至る。おそらく、グローバル資本主義が「外部」を徹底的に喰らい尽くした2019年現在、あらゆる人々が生を営む世界もまた、潜在的には「外」がもうどこにも存在しない絶滅収容所という剥き出しの世界であることは間違いない。しかし、あらゆる人々のうち大多数か半分程度かは厳密には測定できないが、彼ら彼女らは私たちとは異なり、バトラーが次のように言う「どんな人間も」のなかに極めて無意識的に属している。

  実際、私が強調したいのは単に、どんな人間も、支援を提供する環境、関係性の社会的形式、そして相互依存を前提し構造化する経済的諸形式に依存することなしに生き延びるあるいは存続することはない、ということだ(「第六章 悪い生の中で良い生を送ることは可能か」『アセンブリ――行為遂行性・複数性・政治』、邦訳273頁、強調線井上)。

 超法規的暴力の連続的行使により、救済を求められる国家の各公的機関の窓口を次々と閉鎖され、あらゆる生存可能性を断ち切るという巨大な組織的策謀の標的とされた私たちは、必然的に「どんな人間も」の範疇から外れた(したがって、バトラーの洞察にはおそらく彼女の主体位置から帰結する独特の死角があると私には感じられる)。「支援を提供する環境、関係性の社会的形式、そして相互依存を前提し構造化する経済的諸形式に依存すること」そのものを不可能にされた。「醜悪な加害者」が自分の唯一の意味であると最終的に完全確定されるに至った過程、法的保護と救済の対象には絶対にならないという「生きるに値しない生」の烙印を超法規的暴力により押されるに至った過程、7年間を通して確定申告をする精神的・身体的・時間的・環境的余白が絶無であった過程を、一体どんな言葉でどんなふうに分節化すればよいのか。幾つもの異質な要素が想像を絶する複雑さで重層的に絡まり合い、連結し合って形成されている被害者の歴史、しかも何重もの遮蔽幕によりもっとも重大な犯罪の連結部が依然として被害者には不可視化されたままである歴史を、そもそも他人に「正しく」理解してもらえる言葉、語り方などあるのか。「支援を提供する環境、関係性の社会的形式、そして相互依存を前提し構造化する経済的諸形式に依存すること」を自然に可能にする自己現前のさせ方、8年間の私の歴史に内包される全事情を圧縮して伝える方法などあるのか。2012年4月11日に「最終解決個人版」の端緒が開かれて以降、自分の身に一体何が起こり、自分の生にどれほど極端で暴力的な変更が強要され続けているのか、Mを除いてどんな友人知人に対しても、理解してもらいたくても被害経験が常軌を逸していて過剰すぎるため、分節化の努力はつねにたちまち挫折した。私は、もはや彼ら彼女らの知っている私ではないので、たとえ形式的・表面的には関係することがあったとしても、彼ら彼女らとの関係から潜在的にはつねに不可避的に自己排除することを余儀なくされた。

 絶滅を待望され続ける被害者として、2019年1月下旬から私を標的とする者たちの大組織犯罪に「最終解決個人版」という名を与え、彼ら彼女らの殺人的な暴力行使とその被害経験の境界のような地帯で「証言」を書く言語を漸く獲得するに至ったのは、本書を献呈している第47代検事総長である西川克行氏が在任中、「真実の私」の夥しい影の残余を書きつけていく書簡の旅の長期にわたる唯一の宛先となってくれたからである。「私と絶対に関係を持たない」という忌まわしい戦略によって、中央大学の首謀者たち・弁護士たちと共謀関係にある国家の各公的機関に属する者たちから残酷極まりない仕方で排除され続けてきた「真実の私」の夥しい影の残余に西川克行氏は自身を開き続け、自身との関係の内部にそれらを受容する余白を作り続けてくれたからである。もちろん、検察官検事としての職責が厳命する積極的な関心、あるいはこう言ってよければ、極めて反省的な関心とともに。だからこそ、本書の題は「最終解決個人版」では終わらず、それに「未遂の記」を付けることが可能になった。実際、2016年8月10日付けで大長文の「意見書・抗議文・要望書」を内容証明郵便で東京高検検事長に宛てて送付したとき、書簡の旅の開始を告知するその大長文を落掌してくれたのが同年9月5日に検事総長に就任する西川克行氏でなかったとしたら、あの者たちに待望されたとおりにもう随分早い時期に、「醜悪な加害者」として私は確実に絶滅していた。言い換えれば、空前絶後の反国家的大組織犯罪の全痕跡の絶滅という「最終解決」が完遂されていた。

 それにしても、あらゆる人々が生を営む世界が、「外」がもうどこにも存在しない絶滅収容所という剥き出しの世界であるなら、先に引用したバトラーの一節に見られるあらゆる人間が生を存続させられる条件としての「支援を提供する環境、関係性の社会的形式、そして相互依存を前提し構造化する経済的諸形式に依存すること」そのものが、ある日突然できなくなる説明不可能・言語化不可能・分節化不可能な大災厄の被害経験に見舞われる可能性は、「どんな人間」にも潜在的にはつねに取り憑いているということが事実なのである。そこで、問いはこうなる。「根源的な時間性のあらゆる可能性の終焉」に覚醒の程度の差こそあれ、「時間が進んでいない感じがする」という感覚の常態化とともに大多数の人間の生が侵蝕されているとすれば、もはや「外」への出口がどこにもない絶滅収容所空間のなかで「他律的」であることは可能かという問いである。この問いは、第一章で紹介したバトラーのテクストからの三つの引用で強調されている前提、すなわち私たちが自分自身に対して不透明であるのは私たちが関係的存在であるからであり、私たちが「他者」を含む形で構成されているからであり、したがって私たちの倫理的責任の発生源であるのは「他者」との原初的関係なのであるという前提が、絶滅収容所空間が遍在した世界においても通用するのかという問いでもある。『アセンブリ』の「第六章 悪い生の中で良い生を送ることは可能か」のなかで、バトラーはこの統一主題を次のような書き方で変奏している。

  他者に対する可傷性(vulnerability)は、言わば、相互的なものと見なされたときでさえ、私たちの社会的関係の前契約的次元を徴し付けるのである。これが意味するのはまた、ある水準において可傷性は、あなたが私の可傷性を保護してくれる場合にのみ私はあなたの可傷性を保護しよう、と主張する道具的論理(……)を拒絶する、ということだ(同書、邦訳274-5頁、強調線井上)。

 ここでバトラーは、「他律的」であることは可能であるどころか、「私たちの社会的関係の前契約的次元」に属する非人称的な命令、すなわち絶対的な定言的命令なのであると主張しているように思われる。「他律的であれ」、あるいは「他者の可傷性に対して無条件に保護的であれ」という絶対的な定言的命令の声が、私の絶滅をひたすら待望する中央大学の首謀者たちと弁護士たち、その共謀者である裁判官たち、検察官検事たち、文科省の官僚たちの耳には、もちろん一度として届いたことはなかった。「私と絶対に関係を持たない」こと、私が「未知の他者」であることそのものを認識の埒外に置くこと、したがって私とは保護に値する「可傷性」など微塵もない人間‐以下の存在であるという自動的な了解に全く無反省に盲目的に身を任せることがあの者たちの一貫した戦略であったのだから。「私と絶対に関係を持たない」ことによって、あの者たちが本当に関係を持つことを自らに禁止したのは、それゆえ「私たちの社会的関係の前契約的次元」に存在する定言的命令そのものとしての超越的な「他者」、すなわち崇高な「法」なのである。象徴的な実定法を運用し、それを現実の他者に適用する権限を与えられている者は、その権限が全能性を纏うことを禁止する崇高な「法」と絶えず関係を持たなくてはならない。崇高な「法」と関係を持つということは、自分の判断が誤っているかもしれないという可能性がその者の内部の「他者」として、無尽蔵の剰余として、他者の可傷性への配慮の絶対的強制として、あるいは瑕疵として、「原罪」として、その者のなかに永遠に残り続けるということだ。したがって法が剥き出しの生と一致せず、剥き出しの生を統御する権能を維持するためには、法はその内部に自らを永遠に不完全・未完成なままにしておく「原罪」を宿していなければならず、「原罪」の始原的記憶の絶えざる発生源である崇高な「法」と象徴的な実定法との間に開いた溝を、どんなことがあっても埋めてはならないのである。崇高な「法」との関係の内部に入ることを信じがたい頑迷さで拒否し続けたあの者たち――中央大学法学部の法律の専門家である首謀者たち、その弁護士たち、彼ら彼女らの共謀者である裁判官たち、検察官検事たち――が、「崇高」な法と象徴的な実定法との間に開いた眩暈がするような懸隔を撤廃し、全く異質な次元にある両者をくっつけて一致させてしまったことは言うまでもない。「法」の玉座から崇高な「法」を追放し、空席となった玉座に自分たち自身が「全能の神」として腰を下ろした。全能性を纏うことを固く禁止する崇高な「法」を追放したことによって、彼ら彼女らの運用する法はもはや法ではなく、彼ら彼女らの剥き出しの生の発現と全く区別がつかないものとなった。アウシュヴィッツにおける総統の発言が即座に適用可能な法と化したように。

 もっとも、「法」の玉座から崇高な「法」を追放したのは、厳密に言えばあの者たちではなく、崇高な「法」が存在する「私たちの社会的関係の前契約的次元」である「外部」を全て喰らい尽くした資本主義であり、「法」の玉座にはすでに崇高な「法」は不在であったとも言える。「最終解決個人版」という前代未聞の反国家的大組織犯罪を実行に移すには最大限に好都合な舞台が、絶滅収容所空間という剥き出しの世界として、グローバル資本主義によってすでに設定されていたということだ。あの者たちが、そのことに対して十分に意識的であり、その上で犯罪を実行に移すための舞台として絶滅収容所空間としての剥き出しの世界を利用したなどということは、もちろん絶対にあり得ない。なぜなら、自分たちの反国家的組織的犯罪の全痕跡の絶滅をあの者たちに願わせたのは、不滅に手が届くほどまでに生き延びたい、歴史に名を残すほどまでに生を存続させたいという巨大な欲望であったのだから。しかし、それは恐ろしく不条理な欲望である。不滅に手が届くほどまでに生き延びたいという欲望は、永遠に翻訳不可能である(=その意味が永遠に分からない)「死」に依存することによってのみ可能になる欲望であるから。「死」とは「原罪」の別名であり、さらに言えば、世界の「外部」に存在する崇高な「法」の別名であるから。崇高な「法」と絶対に関係を持たず、それでいて崇高な「法」(への畏怖)だけが可能にしてくれる不滅に手が届くほどの生の存続をあの者たちは欲望した。関係を持つまでもなく、「法」の玉座には崇高な「法」はすでに不在であったので、自分たちの生の存続を可能にするために、彼ら彼女らは自分たち自身を「法」の玉座に着席させた。崇高な「法」に化身したつもりでいても、崇高な「法」は「私たちの社会的関係の前契約的次元」である「外部」にしか存在せず、崇高な「法」が禁止する全能感を纏った彼ら彼女ら自身である法は、彼ら彼女ら自身の剥き出しの生と精確に一致する。自分たちの反国家的組織的犯罪の全痕跡を、被害者である私を絶滅させることで絶滅させたいという欲望と、不滅に手が届くほどまでに生き延びたいという欲望は根本的に矛盾するのであり、絶対に両立しない。したがって、「他者」の可傷性に対する被触発能力と言い換えてもよい「罪悪感」の無限の発生源である「原罪」を、あの者たちはまるで「死に至る病」を抉り取るようにして、自分たちの身体から次々と摘出していったのである。

 2年近くにも及んだ全15通の書簡の旅を通じて、以上のような多少精度が増した考察に繋がる未曾有の犯罪身体についての思考・分析・解釈を、私はもっぱら法の原理論に依拠しながら西川克行氏に開示し続けてきた。すでに述べたとおり、あの者たちから可傷性など絶無である最下等動物と見なされ、徹底的に排除され続けてきた「他者」としての私に西川克行氏は自身を開き続け、自身との関係の内部に「他者」としての私を受容する余白を作り続けてくれた。先ほどは、「検察官検事としての職責が厳命する積極的な関心とともに、あるいはこう言ってよければ、極めて反省的な関心とともに」と書いた。しかし、西川克行氏に対する測り知れない感謝の念を込めて、次のように書き直さなくてはならない。「他律的であれ」、「他者の可傷性に対して自ずと被触発的であれ」という「私たちの社会的関係の前契約的次元」に存在する超越的な「他者」の声が厳命する積極的な関心とともに、極めて内省的な関心とともに。その声がどこから聞こえてくるのかは分からない。絶滅収容所空間が遍在する世界にはまだ「外部」があって、その「外部」にのみ存在する崇高な「法」から、定言的命令として聞こえてくるのか。それとも、絶滅収容所空間にあってもまだ損なわれず喪われない自己の剥き出しの生との絶対的不一致、アガンベンの用語を借りれば西川克行氏自身の「残りのもの」の場所から聞こえてくるのか。いずれにしても、書簡の旅のなかで、検事総長に就任された西川克行氏には私とMの救済要求を次のような言葉で反復的に伝え続けるしかなかった。「最底辺まで下落させられた法を、どうか崇高の位置にまで再び引き上げてください」。それは「外部」を、人々を畏怖させる「死」を、もう一度作り出してくださいと要求しているに等しい言葉だ。その後の経緯を見ていると、私たちの救済要求の真意を西川克行氏は完全に理解してくれたとしか考えられない。

 2016年8月10日、検事総長に就任される直前の西川克行氏に宛てて大長文の最初の書簡を内容証明郵便で送付するに至るまでの壮絶な受難の過程を、ここで漸く辿りなおすことができる。

 「醜悪な加害者」が唯一の意味であるという絶滅収容所の鍵を破壊する最終兵器として、偽造録音媒体の科学的鑑定結果が詳細に記された鑑定書数冊を私たちは手に入れた。ところが、科学的鑑定結果は鍵を破壊する最終兵器として通用するどころか、偽造録音媒体であった鍵は、科学的鑑定結果によって証明された自らの正体を果てしなく隠蔽するという形態の鍵に変貌を遂げてしまった。実際、私たちが鑑定書を手に入れてからというもの、絶滅収容所の鍵は偽造録音媒体の正体・意味・役割・使用目的などの徹底した隠蔽の連鎖という鍵に変貌を遂げ、それも極端に激化していく隠蔽の連鎖という鍵に変貌を遂げてしまった。あの者たちが本当に隠蔽したかったのは、偽造録音媒体そのものではなく、次に列挙するような相互に連関し合う複数の事実だったのだから。

・中央大学の首謀者たちが本当は凄絶な退職強要を実行したという事実。

・中央大学の首謀者たちが理事長の名義を冒用し、理事長に隠れて「偽装解雇」を強行したという事実。

・中央大学の首謀者たちが理事長の名義を冒用し、理事長及び中央大学内部に隠れて民事裁判を主導したという事実。

・中央大学の首謀者たち、その共謀者である弁護士たちが民事裁判に偽造録音媒体・偽造反訳書を提出したばかりか、それらの違法行為を三人の理事長に帰責しているという事実。

・中央大学の首謀者たちが、彼らの弁護士たち、裁判官たち、検察官検事たちと共謀して民事と刑事を連動させることにより、民事においては不正に勝訴判決を手に入れ、刑事においては不正に不起訴処分を勝ち取ったという事実。

・東京地裁立川支部の裁判官たちが少なくとも犯罪幇助、犯人隠避、証拠隠滅を実行したという事実。

・東京地検立川支部の二人の捜査担当検事が、少なくとも不真正不作為による犯人隠避、証拠隠滅を実行したという事実。

・中央大学の全犯罪を歴史から完全隠滅するために、中央大学の首謀者たち、彼らの弁護士たち、国家の各公的機関に属する者たちが共謀して反国家的組織的犯罪を水面下で実行しつつあるという事実。

 どんなに少なく見積もっても、あの者たちが本当に隠蔽したかったのはこれらの諸事実、これらの諸事実が想像を絶する複雑さで相互作用し合って形成されている巨大な犯罪身体なのである。偽造録音媒体とは、この巨大な犯罪身体のいわば心臓部であって、それが偽造証拠であることが発覚したら最後、夥しい犯罪事実の複合体であるこの巨大な犯罪身体の全解剖図が白日の下に曝されることになる。共謀者のなかに捜査機関の頂点である最高検の幹部クラスの検察官検事が含まれているとすれば、なおさらである。だから、どんなことがあっても、その悪質な偽造の痕跡がすでに科学的鑑定によって完全に検出されているとしても、偽造録音媒体を偽造録音媒体のままで隠蔽するという離れ業をやってのけなければならない。偽造録音媒体を作成して民事裁判に提出したという事実自体を脱重要化・脱深刻化する、偽造録音媒体の悪質性の水準を故意に低下させる、法律に対する私たちの無知につけこんで科学的鑑定結果はどんな犯罪の構成要件にもならないと主張するなど、偽造録音媒体を脱偽造録音媒体化するという不可能を可能にしようとする滑稽で幼稚で非論理的な抵抗、支離滅裂な悪足掻きに私たちは至るところで遭遇することになる。

