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最終解決個人版・未遂の記 ――絶滅を待望された被害者の証言  間奏曲――かくも長き宙吊り(実名表記)

間奏曲――かくも長き宙吊り

彼らは全身で拷問にうちこんでいた。つまりは権力に、精神と肉体に対する主権に、自己拡大の衝動にのめりこんでいた。自分の上に加えられる絶大な主権の跳梁に対して、一種破廉恥な尊敬の念が頭をかすめたことを私は忘れない。一人の人間をかくも徹底して肉体のみに引きもどし、死の餌食と化せる者は一人の神、少なくとも半神ではあるまいか。

(ジャン・アメリー『罪と罰の彼岸――打ち負かされた者の克服の試み』、邦訳70頁)

 第三章「「法の起源」の忘却者たち」の草稿を本年3月16日に暫定的に完成させ、ブログ『現代思想と証言』に公開してからすでに5カ月が経過した。中央大学1号館の「取調室」で醜悪な加害者の衣裳を凄まじい暴力により強制的に着せられてから、7年と4カ月が経過した。アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制絶滅収容所でさえ、ソ連軍に解放されるまでこれほど長い期間は続かなかった。西川克行氏に最初の書簡である「意見書・抗議文・要望書」を送付してから3年以上の月日が経過したが、まさか3年が経過しても「生きるに値しない生」として事実上の絶滅収容所の中に強制収容された状態が何一つ変化しないとは思ってもみなかった。西川克行氏に書簡を送付するようになってから、本書の草稿でほとんどアクロバティックな構成と言語操作により限界まで証言した前代未聞の被害経験にこそ終止符が打たれたが、連続的な暴力行使の余韻はすでに破壊され尽くした生の全域に依然として破壊的な作用を及ぼし続け、生の終焉の扉が開きかける音を聞かない日はもはや一日もない。だから、西川克行氏に最初の書簡を送付した2016年8月10日から3年間という時間の推移は私にとって存在せず、2019年8月14日現在に至るまで2016年8月10日はつねに昨日であり続けている。加害者たちに支配され所有された生と死を自分自身のものとして取り戻せる可能性が、彼ら彼女らの手にされた自分の手が自分を殺すのを待つだけの収容所の暗闇の中に微かに明滅し始めた日であるから。それにも拘らず、私とMは今に至るまで可能性の深淵に延々と宙吊りにされ続けていて、自分たちの手に加害者たちの殺意ではなく自分たち自身の血液が流れ始めたという実感を少しも抱けずにいるから。

 だから書こうと思う。第三章と未だ書かれざる第四章の狭間に「間奏曲――かくも長き宙吊り」を。「かくも長き宙吊り」が一体何に由来するのか、事実を厳密に辿ることで巨大な沈黙を翻訳してみようと思う。可能性の深淵に宙吊りになり続けることは、アガンベンが分析したバートルビーの試練に等しく、それは「被造物が冒しうる窮極の試練」であるからだ(『バートルビー――偶然性について』、邦訳52頁)。「自分自身の白紙になる」(同書、邦訳38頁)しかないようなそれほどの危険を果てしなく冒すよう、私に命令することを私は誰にも許さない(それは殺人以上の拷問に等しい)。

 公式発表までの私たちの待機時間を、いつ果てるとも知れない巨大な沈黙を延々と聞き続けるという「かくも長き宙吊り」にしている最大の元凶は何か。

 巨大な沈黙を一日も早く破って私たちに救済の合図を、すなわち「法」が救済されたことを告知する合図を送り届けたいと思っているのは、ほかならぬ捜査機関であるに違いない。しかし、本件大組織犯罪の存在を厳正なる捜査機関に初めて知らせる「意見書・抗議文・要望書」を西川克行前検事総長に私が送付してから3年以上が経過しても、そうすることが叶わない。私たちを救済するために「法」を救済すること、死文と化した法律に再び生命を通わせる復活の儀式が測り知れない困難を極め、なかなか進展しない。本件大組織犯罪に私が絶対的な確信をもって「最終解決個人版」という異名を与えたのは、したがって偶然ではない。ニュルンベルクで行われた十二の裁判を始めとしたアウシュヴィッツに関わる複数の裁判は「アウシュヴィッツの問題はもう終わったという観念が流布するのを助長してきた」と批判的な見解を吐露したあと、アガンベンは次のように述べている。

  それらが下した判決はすでに既判事項となっており、有罪の証拠は最終的に認定されているのである。たいていは孤立している何人かの明晰な頭脳を別にすれば、法律がこの問題のすべてではないこと、それどころか、ひょっとするとこの問題は、法律そのものを疑問視するほどに、法律を破滅に引きずり込むほどに巨大な問題であったかもしれないことを理解するのに、ほとんど半世紀を要したのであった(『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』、邦訳20頁、強調線井上)。

 「この問題」とはアウシュヴィッツの問題であるが、未だに「最終解決個人版」の標的として「絶滅を待望され続ける」という被害を解除されていない私には、本件大組織犯罪の核心的問題をこれほど圧縮して鮮やかに述べた表現は存在しないと映る。あらためて断言しよう。本件大組織犯罪の核心的問題とは「法律そのものを疑問視するほどに、法律を破滅に引きずり込むほどに巨大な問題」なのであり、しかも「巨大な問題であった」のではなく(その解決が)現在進行中の「巨大な問題」であり続けている。その演説の一部を第一章「「最終解決」の亡霊の集団的憑依」のエピグラフとして引用したハンス・ミヒャエル・フランクの経歴を思い出して欲しい。ニュルンベルク裁判で死刑判決を受けたフランク自身が傑出して有能な法律家であったのだ(弁護士、法学博士、バイエルン法相、ドイツ法律アカデミー総裁、国家社会主義ドイツ労働者党法務部長、ポーランド総督府総督、「ナチスの法制及び立法綱要(刑法及び刑事訴訟法の部)」編纂)。「それゆえ、私は彼らが消滅していくという根本的な期待をしている。彼らは取り除かれるべきである。……彼らは自分たち自身を消し去るしかないのだ!」と演説したフランクはユダヤ人の絶滅を待望していたのであるが、私の絶滅を待望している本件大組織犯罪の加害者たちも、フランクと同じような演説を意識的・無意識的・強迫的に絶えず内心で叫んでいた/叫んでいる。私は彼ら彼女らの「原罪」=「瑕疵」=「症候」=「例外」=「死」の絶対的鏡像であるがゆえに。また、私の生の存続は彼ら彼女らの犯罪の露見可能性の存続であるがゆえに(もっとも、第三章「「法の起源」の忘却者たち」まで書かれて公開され、西川克行前検事総長への書簡を始めとした数点の証拠資料まで公開された今となっては、私の絶滅こそ彼ら彼女らの犯罪が――それも完遂という形で――露見する決定的な契機となるという反転が起こっている)。したがって彼ら彼女らが社会的立場、権力、名声、財産の一切を喪うことなく、それらを享受しつつどこまでも生き延びるために(しかし、この欲望もすでに反転している。私の絶滅は逆に彼ら彼女らの現世的執着の対象を喪わせ、少なくとも自由に生き延びることを限りなく困難にするようにしかもはや作用しない)。本件大組織犯罪の首謀者たち全員が法律家であるという点も、フランクと相同的である。「法律そのものを疑問視するほどに、法律を破滅に引きずり込むほどに巨大な問題」を引き起こしたという点において、彼ら彼女らはますますフランクと相同的である。

 先にたてた問いをもう一度書こう。公式発表までの私たちの待機時間を、いつ果てるとも知れない巨大な沈黙を延々と聞き続けるという「かくも長き宙吊り」にしている最大の元凶は何か。法的秩序を遵守し、維持し、それを破壊しようとする侵犯者たちを取り締まり、その絶えざる再構築に貢献することを職責とする者たち――法律の教師、弁護士、裁判官、検察官――、すなわち法律家の集団がオウム事件の元死刑囚たちとは異なり、法的秩序の内部から法的秩序を破壊したことである(オウム事件の元死刑囚たちは法的秩序の外部からそれを破壊することを企てた)。大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件を引き起こした元検察官検事のように一人の法律家が暴走して法の侵犯行為に及んだとしても、「法律を破滅に引きずり込むほどに巨大な問題」に発展することなどあり得ず、ほんの一部を破壊されただけの法的秩序は速やかに回復された。しかし、法的秩序の内部から法的秩序を破壊した法律家の集団のなかに、捜査機関の頂点である最高検の最高幹部検事が含まれていたとしたらどうだろう。たとえば当時の検事総長や次長検事が含まれていたとしたら。現代の日本社会で、「法律そのものを疑問視するほどに、法律を破滅に引きずり込むほどに巨大な問題」が仮にも引き起こされるとすれば、それ以外のどんな条件も想定することは不可能である。私たちの救済要求に初めて応えてくれた西川克行前検事総長、前代未聞の困難を極める責務を引き継いだ稲田伸夫現検事総長たちが、日本国の全法的機関で運用される法律から(――司法制度における法律概念そのものから――)実質的な意味と権威が消失し、隅々まで無意味、死文化、形骸化、空虚に浸透され尽くした潜在的だが全体的な破滅から法律を救済するため、どれほど長期に亘る苦難を引き受けているか想像を絶して余りある。反国家的組織犯罪者集団のなかに、国家の法的機関の中枢である最高検の最高幹部検事経験者が含まれているという可能性、それも極めて現実的な可能性を、私たちは経験的に透視しないではいられない。すでに後半の刑事手続が開始されているかもしれない。開始されてから長い時間が経過しているかもしれない。「法律を破滅に引きずり込むほどの巨大な問題」を破滅に逆らい、中身の実質的な空洞化という反国家的暴力と闘いながら、法律に生命を蘇らせる最高難度の大手術を行なうようにして全面解決へと少しずつ近づけていく。もちろん極秘に、あるいは徹底的な非公開を貫きながら(法的秩序の内部から法的秩序を破壊する。国家の法的機関の内部にいながら反国家的な法律の破壊行為に及ぶ。司法権を行使する立場にいながら司法に背き、国家機関を犯罪の舞台として利用する。法律を静かに破滅させ、法治国家の内実を事実上の無法治状態に変容させる。いわば沈黙のテロ行為であるこれらの破壊行為が、反国家的組織犯罪者集団によって実行された。集団の構成員は全員が法律家であり、そのなかには捜査機関の頂点である最高検の最高幹部検事経験者も含まれている。公的な秩序を害し、壊乱するには十分すぎる事情であり、憲法第82条2項が規定する例外的措置としての非公開を当然要請するだろう)。