 この剥き出しの世界が、法の執行と法の侵犯の区別がつかない不分明地帯(=灰色地帯)であり、その区別を担保する「外部」がもうどこにも存在しない絶滅収容所空間であるという事実にこの者たちが意識的であり、覚醒していたなどということは絶対にあり得ない。意識化の完全に外で、彼ら彼女らが生を営んでいる場所はもはやすでにこの灰色地帯、すなわち「わたしたちの原初の圏域」である「無‐責任という破廉恥な地帯」でしかないというのに。巨大犯罪身体の出現によって、通常状態(=法治状態)と非常事態(=無法治状態)の区別はすでに撤廃されているというのに、巨大犯罪身体の心臓部である偽造録音媒体という病巣さえ何とか消滅させられれば、巨大犯罪身体の全露見可能性も消滅し、したがって巨大犯罪身体自体も跡形もなく消滅し、それとともに通常状態は自動的に回復されると本気で信じていたかのようだ。どんな方法を用いてであれ、悪質な偽造の痕跡という病理が科学的に証明されている偽造録音媒体を完全隠滅するという企て自体が巨大犯罪身体の内部でしか可能にはならず、巨大犯罪身体をさらに、手の施しようがないほど肥大させ膨張させる結果にしかならないというのに。彼ら彼女らが生を営んでいる灰色地帯の霧はますます濃くなり、未来(=時間)との自然な関係が濃霧の中で見失われ、生き延びたいという彼ら彼女らの欲望は空転することしかできなくなり、すでに空転し始めているというのに。それでも、通常状態(の外観/という集団幻想)を回復させたい一心で、彼ら彼女らは偽造録音媒体を偽造録音媒体のまま無瑕疵化する(=隠蔽する)という不可能を可能にするため、灰色地帯のなかで見え透いた不毛な努力を続けることしかできない。巨大犯罪身体というラテン語の語源では「禁じられた悪」を意味するテロリズム、一部の国家権力も共謀者として関与している反国家的テロリズムを、どんなことがあっても全国民と社会全体に対して秘匿しておかなければならない。そうしなければ、巨大犯罪身体という未曽有のテロリズムが全社会的規模で露見したりすれば、各地でどんな大混乱、大騒動、あるいは暴動さえもが引き起こされるか分かったものではない。それを回避するための唯一の方法は、巨大犯罪身体を形成している者たち――中央大学の首謀者たち、彼らの弁護士たち、裁判官たち、検察官検事たち、その他大勢の共謀者たち――にとって、元中央大学法学部兼任講師問題の「最終解決」を完遂することだけであった。「醜悪な加害者」という唯一の意味の絶滅収容所に、法的保護・社会的保護からの連続的な排除という拷問的責苦を味わわせ、ついに自分で自分を絶滅させるしかない限界値に達するまで私を強制収容しておくこと。それだけが、偽造録音媒体を偽造録音媒体のままで巨大犯罪身体のなかから絶滅させる方法、巨大犯罪身体という未曽有のテロリズムの存在を社会と歴史から絶滅させる方法なのだ。

 私は社会共同体を安定させるために、社会共同体を転覆させ破壊する力を内在させた「第三項」として、すなわち病理学的な「例外」として、彼ら彼女らによって社会共同体の「外」に下方排除されたということだろうか。社会共同体の中心的構成員である彼ら彼女らが自分たちを救済するために、自分たちの「禁じられた悪」を私に全面的に転嫁し、私一人に集中的に投影したということだろうか。全くそうではない。彼ら彼女らにとって私とは偽造録音媒体の隠喩であり、「偽装解雇」以前は中央大学の首謀者たちの犯罪の隠喩だったゆえに手段を問わず排除する必要があったのと全く同様に、巨大犯罪身体からその無限膨張を不可避にする元凶である偽造録音媒体を取り除くために、どんな手段を使ってでも私を絶滅させる(=殺す)必要があったのである。しかし、それもまた背理なのだ。巨大犯罪身体から、その心臓部である偽造録音媒体を取り除く(=私を絶滅へと接近させる)ということは、巨大犯罪身体の絶滅を約束するどころか、かえってそれから絶滅可能性を取り除き、潜在的には永遠に死ぬことのできない身体にしてしまうということだからだ。死ぬことができないとはどういうことか。組織犯罪者たち、協力者たちの一人一人が「罪悪感」の、あるいは「良心の疚しさ」の無限の発生源である「原罪」を自分たちの身体から摘出してしまうということだ。「原罪」とは、人間になるために担わされる瑕疵であり、いつまでも残り続ける「自分が間違っているかもしれない」という可能性であり、バトラーの言葉を借りれば自分が自分にとって「疎遠」であり「不透明」であるということであり、自分自身との不一致の絶対的な解消不可能性のことである。「原罪」はどこからくるのか。世界の「外部」からくる。そこにしか宿っていない永遠に翻訳不可能なものである「死」からくる。自分たちの罪を滅ぼし尽くしたい組織犯罪者たちは、罪の意識の淵源である「原罪」を身体から全摘出し、まさに人間であることを止める(=破滅を含んだ存在であることを止める=自分たちから「死」を取り除く)という最大の危険を冒すことで、巨大犯罪身体の絶滅を図ろうとしたのである。すでに示唆したとおり、「原罪」を摘出するということと、「原罪」の摘出などという最大の危険を冒すことを不可避にした欲望、すなわち不滅に手が届くほどまでに生き延びたいという彼ら彼女らの欲望が絶対に両立不可能であることは言うまでもない。生き延びるための条件である時間の源泉もまた「死」であるのだから。

 ヴァルター・ベンヤミンの「暴力批判論」のなかの用語法を借りて言い換えるなら、したがって彼ら彼女らは法措定暴力、法維持暴力である「神話的暴力」の側に厳密にいながら、自分たちの全犯罪の複合体である巨大犯罪身体の全痕跡を絶滅させるために、「神話的暴力に停止を命じうる純粋な直接的暴力」、すなわち「(あらゆる罪を)滅ぼし尽くすまで停止しない神的暴力(=滅罪的暴力)」を行使することになるのである。彼ら彼女らが「神的暴力」を行使する直接的な標的は、もちろん巨大犯罪身体の心臓部の隠喩にほかならない私であるが、私を絶滅させることで彼ら彼女らが本当に絶滅させたいのは巨大犯罪身体の全痕跡(=複数多数の罪を犯したという厳然たる事実)であるがゆえに、私に行使することを通じて彼ら彼女らはいつのまにか、知らないうちに自分たち自身に「神的暴力」を行使しているという甚だしく倒錯した事態を出来させてしまうのである。「神的暴力」は罪を滅ぼし尽くす滅罪的暴力であるがゆえに、彼ら彼女らの社会的信用の基盤である法を必然的に破壊してしまうのみならず、何よりも「致命的暴力」であるがゆえに、彼ら彼女ら自身を滅ぼし尽くすまで絶対に停止することがない。自分たちの未曾有の反国家的大組織犯罪を社会と歴史から絶滅させたいと願う者たちは、彼ら彼女らを裁く現行法がそこにしか住めない「神話的暴力」に停止を命じうる「神的暴力」を使用するしかないが、それは彼ら彼女らの欲望と完全に逆方向に作動するがゆえに、彼ら彼女らによる「神的暴力」の使用は必然的に誤使用にしかならない。

 したがって、2015年9月9日に鑑定書を直接証拠として提出した2通の告訴状と3通の告発状がおよそ3週間後に東京地検特捜部から返戻されてきたとき、それは「神話的暴力」の遂行をその職責とする者たちからその後およそ10カ月にわたり連続的に行使されることになる「神的暴力」の開始の合図であったと言える。すでに述べたように、2015年9月9日には東京地検立川支部の二人の検察官検事(森川久範と二瓶祐司)を告訴する私の告訴状と鑑定書を同封した請願書も、当時の検事総長であった大野恒太郎氏に宛てて提出していた。「神話的暴力」の遂行を職責とする捜査機関の頂点に君臨する大野恒太郎氏、あるいは中央大学法学部出身の当時東京地検の検事正であった青沼隆之のいずれか、もしくはこの二人の指示により特捜部が返戻してきたとすれば、「神的暴力」が最初に発動した場所は「神話的暴力」の遂行を職責とする組織のまさに頂点であったということになる(民事訴訟第一審と第二審が係属中であった2012年から2014年にかけて、大野恒太郎氏は東京高検検事長であり、青沼隆之は東京高検次席検事であった)。強要罪の被疑者たち全員が不起訴処分に決定されたあと、2015年2月26日、Mが当時の東京高検検事長であった渡辺恵一氏に宛てて、法的救済を嘆願する痛切極まりない請願書を送付したことはすでに述べた。渡辺恵一氏は2015年12月に任期満了を待たずして退官したのであるが、渡辺恵一氏の退官についてはどのメディアも例外なく「勇退」というその廉潔さを讃える表現を献呈している。渡辺恵一氏が「勇退」したのは、その傑出した能力と高潔な精神性により次期検事総長と目されていた当時札幌高検検事長の西川克行氏に一日も早く東京高検検事長の役職を譲り、西川克行氏が検事総長に就任する時期を可能な限り早めたかったからであると伝えられている。渡辺恵一氏が西川克行氏の一日も早い検事総長就任を待望した「本当の」理由は何かと、あらゆる要素を吟味・検討しながらよくMと話し合った。「神話的暴力」の側からの「神的暴力」の倒錯的な行使が最悪の形で表面的には沈静化した2016年7月2日を迎えたあと(具体的な内容は後述する)、渡辺恵一氏が西川克行氏の一日も早い検事総長就任を待望した「本当の」理由が、私とMには漸く少しずつ透視できるようになったと思われた。2016年8月15日に大野恒太郎氏が辞職を願い出てそれが閣議で承認され、西川克行氏の検事総長就任が正式に決定されたという状況の急速な展開も、渡辺恵一氏の「勇退」の「本当の」理由について私とMがより深い洞察に開かれる決定的な契機となった。

 2015年2月26日、Mから送付されてきた請願書に目を通した渡辺恵一氏がMの請願書の内容を通しておそらく絶句するほどの衝撃とともに目撃することになったのは、中央大学が全体として陥っている事実上の非常事態(=例外状態=無法治状態)であり、通常状態の外観を装ういわば透明化されたその非常事態が司法にまで、刑事司法にまで越境していて、犯罪捜査と厳正な法の執行をその職責とする捜査機関が犯罪の隠滅と法の侵犯を行なう無法地帯という外部へと、法治状態の内部で密かに逸脱しているという巨大な狂気の実態だったのではないだろうか。捜査機関の存在根拠を無化せしめ、検察庁全体を崩壊させかねない前代未聞の危機に直面させられた渡辺恵一氏は、当時の検事総長であった大野恒太郎氏に極秘に相談を持ちかけたのではないだろうか。しかし、大野恒太郎氏はおそらくMの請願書の内容を一笑に付した、あるいは信用するに値しないとして一蹴し、検察庁が陥っている前代未聞の危機に早急に対処する必要性を渡辺恵一氏と共有する姿勢を、全く示さなかったのではないだろうか。法措定暴力、法維持暴力である「神話的暴力」の遂行をその職責とする捜査機関の当時頂点にいた大野恒太郎氏が、罪を滅ぼし尽くし、法を破壊する「神的暴力」を発動させる側に当時東京地検の検事正であった青沼隆之とともに中心的に参与していたという可能性は、もちろん仮説の域を出るものではない。しかし、2015年9月9日に鑑定書という直接証拠と告訴状を同封した請願書を大野恒太郎氏に宛てて提出したにも拘らず、同一の告訴状と鑑定書を始めとした全証拠資料を特捜部が返戻してきたという事実は、この仮説の少なくともかなり強力な傍証になると言わざるを得ない。この仮説が事実であるとすれば、検察庁の頂点に君臨する者が「滅罪的暴力」、「法を破壊する暴力」の中心的遂行者であったとすれば、当時東京高検検事長であった渡辺恵一氏にどうすることができたというのだろう。西川克行氏の検事総長就任の時期を一日も早めるために、できる限りの努力をする以外にどうすることができたというのだろう。その努力が、西川克行氏に東京高検検事長の役職を譲るための「勇退」となって結晶したと少なくとも私とMは確信している。2016年8月10日、翌9月5日に検事総長に就任する西川克行氏に宛てて最初の書簡となる大長文の「意見書・抗議文・要望書」を送付したのであるが、全文に目を通した段階で、被害者の沈黙の絶叫とともに書きつけられている前代未聞の「巨大な狂気の実態」を、西川克行氏はすでにある程度知っていたのではないかと思う。私たちの仮説が事実に限りなく近いとすれば、西川克行氏に一日も早く大野恒太郎氏と検事総長を交代してもらいたいと切望する「本当の」理由、すなわち検察庁最大の危機にまつわる深刻極まりない事情を、渡辺恵一氏が西川克行氏にあらかじめ伝えていないはずがないからである。

 2016年9月5日、辞職した大野恒太郎氏の退任記者会見と新検事総長に就任した西川克行氏の就任記者会見が霞が関の最高検で開かれた。大野恒太郎氏は「自身の良心に反することは一切行なってこなかった」と明言した。その発言は随分奇妙で不自然に感じられた。「自身の良心に反することは一切行なってこなかった」人間が、そんなことをわざわざ口に出して言ったりするだろうかと、私もMも直ちに強い疑念を触発された。翌9月6日の朝日新聞朝刊の「人」というコラムに、検事総長に就任したばかりの西川克行氏の言葉が掲載された。「なぜ検事になったのか、自分自身も含めて全ての検事に問いかけたい」という極めて自己言及的な発言があり、強い期待感を抱かせながら私たちの関心を惹いた。このときの西川克行氏は、私が送付した最初の書簡である「意見書・抗議文・要望書」にすでに目を通していた。「なぜ検事になったのか」西川克行氏が本当に問いかけたかったのは、捜査機関を「滅罪的暴力」の誤使用のために利用した全ての検察官検事たちに対してではなかっただろうか。

 私たちの仮説が事実に限りなく近いことの強力な傍証となる、もう一つの現象が存在する。それは、中央大学の首謀者たちの共謀者たち、協力者たちが私たちに対して示した態度、及び行為である。とりわけ、その偽造の痕跡が科学的鑑定によって完全に証明された偽造録音媒体を主役とする幾つかの交渉の過程で、彼ら彼女らが私たちに対して示した態度、及び行為である。彼ら彼女らが実に執拗に反復したこれらの態度、及び行為が、巨大犯罪身体の全痕跡を社会と歴史から絶滅させるための倒錯した「滅罪的暴力」の一環であったことはもちろん言うまでもない。

 2015年9月9日に鑑定書を直接証拠として東京地検特捜部に告訴と告発を行ない、最高検の大野恒太郎氏に宛てても請願書を提出したのであったが、その二日後の9月11日、Mを始めとした三人の共闘仲間は中央大学内部に存在する内部監査室公益通報の部屋に足を運んだ。中央大学の首謀者たちが三人の理事長の名義を冒用し、理事長たちと大学内部に隠れて主導した民事裁判に偽造証拠を提出したことが科学的鑑定によって証明された以上、大学内部に彼ら彼女らの違法行為を調査してくれる機関が存在するならば、通報してみようと協議した上での行動であった。同年7月22日に科学的鑑定結果が出たため、大学内部に自浄作用を促す組織はないかとMが調査したところ、同年4月1日に理事長直属の内部監査室公益通報が創設されたという情報を得た。同年8月中旬にMが同組織に電話をかけてみると、副室長の中谷容子という女性が仰天するほどの愛想の良さで実に積極的に応対し、全証拠資料を着払いで同組織に送付してくれて全く構わないとまで言ってMたちの来訪を大歓迎する姿勢を示したので、同年9月11日にMたち三人は同組織を訪問することになった。大学1号館にある同組織の部屋は、2012年4月11日に壮絶な退職強要が実行されたハラスメント防止啓発委員会の「取調室」に隣接していた。Mたちが部屋に入ると、副室長が満面の笑みを湛えて「公益通報にようこそ!」と嬉しそうに叫び、場違いなほどの歓待の感情を露わにした。それから同組織の職員である室長の相澤勝、副室長、そして私がその顔をよく知っている法学部の元事務職員であった男性の三人が、Mたちが持参した膨大な文書に長い時間をかけて目を通した。室長と副室長は険しい表情で読んでいたのに対し、私をよく知っている法学部の元事務職員の男性は激しい衝撃を受けた様子でひどく緊張している雰囲気を全身から醸し出し続け、真っ赤になった顔をMたち三人から文書で必死に隠しながら読んでいた。さらに副室長は証拠資料を一点一点確認していったのであるが、その表情は真剣というより剥き出しの貪婪さを湛え、何か目当ての物を一心不乱に探り当てようとしているかに見えた。次回は調査についての具体的な相談をするため、私も面談に参加することが決まった。立ち去ろうとするMたちに対し、副室長は「井上先生の権利が回復されるといいですね」と共感を取り戻した声で言った。

 理事長直属であるという内部監査室公益通報が中央大学に創設されたのは2015年4月1日、そして強要罪の被疑者たち全員が不起訴処分に決定されたのはおよそ2カ月前の1月30日。今となってはあまりにも明らかであるが、同組織がこの時期に創設されたのは、大学内部の違法行為を厳正に調査する組織という外観を巧妙に装うことで私たちを誘き寄せ、巨大犯罪身体の心臓部である偽造録音媒体(私が所有している、首謀者たちが民事訴訟に提出してきた偽造CD-Rの現物)を「調査のため」などと称して、あわよくば私から奪取するためである。ということは、民事と刑事の複雑な連動により「醜悪な加害者」が唯一の意味であるという絶滅収容所に私を強制収容したにも拘らず、絶滅収容所から解放されるための鍵を私が依然として探し出す、すなわち偽造録音媒体を科学的鑑定に出すという不吉な可能性を首謀者たちが十分に想定していたということだ。言い換えれば、民事法廷と刑事捜査という二つの法的手続きを舞台として成し遂げた完全犯罪には、二つの法的手続きの連動を可能にした媒介物である偽造録音媒体という絶対的な瑕疵、被害者によってそれが科学的鑑定に出される濃厚な可能性としての露見可能性が、依然として取り憑いていることを首謀者たちはよく分かっていたということだ。「理事長直属の」とわざわざ銘打ったのも、理事長の名義を冒用して理事長に隠れて「偽装解雇」を強行したこと、及び民事訴訟を主導したことを私たちに対して隠蔽するため、逆に言えば解雇は「偽装解雇」などではなく、民事訴訟の事実についてもその全経緯を理事長は掌握していると私たちに思い込ませるためである。Mたちが最初に訪問したとき、副室長の中谷容子は「私たちは理事長直属の部下ですから!」と、幾分得意げに愉快そうにMたちにこれ見よがしに言ったそうだ。またもや、そして漸く罠にかかった私たちが誘き寄せられてやってきたとき、首謀者たちの不安は的中して、偽造録音媒体はその偽造の痕跡を科学的鑑定によって検出された後だった。ならばどうするか。私を絶滅収容所に絶滅するまで強制収容しておくためにはどうすればよいか。私が所有している、首謀者たちが民事訴訟に提出した「オリジナルの」偽造CD-R、及びその偽造の痕跡が詳細に記されている鑑定書の原本を、合法性の外観を装って私から剥奪してしまえばよい。私たちがもう二度と、それらを直接証拠としてあらゆる捜査機関に中央大学の犯罪を申告することができないように、あるいはどこかの法律事務所に赴いて中央大学から受けた犯罪被害からの救済を求める法律相談ができないように。内部監査室公益通報の室長である相澤勝、副室長である中谷容子は、巨大犯罪身体の心臓部である偽造録音媒体を偽造録音媒体のまま、この世から消滅させるという限りなく不正な使命を首謀者たちから託された者たちであり、美辞麗句を連ねた罠に私たちが嵌り、誘き寄せられてやってくるのを待ち構えていたのである。中央大学の完全犯罪を文字通りの完全犯罪にするため、完全犯罪にいつまでも取り憑いている最大の露見可能性である瑕疵を魔法のように消滅させるため、中央大学と首謀者たちがその社会的名声と影響力を少しも損なわずに不滅に手が届くほどまでに生き延びられるようにするため。偽造録音媒体がその偽造の痕跡を科学的鑑定によって証明されてしまったことを最初に知ったのは誰か。中央大学の首謀者たちとすでに共謀関係にあった東京地検特捜部である。鑑定書を直接証拠として私たちが告訴と告発を行なった2015年9月9日に、東京地検特捜部は偽造録音媒体がその偽造の痕跡を科学的鑑定によって証明されてしまったことを初めて知ったのである(鑑定書と告訴状を同封した請願書を同日に最高検の大野恒太郎氏に宛てても提出しているので、大野恒太郎氏も初めて知ったことになる)。Mたちが中央大学の内部監査室公益通報を初めて訪問したのは、東京地検特捜部に告訴と告発を行なった日の二日後である同年9月11日であり、場違いなほどの歓待の感情を露わにして副室長がMたちを迎え入れたのは、偽造録音媒体が偽造証拠であることを証明する科学的鑑定結果がすでに出ていること、Mたちが鑑定書の現物を持参していることを、東京地検特捜部から直前に伝えられて知っていたからではないかと私は思っている。鑑定書という直接証拠があるにも拘らず、およそ三週間後に特捜部は二通の告訴状と三通の告発状、及び全証拠資料を返戻してきたのであるから。

 したがって、室長の相澤勝と副室長の中谷容子が、「醜悪な加害者」が唯一の意味であるという絶滅収容所に絶滅するまで私を強制収容しておくために遣わされた不正な任務の遂行者という本当の顔を、愛想の良い歓待者という仮面の下から必然的に覗かせる展開になったことは言うまでもない。2015年9月18日、三人の共闘仲間とともに私も内部監査室公益通報に足を運び、大学1号館の広い別室に移動したのち、室長の相澤勝と副室長の中谷容子の二人と対面する形で調査の方向性についての話し合いを始めた。違法に剥奪された中央大学における私の全権利の回復のために尽力してくれるかもしれない者たちという、Mから話を聞いて若干の期待を込めて抱いていた予想とは、目の前の二人の印象は随分異なっていると感じた。私の強い違和感を裏付けるように、まもなく室長の相澤勝は「この通報は、大学内部の者による通報ではなく匿名の通報という扱いになるので、調査結果は教えられないということになります」と、内部監査室公益通報の規程に反することを冷然と口にした。それを聞くなり、中央大学大学院に在学中の当時共闘仲間であった一人が「それでは、私が通報します!」と強い口調で言い放つと、相澤勝と中谷容子は不意を突かれたように大慌てで同時に腰を浮かせ、余裕を失った声で「それはできません!」と言ってその共闘仲間を必死で制した。さらに、首謀者たちが民事訴訟に偽造録音媒体を提出したという明白な違法行為の悪質性を私たちが訴えると、副室長の中谷容子は「うーん、偽造録音媒体ですかぁ」と無関心さをいかにも装った声で曖昧に応答し、そんなものは違法行為の証拠にはならないとでも言うかのように偽造録音媒体の存在を露骨に脱深刻化してみせた。それどころか、「調査を進行させていく過程で、必要になる証拠を提出していただくという形でご協力をお願いすることがあります」と、私が所有する偽造CD-Rの現物の提出を暗示的に誘導しているとしか思えないことまで、明らかに芝居がかった顔つきで漠然と私を見ながら口にした。

 私の全権利の回復のために尽力してくれる組織であるどころか、中央大学の全犯罪を隠蔽するために創設されたとんでもない違法組織であることに気付いた私たちは、すでに提出してしまった膨大な証拠資料を一刻も早く取り返さなければならないという焦燥感に駆られ、2015年9月24日に再度中央大学に出向いて、予告なしに内部監査室公益通報の部屋にいきなり入った。果たして、室長の相澤勝が鑑定書の原本をコピーするという明白に窃盗に該当する行為の最中であった。共闘仲間の一人が中央大学を管轄する警察署に110番通報をすると、まもなく総勢10名ほどの制服警察官と私服警察官が内部監査室公益通報の部屋に入ってきた。双方から事情聴取をする必要があるというので、私たちは庶務課の奥にある部屋に案内され、そこでもっぱら川田という私服刑事に2012年4月11日以降受け続けている壮絶な犯罪被害について、偽造録音媒体とその科学的鑑定結果を中心にして可能な限り圧縮して伝えた。科学的鑑定結果によると、中央大学が2012年4月11日に録音したものであると偽って民事訴訟に提出してきた偽造CD-Rの最終録音日は同年10月17日であること、そのオリジナル音源はICレコーダーではなく、おそらくウィンドウズのパソコンであることを川田刑事に伝えると、「(現在の科学的鑑定では)そんなことまで分かるのか」と心底驚いた様子でメモを取った。さらに、強要罪の被疑者全員を不起訴処分にした東京地検立川支部の二人の捜査担当検事には、不真正不作為による犯人隠避と証拠隠滅の濃厚な疑いがあることを伝えると、川田刑事は森川久範と二瓶祐司の名前をメモに取った。事情聴取を終えて内部監査室公益通報の部屋に戻ると、室長の相澤勝が財物である鑑定書の原本をコピーするという窃盗を行なったとMは警察官たちに向けてあらためて主張し、提出した全文書・全証拠資料を即刻返却するようにと相澤勝に対して強く要求した。制服警察官の一人は、相澤勝の行為は窃盗に該当することを認め、私たちに全文書・全証拠資料を返却するように相澤勝に促した。相澤勝は返却することに同意したが、内部監査室公益通報のフォーマットに必要事項を記入して私が提出した「公益通報シート」だけは、激しく動揺した様子で返却することに執拗に抵抗を示した。取り上げた制服警察官は、それを一瞥して驚愕の声を上げた。「01って、えーっ! ここで扱った事件はこの事件だけなの? 台帳ぐらいはあるでしょ? えーっ! 台帳もないの?」。そして、「公益通報シート」を丁寧に見ながらこう続けた。「これね、井上先生の印鑑はあるけど、理事長さんの印鑑はないじゃない。理事長さんには見せてないってことだよね。だったら返してあげてもいいじゃない。返してあげなよ」。警察官に状況の異様さを次々に指摘され、返却できない事情を説明できない相澤勝はついに逃げ場を失い、まるで断崖絶壁から飛び降りるかのような不安と恐怖で凍り付いた顔つきになり、警察官の言葉に機械的に従うほかはなくなった。2015年9月11日、Mたちが膨大な文書と証拠資料を持参して最初に内部監査室公益通報を訪問したとき、その日のうちに理事長に報告すると副室長の中谷容子は明言していた。相澤勝が「公益通報シート」だけは、激しく動揺しながら返却することを最後まで拒んだのは、警察官が次々と暴露していったとおり、「理事長直属の内部監査室公益通報」なる組織の中身が(少なくともこの時点では)実質的に空洞であり、その「最初の=01の=唯一の」任務が私からオリジナルの偽造CD-Rを合法性の外観の下で奪い取ることだったからである。警察官たちの前で統括責任者は誰かという私の質問に対し、民事訴訟法が専門の大村雅彦であると相澤勝が答えたことは強調しておく必要がある。当時、常任理事であった大村雅彦は、民事訴訟第二審の直前に理事長に就任した元最高裁判事であった人物の任期満了を理由とされた退任と交代に、2017年5月26日に学校法人中央大学の理事長に就任することになるからである。

 1号館から外に出て、パトカーが何台か駐車してある大学構内の場所まで制服警察官たちと一緒に歩きながら、私たちは彼らの話を聞いた。「国立大学はまだいいんだけどさ、中央大学のような私立大学はエライんだよね。すごくプライドが高くて、警察を絶対に中に入れようとはしないんだよね。俺たちのことなんか、馬鹿にしてるんだよね。頭にくるけど、どうしようもない」。中央大学を管轄する警察署の警察官たちが、中央大学に対して決して良い印象を持ってはいないことが痛いほど伝わってくる話だった。しかし、所轄の警察官たちが私たちの110番通報に直ちに反応し、中央大学の構内にまでパトカーを走らせて、1号館の内部監査室公益通報の「犯行現場」まで急行してくれたことは確かなのだ(ということは、庶務課の職員たちが警察官の大学構内への立ち入りを、このときはなぜか容認したということだ)。しかも、財物である鑑定書の原本のコピーをするという室長の相澤勝の行為は窃盗に該当することまで認めた。そこで、私たちは中央大学内部監査室公益通報の室長、副室長を窃盗その他の被疑事実により、連名で告訴する告訴状を直ちに作成し、証拠資料とともに東京地検特捜部に送付した。2015年9月9日に提出した二通の告訴状と三通の告発状、及び全証拠資料は、相澤勝に鑑定書の原本のコピーをされるという被害に遭うよりも以前に、すでに返戻されてきていた。中央大学内部監査室公益通報の室長、副室長を窃盗その他の被疑事実により連盟で告訴した告訴状も、送付してから1週間ほどで返戻されてきた。同封されていた書面には、捜査機関が告訴状・告発状を返戻する際に必ず使用する紋切型の定型文が記載されていたが、その文中には「こんなつまらない事件にいつまでも拘泥するのはいい加減に止めるべきである」という意味作用を強く喚起してくる表現が紛れ込んでいることが認められた。

 一方、中央大学内部監査室公益通報から信頼を完全に裏切る違法行為の仕打ちを受けた日の翌日、中央大学に対して強い不快感を示す警察官たちの話を聞いたこともあり、また東京地検立川支部の二人の検察官刑事の名前をメモするなどして川田という私服刑事が本事件の背後に広大な闇の存在を感じ取っていたようにも見えたので、Mは所轄の警察署に電話をかけ、同警察署に直接赴いて告発状を提出したいと告げた。電話を受けた人物は、中央大学に対して強い不満を漏らしていた警察官だったので、Mの申し出に対して大変好意的な反応を示し、告発状の提出のためのMの来訪を歓迎すると伝えてきた。ところがそれから5分も経たないうちに、Mのところに同警察署から断りの電話がかかってきた。電話をかけてきたのは、驚愕すべきことに川田という私服刑事であり、「何も知らない下の者が間違った回答を伝えたようだが、中央大学の事件は取り扱わない! これが南大沢警察署の公式見解だ。いいですね!」と怒鳴り声で叩きつけるように言い放つと、Mが異議を唱えるどんな隙も与えずに一方的に電話を切ってしまった。「私と絶対に関係を持たない」ことが、ここでも徹底的に反復されたことが分かる。私たちと警察官たちが立ち去ったあと、内部監査室公益通報の相澤勝は、不正な任務の遂行を自分たちに命令した「本当の」上司に任務が不首尾に終わったこと、厄介な事態に発展する可能性があることなどをおそらく逐一報告したのである。その「本当の」上司が、のちに理事長に就任することになる内部監査室公益通報の当時の統括責任者であった大村雅彦であるのかどうかは分からない。あるいは、彼もそのなかに含まれる複数の首謀者たち(のうちの誰か)であるかもしれない。いずれにしろ、その「本当の」上司はおそらく捜査機関の頂点(最高検かもしれないし東京地検かもしれない)にいる共謀者の検察官検事に即刻連絡を取り、中央大学の捜査は絶対にしないよう南大沢警察署に直ちに圧力をかけることを要請したのである。そうでないとすれば、川田刑事の極端な豹変ぶりに説明を与えることが全くできない。

 「中央大学の事件は取り扱わない!」という絶対権力者に強制された「南大沢警察署の公式見解」という事実、それ以前に東京地検特捜部から2015年9月9日に提出した一切の告訴状と告発状が返戻されてきたという事実、それ以後に東京地検特捜部から中央大学内部監査室公益通報の職員たちを告訴した告訴状が返戻されてきたという事実。この三つの事実は、巨大犯罪身体の全痕跡を絶滅させる、すなわちその心臓部の比喩である私を絶滅するまで絶滅収容所に強制収容しておくという唯一の共通目的を果たすために、一見異なった文脈で非同時的に、しかし連続的に「滅罪的暴力」が行使されたということだけをもちろん意味する。検察官検事のみならず、法維持暴力のもっとも強力な遂行者であるはずの警察官まで「法を破壊する暴力」を行使し、法治状態の内部にいながら無法治状態という外部へと逸脱したことを意味する。

 しかし、さらに中央大学の執行部の奥地にまで足を運んだMたちは、そこには「滅罪的暴力」を行使する以外に生を営む術を知らない者たちしか存在していないこと、中央大学がもはや全体として(生き延びるために)「滅罪的暴力」を絶え間なく行使する灰色地帯、例外状態(=非常事態)と化していることを徹底的に思い知らされるに至る。

 2015年10月1日、鑑定書を始めとした証拠資料と理事長に宛てた書簡を携えて、Mたち三人は中央大学の総合研究棟である2号館に赴き、最上階にある当時の学長の酒井正三郎の研究室を訪問した。「中央大学が存亡の危機に瀕していることを伝えに参りました」というMの言葉に反応し、最初こそ学長はMたち三人を自分の研究室の中に快く招き入れた。Mはもっとも重要な次の三つの情報を学長に伝えた。①元法学部長で当時副学長であった橋本基弘、及び2012年4月11日に私に壮絶な退職強要を行なった元法学部教授の永松京子たちが強要罪の被疑事実により刑事告訴されていたこと。②私によって提起された民事訴訟に学校法人中央大学が偽造録音媒体を提出し、不正に勝訴判決を出させたこと。③その偽造録音媒体が真に偽造物であったことは、法科学鑑定研究所に依頼した科学的鑑定によってすでに証明されていること。とりわけ②と③の情報を耳にした途端、まるで体内に冷たい恐怖が急速に広がっているかのように学長の顔には極度の不安が現れ、必死で抑制してはいるものの恐慌状態に陥っていることが容易に看て取れた。学長の人格は彼の全体を支配している恐怖だけに還元され、学長自身が剥き出しの生と一致した例外状態であるように見えた。「現実の人格とその規範、生と規範のあいだに、わずかにでも距離を置くことができなくなり、両者があらゆる点で混じり合い、威厳をもった妥協の余地をもはや全く残さなくなる」というアガンベンによる例外状態の定義が、目の前の学長の様子に模範的なまでに顕現しているとMには思えた。Mたちから一刻も早く解放されたいという心的逃亡の態勢に入った学長は、「中央大学の存亡に関わることは法人の問題だから、教学に属する私には関与できない。だから、あなた方が持ってきた資料は受け取れない。それは、法人秘書課に提出する必要がある」と言って、法人秘書課に行くようにMたちを研究室から追い出した。