 私たちに「かくも長き宙吊り」を延々と耐えさせる巨大な沈黙は、「法律を破滅に引きずり込むほどの巨大な問題」に比例し、それに全面的に由来しているのである。

 2015年9月9日に私たちは霞が関の検察庁に赴き、2通の告訴状と3通の告発状を東京地検特捜部に提出するとともに、同2通の告訴状と3通の告発状、及び偽造録音媒体の鑑定書を同封した請願書を当時の検事総長・大野恒太郎氏に宛てて提出した。本請願書は私とMが管理・運営するブログ『現代思想と証言』にその全文が公開されているので、未読の方には是非読んでいただきたい。

 第二章「滅罪的暴力の誤使用、あるいは「原罪」の集団的摘出」のなかで証言したとおり、そして『現代思想と証言』に全文が公開されている西川克行前検事総長に宛てた最初の書簡「意見書・抗議文・要望書」のなかでも詳述しているとおり、大野恒太郎元検事総長は同請願書を完全に無視黙殺した。この無視黙殺と見事に連動する形で、東京地検特捜部も2通の告訴状と3通の告発状、及び全証拠資料を容赦なく返戻してきた。第二章で詳細に証言したとおり、大野恒太郎元検事総長による本請願書の無視黙殺、及び東京地検特捜部による告訴と告発の全不受理を飲み込まされて以降、私たちに差し向けられる暴力行使は突如として極端に激化した。激化の一途を辿った暴力行使は2016年4月1日に書面にて送り付けられた告訴権の剥奪(Mの場合は同年4月14日に告発権の剥奪)によって極点に達し、同年8月10日に西川克行前検事総長に宛てて最初の書簡を送付するひと月ほど前まで続いた。暴力行使の極端な激化は、2015年9月9日に大野恒太郎元検事総長に2通の告訴状と3通の告発状、そして中央大学が民事訴訟に提出した録音ファイルが完全なる偽造物であることを科学的に証明する鑑定書を提出したときを、明らかに境として起こっている。厳密に言い換えれば、民事訴訟第一審、第二審の裁判官たちが鑑定申請を認めず、東京地検立川支部の森川久範と二瓶祐司が鑑定に出すと私たちを1年2カ月余りも欺罔しながら絶対に鑑定には出さなかった録音ファイルが、私たちによって鑑定に出された結果、完全なる偽造物であることが科学的に証明された途端に私たちに差し向けられる暴力行使は極端に激化し、狂気じみたものとなった。

 暴力行使はなぜ極端に激化し、狂気じみたものとなったのか。①中央大学が民事訴訟に偽造証拠を提出するという犯罪行為を行なったことが直接証明されたから。鑑定書は犯罪行為の存在を直接証明する直接証拠である(法科学鑑定研究所の鑑定人によれば、当該鑑定書は刑事裁判にも耐えうるものである)。②中央大学が退職強要という犯罪行為を行なったことが証明されたから。録音ファイルが鑑定に出されれば、中央大学による私の解雇は強要という犯罪行為に基づくものであることが証明され、必然的に無効となるから。③中央大学の代理人弁護士たちが民事訴訟に偽造証拠を提出するという犯罪行為を行なったことが直接証明されたから。したがって、彼らが中央大学の犯罪行為の証拠隠滅・犯人隠避という犯罪行為を行なったことが直接証明されたから。④民事訴訟の裁判官たちが鑑定申請を認めなかったのは、録音ファイルとその反訳書が偽造証拠であることを知っていたという理由に基づくことが証明されたから。したがって、裁判官たちが中央大学の犯罪行為の幇助という犯罪行為、及び中央大学の犯罪行為の証拠隠滅・犯人隠避という犯罪行為を行なったことが直接証明されたから。⑤東京地検立川支部の森川久範と二瓶祐司が不真正不作為による犯人隠避・証拠隠滅という犯罪行為を行なったことが直接証明されたから。この二人の検察官検事も民事訴訟の裁判官たち同様に、告訴人によって証拠として提出された録音ファイルが偽造物であることをあらかじめ知っていたことが証明されたから。したがって、中央大学が民事訴訟に偽造証拠を提出するという犯罪行為、及び彼らが立証すべき強要という犯罪行為を行なったことを知っていたことが証明されたから。⑥犯罪行為を行なったという事実から中央大学を守り、不正に勝訴させるようにという働きかけ、ないし命令が裁判官たちにあったことが証明されたから。中央大学が実行した犯罪行為については一切捜査をせず、必ず不起訴処分にするようにという絶対的命令を森川久範と二瓶祐司が受けていたことが証明されたから。中央大学・弁護士たち・裁判官たち・検察官検事たちは組織的犯罪者集団であり、これら四者は中央大学の犯罪行為を完全隠滅するという共通の目的のためにそれぞれの役職・立場に応じた犯罪行為を実行した/実行しているという現実的な可能性を、録音ファイルの鑑定結果を知った者たちの内部に直ちに呼び覚ますおそれがあるから。

 大野恒太郎元検事総長と特捜部に提出した5通の告訴状と告発状が、少なくとも以上の①から⑤までの犯罪事実を極めて明瞭に、⑥についても私たちの推論が事実に限りなく接近していることを大野恒太郎元検事総長と特捜部に伝えるには十分すぎる内容であったことは間違いない。請願書には、大野恒太郎検事総長の指揮・監督の下、提出した告訴状と告発状を直ちに受理して深刻極まりない犯罪事実を徹底的に捜査するよう、特捜部を直々に指導して欲しいという切実な嘆願がもちろん書かれていた。しかし、特捜部は5通の告訴状と告発状、及び直接証拠である鑑定書を含む全証拠資料を返戻してきて、全告訴と告発の不条理極まりない不受理を私たちに容赦なく突き付けた。なぜ不条理極まりない不受理であるのか。まだ鑑定に出される前の録音ファイルを中心的な証拠として提出した強要罪の告訴状を、2013年6月24日の段階で東京地検立川支部は受理したからである。それならば、録音ファイルが紛れもない偽造物であることを科学的に証明する鑑定書、すなわち5通の告訴状と告発状で申告した全犯罪行為の存在を証明する直接証拠が提出されているにも拘らず、全告訴と告発がなぜ悉く不受理扱いされ、いわば撃退されなくてはならないのか。①から⑤までの、いや⑥までの全犯罪行為が実際に存在したことを打ち消さなくてはならないのに特捜部にはその術がない、全犯罪行為の痕跡の完全隠滅を謀るためには捜査を一切行なわないという選択肢しかない(⑥まで捜査することになれば、検察庁や裁判所という国家機関の最深部にまで喰い込んでいる全犯罪行為を可能にした錯綜する働きかけの相関関係、すなわち贈収賄のネットワークまで捜査の射程に入れなくてはならなくなる)。どれほど不条理で暴力的、かつ狂気じみた所業に思われようと、禁断の全犯罪行為の存在を直接証明する私たちの告訴と告発はどんな躊躇もなく拒絶し、撃退しなくてはならない(東京地検立川支部が、鑑定に出される前の録音ファイルが証拠であっても受理したのは、被疑事実が強要罪だけだったからだ。被告訴人に国家機関に所属する公人は含まれていなかったからだ)。鑑定書を直接証拠として行なわれた私たちの告訴と告発は、万一受理して捜査を開始したりすれば、偽造録音ファイルが①から⑥までの全犯罪行為の核心にあってそれらを相互に連結させ、それらの実現を可能にした経緯の全容を必然的に解明しなくてはならなくなる。言い換えれば、①から⑥までの全犯罪行為に加害者として関与した検察庁や裁判所という国家機関を崩壊の危険に曝さなくてはならなくなる。自分たちを崩壊の危険に曝しているのは当の国家機関であるにも拘らず。