 Mたちが1号館の5階にある法人秘書課に赴いたところ、対応した女性の職員はMたちの様子から状況が深刻であることを察知し、法人秘書課の本部である総務部総務課に資料を提出するように勧めた。総務部総務課に移動したMたちは、そこで川田という女性職員から「理事長は会議のとき以外は大学には来られない」と聞いたので、理事長への書簡を始めとした証拠資料が入った封筒に「親展」と明記し、川田にその封筒を預けた。「理事長が来たら必ず渡します」と川田は約束した。しかし、封筒が理事長の元に到達することはなく、2015年10月7日に「回答書」という書面とともに中央大学からMの自宅に返送されてきた。「回答書」には理事長の署名も押印もなく、作成者の氏名すら記載されていなかった。その文面は、私たちが切実に希求する理事長との面談を拒絶しているばかりか、偽造録音媒体の科学的鑑定結果を完全に無視し、あれは2012年4月11日の「事実聴取」を録音したICレコーダーから複写したものであるなどという不毛な主張を依然として反復していて、形式的にも内容的にも「回答書」などと呼べる代物では到底なかった。そこで同年10月9日にMたちは法人秘書課に赴ハタハタという男性職員に理事長宛ての親展扱いの封筒を再度預けた。Mが「この親展扱いの封筒は、途中で開封されることなく理事長に届けられますか?」と質問したところ、ハタは「理事長に封筒を上げるかどうかは役員が決めます。この封筒はしかるべき場所に届けられます」と答えた。ここでハタが「役員」と言っているのは、総務部の統括責任者である常任理事のことであり、内部監査室公益通報の統括責任者も兼任している大村雅彦であることがまもなく判明した。Mがハタに預けた封筒はまたしても理事長の元に到達することはなく、同年10月17日に再び中央大学からの「回答書」とともにMの自宅に返送されてきた。10月16日付けの「回答書」には理事長の名前がワードで打たれ、「中央大学理事長」の印鑑が押されていて、「平成27年10月6日付け回答書による回答は、本学理事長において貴殿らの2015年10月1日付け書面による申入れの内容を確認した上で、回答したものです」との文言が記載されていた。

 Mに対する残酷な仕打ちをこうして繰り返すことを通じて、中央大学の首謀者たちは絶滅収容所に絶滅するまで強制収容しておくという「滅罪的暴力」を、私に対して怒涛のように行使してきたのである。Mが受け取った中央大学からの10月6日付けの「回答書」も10月16日付けの「回答書」も、作成者と差出人はもちろん理事長ではない。理事長の名義を冒用し、理事長と理事会に隠れて「偽装解雇」を強行したこと、及び民事裁判を主導したことをどんなことがあっても理事長に知られてはならない首謀者たちの一人、すなわち当時の副学長であった橋本基弘の所業であるとしか考えられない(すでに科学的鑑定結果が出ている偽造録音媒体を、依然として2012年4月11日に録音したものの複製であると頑迷に主張し続けるとは、偽造録音媒体を偽造録音媒体のままで隠蔽しようとする身振り以外の何であろうか。さらに、Mたちが10月1日に訪問した際、恐慌状態に陥る前の学長は、民事訴訟のことが理事会で議題に上ったことは一度もないと明言していた)。そもそも、10月16日付けの「回答書」における先に引用した文言を、理事長自らが書いてくるなどということは原理的に不可能なのだ。なぜなら、2015年10月12日付けで、中央大学を存亡の危機に陥れ続ける首謀者たちの常軌を逸した数々の悪行について、2012年4月11日以来私が行使され続けている殺人的暴力について、そのために私が全生活を破壊され生の存続すら危ぶまれる限界的状況に追い詰められていることについて細部に至るまで知らせ、首謀者たちの悪行の連鎖を停止させて中央大学に通常状態を復活させて欲しいとする請願書を、三人の理事長の自宅に宛てて私が送付していたからである(理事長たちの自宅住所は、中央大学が民事訴訟第二審で裁判所に提出してきた上申書のなかの「履歴全部証明」なる書面に記載されていた)。請願書は、同年10月14日に三人の理事長の元に到達したことが確認されている。元最高裁判事の当時の理事長の自宅に送付した請願書だけは、配達状況に極めて不自然な形跡が見られたことから、私から事実を知らせる書簡などが送付される十分に想定され得る危険性を未然に排除しておくため、何らかの策略を弄して首謀者たちに到達前に奪取された可能性が高い。しかし、私は三人の理事長に全く同一内容の請願書を送付したので、当時の理事長とは昵懇の間柄であると聞いていた元理事長が激しい衝撃を受けて、弁護士でもある当時の理事長に直ちに連絡を取り相談した可能性は限りなく高いと思う。放置しておけば、首謀者たちが次々と犯した違法行為の全責任の所在は、自分たちにあるということに書面上は自動的になってしまうので、2012年当時の理事長が控訴審直前に就任した元最高裁判事の理事長に真っ先に相談しない理由など、想像することすらむずかしい。そんなわけで、2015年10月6日付けの「回答書」も10月16日付けの「回答書」も、当時の理事長の視界には全く入らないところで理事長の名義をまたもや冒用して作成され、Mの自宅に送付されてきたのである。Mを通して「滅罪的暴力」を、「法を破壊する暴力」を私に行使するため。不滅に手が届くほどまでに生き延びるため。

 とはいえ、2012年11月20日の労働審判の小法廷で、同年4月11日以来初めて至近距離で見た橋本基弘の顔は、同一人物とは思えないほど極端な変貌を遂げていた。思わず息を呑むほど、顔全体がどす黒く変色していた。どす黒くというより、ほとんど真っ黒に近い状態まで変色していた。内臓に悪い病気を抱えているためか、あるいは毒性のストレス物質が大量に発生し続けているためかは分からない。しかし、なぜそうなったかと言うと、憲法学者としての彼が時間のなかで生を存続させていけるのは、法維持暴力である「神話的暴力」の次元であるにも拘らず、自分の罪を滅ぼし尽くすために「神話的暴力」を破壊する倒錯した「神的暴力=滅罪的暴力」を私に向けて散々行使してきたし、その後も無際限に行使していかざるを得なくなったからだ。罪悪感の源泉である「原罪」とは、彼自身の「剰余価値」の言い換えであり、時間のなかで生き延びるということは、自分の/という「剰余価値」を無限に再生産していくということだ。絶対に現前することのない、原初に喪失した自分の「価値」との完全な一致を求めて。絶対に現前することのない、あるいは(人間であり続けるために)絶対に現前してはならないこの「原初に喪失した価値」と、罪悪感を一掃するために橋本基弘はおそらく禁じられた一致を遂げ、ヘーゲルが「絶対知」と呼んだ地点にまで誤って辿り着いてしまったのだ。自分の犯罪を絶滅させるために、つまり生き延びたいという欲望のために「滅罪的暴力」を私に行使すればするほど、生き延びたいという欲望は減衰し、空転し、時間との関係の外でただ単に生きていることとの区別がつかない存在になってしまったのだ。「剰余価値」とはまた、彼が彼自身と一致できないことの効果である「欠如」の別名であり、「生き延びること=欲望すること=語ること」を可能にするこの「欠如」を彼が抉り取ってしまったこと、バトラーの言葉を借りれば自分自身の一切の「不透明性」を彼が追放してしまったことは明らかである。労働審判の日に最後に見た橋本基弘は、すでに人間ではなくなりつつあり=人間を超克しつつあり、「絶対知」の地点に達しつつある「神」になりかけていたのだと思う。「原罪=剰余価値=欠如」を自分のなかから摘出してしまったその者は、もはや剥き出しの生にすっかり還元されてしまったように見え、絶対的に完結していて、剥き出しの生だけがこの者の唯一の規範になってしまったのだと強く感じさせた。実際、民事訴訟第一審が開始される一週間ほど前に開かれた行政法教授の中西又三の最終講義で橋本基弘は挨拶をしたのであるが、偵察のために会場に足を運んだMの耳に聴こえてきたのは、言語の分節化が上手くいかずたびたび破綻して崩壊しそうになるため、何を話しているのか頻繁に不鮮明になる橋本基弘の話し言葉だった。

 もう一人の首謀者、あるいは共謀者である2012年当時の学長であり、現在の学長でもある福原紀彦の言説についても同様の現象が見られたことを、2013年3月の卒業式に出席した当時の共闘仲間が証言している。橋本基弘は私を陥れた学生から「救済願」が出たので、私の解雇の緊急要請としてそれを当時の学長に上げ、学長の承認を得て私の解雇が決定されたという虚偽の物語を民事訴訟に提出した。証拠として提出されない「救済願」など、もちろん初めから存在していない。橋本基弘の共謀者であった当時の学長は、理事長の決済印のない偽物の稟議書に決済印を押し、私の名誉を著しく毀損する内容の「兼任講師解雇」のニュースを中央大学公式ホームページに掲載した。私から提訴されたので、「醜悪な加害者」が唯一の意味であるという絶滅収容所に私を強制収容するための舞台として、他の首謀者たち・弁護士たち・裁判官たち・検察官検事たちとともに民事法廷を利用するという完全犯罪に、部分的せよ全面的にせよとにかく関与した。すなわち、現在の学長でもあるこの人物もまた、自分たちの全犯罪の痕跡を絶滅させるために倒錯した「滅罪的暴力」を私に確実に行使したのであり、その代償として罪悪感の源泉である「原罪」をいつのまにか摘出せざるを得なくなった。2013年3月の卒業式で、分節化の輪郭が甚だしくぼやけていて意味作用を少しも限定できずに滑ってしまう話し言葉で、何を言っているのかほとんど分からない「祝辞」を、卒業生たちの前で述べることを余儀なくされたのである。

 ここで、2015年10月1日にMたちを研究室から追い出した中央大学前学長、現総長の話に戻る。彼の助言と指示に従って法人秘書課を訪れたMは、すでに述べたとおりの倒錯した「滅罪的暴力」を連続的に行使された。そこで、Mが残酷な仕打ちを受けた経緯を説明し、私が三人の理事長に請願書を送付したことも伝え、「回答書」を理事長名義でMに送付してきたのは橋本基弘以外には考えられないこととその厳密な根拠も明示した上で、理事長と協力して中央大学を存亡の危機に曝し続ける者たちを早急に調査して欲しいという趣旨の請願書を私は直ちに作成した。同年10月22日、Mを除いた当時の二人の共同仲間が、Mの自宅に再三突き返された理事長宛ての封筒と私の請願書を携えて、再び中央大学に赴いた。二人は授業中の学長が、授業を終えて教室の外に出てくるのを待った。まもなく学生たちが教室の中から出てきたので授業が終わったことは明らかであったが、肝心の学長は授業が終わったあとも教室の中に15分間も残り続けて、なかなか出てこようとはしなかった。二人が、彼を恐怖で震撼させる情報を伝えるために10月1日に研究室にやってきた私の共闘仲間であることを、もちろん学長は十分に承知していたが、彼らにどう対応するか、彼らから今度はどうやって逃げるかを恐怖のなかで悶々と考えていたとしか思えない。漸く出てきたと思ったら、ほとんど二人を無視して急ぎ足で歩き始めたので、二人は追いかけながら話しかけ続けるしかなかった。前学長の酒井正三郎も、ここで「私と絶対に関係を持たない」ことを反復した。おそらく、首謀者の一人である当時副学長の橋本基弘から、Mたちが彼に伝えた話は全て虚偽であり、民事訴訟については理事長も全て知っているし、偽造証拠を提出して不正に勝訴判決を出させたという話も出鱈目であるなどと、それこそ虚偽だらけの話を聞かされてそれを真に受けたか(あるいは信じるふりをすることにしたか)、それとも捜査機関の頂点にいる共謀者たちが自分たちを(=中央大学を)犯罪を実行したという事実から守ってくれる(したがって中央大学は安泰である)という極秘情報を共有させられたか、学長の態度が豹変した理由はそのいずれかであったと考えられる。いずれにしても、学長は二人との関係、対話のなかに絶対に入らないという頑迷な態度を崩さず、何とか逃げ切りを図ろうとしたが、二人の共闘仲間は全力で追いすがって話しかけ続けた。「このまま放置しておくと、何も知らない理事長が全責任を引き受けさせられてしまうんですよ」と共闘仲間の一人が言うと、恐怖で張り詰めた無関心の仮面が少し裂けて、そこから顔を出した学長は「だったら、法的措置を執られたらどうですか」と信じられない言葉を口にした。「とにかく全てはここに書いてあるので、井上先生の請願書を読んでください」ともう一人の仲間が言って請願書を差し出すと、学長は一瞥もくれずに「私は受け取れません」と言って、私の請願書の受け取りを拒否するという暴挙に出た。ここで、「私と絶対に関係を持たない」という反国家的組織的犯罪の首謀者たち・共謀者たちと共通する戦略は、その非倫理的な悪質さにおいて頂点に達する。学長の人格は前回にも増して凄まじい恐怖だけに還元されているように見え、「威厳を持った妥協の余地」などもはや一滴たりとも残されてはいないことを思い知らされた二人は、学長との関係のなかから排除されることに同意せざるを得なくなった。多くの所用があるとのことで、学長は風のように逃げ去った。中央大学とほとんど一体化している前学長もまた、中央大学と自分が不滅に手が届くほどまでに生き延びたいという欲望の命じるままに、中央大学の犯罪の全痕跡を絶滅させるために倒錯した「滅罪的暴力」を私に行使した。まるで、私の同一的な意味を中央大学の犯罪の被害者であるとほんの少しでも認識してしまえば、中央大学が犯罪を実行したという事実に対して盲目でいられる特権を手放さなくてはならないとでもいうかのように。「醜悪な加害者」が唯一の意味であるという絶滅収容所に絶滅するまで私を強制収容してしまえば、中央大学の全犯罪の痕跡も絶滅し、「何も起こらなかった」という虚偽が唯一の現実に化学変化すると本気で信じているかのように。

 中央大学が全体として倒錯した「滅罪的暴力」を行使する非常事態(=例外状態)の空間であり、首謀者たちはもちろん職員たちや学長に至るまで、自分たちの「原罪」を摘出してしまった剥き出しの生たちの集団であることを思い知らされた私たちは、2015年11月4日に再び文科省高等教育局私学部を訪問することにした。2012年7月26日に密室に閉じ込められ、梅木慶治の隣に座った正体不明の男から極限的な人権侵害を受けたことに抗議し、中央大学が露骨極まりない虚偽回答を伝えてきたことを告発するためであった。同時に、中央大学が民事訴訟に虚偽回答を提出して不正に勝訴判決を出させるなど違法行為の限りを尽くすため、生活を限界まで破壊されて生存権をついに脅かされるまでに至っているので、同大学を調査して通常状態を取り戻させるよう指導して欲しいと嘆願するつもりであった。当時の参事官付であった阿部田康弘氏と参事官の星晃治氏が、高等教育局私学部の部屋がある上階から下りてきて、1階のロビーの一角で私たちと面談した(2012年に最初に訪問したとき、梅木慶治は高等教育局私学部の部屋に私たちを招き入れ、そこで相談に応じた。最初の訪問時の梅木慶治の対応と較べると、阿部田康弘氏と星晃治氏がなぜ高等教育局私学部の部屋に私たちを通さず、1階まで下りてきてそこで面談をする必要があると判断したのか、私とMは不可解であるという印象を直ちに抱いた。それに、梅木慶治のことを知っていた受付の女性が上に電話をしてから、二人が下りてくるまでにかなりの時間を要した)。二人は真剣ではあるが、あくまでも中立性を崩さないという印象をどこか異様な頑固さでその雰囲気に宿らせながら、私たちの話を聞き続けた。ときどき応答したり質問したりするのはもっぱら阿部田康弘氏のほうで、星晃治氏は深刻そうな表情を浮かべながら終始無言のまま、面談内容をノートに写し取っていた。この二人は何かとても重大なことを知っているが、彼らの背後にある秘密の領域に私たちが敏感に気付いてそれを垣間見ようとしたりしないように、非常に巧妙にパフォーマティヴに(=演劇であるとは悟られない演劇の中で演技をしているように)振舞っているという確信に近い印象を私は終始抱かざるを得なかった。鑑定書を見せながらその値段を伝えると、「そんなに高いのか!」と言って阿部田康弘氏はさも驚いた様子を示したが、その身振りには偽造録音媒体の存在を脱深刻化し、偽造録音媒体を偽造録音媒体のまま隠滅してやろうと謀った中央大学内部監査室公益通報の副室長の中谷容子の身振りに通じるものがあると、私は直感した。とにかく一刻も早く理事長に連絡を取って、首謀者たちの悪行とそのために中央大学が危急存亡の秋に直面しているという非常事態を伝えて欲しいと嘆願すると、理事長に連絡を取るための「特別なルート」があると阿部田康弘氏は言った。そして、私と連絡を取りながら調査を進めていき、中央大学には自浄作用を促すように働きかけてみると私たち四人の前で約束した。

 それから一日後の2015年11月6日の午前10時頃に私は阿部田康弘氏からの電話を受けた。「結局、文科省に何をして欲しいと言っているんですか?」という質問には度肝を抜かれた(二度目の訪問時に、梅木慶治も全く同じことを言った)。「嗚呼、またか」という今にも絶望の頂点に一気に高まりそうな激しい不安に駆られながら、一日前に話したことを大急ぎで反復したが、阿部田康弘氏の反応はどこか意図的にぼんやりしていて、こちらの必死の要望が彼に伝わったという手応えをこちらに決して与えないように、残さないように極めて曖昧で茫漠とした応答だけを故意にしていると感じられた。その夜、阿部田康弘氏に宛ててメールを書き、中央大学が本当に存亡の危機に瀕しているので約束したとおり調査をして欲しいこと、中央大学にはセルフ・ガバナンスが全く機能していないように見えるので、学校教育法に基づいて理事長をしっかり指導して欲しいこと、この二つの要望を詳細に展開したのち送信した。ところが、というより不吉な予感が的中して、阿部田康弘氏からの連絡はそれから一切なく、時間の経過とともに完全に途絶えたという事実だけを確認することしかできなくなった。ここで、阿部田康弘氏(と星晃治氏も)「私と絶対に関係を持たない」ことを反復した。阿部田康弘氏は、おそらく最初から守るつもりのない約束をしたのだと思う。期待を抱かせておいて、それからいきなり断崖絶壁から奈落の底に突き落とすというもっとも悪質なやり方。背後に広がる秘密の闇の領域を漠然と感じさせながら、阿部田康弘氏は絶対的な沈黙のカーテンを引くことで、その秘密の闇の領域を私たちの視界から完全に遮断してしまった。絶対的な沈黙のカーテンとは絶対的な隠蔽のカーテン以外の何ものでもない。中央大学の全犯罪の露見可能性、とりわけ理事長への露見可能性を何よりも恐れる首謀者たち、あるいは共謀者たちの誰かが阿部田康弘氏を通じて(あるいは阿部田康弘氏と星晃治氏の上司を通じて)、私に倒錯した「滅罪的暴力」を行使させたことは明らかである。かなりあとになって、2017年5月26日に新理事長に就任した元常任理事の大村雅彦が15年近くにわたり、文科省の様々な委員会の委員を歴任してきたこと、したがって文科省の官僚たちとの間に密接なコネクションを持っていることが判明した。阿部田康弘氏と星晃治氏に、私に「滅罪的暴力」を行使するよう直接的に、あるいは間接的に圧力をかけた中央大学の人物が、大村雅彦である可能性は限りなく高いと考えざるを得ない。2016年の秋頃から「基本問題調査・改革委員会」を組織して、内部監査室公益通報の統括責任者を始めとした法人役員の(それまでは存在していなかった)厳格な倫理規程を制定し、それらを整備した上で2017年6月に「報告書」を文科省に提出する予定でいた元最高裁判事の理事長が、その直前である同年5月26日に開催された理事会で任期満了を理由に突然退任することが決定され、後任に大村雅彦が就任することも決定されたのである。元最高裁判事の理事長が法人役員の倫理規程を制定したという情報を、2012年当時の理事長が会長を務める中央大学の同窓会組織である学員会の機関紙で知った私は、元最高裁判事の理事長に宛てて謝罪と和解を求める書簡を内容証明郵便で送付しようと決意し、その意向を西川克行検事総長に宛てても知らせた。その矢先のことである。元最高裁判事の理事長の退任が突然決定され、大村雅彦が新理事長に就任したとう情報が飛び込んできたのは。

 2017年6月2日、私はもう中央大学の理事長ではなくなった元最高裁判事であった人物の自宅に宛てて、謝罪と和解を求める書簡を送付する予定でいたが突然不可能にされたことを伝える長文の私信を内容証明郵便で送付し、内容証明の形式に変換する前の同私信を証拠として西川克行検事総長に宛てても送付した。さらに同年6月4日、文科省高等教育局私学部の阿部田康弘氏と星晃治氏に宛てて約束を突然反故にされたことに対して強い怒りを表明し、違法行為に関与した人物たちを告発するのが国家公務員の義務であり、その義務を果たさないならば犯人隠避に問われる可能性も当然出てくるという内容の書簡を簡易書留郵便で送付し、同書簡を証拠として西川克行検事総長に宛てても送付した。中央大学の首謀者たち、共謀者たちは、私に対してだけではなく、私を絶滅収容所から救出してしまいかねない元最高裁判事の理事長に対しても、限りなく倒錯した「法を破壊する暴力」を行使したのであると私は思っている。したがって、中央大学の最後の良心であった元最高裁判事の理事長が立ち去ったあと、不滅に手が届くほどまでに生き延びたいという欲望で結びついた中央大学の首謀者たち、共謀者たち、協力者たちは、「原罪」の集団的摘出をますます激しくやり遂げ、完全に自己完結した「超人たち」の共同体、「神々」の共同体になっていくしかないのである。

 こうして私は次々に「滅罪的暴力」を行使され、行使される度に強制収容された絶滅収容所の鍵は強度を増し、絶滅収容所には救済へと繋がるどんな一筋の光も射し込まなくなった。そこでMは2015年11月の上旬過ぎに、偽造録音媒体を鑑定に出す以前の段階で、威力業務妨害を始めとした複数の被疑事実により、かなり大勢の人間を告訴した長文の告訴状を送付した警視庁に電話をかけてみた。その告訴状は、東京地検特捜部からの返戻に続いて警視庁からも返戻されてきた。ところが、電話に出た警視庁捜査二課の高菜と名乗った刑事は、その告訴状の内容をよく覚えていた。「ああ、あの威力業務妨害の告訴状ね」と即座に反応した。Mが「偽造録音媒体の科学的鑑定結果が出て、真に偽造証拠であることが証明されたのです」と言うと、「それならば、裁判所に問い合わせてみられたらどうですか」と返してきたので、「いや、裁判所は信用できませんので、そちらに直接伺ってご相談させていただきたいのですが」とMは高菜刑事に強く訴えた。すると、「それは立川支部で扱われた事件だから、立川支部に行ってください」と高菜刑事は応答し、警視庁捜査二課に私たちが相談に行くことをさりげなく拒絶した。私は、告訴状を提出した2015年2月の段階で、警視庁捜査二課の高菜刑事たちが事件性の臭いを全く嗅ぎ取らなかったなどということはあり得ないと思っている。返戻されてきた全証拠資料のうち、とりわけ控訴審に提出したMの「報告書」には、ほとんど破損寸前まで丹念に熟読され、吟味を重ねられた痕跡がありありと残っていたからだ。すでにこの段階で、捜査機関の頂点にいる中央大学の首謀者たちの共謀者である検察官検事から、南大沢警察署の川田刑事に加えられたような圧力が、「中央大学の事件は扱うな」という圧力が、警視庁捜査二課の高菜刑事たちにも加えられていた可能性は限りなく高い。

 警視庁捜査二課に相談に行くことを高菜刑事に拒絶され、東京地検立川支部に行くように指示されたので、2015年11月18日に私たちは仕方なくその不快な場所に赴いた。2013年11月下旬に私をたった一度だけ呼び出した森川久範は、捜査のためだと私を欺罔し、民事訴訟の代理人弁護士に告訴人代理人にもなってもらいたいので彼と委任契約を結んで欲しいと要請した。もちろん、それは中央大学の完全犯罪を成し遂げるための条件である「私と絶対に関係を持たない」ことを森川久範も反復するため、森川久範が不真正不作為を貫いて犯人隠避と証拠隠滅を実行するためであった。検察官検事が犯罪を実行するために、私は民事訴訟の代理人弁護士と告訴人代理人としても活動してもらうための委任契約を結ぶよう事実上強制された。そのために22万5百円の支出を強制された。告訴人代理人として民事訴訟の代理人弁護士が何をしたのかは知らない。告訴人代理人として彼が遂行したことが、本当に告訴人代理人の仕事を遂行したことになるのかどうかは知らない。民事訴訟の代理人弁護士にまつわる多くの諸問題については次章以降で展開する。2015年1月27日、私はその代理人弁護士と一緒に二瓶祐司から、全く無内容でどんな説得力もない不起訴処分決定の理由説明を聞かされた。二瓶祐司が子ども騙し同然の理由説明をしている間、私の位置から斜め左前に座っていた若い検察事務官の男性は、机の上に上半身を倒して両腕の間に俯いた頭を乗せ、全身を硬直させながら微かに震えているように見えた。圧倒的な力で彼を支配している恐怖と不安がその顔を驚くほど蒼白に染め上げ、どこにも焦点が合わない虚ろな視線は、彼の内部を占有している検察官検事たちの犯罪についての記憶だけをひたすら凝視していたに違いない。彼の目の前で堂々と白々しい虚言を並べ立て、丁重な言葉遣いとは裏腹に私を実質的に欺罔し、侮辱し、愚弄する二瓶祐司の言説、私に事実上の死刑宣告を言い渡しているも同然の「法の破壊者」の言説を聞きながら、必然的に共犯者である若い検察事務官が耳を塞ぎたい衝動に駆られていたとしても不思議ではない。

 2015年11月18日、同年3月31日付けで検察官検事を辞職した森川久範はもう東京地検立川支部には不在であり、強要罪の被疑者全員に不起訴処分を出した二瓶祐司はまもなく福岡地検飯塚支部に支部長として異動になったので、同様に東京地検立川支部で不意に顔を合わせる心配はなくなった。だからといって、東京地検立川支部に再び足を踏み入れることに、行く前から私は激しい抵抗感を覚えずにはいられなかった。その場所で運用される法は無法と区別がつかず、崇高な「法」と象徴的な実定法との峻別を厳守している自己言及的な検察官検事など一人も存在せず、法の運用と剥き出しの生の発現が全く無反省に一致している検察官検事しかいない不可視化された例外状態なのだという強い覚悟とともに、Mたちに支えられて私はその場所に入った。2015年12月9日、私たちを待ち受けていたのは、まさにそれを絵に描いたような検察官検事であり、「外傷的で非合理的であるがゆえに理解不能な法」、「支離滅裂で統合性を欠いた法」というジジェクによって定義された法を、文字どおりその全言動に体現させている検察官検事であった。鈴木久美子という名のまだ若い検察官検事は、その偽造の痕跡が科学的鑑定によって証明されている偽造録音媒体を法の適用に値しないものとして徹底的に無害化し、中央大学の首謀者たち・弁護士たち・裁判官たち・検察官検事たちの多数の犯罪の複合体である巨大犯罪身体を歴史と社会から絶滅させるため、絶滅収容所に絶滅するまで私を遺棄し続けることを完全に正当化するという最高難度の不正な使命を帯びて私たちを待ち受けていた。

 2015年11月18日、野村という直告係の検察事務官はまだ何も知らなかったため、犯罪被害者として私を自動的に同定し、深い共感を示しながら誠実に対応した。「法治国家ではないですね」と私が開口一番に言うと、「これまではね」と穏やかに答えた。まもなく起こることを知っていたら、「これからもね」と野村は正直に答えなければならなかった。提出された二通の告訴状と三通の告発状にざっと目を通し、とりわけ二通の告訴状の被告訴人たちとその被疑事実を確認するとかなり驚いた様子を見せた。全て預かるので検事からの指示を待つようにと告げると、立川支部の入り口付近まで歩いてきて私たちを見送った。同年11月21日、元最高最判事の理事長名義の書簡が内容証明郵便速達で私の自宅に送付されてきた。同年11月2日に、面談の機会を作ってくれるよう丁重に嘆願する書簡を同理事長の自宅に送付したので、返信が郵送されてきたのかもしれないと思って開封してみたら、またしても「滅罪的暴力」を私に行使する恐ろしい脅迫文が入っていた。「中央大学が民事訴訟に偽造証拠を提出して勝訴判決を得たという事実はない」という露骨な虚偽がまたも繰り返され、「本学関係者に対する虚偽の告訴、告発、虚偽の風説の流布といった行為に及んだ場合は法的措置を執る」という、明らかに私を脅迫する文言が見られた。Mの自宅に「回答書」を送り付けてきたのと同一人物の仕業であることは疑う余地がなかった。当時の元最高裁判事の理事長の自宅に郵便物を送付すると、「法を破壊する暴力」の行使者となったこの憲法学者に必ず奪取されて理事長には絶対に届かないということをあらためて思い知らされた。恐怖に駆られ、その脅迫文を持って同年11月24日、再び東京地検立川支部を訪れた。現れた野村の表情からは、最初の訪問時に彼が示した共感が消失していて、緊張のために幾分こわばっているように見えた。告訴状と告発状を鈴木久美子に見せた際、彼女に託された不正な任務を初めて知ることになり、その任務の遂行に自分も協力しなくてならないことを、おそらくある程度認識した結果だと思われる。しかし野村は、その脅迫文を私たちの目の前で一読すると、深い溜息をついて「企業でもこんな悪質なことはやらない」と心底呆れた様子で言った。その後、野村から私の携帯に電話があり、12月上旬に鈴木久美子との面談の日時が設定されたが、暫くしてまた野村から電話があり、検事の都合により面談の日時は12月9日午後3時に延期になったと伝えられた。私だけではなく、共闘仲間三人と一緒に来庁して欲しいと伝えられた。

 そして2015年12月9日、私たちは野村に案内されて鈴木久美子の待つ部屋に向かった。共闘仲間の一人が「もう受理されたということでしょうか」と質問すると、「まだその段階ではない」と野村は冷然と答えた。膨大な書類が方々に山積みされている広い部屋に足を踏み入れたとき、一瞬視界に入ったのは、内面から分泌される強い不安を不用意に露呈させている鈴木久美子の顔だった。私たちの来訪に気付くなり、鈴木久美子は大急ぎで検察官検事の仮面をつけた。私たち四人は、二つの細長いテーブルを挿んで鈴木久美子と対面する形で着席した。「録音は一切お控えください」と前置きした上で、鈴木久美子は私たちの告訴状と告発状に早速難癖を付け始めた。自分のテーブルの上に置かれた数冊のコンメンタールを交互に参照して読み上げながら、私たちの告訴と告発が各犯罪の構成要件にいかに該当していないかを、まくしたてるような口調で私たちに次々と威嚇的に突き付けてきた。そして、このような告訴と告発は全て不可能であるから、断念するしかないという事実を受け入れるように私たちに強く迫った。その上で、「受理しろと言うなら受理はしますけど、捜査するための中身がないから私たちには何もできない」、「検察官の経験として言いますけど、証拠を突き付けられても自白しない被疑者なんて山ほどいる」、「法律の構成要件を厳しくすれば、皆が生きにくい世の中になる」、「法律ができる範囲は非常に狭い」などと、「外傷的で統合され得ない法の性格」(ジジェク)を絵に描いたような支離滅裂で非合理極まりない言説を次から次へと並べ立てた。すでに野村に提出した、理事長の名義をまたもや冒用して橋本基弘が私の自宅に送り付けてきた脅迫文の具体的な文言に言及し、救済を求める切実な要望を口にすると、「そんなものは一切違法行為に該当しません」と鈴木久美子は高圧的に断言し、「(巨大犯罪身体の)罪を滅ぼし尽くす暴力」、「法を破壊する暴力」の明白な行使者として被害者である私たちではなく、加害者である中央大学(とその共謀者たち)に完全に寄り添う言動を示した。

 それにも拘らず、私たちが大変な労力を費やすことも厭わずに、なぜこうまでして告訴と告訴を忍耐強く行ない続けようとするのか、鈴木久美子は執拗に問い質してきた。仕方なく「民事の再審請求を通すためです。有罪判決がないと、確定判決を覆すことはできませんから」と私が答えると、鈴木久美子は「どうしてあなた方がここまでの労力をかけ、資料を集めて告訴と告発を行なっているのか、やっと理由が分かった」と言って非常に満足そうな表情を浮かべ、同情と共感の含蓄をにわかにその言動に込めるようになった。「それなら、鈴木検事がこの事件を捜査してくれるのですか?」とMが問いかけると、「いいえ、私は受理担当検事です。私がこの事件を捜査することはありません」と鈴木久美子は答え、続けて「どんな弁護士が告訴と告発をしたところで、こんな案件、起訴なんて絶対不可能です」とまた支離滅裂なことを述べた。巨大犯罪身体の全犯罪の痕跡を絶滅させるための倒錯した「滅罪的暴力」の行使者である鈴木久美子は、その後も自分たちの意思で告訴と告発を取り下げるよう私たちに猛烈に強要し続けた。「いったん、みんなでよく考えた上で、再び立川支部にこちらの意向をお伝えします」とMが告げ、私たちは立ち去る準備を始めた。鈴木久美子は「私が上手くあなた方を丸め込んだとは思わないでくださいね」と微笑を浮かべながら言い、続けて「森川検事が辞職したのは、贈収賄があったからもしれませんね」とぎょっとさせるようなことを口走った。「支離滅裂で非合理な法」が彼女の口を借りて語ったということだ。すなわち、彼女にこれらの言葉を語らせたのは、彼女が払拭しきれずにいる内心の葛藤あるいは相克であり、言い換えれば彼女の罪悪感であり、彼女がまだ摘出することができずにいる「原罪」であったと現在の私は思う。彼女の罪悪感は、不正な任務の遂行のためにその日私たちに倒錯した「滅罪的暴力」を散々行使してきた真の理由、裏側に隠された彼女を苦しめる真の事情を、ほんの僅かであれ彼女に暗示的に吐露させずにはおかなかったのである。