 だから、①から⑥までの全犯罪行為の申告をした私たちの告訴状と告発状を悉く返戻してくるという暴力は極めて倒錯的である。①から⑥までの全犯罪行為の存在を直接証明する直接証拠とともに提出された5通の告訴状と告発状を返戻してくるという特捜部の暴力的所業は、全犯罪行為の痕跡の絶滅、すなわち私の絶滅を願う組織犯罪者集団の要請に応える犯人隠避・証拠隠滅であると言わざるを得ない。しかし、特捜部は自分たちの意思で、自分たちだけの判断に基づいて捜査を行なわないことを決定したのではない。既述のとおり、大野恒太郎元検事総長に宛てた請願書には、速やかに受理して捜査を開始するよう特捜部を指揮・監督して欲しいという切なる嘆願を記した。それにも拘らず特捜部が返戻してきたということは、①から⑥までの全犯罪行為の存在を否定することは不可能であると判断した大野恒太郎元検事総長が特捜部に捜査を一切行なわないこと、5通の告訴状・告発状・直接証拠を含む全証拠資料を私たちに突き返すことを命令したということだ。検察庁、裁判所という国家機関の実質的な頽廃と崩壊が維持されること、国家の法的機関がもはや法治状態と自然状態の区別が全くつかない不分明地帯(=例外状態)であり続けることを大野恒太郎元検事総長は望んだ、あるいは看過黙認することを望んだということだ。告訴と告発を最終的に断念させるよう、凄まじく暴力的な告訴・告発妨害を私たちに対して行なうことを鈴木久美子と野村に命令したのも、大野恒太郎元検事総長であるかもしれない(そうでないとすれば、とりわけMに対して鈴木久美子が差し向け続けた支離滅裂で不安定で驚愕するほど暴力的な言説の数々に説明を与えることはできないように思われる)。2016年3月18日に最高検に提出した4通の告訴状と告発状が特捜部に回送され、特捜部はたった一日で(内容を全く吟味せずに)返戻してきた。私の自宅には二度に分けて、膨大な証拠資料と二通の告訴状を別々に送り返すという極めて暴力的な返戻の仕方をしてきた。告訴状に添付された書面に告訴権を剥奪する旨の文言が記載されていた。東京高検検事長時代の西川克行氏に宛てて送付した二通の嘆願書をMの自宅に返戻してきた瓜生めぐみは、西川克行氏に宛てて提出した(鈴木久美子が出した)不起訴処分不服申立書に対し、2016年7月2日に「認められない」旨が記載された処理結果通知書を私たちの各自宅に送付してきた。翌8月に入ると大野恒太郎元検事総長は辞職願を出し、同年8月15日に閣議で承認された。

 またしても特捜部を通じて、それから瓜生めぐみを通じて、①から⑥の全犯罪行為の捜査を捜査機関に依頼することの絶対的不可能性を、二度と抜けない絶望の楔のように私たちの精神と身体にこれでもかと打ち込んだのも大野恒太郎元検事総長なのかどうかは分からない。いずれにしても、もう一度確認しておこう。①から⑥の全犯罪行為の存在を直接証明する鑑定書という直接証拠、及び5通の告訴状と告発状を添付した請願書を大野恒太郎元検事総長に提出して以降、告訴と告発を断念させようとする倒錯した暴力行使が極端に激化し、瓜生めぐみから処理結果通知書が送付されてくる2016年7月2日まで続いたのである。二度と抜けない絶望の楔のように打ち込まれた捜査機関に捜査を依頼することの絶対的不可能性は、絶滅を待たれるだけの収容所から救済されることの絶対的不可能性、未来という時間がもう一度開かれることの絶対的不可能性でもあった。少なくとも2015年9月9日に提出した請願書を無視黙殺したことは、それ以降請願書に書いたこととは正反対の救済への意志の事実上の抹殺が連続的に行使され続けたこともあり、犯人隠避と証拠隠滅の実行であると言わざるを得ない。さらに言えば、組織犯罪者集団の一人であるのかどうかは分からないが、少なくとも大野恒太郎元検事総長が私の絶滅を待望していた/している人物たちの一人であることは間違いないと私の壮絶な被害経験は私に伝え続けることを止めない。

 西川克行前検事総長に①から⑥の犯罪行為の存在を初めて知らせることができ、それから三カ月後に中央大学におそらく最初の家宅捜索が入り、本件大組織犯罪の実態と核心が大体明らかになったと思われる2017年9月に、西川克行前検事総長と同時期に東京高検検事長に就任した田内正弘氏が突如として辞職するという衝撃的な異変が起こった。田内正弘氏だけでなく、同年7月から9月にかけて全国の地検検事正や検察官検事が100人近く辞職するという異様な事態が相次いで起こった。捜査機関の頂点である最高検の最高幹部検事が空前絶後の反国家的大組織犯罪に加担し、法的秩序の維持を職責とする国家機関が実質的に崩壊しているという前代未聞の異常事態に直面して、検察官検事としての自分たちの同一性の根拠が完全に失われたことを悟った結果であるとしか考えられない。

 ところで、検事総長に就任される直前の西川克行氏に宛てて最初の書簡である「意見書・抗議文・要望書」を内容証明郵便で送付したのは、2016年8月10日である。ちょうど3年後に当たる本年(2019年)8月10日に、私たちは同書簡全文をブログ『現代思想と証言』に初めて公開した。現在の大野恒太郎元検事総長が同書簡全文に目を通したかどうかは知らない。もし目を通していたとしたら、大野恒太郎元検事総長が受けた衝撃は測り知れないほど大きかったであろうと推察する。なぜなら大野恒太郎氏がまだ検事総長として在職中であった時期に、東京高検検事長であった西川克行氏が同じ検察庁館内で同書簡に目を通し、本件大組織犯罪の存在と同犯罪に大野恒太郎元検事総長が関与した疑惑があることを既に知っていたという事実を、3年間が経過して初めて知るに至ったからである。「良心に反することは一切行なってこなかった」と2016年9月5日に開かれた退任記者会見で大野恒太郎氏が発言したことは、第二章で書いたとおりだ。

 退任後の2016年11月に第一東京弁護士会に弁護士登録をした大野恒太郎氏は、東京都内の〇〇〇〇〇〇法律事務所に客員弁護士として入所する。2017年には幾つかの大手民間企業の取締役、監査役に就任し、そして公益財団法人国際民商事法センターの理事長にも就任する。

 本書『最終解決個人版・未遂の記――絶滅を待望された被害者の証言』の草稿を第三章までブログ『現代思想と証言』に公開したのは、本年(2019年)3月16日である。大野恒太郎氏についての言及が出現するのは第二章であるが、これが公開されたのは本年(2019年)2月28日である。空前絶後の反国家的大組織犯罪の被害者の証言である本書の草稿を、とりわけ第二章を、大野恒太郎氏が読んだのかどうかは知らない。したがって、以下の事実が本書の草稿を大野恒太郎氏が読んだことと関係があるのかどうかも分からない。少なくとも本書の草稿がインターネットに公開された本年(2019年)3月16日からひと月半後の5月1日に、大野恒太郎氏は「検察官適格審査会」の新任の委員に任命された(5月1日付法務省人事を参照)。衆議院議員、大学名誉教授、現職の最高裁判事など11人から構成される「検察官適格審査会」の委員に任命されるに当たり、大野恒太郎氏の意向ないし希望は全く無関係であり、一切反映されていないのかどうかは知る方法がない。1年に一度か二度開催されるらしい「検察官適格審査会」が本年(2019年)6月6日(木)、午前11時から法務省の特別会議室で開催された。議事概要によれば、「直近5年間において2回以上直接責任による懲戒処分を受けたことがある検察官又は事務処理の状況, 勤務態度, 言動その他の事情に照らし, その適格性に疑いがあると認められる検察官はいない」。及び「会長を除く委員10名で採決の結果, 委員全員の一致により, 全ての検察官について不適格な者はいないとの議決をした」。