 しかし、捜査機関の頂点にいる、彼女に不正な任務を命令した絶対権力者に生殺与奪権を握られている彼女には、不正な任務を遂行し続ける以外にどんな選択肢もなかった。Mは、無印私文書偽造・同行使罪を被疑事実とする告発状を提出したのだが、日本の刑法では内容が虚偽であっても犯罪にはならず(=無形偽造)、私文書の場合は他人の名義を冒用している限りにおいて犯罪の構成要件を満たす(=有形偽造)という事実を知らなかった。その点を、鈴木久美子に指摘された。そこでMが、告発状を書き直す意向を伝えるために2015年12月10日の午前中に東京地検立川支部に電話をかけたところ、野村が応答した。同日の午後、Mの自宅にまず野村から電話があり、すぐに鈴木久美子に変わった。民事訴訟第一審に被告代理人が提出してきた証拠説明書(1)には、「反訳書」の作成者は「山田速記事務所」とあり、作成日は2012年5月15日と明記されていた。科学的鑑定結果によれば、偽造録音媒体の最終録音日は2012年10月17日である以上、それよりも5カ月も前にその「反訳書」が作成されるなどということは非現実的な不可能事なのである。インターネットで検索しても「山田速記事務所」などという事務所は存在せず、それが架空名義であることは間違いないという確信を得たMは、科学的鑑定結果に基づいて告訴状を書き直すという意向を鈴木久美子に伝えた(=架空名義であっても、有形偽造は成立する)。すると、彼女が「山田速記事務所が実在するか、〇〇〇〇法律事務所に連絡を取るので、回答が出るまで手直しを待ってもらいたい」と言ったので、Mは仕方なくその申し出に同意した。すかさずMが、「それならば、鈴木検事が事件の捜査を行なってくださるのでしょうか?」と問いかけると、面談のときと全く同様に「私は受理担当検事で、捜査担当検事は別になります」とまたもや鈴木久美子は答え、私たちの告訴と告発に関する捜査権限が自分にはないことを明確にMに伝えた。2015年12月22日、鈴木久美子はMの自宅に直接電話をかけてきた。中央大学の代理人弁護士に連絡して確認を取ったと伝えると、「山田速記事務所は存在する」、「作成者ご本人の請求書が立川支部に送られてきており、電話番号もある」、「だから無印私文書偽造の構成要件は決して満たせない」という情報を、Mのなかの希望の樹を次々となぎ倒していく奔流のように猛然とまくしたてた。それでもMが最後の希望の樹に必死でしがみついて、偽造録音媒体を作成して民事裁判に提出したという中央大学の違法行為の細部について言及すると、「鑑定結果は忘れてください!」という信じがたい暴言を「法を破壊する暴力」の行使者である鈴木久美子は口にした。それから、倒錯した「滅罪的暴力」の行使者は、その使命をこれでもかと裏付ける暴論を、Mの最後の希望の樹を根こそぎにしてやるという凄まじい執念、物凄い覚悟の律動に身を任せながら次々と繰り広げていった。「鑑定結果は構成要件には該当しない」(しかし、「私電磁的記録不正作出・供用罪」という別の犯罪の構成要件には厳密に該当する。鈴木久美子が私たちの法律に対する無知を利用したことは明らかである)、「中央大学が、作成者の名前、署名、印鑑なしで反訳書と書かずに無印私文書を裁判所に提出してはならないという法律があるなら教えてください」、「森川検事に連絡を取ったところ、森川検事は強要罪で起訴できる案件ではないから不起訴にするしかないと思って不起訴にしたと答えた」(そもそも森川久範は、強要があったことを証明してしまう科学的鑑定には故意に出さなかったのである)、「絶対に起訴にはできない」、「どんな他の違法行為に繋げることもできない」。最後の希望の樹を根こそぎにしてやるという物凄い剣幕で狂気の「滅罪的暴力」を行使され続けたMは、疲弊と消耗のついに限界点にまで追い遣られ、「これほどの不正が不正として認識されず隠蔽されるのであれば、私は先生に闘いを勧めた責任を取り、自殺するしかありません」と力のない声で言った。希望の全面的な喪失を告げるMの力のない声を聞いた刹那、完全に抑圧していた罪悪感が意識の水面ににわかに浮上してくるのを感じたのか、鈴木久美子は狼狽した。そして反射的に「死なないでください。死なれたら困ります」と狼狽しながら言った。巨大犯罪身体の全痕跡を社会と歴史から絶滅させるため、私とMを絶滅するまで絶滅収容所に遺棄しておくことを絶対的に正当化するという最高難度の不正な任務遂行に、この日Mとの電話でのやり取りを終えたあと、鈴木久美子は成功したと感じたのか、それとも失敗したと感じたのか。両者が混淆した限りなく複雑な感情に襲われたと私は確信する。

 鈴木久美子に最後の希望の樹まで根こそぎされ、絶滅収容所空間にこれでもかという狂気の「滅罪的暴力」の行使により徹底的に遺棄されたMは、別の大学にいた授業直前の私に絶望のどん底で連絡してきた。Mを通じて鈴木久美子に倒錯した「滅罪的暴力」をこれでもかと行使された私は眩暈と吐き気に襲われ、その日の全授業を直前に休講にせざるを得なくなった。それでも大至急対応策を講じる絶対的な必要性が生じたため、直ちにMと落ち合い、支離滅裂で非合理でどんな論理的反論も一切通用しないがゆえに突き崩せない鈴木久美子の狂気じみた告訴・告発妨害の壁を、どうやって突き崩すかを絶体絶命の限界点で二人とも最後の力を振り絞って考えた。科学的鑑定によれば、偽造録音媒体の最終録音日は2012年10月17日であるから、それよりも5カ月も前の同年5月15日にその反訳書が作成されているなどということは端的に不可能であり、したがって被告が作成者としている山田速記事務所など実在しないと、2015年12月22日の電話でのやり取りのなかですでにMは主張していた。「鑑定結果は忘れてください!」と鈴木久美子が叫んだのはまさにその直後であった。その話の流れをMから具体的に聞いた瞬間に、ある絶対的な確信が私のなかで閃いた。2012年4月11日のあの壮絶で醜悪な退職強要、私を自分たちとの関係の内部から徹底的に排除し続けた悪質極まりない暴力行使の全体が収録されているICレコーダーの録音内容を、中西又三が犯罪を実行する自分の恫喝や罵詈雑言を一言一言聞きながら反訳することなどできるわけがない。オリジナル音源であるICレコーダーの録音内容を2012年5月15日に反訳した主体が、鈴木久美子がその実在を証明したとMに伝えてしまった「山田速記事務所」である。「山田速記事務所」が本当は非実在であれ、中央大学ハラスメント防止啓発支援室の職員の誰かであれ、その主体が作成したのは反訳書の原本なのである。言い換えれば、反訳書は複数存在し、最低でも三つは存在する。私の代理人弁護士が和解を打診する内容証明郵便を中央大学の当時の理事長に宛てて送付したのが2012年9月3日であるから、原本の反訳書を「山田速記事務所」が実際に作成したのは2012年5月15日ではなく、どんなに早くても同年9月4日以降であり、同年7月26日に「偽装解雇」された私は当然のことながらそのときにはもう大学にはいない(代理人弁護士が送付した内容証明郵便は当時の理事長に宛てられているが、その理事長は同年10月29日付けで解任された)。中西又三が原本の反訳書を全面的に改竄し、それに徹底的な編集を施して作り上げたものが第二の反訳書、つまり偽造反訳書である。中西又三たちはその第二の反訳書を台本とし、労働審判の事前の証拠提出に間に合うように、2012年4月11日の「事実聴取」を再上演したのである。一度だけではなく、二度か三度に分けて再上演した。再上演するに当たって、中西又三、私の役をする別人、2012年4月11日にICレコーダーに録音された声だけの私が参加し、それ以外総合政策学部教授の永松京子の役をする別人も参加していた可能性もある(法科学鑑定研究所に鑑定を依頼したとき、鑑定人から「自分がほぼ確実に発言したと記憶している反訳書の中の個所に印をつけて欲しい」と言われた。それほど多くはなかったが、私が印をつけた個所の声紋は私自身のものだった。これこそ、中西又三たちが2012年4月11日に録音しておいたICレコーダーから私の声を抜き取り、再上演するに当たって声だけの私を参加させた絶対的な証拠である。また、偽造録音媒体のなかでは、距離や時間や場所など極端な事実誤認に基づくことを、したがって私が発言することは絶対にあり得ず、言い間違いをする可能性も皆無であることを、私の声に非常によく似た声が語っていた)。中央大学が民事訴訟に提出してきた偽造反訳書には「反訳書」という表記がなく、作成日も作成者の名前も記載されておらず、そればかりか三人の発言者もY、A、Bという記号で記されているだけで、Y=私、A=法学部教授の中西又三、B=総合政策学部教授の永松京子であることを証明するための事実確認は、もちろん民事訴訟では一切行なわれなかった。民事訴訟に提出された偽造反訳書が「台本」であると私とMが気付いたのは、偽造録音媒体を17時間もかけて反復聴取しているうちに、偽造録音媒体のなかで問題の学生をずっと実名で呼んでいた中西又三がある箇所で突然二度「X=エックスくん」と呼び、さらに後続する箇所で「X=エックス」の「エッ」と突然言いかけて、慌てて実名で呼びなおしたからである。偽造反訳書では、問題の学生は「X」と匿名で記載されていた。第二の反訳書を台本として再上演された「事実聴取」は、科学的鑑定結果によるとパソコン、おそらくウィンドウズのパソコンに録音された。二度か三度に分けて録音されたのであり、その最終録音日が2012年10月17日だったのである。パソコンに録音された、再上演された「事実聴取」の音声記録をCD-Rにコピーして作出された録音媒体が偽造録音媒体、あるいはそれがさらに加工された可能性もあるので、厳密には偽造録音媒体の原型である。「台本」であった第二の反訳書にもまだ不都合な個所が幾つか残存していたので、その不都合な個所を「録取不能」としたり、意味不明の文字列に変えたりして、中西又三たちは第二の反訳書にも変造を加えた(その変造の痕跡は、偽造録音媒体を聞きながら読むと視覚的にもはっきりと分かる)。そしてそれを第三の反訳書として、つまり偽造反訳書として、中西又三たちは民事訴訟に提出したのである。

 「山田速記事務所」なる主体が原本の反訳書を作成したのは「2012年5月15日」である以上、その原本の反訳書は、科学的鑑定によってその最終録音日が同年10月17日であることが証明された偽造録音媒体の反訳書、すなわち第三の反訳書である偽造反訳書とは全く内容が異なる別物である。したがって、中央大学が民事訴訟に提出した偽造反訳書は、鈴木久美子という検察官検事自らがその実在を証明してくれた「山田速記事務所」の名義を冒用した明白な有形偽造の無印私文書である(つまり、鈴木久美子は有形偽造の可能性を完全に潰そうとして、逆に有形偽造であることを証明する結果になってしまったのである。反訳書は一つしかなく、民事裁判所に提出されたものだけであると鈴木久美子は思い込んでいた)。この論理構成でいけば、Mがその被疑事実で告発した無印私文書偽造・同行使罪の構成要件を完全に満たすことができる。中央大学が「山田速記事務所」の名義を冒用し、無印私文書である偽造反訳書を作成・行使したことは、これで完全に立証することができる。一本残らず根こそぎされた希望の樹が、Mと私のなかで少しずつ蘇生してくるのが感じられた。2015年12月22日のうちにMは東京地検立川支部に電話をして、同年12月25日に告訴状と書き直した告発状を提出するために同庁同支部を再訪問する意向を野村に伝えた。同年12月24日、鈴木久美子がMの自宅に再び電話をかけてきた。二日前の12月22日に電話をかけてきてMに「法を破壊する暴力」を猛然と行使し続けた人物と同一人物であるとは思えないほど、鈴木久美子はひどく憔悴していて弱々しく、検察官検事としての威厳や鋭利な雰囲気など微塵も感じられなかった。弱々しく力のない声で「明日、何を提出されるんですか?」と訊いてきたので「告訴状と告発状です」とMが答えると、「そうですか。それでは持ってきてください」とだけ言って電話を切った。鈴木久美子の態度はなぜ極端に変化したのか。同年12月22日、自分が文字どおりの「法を破壊する暴力」を、下手をしたらMと私を即座に自殺へと誘導しかねない殺人的暴力を行使したことを、おそらく彼女は十分に自覚していたのだと思う。本当は、Mの主張が自然であり法的にも正しいことを十分に分かっていたのだと思う。それでも、捜査機関の頂点にいる絶対権力者に生殺与奪権を握られているため、その者の命令に従う以外に彼女にはどうすることもできなかったのだと思う。これで、彼女も巨大犯罪身体を形成する一部としてその内部に取り込まれ、退路を完全に断たれた形になった。「神話的暴力」の次元に身を置きながら、身を置いているがゆえに倒錯した「法を破壊する暴力」を、「滅罪的暴力」を密かに行使し続ける以外に生を存続させていく術はなくなった。「原罪」をまだ全的には摘出することができずにいる彼女には、「原罪」という世界の外部に通じる欠如を通して、自分を激怒する崇高な「法」の神の恐ろしい声が聞こえ続けたことだろう。しかし同時に、彼女が生殺与奪権を握られている捜査機関の頂点に君臨する地上の「神」が、任務に失敗した彼女を激怒する声も聞こえ続けたことだろう。世界の外部にいる崇高な「法」の神と、崇高な「法」の神を追放してその座に自身が腰を下ろした地上の「神」の間で鈴木久美子は引き裂かれ、おそらく生き延びるために崇高な「法」の神の声に耳を塞ぎ、地上の「神」の命令にもう服従し続けるしかないという不可逆的な状況に自分がいることに、激しい苦痛と恐怖を味わったことだろう。検察官検事として生き延びるために。検察官検事としての職責に反することを、「(巨大犯罪身体の)罪を滅ぼし尽くすという暴力」を行使することを、絶対に停止しないことによってのみ検察官検事でいられる検察官検事として生き延びるために。

 2015年12月25日、私たちは東京地検立川支部に再び訪問し、告訴状と告発状、及び鑑定書の原本数冊を含む全証拠資料を野村に手渡した。受け取った野村は、鈴木検事は仕事納めでもう帰宅して、立川支部には現在不在であると告げた。しかし、告訴状と告発状はこの日に「形式的に」受理され、実質的には受理されていないも同然の扱いを受けたことがのちに判明する。

 2016年3月9日、2015年12月25日に東京地検立川支部に行なった私たちの告訴と告発の被疑者全員が不起訴処分に決定されたという処分通知書が、私たち全員の自宅に鈴木久美子から送付されてきた。自分は受理担当検事であり、私たちの告訴と告発に関する捜査権限は自分にはないと、Mの質問に答えて二度明言していたあの鈴木久美子から。私たちは、巨大犯罪身体を形成する一員としてその内部に取り込まれた鈴木久美子から、巨大犯罪身体そのものから倒錯した「滅罪的暴力」を行使され、初めから遺棄されている法的保護の絶対的外である絶滅収容所空間にまたしても遺棄されたのである。しかし、その処分通知書から私が感じ取ったものは、「絶滅収容所に絶滅するまでおまえを強制収容する」という「原罪」を摘出した者の自分の剥き出しの生と完全に一致した間接的殺害宣言ではなく、剥き出しの生と一致する以外に生き延びる術はないにも拘らず、剥き出しの生との中途半端な不一致に苦しむ鈴木久美子の漠然とした内的光景のようなものだった。最高難度の不正な任務に失敗したことを、自分にその命令を下した捜査機関の頂点にいる検察官検事に彼女が報告したのかどうかは分からない。少なくとも私の直感では、鈴木久美子は私たちの告訴状と告発状を受理することも受理しないこともできず、苦悩と恐怖に苛まれながら二カ月半近く野村以外の誰にも知られない状態で完全に放置しておいて、それから私たちに強い疑惑と敵意を抱かれることは覚悟の上で、決断の狂気の川を渡るようにして自分の名義で送付してきた。

 しかし、もちろん私たちに、「法を破壊する暴力」を明確に行使してきた鈴木久美子の内的葛藤に配慮する余裕など一滴たりともなかった。一人の検察官検事が行使してきた「法を破壊する暴力」に強く抗議する不起訴処分不服申立書を作成し、それを当時の東京高検検事長であった西川克行氏に提出するための準備を直ちに開始した。同時に、当時はまだ最高検の頂点に中央大学の共謀者が存在するとは思っていなかったので、法的救済を求める最後の窓口として最高検に告訴と告発を行なうことを決意した。最高検に提出するに当たって、複数名の裁判官を告訴する告訴状と二名の検察官検事を告訴する告訴状を、私は徹底的に推敲し、限界まで彫琢を重ねた。とりわけ、東京地検立川支部に提出した告訴状には存在していなかった本件大事件の核心に位置するもっとも重要な内容を両告訴状に書き加え、相互に参照できる構成になるように工夫した。中央大学、民事訴訟第一審の裁判官たち、東京地検立川支部の二人の検察官検事たちが共謀して民事と刑事を巧妙に連動させ、録音媒体が偽造証拠であることの露見可能性を徹底的に潰し、民事訴訟では中央大学が不正に全面勝訴できるように、刑事捜査では被疑者全員が不起訴処分となるように画策したという事実を厳密な論理的記述によって証明した(民事訴訟第一審の判決期日の前の最後の口頭弁論期日に、私は証拠として強要罪の告訴状を提出した。この時点では被疑者たちの処分は完全に未定であったにも拘らず、須藤隆太が原案を作成した「殺人判決書」には、「中西又三による強要はなかった」と断定する明確な文言が存在していた。森川久範から、被疑者たち全員が不起訴になることを事前に保証ないし確約されていなかったら、このような文言を断定的に書くことは絶対に不可能である)。これが、鈴木久美子が仮にも読んだとすれば、2015年12月25日に東京地検立川支部に提出した二つの告訴状には存在していなかった内容である。