 たった一日で直近5年間における全検察官の適格性を審査するなどということが可能であるとは到底思えず、「検察官適格審査会」の審査が厳格を極めるものでは全くないことは容易に想像がつく。とはいえ、大野恒太郎元検事総長は他の委員全員が知らないであろう以下の事実をよく知っているはずだ。森川久範はすでに検察官ではないが、二瓶祐司が告訴人とその代理人弁護士を露骨に欺罔しながら犯人隠避と証拠隠滅を実行したこと、鈴木久美子が極めて暴力的で非合理極まりない言動を弄して執拗な告訴・告発妨害を行ない、告発人を自殺寸前まで追い詰めるに至ったこと、鈴木久美子と瓜生めぐみも不真正不作為による犯人隠避と証拠隠滅を実行したこと、そして告訴権・告発権を剥奪するという究極の暴力的手段を用いて特捜部も犯人隠避と証拠隠滅を実行したのみならず、告訴人と告発人を法的保護の外に絶対的に追放することでその生の自主的切断を事実上強要し、法律を徹底的に空洞化・無意味化・凶器化して法的秩序を根底から崩壊させたこと。これらの事実を百も承知していながら「その適格性に疑いがあると認められる検察官はいない」という他の委員全員の見解に大野恒太郎氏も賛同したとすれば、本年6月6日の「検察官適格審査会」において大野恒太郎氏も犯人隠避と証拠隠滅を実行したということにしかならない。あるいは、上記検察官たちの行為や勤務態度が「検察官としての適格性」を少しも逸脱していないと大野恒太郎氏が本気で思っているのであれば、法律が運用される国家機関の内部はすでに法律が破滅している無法地帯、法的無秩序が常態化・自然化した限りなく危険な暴力地帯に全体として変容を遂げているということにしかならない。しかし一方で、上記検察官たちの常軌を逸した法律の破壊行為を「検察官適格審査会」の他の委員たちは全く知らないとしても、西川克行前検事総長、そして稲田伸夫現検事総長たちはよく知っているということを大野恒太郎元検事総長は知っているはずだ。本年(2019年)3月16日に公開された本書の未完の草稿全文、及び西川克行前検事総長への最初の書簡を始めとした全証拠資料を読んでいるとすれば。読んでいるとすればもちろん、読んでいなくても知っているはずだ。上記検察官たちに、法律を破滅へと引きずり込む狂気の暴力行為を実行するよう命令したのが大野恒太郎元検事総長であるとすれば。それが事実であるか事実に限りなく近いとすれば、大野恒太郎氏はいつ頃からかは特定できないが、法的秩序を潜在的には解体させている反国家的巨大組織犯罪に関与した文字通り前代未聞の検事総長として極秘の捜査対象になっているはずであるから。あるいは、すでに徹底した非公開のうちに起訴されているかもしれないから。上記検察官たちの極端な法律の破壊行為が大野恒太郎元検事総長の命令に従った結果であるならば、「その適格性に疑いがあると認められる検察官」として彼ら彼女らの誰一人、大野恒太郎氏には名指す資格はないことになる。彼ら彼女らも、被害者に殺人的暴力を行使するという形で反国家的組織犯罪に関与した国家機関の内部の人間である以上、公式発表の準備が整うまでは、彼ら彼女らの訴追も徹底的に非公開のうちに行われなくてはならないということになる。

 2017年の段階ですでに複数の役職に就いていた大野恒太郎氏であるが、本書の草稿全編をブログ『現代思想と証言』に公開して以降、大野恒太郎氏が公的活動に頻繁かつ積極的に従事している様子が異常なほど目につくようになった。その最たるものが「検察官適格審査会」の新任の委員として任命され、6月6日の同審査会に「学識経験者」として出席したことである。私の絶滅、すなわち自分たちの全犯罪行為の絶滅を共通目的とする法破壊的組織犯罪集団の一員であると私の被害経験が私に伝え続ける大野恒太郎元検事総長が、なぜ任命されたのかは依然として非常に不可解ではある。しかし、ハンス・ミヒャエル・フランクのように傑出して有能な法律家と法律の破壊者が完全に一致した存在が大野恒太郎氏であるならば、情状酌量の余地を可能な限り拡大するために社会貢献と映る公的活動に頻繁かつ積極的に従事することは十分にあり得るだろう。それにしても、私を絶滅へと接近させる(=私を殺す)法律の破壊行為としての狂気の暴力を私に対して行使するよう検察官検事たちに命令した最高検の最高幹部検事が「検察官適格審査会」の委員に任命されるという異常事態は、法律概念が根本的に破壊され、法律が最悪の破滅に引きずり込まれている「巨大な問題」のなかでしか起こり得ないに違いない。それこそが巨大な沈黙を破ることを延々と遅延させ、「かくも長き宙吊り」に私たちを今にも絶滅しかねないほど耐えさせ続けるしかない元凶なのだ。

 「かくも長き宙吊り」とは、中央大学の首謀者たち、〇〇〇〇法律事務所の弁護士たち、東京地検立川支部の元裁判官たち、東京高裁の元裁判官たち、東京地検立川支部の元検察官たち、当時の東京地検特捜部の検察官たち、そしてこの者たちのうちの複数名に不正な指示を出した当時の最高幹部検事たちから構成される組織犯罪者集団によって4年にわたり差し向けられ続けた私の絶滅(=殺害)を共通の目的とする巨大な暴力行使が、正当な捜査機関にその狂気の実態を初めて知らせることができたのちも事実上解除されず、生の全体的破壊を完遂させようとして残り続けるその殺人的効果に抵抗する力を毎日奪われつつ、それでも生と死の境界で呻吟しながら耐えているということだ。

 したがって、その悪質性において類を見ない巨大組織犯罪者集団による私の絶滅(=殺害)を共通目的とする暴力行使は、直接的に差し向けられていた歳月が過ぎ去っても私の生に全体的破壊作用を及ぼすことを絶対に停止せず、全面解決に至るまでの待機時間が長期化すればするほど、執拗に存続するその殺人的効果が無言のうちに生の切断を私に強要してくる拷問的強度は限界を知らず増すばかりなのである。

 自分たちの欲望を実現する手となって「最終解決個人版」を自ら実行するように無言のうちに私に強要し続けてくる最大の主体は誰か。2012年4月に私の抹殺を最初に計画し、実行に移した中央大学、何事もなかったかのように中央大学が全体として偽装し続ける通常状態の外観、どんな滞りもなく通常業務が自然に営まれているという執拗な見せかけ、発展と拡大に向けて順風満帆に突き進んでいるという誇大演出である。私に対しては推定無罪の原則など存在しないかのように振舞った中央大学であったが、自分たちは推定無罪の原則に守られているという積極的な身振りをこれでもかと誇示し続ける。中央大学の元学生と首謀者たちによって冤罪に陥れられた私が、民事裁判や刑事告訴を通じて冤罪から解放されるどころか、裁判官や検察官もその構成員と化した組織犯罪者集団によって絶滅を待望されるだけの収容所に事実上監禁され、自分の生に配慮する一切の自由を剥奪され続けているのに対し、幾つもの刑法犯罪の紛れもない実行主体である中央大学はなぜかくも自由を享受し続けていられるのか。自分たちの全犯罪行為の痕跡を絶滅させるために被害者である私の絶滅を待望し、私の生を終焉へと極めて陰湿かつ残酷な方法で導こうとした/している中央大学の首謀者たち・全加害者たちは、自分たちの繁栄を求めてなぜ自由に動き回れるのか。それが大学内部、学生や卒業生、関係諸組織を欺くための見せかけの自由であるとしても、必死の演出が醸成する表面的な印象でしかないとしても、その圧倒的な非対称に私は絶えず打ちのめされる。絶対に消化できない理不尽さを孕んだその激烈な非対称は、私の生に文字通り殺人的暴力として作用する。なぜか。何一つ変化を蒙ることなく通常状態が維持されているという外観、そして首謀者たちが何の制約や処分も受けずに自由に動き回れているという外観は、何よりも私を欺くため、回復不可能な致命傷を私の生に決定的に刻み付けるために取り繕われているからだ。

 検事総長に就任される直前の西川克行氏に宛てて最初の書簡を送付してから約4カ月後、西川克行氏が検事総長に就任されてから3カ月後の2016年12月6日に中央大学におそらく最初の家宅捜索が入り、それからさらに数回入り、中央大学法科大学院にも入った。告訴権・告発権を剥奪するという超法規的暴力に訴えてまで私たちを法的保護の外に追放し、自分たちの全犯罪行為の露見可能性を完全に消滅させたと確信していたに違いない首謀者たちがどれほど衝撃を受けたかは想像に難くない。2017年5月26日に開催された理事会で、民事訴訟第二審の直前に理事長に就任した元最高裁判事の深澤武久氏を、任期満了を理由に退任させ、それまで常任理事であった法科大学院教授の大村雅彦が新理事長に就任したという異変は、数回の家宅捜索を不意打ちで受けたことの深刻な影響下で発生したものと推察される。しかし、新理事長に就任して以降、大村雅彦は表舞台からほとんど姿を消し、理事長として積極的に活動している実態を外部から確認することは困難になった。一方、当時の学長・総長であった酒井正三郎はメディアに露出する機会も多く、中央大学の宣伝活動を拡大・発展という文脈のなかで極めて精力的に行なっていた。首謀者の代表格である当時副学長、2012年当時法学部長の橋本基弘は、学長・総長の酒井正三郎とともに地方の大学と連携協定を結ぶために比較的頻繁に遠出をし、積極的に活動している様子が顕著に窺われた。2017615日、「共謀」の段階であっても処罰の対象になるという「テロ等準備罪(共謀罪)」を新設する改正組織犯罪処罰法が参院本会議で可決・成立し、同年711日に施行されたのだが、首謀者の筆頭である橋本基弘の存在はこれ以降後景に退き、その動向を外部から確認することは困難になった。

 それから3カ月にも満たない2017年10月1日、中央大学で起こり得ること自体が原理的に不可能であると思われる極端な異変が起こった。学長の酒井正三郎の任期満了に伴う学長選挙が行われ、2012年に当時法学部長の橋本基弘に全面的に協力する形で私を偽装解雇した当時の学長・福原紀彦が再び学長に選出されるという耳を疑うような事態の急変だ。この学長選には再選を狙う酒井正三郎に加え、壮絶な退職強要が実行された2012年4月11日時点でハラスメント防止啓発委員会委員長の役職に就いていた経済学部教授の松丸和夫も立候補していた。組織犯罪者集団の共通目的である私の絶滅=殺人という依然として未遂段階にある凶悪犯罪の一手段としての犯人隠避・証拠隠滅が、いや端的に私を標的とする殺人的暴力行使が中央大学という組織全体を挙げて本格化するという宣言・合図としてしか受け取れず、理解を絶する展開に私とMは激しく打ちのめされた。

 もう一度書こう。西川克行氏が検事総長に就任されてからおよそ4カ月後の2016年12月6日を皮切りに、中央大学には法科大学院も含めて数回にわたり家宅捜索が入った。それからさらに約7カ月後の2017年7月11日には「共謀罪」を新設した改正組織犯罪処罰法がついに施行されるに至った。犯罪の予備行為や実行行為に及ぶことなど何一つなくても、計画ないし相談に参加しただけで処罰の対象となる「共謀罪」が新設されたほとんど直後なのである。私の絶滅を共通目的とする組織犯罪者集団の構成員と見做すしかない2012年当時の学長が、中央大学の教職員たちによって再び学長に選出されたのは。2012年当時の学長、2012年当時のハラスメント防止啓発委員会委員長、そして2015年10月22日に私の請願書の受取りを拒否した学長が立候補したのは、中央大学が2016年12月6日以降数回にわたり家宅捜索を受けたことと明らかに関係がある。起こり得ることなど絶対に不可能である(なぜなら告訴権・告発権を剥奪し、法的保護の外に永久追放したのだから)、したがって戦慄的な恐怖で彼らを震撼させたことは間違いない家宅捜索という世にも不吉な現象の発生源に、捜査機関に対して何事かを行なった私の亡霊の姿をいやでも薄ぼんやりと彼らは透視せざるを得なかったはすだ。学長選で選出されたのは2012年当時の学長であるとしても、中央大学が危急存亡の秋に立たされていることは明白であるこの時期に、彼ら3人が学長選に立候補したのはなぜか。さらなる拡大と発展を目指し、どんな障害とも無縁に中央大学は輝かしい未来の設計図を描きつつ順調な運行を続けているという外観を取り繕うためだ。現実とはおよそかけ離れた外観を取り繕い、取り繕い続けることで、大学全体を挙げて中央大学の首謀者・協力者全員の犯人隠避・証拠隠滅を完遂に向けて実行していくためだ。組織全体を挙げて中央大学が実行してきた全犯罪行為の痕跡を世界と歴史から完全隠滅するため、言い換えれば中央大学の全犯罪行為の痕跡そのものである私を「最終解決個人版」の自主決行に向けて確実に追い詰めるため、つまり私を絶滅させる=殺すためだ。すると、中央大学の首謀者の一人であり組織犯罪者集団の明らかな構成員である2012年当時の学長の再選出に貢献した全教職員は、犯人隠避・証拠隠滅をその手段とする極めて隠微な殺人行為の再‐開始に協力したという結論にどうしても辿り着いてしまうのだ。2012年当時から犯人隠避・証拠隠滅を実行し続け、5年後には大学全体を挙げて実行しようとする学長=首謀者の一人の犯人隠避・証拠隠滅を実行し、現在に至るまで実行し続けているという厄介な結論に。

 再選された2012年当時の学長は、2017年10月28日に開催された評議員会と理事会で賛成少数により学長への再就任を否決された。「理事や評議員の選考に大きな影響力を持つ学員会長の久野氏と、改革を訴える福原氏を支持する教職員との対立もある」という産経新聞(同年12月3日)が伝えている大学幹部の説明は笑止である。「改革」の本当の中身に気付いていないはずはないと思うが、首謀者たちの大悪事を(したがって中央大学が直面している未曽有の危機的状況を)2012年当時の理事長である学員会長の久野修慈氏が知悉しているという事実をもちろんこの大学幹部は知らない(大悪事を詳細に知らせる長文の書簡を2015年10月と2016年8月に私が久野修慈氏の自宅に宛てて送付している)。2012年当時の学長の学長への再就任の否決は、首謀者たちによって不当に理事長職を解任された久野修慈氏の影響力が復活したことの効果であると判断し、私とMは少しばかり安堵した。しかしそれも束の間で、隠微な殺人行為の再‐再‐開始を告げる不吉な合図がたちまち聞こえてきて、絶滅を待望されるだけの収容所の中に依然として監禁されていることを私に否応なしに思い出させた。すでに限りなく希薄になっている希望の空気がさらに一気に蒸発していくのを感じ、窒息しそうになりながら私とMはその不吉な合図に耳を傾けた。2012年当時の学長が学長への再就任を否決されたことに抗議し、翌月の2017年11月に中央大学全学部の教職員が学長選挙の結果を尊重するべきであるという決議を出したのである。この決議を受けて理事会は学長選挙の再実施を決定せざるを得なくなり、2018年4月22日にあらためて実施された学長選挙で2012年当時の学長が再び選出され、同年5月26日に開催された理事会で学長への再就任が今度こそ可決された結果、翌27日にこの首謀者の一人は中央大学学長の座についに返り咲いた。言い換えれば、犯人隠避・証拠隠滅を手段とする中央大学の全犯罪行為の痕跡の絶滅、痕跡そのものである私の生存可能性の全的剥奪が、このときを起点として再‐開始されることが確定した。

 2012年当時の学長が中央大学の学長に再就任することを全学部の教職員たちはなぜそれほどまでに望むのか。あるいは必要とするのか。中央大学の内規は学長について「(法人の)理事会が評議員会の議を経て選任する」と定めている。異例であっても否決されることは当然あり得る。それにも拘らず、否決されて早々に学長選挙の結果を尊重するべきであるという決議まで出して、2012年当時の学長を中央大学の学長に再就任させるという自分たちの願望をほとんど全力で実現させた。そうまでして2012年当時の学長に中央大学の学長を再び務めて貰わなくてはならない理由ないし切実な必要性とは一体何か。この人物が本件大組織犯罪の発端となった2012年の退職強要事件の首謀者たちの一人であることを、決議した全学部の教職員たちは知っていたのか。

 少なくとも、この人物は2012年4月11日に実行された凄絶な退職強要(=強要という犯罪行為)を看過黙認し、絶滅せよという命令まで明確に含んだ強要の被害者である私の救済要求を一切無視黙殺した。退職強要の計画者であり実行犯の一人である当時の法学部長・橋本基弘による事実上の威力業務妨害であるロックアウトや電源遮断という暴力行為、強要という犯罪行為の存在の学内に対する隠蔽にほかならない暴力行為も完全に無視黙殺した。偽装解雇の決定が強引に行なわれた2012年7月20日の教授会に至るまで、この人物は強要及び殺人未遂という犯罪行為の実行を幇助し続け、その存在及び実行犯の学内に対する隠蔽を橋本基弘たちと共謀して実行し続けた。橋本基弘たちと共謀して私を陥れた元学生から学長に宛てた(私の解雇を嘆願する)「救済願」が出されたため、法学部長の橋本基弘がそれを「ご報告」という書面とともに学長に提出し、受け取った学長が稟議書を作成してそれを理事長に提出した(=理事長から決済が下りた)という解雇に至る経緯が、被告代理人が民事訴訟に提出した準備書面には書かれていた。証拠として一度も提出されない「救済願」など初めから存在せず、肝心の稟議書には理事長の決済印だけがない。法学部長の橋本基弘とともに2012年当時の学長が、私の偽装解雇を可能にするために本当は稟議書ではない文書を稟議書として扱ったという私文書偽造に該当する行為を実行したことは明らかである。2012年当時の学長が私を大学から暴力的に追放する不正な計画に積極的に関与、加担、協力していたことは否定しようのない厳然たる事実である。教職員を解雇するには不可欠の手続きである理事長ないし学長による措置勧告を省略した上、理事長の決済をとることなく(=理事長に隠れて)解雇を強行し、理事長名義の解雇予告通知を送り付けてきたにも拘らず、この学長は私の名誉を甚だしく毀損する兼任講師解雇のニュースを公式ホームページに掲載したのだ。2012年4月11日に実行された犯罪行為を看過黙認し続けた当時の学長が、私によって提起された民事訴訟に法学部長の橋本基弘たちが偽造録音媒体と偽造反訳書を提出し、理事長及び大学に隠れて理事長名で裁判を主導していたことを知らなかったなどということはもちろんあり得ない。そうすると、この学長は2012年以降も犯人隠避と証拠隠滅を大学内外の関係者を始め、文科省・検察庁・裁判所という公的機関に対しても長期間にわたり実行し続けていることになる。