 検察庁を訪れる前日に、Mは最高検に電話をかけてアポイントを取り、最高検に中央大学の犯罪に関わる告訴状と告発状を提出するために訪問する旨を伝えた。このときは知る由もなかったが、最高検の頂点に存在する中央大学の共謀者である検察官検事(たち)が、彼らにとっては非常に都合の悪い告訴状と告発状を提出するために私たちが最高検を訪問するという情報を事前に知り、すでに周到な対応策を講じていたのである。2016年3月18日、最悪の陥穽に嵌められることになるなどとは夢にも思っていなかった私は、Mを始めとした三人の共闘仲間とともに霞が関の検察庁を訪れ、1階の面談室で最高検の者たちが下りてくるのを待った。女性と男性の二人がまもなく入室してきて、テーブルを挿んで私たち四人と対面する形で着席し、女性は最高検の刑事事務課の原田と名乗り、まだ若い男性は名前を名乗らなかった。告訴状と告発状、そして膨大な証拠資料がすでにテーブルの上に置かれていた。二人はノートを取り出し、まず原田が告訴状と告発状を手に取って被告訴人と告訴の趣旨、被告発人と告発の趣旨を丁寧に確認した。原田は開口一番、「え、中央大学?!」とさも驚愕したような声で口走ったが、その緊張を湛える声と極端に深刻そうな表情にはわざとらしさの含蓄が微かに宿っていると私は直感し、文科省の阿部田康弘氏のパフォーマティヴな(=演劇と悟られない演劇のなかで演技をしている)態度と明らかに通底するものがあると感じた。私は2012年4月11日から連続的に蒙り続けている壮絶な暴力行使と生命に危険が及ぶほどの被害状況を、事実関係の輪郭を説明しながら可能な限り圧縮して明晰に伝えた。原田はときどき顔を上げて幾つか質問しながら、若い男性は一度も顔を上げず一言も喋らずに、二人とも非常に緊張した不安そうな表情で私の話をノートに取り続けた。告訴と告発に関する面談は50分ほど続き、それから東京地検立川支部の鈴木久美子の違法性が強く疑われる数々の所業について説明した上で、不起訴処分不服申立書を提出したいと原田に向けて言った。すると原田は、「その提出先は最高検ではなく、東京高検ですよ」と答えた(事前にMが東京地検に電話をして不起訴処分不服申立書の提出先を確認すると、感じの悪い声が「最高検である」と答えた。私が調査したところでは、提出先は東京高検検事長であるということだったので、この回答に作為的な悪意を感じ、漠然とした警戒感を抱いていた)。原田の発言が終わると同時に若い男性が立ち上がり、私たちの顔を一切見ずに「東京高検に提出する手続きを執ってきます」と言って慌ただしく退室した。男性が退室していた時間はかなり長いように感じられた。漸く男性が戻ってくると、原田は告訴状と告発状を始め、提出された膨大な証拠資料を抱えて立ち上がり、「これだけの分量ですから、処分が決まるまでに一、二カ月はかかるかと思います」と言ったので、「処分? 処分って何ですか?」と私が反射的に尋ねると、「あ、あの、どう扱うかを決めるということです」と、原田は少し焦った様子で私の顔を見ずに答えた。二人が退室するのと入れ替わりに、二人の男性が入室してきて「東京高検の者です」と言った。その場に似つかわしくない愉快そうな雰囲気で、何がそんなにおかしいのかと訝しく思わせる笑顔さえ浮かべていた。原田に話したことを駆け足でかなり単純化して伝えると、男性の一人が不起訴処分不服申立書に目を通しながら、「立川支部に捜査しろと言えばいいんですか?」と訊いてきたので、「いいえ、立川支部はもう信じられないので、鈴木検事が違法行為を犯していないか、しっかり調査していただきたいということです」と私は答えた。すかさずMが「受理担当検事が捜査するなんてことがあるんですか? それに、受理したのに捜査もしないで不起訴処分を出すなんてことがあるんですか?」と尋ねると、「受理担当検事が捜査をすることだってありますし、受理しても捜査をしないで不起訴処分にするなんてこともざらにありますよ」と耳を疑うようなことを平然と口にした。不起訴処分不服申立書を手に持って立ち上がりながら、「わかりました。じゃあ、これは東京高検検事長に渡しておきますね」と男性の一人は言った。私たちが立ち去ったあと、「東京高検の者」と自称したこの二人の男性が不起訴処分不服申立書を渡した相手は、正しい宛先である当時東京高検検事長であった西川克行氏ではなく、中央大学の首謀者たちの共謀者である最高検の頂点にいる検察官検事(たち)であった。原田たちが私たちの告訴状と告発状、及び全証拠資料を即座に渡したのも、彼らに指示を出した同じ検察官検事(たち)、地上の「神」(たち)であった。

 原田たちも「東京高検の者」と自称した二人の男性も、すでに巨大犯罪身体の内部に取り込まれていて、その全痕跡を最終的に絶滅させるために「超人」たちが「人間‐以下の最下等動物」である私たちに、もっとも倒錯した最大級の「(自分たちの)罪を滅ぼし尽くす暴力」を行使する下準備を結果的に整えることになったことがまもなく判明する。

 最高検に告訴と告発を行なってから10日後の2016年3月28日、「これだけの分量ですから、処分が決まるまでに一、二カ月はかかると思います」と原田が明言したにも拘らず、私たちの自宅に最高検から書面が送付されてきた。「告訴状(告発状)及び関係資料は、本日付けで東京地方検察庁に回送しました」、記載されてあったのはこの短い一文だけであった。その一文は巨大な拒絶と決定的な排除の明らかな予告のように感じられ、私のなかで不吉な予感が耐えがたい音をたてて鳴り始めた。二日後の同年3月31日、インタフォンの音がけたたましく連続して鳴り響いたので、巨大な異物のように私のなかで膨れ上がった不吉な予感を思わず吐き出しそうになり、恐怖の枷で重くなった足を引きずりながら辛うじて玄関のドアを開けた。想像をはるかに絶する大きな物体を配達員はさも重そうに抱え、それを無造作に私の両手に手渡した。それは「有斐閣 六法全書」と青文字で記されている大きなダンボール箱で、蓋に張り付けられた配達伝票には「差出人:東京地検特捜部特殊直告班」、「中身:書類」と直筆で書かれていた。その重さがますますいやな予感を私の内部に無数の蛇のように広げていったが、無数の蛇のざわめきのなかで恐る恐るそのダンボール箱を開けてみると、原田たちに手渡した膨大な証拠資料のみがぎっしりと詰め込まれていた。まるでパンドラの箱を開けたときのように、そこから猛毒の異臭を放つ悪意の粒子が私の部屋の中に放出され、溢れ返った。悪意と殺意の粒子を深々と吸い込んだため、全身の力が抜け落ちて虚脱状態に陥ったが、二通の告訴状と書面が同封されていないことについての一切の憶測を完全にエポケー(=判断停止)し、神経が破壊されてしまわないように全力で防衛を図った。ところが翌日の4月1日、またもやインタフォンの音がけたたましく連続して鳴り響いた。神経が破壊されないための私の防衛の壁を突き破って、東京地検特捜部特殊直告班が証拠資料返戻とは故意に分けて、それも一日遅れで二通の告訴状を封筒に入れて返戻してきたのだ。被害者に与える衝撃と恐怖は二乗になり、振り向けば奈落の深淵しかない断崖絶壁の先端に、測り知れない絶望によって被害者を一気に追い詰めるには十分すぎるほどの殺意に満ちた暴力行使であり、東京地検特捜部特殊直告班がその効果を狙って故意に差し向けた「滅罪的暴力」の行使であったことは明らかである。

 そして次の瞬間、東京地検特捜部特殊直告班が差し向けてきた「滅罪的暴力」の行使は、私たちを(Mの場合は2016年4月14日に)「人間‐以下の最下等動物」として今度こそあらゆる救済可能性が途絶えた絶滅収容所に絶対的な力で封じ込め、法の適用範囲内における私たちの居場所と権利の完全なる不在を突き付ける超法規的暴力の行使でもあったことが判明する。「法を破壊する暴力」の絶対的な行使者は、次のような文言を書きつけることによって、私を(少し遅れてMも)法の保護の外にいかなる根拠もなく最終的に完全追放すると申し渡したのである。

  なお、今後、同様の関連する書類等が当庁に送付されてきた場合は、刑事訴訟法に規定する告訴・告発状としての取扱いをせず、かつ、送付された書類等についても返戻手続を執らない場合もありますので、ご承知おき願います(強調線井上)。

 告発権を剥奪する趣旨を伝える全く同一内容の書面が、私電磁的記録不正作出・供用罪の告発状の返戻とともにMの自宅に送付されてきたのは、2016年4月14日であった。偽造録音媒体を作出し、民事裁判に提出したことがダイレクトに構成要件に該当する犯罪を探し出したMは、科学的鑑定結果に基づいてそのことを完全に立証する告発状を作成したのち、同年3月31日にそれを最高検に郵送した。告発権を剥奪する趣旨を伝える書面とともに、その告発状を倒錯した「滅罪的暴力」の行使者が返戻してくるまでに二週間を要した。私の二通の告訴状と全証拠資料を最高検が回送したのち、東京地検特捜部は全証拠資料だけをまず返戻し、告訴権を剥奪する趣旨を伝える書面とともに二通の告訴状を返戻してくるまでにわずか一日しかかけていない(すなわち、特捜部は私の二通の告訴状と証拠資料にはほとんど、あるいは一切目を通さずに直ちに返戻してきたのである。そのようにするように特捜部に指示を出したのが、中央大学の首謀者たちの共謀者である最高検の頂点にいる「神(たち)」、あるいは「超人(たち)」であることは言うまでもない)。したがってMの告発状を、告発権を剥奪する趣旨を伝える書面とともに返戻してくるまでに、最高検の頂点にいる中央大学の首謀者たちの共謀者が二週間の間隔を開けたのは、受理不受理を厳格に検討しているというアリバイ作りのためであったとしか考えられない。同年4月1日、特捜部がまず「有斐閣 六法全書」のダンボール箱に入れて全証拠資料を私の自宅に返戻し、一日ずらして告訴権を剥奪する趣旨を伝える書面とともに二通の告訴状を返戻してきたという事実を知ったMは激憤に駆られ、この極端に異常な暴力行使の理由を問い質すために特捜部に電話をかけた。すると、電話に出た男は「最高検からそんな指示(受理不受理など検討しないで即座に返戻しろという指示)は出ていない! この検察庁ではそんなこと(担当検事と話をさせること)はやっていない!」と怒鳴り声で叫んでMの追及を暴力的に撃退し、一方的に電話を切った。

 巨大犯罪身体の内部に特捜部まで取り込まれ、法を維持する「神話的暴力」の次元に存在する者たちが、法を破壊する倒錯した「神的暴力=滅罪的暴力」を密かに行使し続けているという「非常事態=例外状態」に検察庁が侵蝕されていることを思い知らされたMは、東京高検に宛てて無印私文書偽造・同行使罪の告発状と私電磁的記録不正作出・供用罪の告発状を提出してみようと思い至った。同時に、私との連名で東京高検検事長であった西川克行氏に宛てて嘆願書を作成・送付することを決意した。「中央大学は民事裁判所の裁判官たちのみならず、捜査機関の検察官検事たちとも共謀して、反国家的大組織犯罪の完全隠滅を明らかに謀ろうとしている。中央大学の無際限の違法行為をこのまま黙認・看過し続ければ、国家の法的秩序が根本から解体してしまうことは必定である。検察庁や民事裁判所などの公的機関を捜査対象にすれば、国家秩序の維持が不可能になるということであれば、中央大学だけでも厳正に処分されることを嘆願する」、もっとも圧縮して内容を要約すればこのようになる嘆願書を作成し、二つの告発状を同封して2016年4月5日、Mは東京高検検事長の西川克行氏に宛てて簡易書留郵便で送付した。それから9日後の4月14日、3月31日にMが最高検に宛てて送付した私電磁記録不正作出・供用罪の告発状が、告発権を剥奪する趣旨を伝える書面とともにMの自宅に返戻されてきた。蒼白になるほどの激怒に駆られたMは、東京高検検事長であった西川克行氏に宛てて、もう一通の嘆願書を作成・送付することを決意した。「特捜部が告訴状・告発状を返戻してくるばかりか、告訴権・告発権を剥奪するなどということは、捜査機関に救済を求める私たちの権利を違法に剥奪する最大の人権侵害である。これは告訴人・告発人を<法の保護の外>に置くと宣言するものにほかならず、これほど極端な違法行為は最高検の指示がなければ絶対に不可能である。そこで可能性が限りなく高いと思われる仮説を伝える。現段階では、最高検幹部の青沼隆之に対し、彼の同期であり橋本基弘の先輩にあたる福原紀彦から、中央大学の同期ゆえに可能となる働きかけが行われたと考えるしかない。井上先生が強要罪の罪名で告訴を行なってから現在に至るまで、本件事件についての一切の告訴、告発に関わる全ての違法行為を知る位置にいた唯一の人物が、青沼隆之である。いかなる理由があろうとも、告訴と告発を行なう権利を剥奪するなどということは、法治国家においては決して許されてはならない違法行為である。西川克行検事長の指揮、監督の下で、適正な法的手続きに基づく本件事件の全容解明と、違法行為の実行者たちに対する厳正な処分が行われるよう嘆願する」。要約するとこのようになる二通目の嘆願書を、2016年5月21日付けでMは東京高検の西川克行検事長に宛てて送付した。

 Mが西川克行検事長に送付したこの二通の嘆願書は、同年3月18日に不起訴処分不服申立書を「東京高検の者」たちによって間違った宛先に届けられたように、またしても巨大犯罪身体の内部にいる検察庁内の何ものかによって間違った宛先に届けられ、西川克行検事長に無事に届くことはなかった。まるで、元最高裁判事の理事長に宛てて何度私信を送付しても、中央大学法学部の橋本基弘によって必ず途中で奪取され、元最高裁判事の理事長に無事に届くことがないのと完全に相似的であった。Mの二通の嘆願書は同年5月9日に返戻されてくるのであるが、そのときの具体的な状況については後述する。

 ここでもっとも重要なことを指摘しておく。いかなる根拠もなく私とMの告訴権・告発権を剥奪する趣旨を伝える先に引用した書面は、私の場合は裁判官たちを犯罪幇助・犯人隠避・証拠隠滅の被疑事実により告訴する告訴状、及び二人の検察官検事を犯人隠避・証拠隠滅の被疑事実により告訴する告訴状の返戻に付随する形で送付されてきた。Mの場合は、偽造録音媒体の作出と民事裁判への提出がダイレクトにその犯罪の構成要件に該当する私電磁記録不正作出・供用罪の被疑事実により、中央大学の首謀者たちを始めとする複数名の関与者たちを告発した告発状の返戻に付随する形で送付されてきた。これが意味することはただ一つ、巨大犯罪身体の全痕跡が社会と歴史から絶滅することを待望する倒錯した「滅罪的暴力」の行使者たちが、何よりも絶滅させることを必要としているものこそ巨大犯罪身体の心臓部である偽造録音媒体であるということである。中央大学が偽造録音媒体を作出し、それを民事訴訟に提出して不正に勝訴判決を出させたという厳然たる事実は、中央大学の存続にとっても、中央大学の存続が不可能になることで不利益を蒙る者たちにとっても、その事実の完全隠蔽に協力した国家機関に属する者たちの社会的生命の存続にとっても、大災厄としか言いようがない破局的で致命的な作用を確実に及ぼすということである。

 一方、2016年3月18日に私たちが最高検に告訴状と告発状、及び不起訴処分不服申立書を提出する準備をしていた頃、当時の共闘仲間の一人が東京地検本庁に電話をかけ、不起訴処分になった事件の告訴状と告発状、及び全証拠資料を返却してもらうことは可能かどうかを質問した。「担当検事に話をすれば、可能である」との回答を得た。立川支部にも電話をかけて同じ質問をしたところ、やはり可能であるとの回答を得た。すると、同年3月14日、私たちの各自宅に不起訴処分を通知してきたばかりの鈴木久美子が、その共闘仲間の携帯に電話をかけてきた。「受付の者から聞きましたが、告訴状、告発状に加え、提出した全証拠資料の返却はできません。いったん、受理……したので」と非常に無機質で乾いていてぶっきらぼうな話し方で鈴木久美子は答えたが、本当は受理などしていなかったことを思わず暴露しそうになったので、誤魔化すために不自然もいいところの沈黙を挿まざるを得なかったことが露骨に伝わってきた。共闘仲間が「鑑定書は原本であり高額の費用がかかっているんです」と応答し、強い口調で返却を求めたところ、鈴木久美子は「返却できるかどうか上司に連絡を取ります」と言って電話を切った。同年3月15日、その共闘仲間の携帯に鈴木久美子から再び電話がかかってきた。「鑑定書を始めとする証拠資料は、すなわち証拠品ではないものとして受け取りました。しかし、原本であると伺った鑑定書に限っては、井上先生から任意に提出された証拠品であると事後的に見做すことで、領置された証拠品を還付するという手続きを執ることでお返しすることにします」と相変わらずぶっきらぼうな話し方で、本当は受理などしていないと考えない限り全く理解不能であることをその共闘仲間に伝えた。その直後、鈴木久美子の口調がいきなり変化し、喜びの含蓄がはっきりと聞き取れるような声で「提出されたもの以外に、鑑定書は本当にこの世に一冊も存在しないんですよね?!」と、共闘仲間が仰天するようなことを確認してきた。すでに巨大犯罪身体の内部にすっかり取り込まれている鈴木久美子は、私たちが自分たちの鑑定書を直接証拠としてどんなに告訴と告発を試みてみても必ず挫折するし、それどころか告訴権・告発権も早晩剥奪されてもう二度と法的救済を求められなくなることも、おそらく知っていたに違いない。彼女が、あるいは彼女が盲従している地上の「神(たち)」がその存在を知らない余分な鑑定書を私たちが隠し持っているとすれば、その鑑定書がいつどこでどのような文脈で、反国家的組織犯罪者たちにとって都合の悪い人物に(たとえば、元最高裁判事の理事長などに)すでに読まれている可能性も絶対にないとは言えない。それが、「鑑定書は本当にこの世に一冊も存在しないんですよね?!」と共闘仲間に彼女が喜びの感情を少し露わにしながら確認してきた理由である。すっかり感情が涸渇して、「原罪」の摘出がもうほとんど完成しかけている鈴木久美子の鑑定書をめぐるこのような反応にも、巨大犯罪身体の全痕跡の社会と歴史からの絶滅を待望する者たちが、何よりもその絶滅を必要としているものこそ巨大犯罪身体の心臓部である偽造録音媒体であるということが、非常によく反映されている。同年3月15日に、共闘仲間が鈴木久美子に折り返し電話をかけて「誰が取りに行ったらいいですか?」と尋ねると、告訴状と告発状を提出した全員に来ていただく必要があると鈴木久美子は答えた。私たちが霞が関の検察庁に赴いて、組織的に張り巡らせた罠に嵌められているとも知らず、告訴状と告発状、及びその他の全証拠資料を提出してきてから四日後の3月22日、共闘仲間の携帯にまたも鈴木久美子から電話がかかるが、無視して出ないでいると、留守番電話にメッセージも残さずに彼女は電話を切った。さらに二日後の3月24日、共闘仲間の携帯に鈴木久美子から再び電話がかかり、今度は出てみると、「鑑定書の件について連絡をください」とだけ言って彼女は電話を切った。そして、Mの自宅に告発権を剥奪する趣旨を伝える書面とともに最高検に郵送した告発状が返戻されてくる日の一日前である同年4月13日、またもや共闘仲間の携帯に鈴木久美子から電話がかかってきた。無視して出ないでいると、「鑑定書の受け取りの日時など決まりましたら、ご連絡ください」というメッセージを留守番電話に残して鈴木久美子は電話を切った。2016年3月14日から同年4月13日に至るまで、およそ一カ月の間に鈴木久美子はこの共闘仲間の携帯に6回も電話をかけてきた。それから鈴木久美子が、この共闘仲間に鑑定書の返却をめぐる件で再び電話をかけてくるまでに4カ月以上の空白が開く。次に電話をかけてきたのは2016年8月25日、検事総長に就任することが決定した東京高検検事長の西川克行氏に宛てて、私が大長文の「意見書・抗議文・要望書」を内容証明郵便で送付してからちょうど半月が経過した日である。共闘仲間がまたも無視して電話に出ないでいると、鈴木久美子は以前と較べると元気のない不安そうな声で、「原本をお返しする関係で、ご連絡いただきたいと思います」という言葉遣いも明らかに丁寧になったメッセージを留守番電話に残した。同年8月29日、鈴木久美子からまたしても電話がかかるが、共闘仲間が無視して出ないでいると、留守番電話に何もメッセージを残さずに彼女は電話を切った。8月29日同日に、鈴木久美子から今度は共闘仲間の携帯と自宅の固定電話の両方に電話がかかってくるが、いずれも無視して出ないでいると、携帯の留守番電話に「鑑定書をお返しする件で連絡しました。どなたか、一人に返してもいいことにしました。検事が交代すると、引き継ぎの際に混乱する場合があるので、なるべく早く鑑定書を取りに来てください」と、ほとんど懇願するような余裕のない口調で彼女は留守番電話にメッセージを残した。