 そこでもう一度問おう。一度否決された2012年当時の学長の学長再就任を、中央大学全学部の教職員は危険な決議まで出して、なぜそれほどまでに強く求める必要があったのか。もっとも納得のいく答えは、2016年12月6日以降数回にわたり中央大学が捜査員による家宅捜索に入られたからだ。捜査対象にされる犯罪行為を実行したかもしれない不穏な心当たりが相当数の教職員の内部にあったからだ。とりわけ2012年当時から法学部の専任教員及び常勤職員であった者たちは、当時の学長が実行した上記の犯罪行為の少なくとも半分程度は確実に知っていたし、知っていたのは自分たちも学長と同質の犯罪行為を(故意か過失かを問わず)実行してしまっていたからだ。すなわち、私に対する壮絶な退職強要や暴力行使を無視黙殺し続け、実行犯である元行政法教授や法学部長たちの犯人隠避と証拠隠滅を素知らぬ顔で実行し続けた上、事実上の殺人未遂である私の偽装解雇に協力した。偽装解雇の手段である学長たちの様々な犯罪行為を隠蔽し、隠蔽することで学長や法学部長の犯人隠避と証拠隠滅を実行した。2012年当時の学長や法学部長たちを内部告発する勇気、ないし責任感などあるはずもない。そんなことをすれば、中央大学の正規教職員という身分が保障してくれる全特権を手放すことになるか、中央大学そのものが壊滅的打撃を蒙ることになる可能性のほうがはるかに高い。ならば、自分たちも実行している犯罪行為と同質の犯罪行為、あるいはさらに悪質な犯罪行為を自分たち以上に数多く実行している2012年当時の学長にもう一度学長になって貰うことで、つまり学長の全犯罪行為の存在を全員で隠蔽することで、自分たちの犯罪行為の存在を隠蔽して貰うしかない。大学組織全体を挙げて、中央大学が実行してきた全犯罪行為の存在の完全隠滅を成し遂げるしかない。中央大学の全犯罪行為の存在の痕跡そのものである井上の生存可能性を完全に剥奪するまで、その手段としての犯人隠避と証拠隠滅を、通常状態の外観を意地でも取り繕い続けることで貫き通すしかない。自分たちに社会的・経済的安定を享受させてくれる中央大学を延命させていく方法はそれしかない。

 それが、「共謀罪」の構成要件に該当するかもしれない会議(=相談)を早々に開いてまで中央大学の教職員たちが「決議」を表明した理由、2012年当時の学長にどんなことがあっても再び学長の座に返り咲いて貰う必要があった最大の理由であると私たちは考えている。

 以上、本「間奏曲」の後半で展開してきた中央大学の2012年当時の学長の学長再就任をめぐる複雑な内部事情についての考察は、事実に限りなく接近していると私たちは確信している。

 そうであるならば、中央大学が組織全体を挙げて犯人隠避・証拠隠滅を貫き通すことで、犯人隠避・証拠隠滅を手段として中央大学の全犯罪行為の痕跡を絶滅させること=痕跡そのものである井上に対する隠微な殺人行為を再‐開始すると捜査機関に家宅捜索に入られていながら決定したということは、西川克行氏が検事総長に就任されてからの国家機関にどこまでも逆らい、(反国家的組織犯罪者集団として)事実上徹底抗戦の宣戦布告をしたということにしかならない。それほど大それたことが一体なぜ可能になるのか。この究極の問いに対する答えを探り当てるためにこそ、本「間奏曲」の前半で2016年9月5日に辞職した大野恒太郎元検事総長の想定される反国家的所業についての考察を徹底的に展開しておいた。

 東京高検検事長時代におそらく中央大学法学部出身の当時の東京高検次席検事・青沼隆之とともに元東京地裁立川支部の裁判官たちと元東京地検立川支部の検察官たちを連動させ、中央大学の強要罪とそれに伴う全犯罪行為(私電磁的記録不正作出・供用罪、無印私文書偽造・同行使罪など)を完全隠滅に導く上で絶対的な役割を果たしたのが大野恒太郎元検事総長であると、私たちは暫定的にではあるがほぼ確信している。犯罪幇助、犯人隠避と証拠隠滅など中央大学を不正に勝訴させるための犯罪行為は一切黙認看過し、裁判官としての職務遂行の存続にはいかなる影響も残さないという絶対的な確約ないし身分保証を、裁判官たちは次期検事総長である大野恒太郎氏によって与えられた。そう考えないとすれば、厳格な裁判指揮を執ることで知られる市村弘、労働者に比較的寄り添う判決を出してきた太田武聖が、適正な裁判手続きを悉く無視・完全省略した異常極まりない裁判進行を極端な不自然さが露呈することも厭わず、無理矢理行なったことに納得のいく説明を与えることは到底できない。中央大学を首謀者たちが実行した犯罪行為から守るために、殺人行為を実行する舞台として民事法廷を利用するように大野恒太郎氏たちが民事司法に介入し、これを操作・支配したと私たちは想定しないではいられない。同様の確約=身分保証を与えられたことと引き換えに言語道断の非倫理的命令に従わざるを得なくなったと考えなければ、あれほど狂気じみた前代未聞の「殺人未遂判決書」の原案を須藤隆太が作成したことに納得のいく説明を与えることは到底できない。対中央大学新聞学会訴訟の中山直子の判決書があれほどの論理学的破綻を露呈し、偽命題で横溢していたことの説明も全くつかない。大野恒太郎氏が検事総長に就任したのは、民事訴訟控訴審の判決期日である2014年7月22日の四日前の同年7月18日であることも強調しておく必要があるだろう。

 一方、上級検察庁の幹部検事の命令には絶対服従することがほとんど義務づけられている以上、元東京地検立川支部の二人の検察官検事には中央大学の犯罪行為を完全隠滅するようにという指示に、逆らう術も理由も全くなかったと推察される。録音ファイルを鑑定に出すと、信じがたい虚言を弄しながら森川久範も二瓶祐司も私とNN弁護士を断続的に欺罔し、民事訴訟に証拠として提出するために私たちが自費で鑑定に出すことが絶対にないように極めて不自然な状況操作を執拗に反復しなければならなかった。二瓶祐司の不起訴処分決定の理由説明に至っては、すでに指摘したように子どもでも騙せないほど不自然にして幼稚、かつ極端に空疎であったため、苦痛に満ちた隠蔽の含蓄が言説全体から絶えず滲み出ていた。二瓶祐司が上級検事の命令に従っていることは一目瞭然であったが、隠しきれないその極度の緊張は命令の主体が最高幹部検事であることをよく物語っていたと思う。大野恒太郎氏が検事総長に就任してからおよそ半年後のことだった。不真正不作為による犯人隠避と証拠隠滅は命令した主体の犯罪行為の存在を証明するものである以上、もちろん不問に付された。しかし、裁判官たちに与えられたような身分保証は二人の検察官検事には不十分にしか与えられず、不起訴処分決定の二カ月後に森川久範は検察官を辞職し、二瓶祐司は福岡地検飯塚支部に支部長としてではあったが飛ばされた。

 これで明らかになったのではないか。2015年9月9日に私が大野恒太郎氏に宛てて提出した請願書――裁判官たちを告訴する告訴状、二人の検察官検事を告訴する告訴状、中央大学の首謀者たちと弁護士たちを告発する告発状、2012年当時の学長を告発する告発状、中央大学新聞学会を告発する告発状、そして何よりも鑑定書の写しを添付した請願書――を、大野恒太郎氏が無視黙殺した理由が。直接証拠である鑑定書つきの同二通の告訴状、同三通の告発状全てをどれほど不条理であっても特捜部に不受理にさせ、返戻させざるを得なかった理由が。それらの告訴状、告発状には、被告訴人たちと被告発人たちの犯罪行為が厳密に記載されてあったが、同時に彼ら彼女らの犯罪実行を可能にした大野恒太郎元検事総長(そしておそらく中央大学出身の次長検事である青沼隆之)の犯罪行為――犯罪教唆、犯人隠避、証拠隠滅、収賄などの犯罪行為――も大野恒太郎元検事総長たちだけに透けて見える文字で記載されてあったのだ。民事と刑事を連動させることで中央大学の犯罪行為を完全に揉み消したはずであったが、中央大学・裁判所・検察庁の総ぐるみで冤罪からの脱出口を徹底的に塞いだため、困窮と零落の極みで殺人行為の犠牲になるしかない予定であった私があろうことか自費で鑑定に出し、中央大学の首謀者たち・弁護士たち・裁判官たち・検察官たち・最高幹部検事たちの犯罪行為の存在を直接証明する直接証拠を手に入れてしまった。大野恒太郎氏たちが中央大学に直ちに連絡を取り、自分たちの全犯罪行為を直接証明する直接証拠=鑑定書を私たちが手に入れてしまったという最大の危険を早々に伝えたことは想像に難くない。

 これでさらに明らかになったのではないか。2015年9月9日を境として、私たちに差し向けられる暴力行使が極端に激化した理由が。偽造証拠であることが科学的に完全に証明された録音ファイルは、中央大学の首謀者たち・弁護士たち・裁判官たち・検察官たち・最高幹部検事たちの全犯罪行為が交錯する中心に位置している。中央大学の犯罪行為が露見するということは、その完全隠滅を共謀して実行した弁護士たち、裁判官たち、検察官たち、とりわけ彼らの犯罪実行を可能にした最高幹部検事たちの犯罪行為も露見するということにほかならないからだ。大野恒太郎元検事総長たちが死力を尽くして中央大学を、犯罪行為を実行したという事実から守らなくてはならなくなったからだ。中央大学を守ることで、自分たち自身を、自分たちが犯罪行為を実行したという事実から守らなくてはならなくなったからだ。別の言葉で言えば、大野恒太郎元検事総長たちは中央大学と完全に一体化し、中央大学と自分たちの全犯罪行為の痕跡の絶滅=その痕跡そのものの現前である私の絶滅(=殺害)を共通目的とする反国家的組織犯罪者集団を不可避的に構成するしかなくなり、その絶対的な解散不可能性を背負いながらともに歩んでいかなくてはならなくなったからだ。

 最高幹部検事たちとともに背負うことになった大組織犯罪というスティグマが、中央大学の首謀者たち・協力者たちにとって私たちの告発を撃退する、かえって最強の武器となったことは想像に難くない。中央大学が3人の理事長経験者の名義を冒用し、民事訴訟に偽造証拠を提出してまで不正に勝訴判決を出させたという事実を鑑定書という直接証拠つきでどんなに告発しても、「それがどうした」という開き直りさえ感じさせる不遜さで何度でも跳ね返された。内部監査室公益通報では、私が所有している偽造録音媒体の現物を危うく奪い取られるところだった。当時の学長である酒井正三郎は、Mたちが全身全霊で伝えた「中央大学が危急存亡の秋に立たされている」ことを示す数々の深刻な事実に対し、学長として真剣に向き合う切実な姿勢を全く見せなかった。理事長に宛てた書簡と証拠資料一式を総務部に二度提出したMは、対応した職員の傲岸不遜な態度に極めて不快な思いをさせられたばかりか、二度とも2012年当時の法学部長である副学長・橋本基弘としか思えない中央大学代表を騙る人物に、早々に自宅に送り返された。私の請願書の受取りを頑迷に拒否したとき、学長の酒井正三郎は「(理事長たちを告発する)法的手続きに進まれたらどうですか」という耳を疑う暴言を口にした(中央大学を何度告訴・告発したところで絶対的に無益であるということを、もちろん百も承知していたからだ。中央大学を告訴・告発するということは、同じ組織犯罪者集団の構成員である最高幹部検事たちを告訴・告発するということに等しいからだ。検察庁全体、及び日本国の法的秩序を崩壊の危機に直結させるそのような無謀極まりない告訴・告発を、検察庁が受理することなど絶対にあり得ないと確信していたからだ)。東京地検立川支部にあらためて告訴・告発をした直後の2015年11月21日には、「中央大学が民事訴訟に偽造証拠を提出して不正に勝訴判決を得たという事実はない」という文言により直接証拠の存在を完全否定する脅迫文が、2012年当時の法学部長としか思えない人物から私の自宅に内容証明郵便で送り付けられた(鑑定書は中央大学の犯罪行為の存在のみならず、その犯罪行為の完全隠滅を共謀して企てた最高幹部検事たちの犯罪行為の存在も直接証明する直接証拠であるから)。

 警視庁捜査二課のタカナという刑事にMが電話をかけて偽造証拠の存在を告げ、告訴・告発をしたいので直接相談に行きたいという希望を伝えると、タカナ刑事は幾分冷たい態度でさりげなく拒絶し、東京地検立川支部に行くようにとMを促した。私たちの告訴・告発は絶対に受理せず相談にも乗らないようにという命令が、中央大学とともに反国家的組織犯罪者集団を構成する当時の最高幹部検事たちから、とりわけ大野恒太郎元検事総長から各捜査機関(検察庁はもちろん、私が過去に告訴状を提出したことがある警視庁、及び私たちが過去に相談をしたことがある中央大学を管轄する南大沢警察署)に出されていたことはおそらく間違いない。その延長線上に、第二章で詳細に証言した元東京地検立川支部の検察官検事・鈴木久美子による凄まじく強迫的かつ暴力的な告訴・告発妨害がある。森川久範や二瓶祐司と同様に、最高幹部検事たちの命令に絶対服従する以外に検察庁内で生きていく術はない鈴木久美子による告訴・告発妨害は、一歩間違えればMを本当に自殺させかねないほど攻撃的で狂気じみたものであった。巨大な焦燥感・罪悪感・緊張感におそらく起因する鈴木久美子の大失態により、2015年12月25日に検察事務官・野村は私たちの再度の告訴と告発を受け入れるふりをせざるを得なくなった。温厚な野村が    Mたちに対しては冷酷な言説を差し向けたにも拘らず、なぜ私に対してだけは深い同情すら感じさせる異様に優しい態度で接したのかという問いに対しては、第二章ですでに答えている。捜査機関の頂点である最高検の最高幹部検事たち、とりわけ大野恒太郎検事総長が中央大学をその犯罪行為から守るために実行した犯罪行為が万一露見したら検察庁全体、そして日本国の法的秩序が解体してしまうゆえに、それらの全犯罪行為の痕跡を絶滅させる必要があるから、その痕跡そのものである私を絶滅させる(=私に死んで貰う)必要があるから。それが、野村をして私に対してだけ優しい態度を取らせた唯一の理由である。

 2016年3月18日、最高検に告訴・告発をするために赴いた私たちの話を面談室で50分ほど聞いた最高検刑事事務課の原田ともう一人の男性が、どれほど異様で不自然極まりない緊張をその様子と雰囲気から終始醸し出していたかについても、第二章ですでに詳細に証言した。最高検の最高幹部検事たちの命令に盲従するしかない原田たちは、初めから受理するつもりなど毛頭ない私たちの告訴状と告発状を事件の重大性にさも驚愕するふりをしながら、受理する可能性も全くないわけではないふりをしなくてはならなかった。恐ろしい緊張の汗をその表情と雰囲気から大量に分泌しながら。なぜなら、彼らは検察庁という国家機関の内部で反国家的組織犯罪者集団の構成員である最高幹部検事たちの命令を受けて、犯人隠避と証拠隠滅、そして財物である鑑定書の事実上の窃盗を実行しなければならなかったのであるから。同様に、当時東京高検検事長であった西川克行氏に宛てて提出した不起訴処分不服申立書を受け取った自称東京高検所属の二人の男は、正しい宛先である西川克行検事長ではなく、不正な宛先である最高幹部検事たちにそれを故意に誤配した。すなわち、彼らもまた絶対に逆らえない命令に従って、検察庁館内でその所有権が西川克行検事長だけに属する不起訴処分不服申立書の事実上の窃盗を実行し、そしてその窃盗により原田たち同様に犯人隠避と証拠隠滅を実行しなければならなかった。

 最高検に二通の告訴状を提出するに当たり、偽造録音媒体の不正な取り扱いを核心に据えた中央大学と東京地裁立川支部と東京地検立川支部の相互連携による極めて悪質な犯罪行為の存在をより厳密に論証するため、私は二通の告訴状――裁判官たちを告訴する告訴状と検察官検事たちを告訴する告訴状――をさらに徹底的に彫琢し、文体的にも論理的にも精度を極めるものに仕上げた。その二通の告訴状と膨大な証拠資料を最高検から回送された特捜部は、たった一日で二度に分けて返戻してきたのみならず、告訴権を剥奪する旨を記載した書面を添付して二通の告訴状を返戻してきた。回送されてからたった一日で二通の告訴状と膨大な証拠資料に目を通した結果、証拠資料は「有斐閣 六法全書」と書かれたダンボール箱に詰め込んで暴力的に送り返し、告訴権を剥奪する旨を記載した書面を添付して二通の告訴状は翌日に送り返すなどという到底不可能に思えることを、特捜部は一体どのようにして選択し、決定し、可能にしたのだろうか。最高検は、特捜部には回送などしていないというのが私の結論である。二通の告訴状に目を通したとき、中央大学・弁護士たち・裁判官たち・検察官検事たちの犯罪行為の存在を論証する文章の向こう側に、最高幹部検事たち、とりわけ大野恒太郎元検事総長は、2015年9月9日に読んだときよりもその透明度・論理的密度がはるかに高くなった鏡を覗き込んだのである。そこで論証されている幾つもの犯罪行為の実行を可能にした自分たちの犯罪行為の存在をより鮮明に映し出している鏡を。そうだとすれば、告訴権を全く無根拠に剥奪する旨を記載した書面を誰が作成し、二通の告訴状とともに誰が送り付けてきたのかは自ずと明らかである。自分たちの全犯罪行為の痕跡、その痕跡そのものである私の現前が世界から絶滅する(=私の生が切断される)ことをもっとも待望する人物、すなわち中央大学とともに組織犯罪者集団を構成せざるを得なくなった人物である。組織犯罪者集団の構成員として中央大学を守るために、自分自身を守るために、検察庁を守るために私を殺そうとしたのは中央大学法学部出身の元次長検事・青沼隆之と大野恒太郎元検事総長、主導権を握っていたのは大野恒太郎元検事総長であるとしか考えられない。

 一方、Mは私電磁的記録不正作出・供用罪を被疑事実とする告発状を2016年3月31日付けで最高検に宛てて郵送した。同年4月12日付けで特捜部に回送したことを知らせる通知書がまたもやMの自宅に送付されてきたのであるが、前回と全く同様にたった一日置いただけで特捜部は同告発状を返戻してきた。告発権を剥奪する旨を記載した書面(私に送り付けてきた告訴権を剥奪する旨を記載した書面と全く同一の文面)が、同年4月14日に返戻されてきた告発状に添付されていた。2015年12月25日に東京地検立川支部の鈴木久美子にMが提出した告発状は無印私文書偽造・同行使罪を被疑事実とする告発状だけである。つまり、Mは私電磁的記録不正作出・供用罪を被疑事実とする告発状を最高検に宛てて初めて提出したのである。中央大学の犯罪行為=強要罪を完全隠滅するために中央大学・弁護士たち・裁判官たち・検察官検事たちが共謀して実行した全犯罪行為を潜在的には告発していて、それら全犯罪行為の存在を露見させる危険性が限りなく高い告発状。強要の事実ではなく、中央大学が偽造録音媒体を作出してそれを民事訴訟に提出したという事実をダイレクトに告発する告発状。私が提出した二通の告訴状に引き続いて、その文面に目を通した最高幹部検事たち、とりわけ大野恒太郎元検事総長は、その文面の背後に自分たち自身の全犯罪行為を告発する見えない文面をいやでも透視せざるを得なかったことだろう。そういうわけで、私に引き続いてMの自宅にも告発権を全く無根拠に剥奪する旨を記した書面を、返戻する告発状に添付して送り付けてきた主体は、もちろん特捜部ではなく恐怖に駆られた最高幹部検事たち、彼らによる犯人隠避・証拠隠滅という犯罪の実行行為である。