 鑑定書の原本数冊が立川支部に存在していてはまずい状況、そしてそれらを私たちの各自宅に返送するのではなく、私たちが自ら足を運んで返却してもらいたいという意思表示をして初めて返却するという設定にしなければまずい状況に、鈴木久美子を取り巻く事態が決定的に変化したことは明らかであった。それよりも今は、鈴木久美子が反国家的組織的犯罪の中心的被害者である私のところには、ついに一度も電話をかけてこなかったという大変重要な事実を強調しておきたい。2015年12月9日以降、同年12日25日に至るまではMの自宅に3回、そして2016年3月14日から同年8月29日に至るまでは別の共闘仲間の携帯に(最後は固定電話にまで)何と9回、執拗に電話をかけてきた鈴木久美子が告訴状の唯一の提出者である私のところには、ついに一度も電話をかけてこなかった。鈴木久美子もまた、「私と絶対に関係を持たない」ことを反復したのである。

 告訴権・告発権を剥奪され、法的保護の外という絶滅収容所に最終的に遺棄された私とMにとって、もうどこからも救済可能性の光が射し込まない絶滅収容所から仮にも解放される鍵がまだ存在しているとすれば、それは2016年3月18日に自称「東京高検の者」に託した不起訴処分不服申立書の行方、そしてMが西川克行検事長に送付した二通の嘆願書の行方だけであった。

 果たして2016年5月9日に、Mの自宅に東京高検から二通の封筒が同時に届いた。一通目の封筒には、Mが同年4月5日に西川克行検事長を宛先とする嘆願書とともに同封した二通の告発状のうち、無印私文書偽造・同行使罪の告発状と返戻する旨を伝える書面が入っていた。しかし、その書面には思わず目を惹く一文が書き添えられていた。「なお、貴殿等が提出した平成28年3月18日付け不服申立書については、引き続き当庁において検討中であるので、申し添えます」。もちろんこれが、今から考えれば、救済されるかもしれないという仄かな期待を抱かせながら、不安定な決定不可能状態に散々宙吊りにしておいた挙句、効果が最大に高まった頃に奈落の深淵がすぐ背後に控える断崖絶壁の先端にいることを私たちにこれでもかと思い知らせるための、巨大犯罪身体を形成する者たちに共通した極めて悪質な戦略であることは言うまでもない。二通目の封筒には、私電磁的記録不正作出・供用罪の告発状と、同年4月5日と4月21日にMが西川克行検事長に宛てて東京高検に郵送した二通の嘆願書が入っていた。同封されていた書面には、告発状を返戻する旨を伝える一文のほかに、いかなる理由の説明もなく二通の嘆願書を単に返戻するという短い一文が、どことなく根拠の不在に対する不安と委縮の臭いを微かに漂わせながら記載されていた。二通の封筒に同封されていた二通の書面には、差出人がいずれも「東京高等検察庁検察官」としか記されておらず、その検察官検事の名前は伏せられてあった。

 法的保護の外という絶滅収容所に最終的に遺棄された私とMは、ありとあらゆる不吉な予想に対して絶え間なくエポケー(=判断中止)することを余儀なくされつつ、とにかく東京高検の検察官検事が知らせてきた「不服申立書については、引き続き検討中」というどことなく胡散臭さを感じさせる情報に、限りなく頼りない命綱にしがみつくようにしてしがみついている以外にどうしようもなかった。確かにそれは限りなく頼りない命綱であり、それどころか私たちを断崖絶壁から奈落の深淵に突き落とすために差し出された命綱のフェイクであったことが、2016年7月2日に判明する。同日、私たちの各自宅に東京高検の検察官検事である瓜生めぐみから、同一内容の処理結果通知書なる書面が送付されてきた。「本件不服申立てについては認められません」という単純な結論だけが、相変わらずどんな根拠も示すことなく記載されていた。ただ、「貴殿からの不服申立てについて、その内容をよく検討した結果、東京地方検察庁立川支部検察官が行った不起訴処分は、相当であると判断いたしました」と次に記載されてあるだけであった。今度は「検討」を担当した東京高検の検察官検事の名前が「瓜生めぐみ」と明記されていたが、書面の上部に「東京高検検事長」の決済印としかどう見ても判読できない大きな四角い押印が認められた。さらに封筒には、「被疑者一覧」と題された書面も同封されており、それには私たちによって告訴・告発された人物たち全員の名前が、一見すると壮観の趣を湛えてずらっと列挙されていた。「被疑者一覧」の書面は、私たちの告訴状と告発状を鈴木久美子が確かに受理し、捜査も行なったという事実に反することを隠蔽するため、それは真実であったと私たちに信じ込ませるためのアリバイ、あるいは印象操作として作成する必要があったものであるとしか考えられない。それにしても、この処理結果通知書なる胡散臭い書面を西川克行検事長は本当に確認した上で、それに決済印を押したのか? 本当に決済印を押したのか? 決済印を押したのは本当に西川克行検事長なのか?

 しがみついていた命綱が完全にフェイクであり、実は存在しない命綱にしがみついていたことに気付いた私は、振り返る間もなく瓜生めぐみの倒錯した「滅罪的暴力」にこれでもかと背中を押され、「決済印を押したのは本当に西川克行検事長なのか?」という沈黙の問いだけを反響させながら、眩暈がするような奈落の深淵に果てしなく身を投じ続けた。奈落の深淵に身を投じ続けながら、生から死への境界線上に身を置くことをどこまでも余儀なくされ続けながら、私はもはや救済可能性のどれほど微かな光も明滅しなくなった絶滅収容所の暗黒のなかで、西川克行検事長に宛てて一切の妥協を排した大抗議文を書くことを決意した。

 2016年7月下旬から10日あまりを費やして、解体と崩壊が進んでいくばかりのエアコンが使用できない部屋の中で、激怒と絶望と深い諦念が綯い交ぜになったというしかない境地に身を浸しつつ、押し寄せる猛暑の波にひたすら耐えながら西川克行検事長に宛てて大長文の書簡を書き上げた。西川克行検事長も巨大犯罪身体の一部を形成しているとすれば、検察庁は全体としてもはや法措定暴力、法維持暴力である「神話的暴力」の位相には存在していないことになり、中央大学とその共謀者たちの全犯罪の露見可能性を絶滅させるために甚だしく倒錯した「神的暴力=滅罪的暴力」を滅茶苦茶に行使するだけの無法地帯、文字どおりの例外状態と化していることになるので、自分自身も滅ぼし尽くすことになるのを十分に覚悟した上で、私は純粋な「神的暴力」の実践者としてのみ大抗議文を書くことにした。敬語や丁寧語は一切使用せず、中央大学の首謀者たちによって、彼らの共謀者である裁判官たちと検察官検事たちによって、中央大学の犯罪を完全隠滅するために一体どれほどの破壊的暴力を連続的に行使されてきたか、そのために一体どれほどの精神的・身体的・経済的・社会的損害を蒙り続けてきたか、どんな情念的表現も交えずに複雑な事実関係の内部がひたすら透明にダイレクトに喚起されるように、徹底的に明晰に書いた。2012年4月以来、中央大学は実質的な非常事態(=例外状態)に陥っていること、検察庁を始めとした捜査機関は中央大学を通常状態へと回復させるために努力するどころか、いつのまにか中央大学の例外状態は捜査機関の内部にまで伝播・感染・拡大していることを、どんな感情も削ぎ落して厳密な論理的記述によってのみ伝え続けた。とりわけ、東京地検特捜部が告訴権・告発権を剥奪する旨を記した書面を私とMに暴力的に送り付け、私たちを法的保護の外に全面的に排除・遺棄したという事実は、私たちに超法規的暴力を行使したということを意味しているにとどまらず、「非常事態宣言」を発令して法の効力を停止させる権限を持つ者は検察庁には一人もいないとして、特措部の暴力行為を徹底的に批判した。さらに続けて、法が適用される範囲の外に、すなわち無法治状態(=例外状態)に私たちを排除・遺棄することを通じて、特捜部自身も法の効力が停止した無法治状態に、形式的には法治状態の内部にいながら逸脱し越境してしまったのであると断言した。そもそも、告訴権・告発権を何の根拠もなく剥奪するということは、もはやそのようなあまりにも大それた超法規的暴力を行使する以外に、中央大学とその共謀者たちの全犯罪を隠蔽する手段がなくなったということしか意味しておらず、そのような超法規的暴力を行使せざるを得なくなったこと自体が、中央大学とその共謀者たちが前代未聞の大組織犯罪を実行したということの絶対的な証拠であると断じた。また、鈴木久美子が私たちの告訴と告発に関して本当は何を実行したのか、不起訴処分不服申立書を読んで「よく検討した」はずの瓜生めぐみと西川克行検事長は「よく知っている」と断定的に書いた。西川克行検事長が、不起訴処分不服申立書について、鈴木久美子が実行した違法行為について、さらにはMが西川克行検事長に送付した二通の嘆願書と二通の告発状、及び不服申立てを認めないとする処理結果通知書を送り付けてきた瓜生めぐみの違法行為について、実際には何一つ知らなかったとすれば、「そんなことは何一つ知らない」と即座に反応できるような書き方をした。「意見書・抗議文・要望書」という内容証明の形式に変換すると65ページにも及ぶ大長文の書簡を書いているうちに、「犯罪身体」という表現が突然私の元に駆けつけてきた。空前絶後の規模と悪質さを有するこの巨大な犯罪身体を細部に至るまで徹底的に解剖すること、西川克行検事長の指揮・監督の下、独自捜査という形でそれを速やかに実行することを絶対的な要求として突き付けた。

 2016年8月10日付けで、内容証明郵便で西川克行氏に宛てて初めて送付したこの大長文の純粋な「神的暴力」書簡のなかには、次のような数節が含まれている。

  もし、本当にそうであるとすれば、日本国で最も法律に詳しい西川克行検 事長は実際に法律を侵犯していることにもなるし、「汝、殺すなかれ」というカントの定言命法(無条件に守らなければならない戒律)を侵犯していることにもなる。一人の被害者の生命など、加害者集団の全違法行為が露見して中央大学と検察組織の生命が危険に曝されることに較べれば、どんな「尊さ」も帯びていないという考えに違和感も罪悪感も全く覚えていないということになる。

  もし、本当にそうであるなら、西川克行検事長に要望する。私を殺してください。連続する暴力行使とその巨大な余韻に全生活を侵蝕され、毎日少しずつ死に続けている井上×××を殺してください。蛇の生殺しのような、これほど残酷な生権力の連続的行使は止めてください(生権力とは、生かしながら殺し続ける近代の暴力装置のことである)。なぜ、自分たちの犯罪を隠蔽するために井上×××に冤罪を着せ、被害者を加害者に仕立て上げるというモラルハラスメントを通じて自分たちの全違法行為を隠蔽しようとする一連の犯罪者たちの真似を、東京高検の検事長がしなくてはならないのか。井上×××は、暴力を独占する権限を与えられているあなた方に、中央大学が強制的に着せた冤罪のために、それを冤罪と知りつつ中央大学と一体となって冤罪を隠蔽し続けた法の番人たちによる違法行為のおかげで、見えない独居房に収監されている終身刑を受けた囚人のようである。だから、もし本当にそうであるなら、井上×××を殺してください。井上×××は、局所的「非常事態宣言」が極秘に発令されていて、法の効力の外に遺棄され続けているのだから、井上×××を殺してもあなた方が罪に問われることはない(はずである)。だからこそ、あなた方は、自分たちの違法行為が露見することは絶対にないと確信し、自分たちが生き延びるために毎日死に続けている井上×××を、断じて救済しない(=一日も早い自殺を奨励している)というわけである。あなた方が、自分たちが何をしているか知っているのか知っていないのかは全く関係がない。とにかく、あなた方はそれをしている。

 これほどの数節が含まれた純粋な「神的暴力」書簡に目を通した西川克行は、かなり前に述べたとおり、「他律的であれ」と無条件に厳命する声を聞いたのであり、私という「他者」の可傷性に対して被触発的になることにおそらく抵抗を示さなかった。告訴状・告発状を始めとして、捜査機関に送付した書面や証拠資料は、そのときまで何度も何度も、インタフォンの音を聞くと吐き気がして脂汗が出てくるというトラウマになるほど、残酷な仕方で返戻され続けてきた。捜査を絶対的に要求する書面を捜査機関に宛てて送付し、返戻してこなかった初めての人物が東京高検検事長であった西川克行氏である。長い書簡の旅の開始を告げる最初の書簡が無事に到達してから5日後の2016年8月15日に、西川克行氏は検事総長に就任することが閣議で決定された。同年9月5日、すでに述べたとおり、辞職した大野恒太郎氏の退任記者会見と、新検事総長に就任した西川克行氏の就任記者会見が最高検で開かれた。共闘仲間の元に鈴木久美子から鑑定書を取りに来るようにという電話が頻繁にかかってくるようになったことが契機となり、同年9月14日、検事総長に就任した西川克行氏に宛てて二通目の書簡を再び内容証明郵便で送付し、瓜生めぐみに勝手に返戻されてきたMの二通の嘆願書を始めとして、これまで返戻され続けてきた告訴状と告発状、そして証拠資料の大部分を簡易書留郵便で送付した。「他者」としての私の可傷性に、自分自身の「不透明性」と出会うようにして初めて触発されることに同意してくれた西川克行氏は、もちろん返戻してこなかった。捜査機関の頂点にいる地上の「神(たち)」ではなく、崇高な「法」との自己言及的関係を遵守する倫理的人間としての検事総長に、中央大学とその共謀者たちによる未曾有の反国家的組織的犯罪の実在、及びその相貌を初めて伝えることができたのである。

 「最終解決個人版」と私が名づけた空前絶後の反国家的大組織犯罪は、こうして「未遂」の兆候を、目に見える形でその巨大犯罪身体に初めて刻み付けられることになる。2016年12月6日、中央大学に優に20名は超える「捜査」という腕章をつけた警察官を始めとする捜査員たちが抜き打ちで入り、初めて家宅捜査を行なった。その日、その時刻にたまたま中央大学の構内にいた中央大学の大学院生の当時の共闘仲間が、無線で連絡を取り合い、打ち合わせをしていた20人ほどの捜査員たちが、ハラスメント防止啓発支援室と内部監査室公益通報の部屋がある1号館、総合研究棟である2号館、そして法学部棟である6号館に向かって、三つの班に分かれて歩いていく様子を至近距離で目撃した。同年12月7日の午前4時頃、中央大学の近くに住んでいるMがたまたま外出したところ、1号館に煌々と電気が灯っていることが確認された。告訴権・告発権を剥奪してもらった以上、起こり得るはずのない事態の急変に不意打ちされて恐慌状態に陥ったと思われる首謀者たちと協力者たちが、夜を徹して恐怖と不安に苛まれながら対応策を相談し合っていたことは間違いない。

2022年8月25日に実名表記に変更