 2016年4月5日、Mは東京高検に宛てても無印私文書偽造・同行使罪を被疑事実とする告発状と私電磁的記録不正作出・供用罪を被疑事実とする告発状を送付し、同二通の告発状とともに西川克行東京高検検事長に宛てて井上との連名による嘆願書を送付した。さらに同年4月21日、西川克行東京高検検事長に宛ててMはもう一通の嘆願書を送付し、そのなかで当時の最高検の次長検事・青沼隆之に対する濃厚な疑惑を示唆した。二通の告発状は東京高検という正しい宛先にはもちろん届かなかったし、二通の嘆願書も西川克行東京高検検事長という正しい宛先にはもちろん届かず、自分たちの全犯罪行為をそれらのなかで潜在的に告発されている最高幹部検事たち、とりわけ大野恒太郎検事総長の元に作為的に誤配された。彼らによる犯人隠避・証拠隠滅という犯罪の実行犯となるよう、盲従する以外の選択肢はない命令を受けたのが東京高検の検察官検事・瓜生めぐみである。2016年5月9日付けの二通の封筒をMの自宅に送付するという形で、すなわち犯人隠避・証拠隠滅を自身も不可避的に実行することに同意するという形で、瓜生めぐみは絶対的命令を遂行した。一通の封筒には私文書偽造・同行使罪を被疑事実とする告発状が入っていて、添付された書面には返戻する際の定型文の他に同年3月18日に私たちが東京高検に提出した不起訴処分不服申立書についての短い言及があり、「引き続き当庁において検討中である」という事実とは正反対のことが記載されていた。第二章で詳細に証言したとおり、告訴権・告発権を剥奪しても息の根を止めることができない私たちに最後の最後で絶対的な致命傷を負わせるために、極めて不確かな希望の空間に徒らに宙吊りにしておく期間をできるだけ長引かせる必要があった(だから、最高幹部検事たちに命令されたこの静かな劇薬並みの虐待は、中央大学が実行し続ける私の隠微な殺人行為の共犯者たちによる実行であると言える)。もう一通の封筒には、私電磁的記録不正作出・供用罪を被疑事実とする告発状と西川克行東京高検検事長を宛先とした二通の嘆願書が入っていて、添付された書面には返戻する際の定型文と、二通の嘆願書を何の理由も示さず単に返戻するという文言だけが記載されていた。私電磁的記録不正作出・供用罪を被疑事実とする告発状と西川克行東京高検検事長に宛てた二通の嘆願書を、一つの封筒に入れてセットで返戻するよう最高幹部検事たちはなぜ命令したのか。組織犯罪者集団の全犯罪行為を潜在的に告発し、それらの露見可能性を最大限に内包する危険な告発状は西川克行東京高検検事長によっても不受理にされた上、自分たちの大悪事の捜査を嘆願する文書も無視黙殺されたという偽りの残酷な事実を刃物のように私たちに突き付けるためだ。次期検事総長である西川克行東京高検検事長に、以後何を送付しても全く無駄であり徒労に終わるだけであるという救済可能性の絶対的不在を毒薬のように私たちに呑み込ませるためだ。本件大組織犯罪など存在しなかったという非現実に、歴史の捏造に私たちを絶滅の自主決行(=隠微な殺人行為)によって絶対的に同意させるためだ。

 2016年7月2日、瓜生めぐみ名義の6月30日付け処理結果通知書が私たちの各自宅に送付されてきた。大組織犯罪の痕跡の完全隠滅、歴史の捏造の完成は目前であるという最高幹部検事たちの、とりわけ大野恒太郎検事総長の深い安堵の溜息、あるいは私たちに対する(冤罪の私に対する)無言の死刑宣告のように。

 大組織犯罪の痕跡の完全隠滅の達成が目前に迫ったことを確認した大野恒太郎元検事総長は、翌8月に辞職願を提出した。今はもちろん知っているだろう。井上が「歴史」を証言するエクリチュールの稀代の作成者であったことに対し、自分もその構成員である組織犯罪者集団全員がいかに盲目であり、どれほど無警戒であったか(標的が井上ではなかったとしたら、恐ろしいことに大組織犯罪の全痕跡はその被害者とともにこの世から絶滅し、歴史の捏造は完成してしまっていただろう)。まだ検事総長であった同月10日に、私が大長文の「意見書・抗議文・要望書」を西川克行東京高検検事長に宛てて内容証明郵便で送付していたことなど、余裕と安堵の最後の検事総長の日々のなかで知る由もなかったと推察される。瓜生めぐみが返戻してきた二通の嘆願書を始め、特捜部名義で暴力的に返戻された全告訴状・告発状・全証拠資料を、検事総長に就任された直後の西川克行氏に私が簡易書留郵便で送付していたことなど(そして、西川克行検事総長が何一つ送り返してこなかったことなど)、さらに知る由もなかったことだろう。

 だから、検察庁全体、日本国の法的秩序を未曽有の崩壊に導きかねない大組織犯罪集団の全構成員に対する刑事捜査・刑事手続が進行中であることは明らかであるにも拘らず、本年(2019年)5月1日付けで大野恒太郎氏が「検察官適格審査会」の委員になぜ任命されたのかという問いに対しては、刑事手続と決して無関係ではない極めて戦略的な意図に依るものであるという答え以外のどんな答えも私たちには思い浮かばない。本年(2019年)6月6日に法務省で開催された「検察官適格審査会」において「直近5年間において2回以上直接責任による懲戒処分を受けたことがある検察官又は事務処理の状況, 勤務態度, 言動その他の事情に照らし, その適格性に疑いがあると認められる検察官はいない」という他の委員全員の判断に大野恒太郎氏も完全に同意し、「会長を除く委員10名で採決の結果, 委員全員の一致により, 全ての検察官について不適格な者はいないとの議決をした」という議事録は何を明示しているか。少なくとも二瓶祐司、鈴木久美子、瓜生めぐみたちが実行した犯罪行為の犯人隠避と証拠隠滅、彼らに犯罪実行の指示を出した大野恒太郎氏たちによる他の組織犯罪者集団(中央大学の首謀者たちと全協力者たち・弁護士たち・裁判官たち)の全犯罪行為の犯人隠避と証拠隠滅を、ほかならぬ大野恒太郎氏自身が実行したという厳然たる事実をもはや否定しようもなく明示している。

 本件大組織犯罪の輪郭が大体明らかになったと思われる2017年9月に、1年前に東京高検検事長に就任した田内正弘氏が突如として辞職し、駐ノルウェー日本大使に転身したもっとも大きな理由は、最高幹部検事たちの前代未聞の汚職とそれに伴う検察庁全体の実質的な崩壊を目の当たりにしたことであるという推察をすでに何度か提示した。もし、本件大組織犯罪に大野恒太郎元検事総長の関与は一切認められず、反国家的組織犯罪者集団の構成員である国家機関内部の中心的人物が当時の田内正弘氏より階級的に低い最高検次長検事・青沼隆之であったならば、田内正弘氏の突然の辞職と駐ノルウェー日本大使への転身という事態の衝撃的な急変に私たちが直撃されることはなかったかもしれない。2017年7月から9月にかけて、日本全国の100人前後の地検検事正や検察官検事が相次いで辞職するという異常事態が発生することもなかったかもしれない。

 自分たちの守護神である大野恒太郎元検事総長が辞職して検察庁から離れたとしても、検察庁全体の崩壊と国家の法的秩序の崩壊を代償とすることなくしては絶対に不可能である本件大組織犯罪の捜査、元検事総長たちが構成員として含まれている反国家的組織犯罪者集団の捜査など、組織防衛を最優先事項とする検察が行なうことは絶対にあり得ないと中央大学の首謀者たちは確信していたに違いない。

 ところが、大野恒太郎氏が辞職してから3カ月後の2016年12月6日を皮切りに、中央大学は捜査機関による家宅捜索の不意打ちを数回にわたり受けることになった。家宅捜索の不意打ちを受ける以前から、本件大組織犯罪に様々な形態で関与したと思われる教員たちの休講が急激に増え始めたので、事情聴取はすでに開始されていた可能性が高い。さらなる発展と拡大を喧伝しつつ通常状態の外観をけんめいに取り繕っていたが、2017年も教員たちの休講が相対的に多い状態が続く。2018年は2012年当時の学長が学長に再就任し、大学組織全体を挙げて犯人隠避・証拠隠滅を手段とした隠微な殺人行為を再‐再‐開始した年であるが、延命を図る一切の行為は隠微な殺人行為=殺人未遂の延長という相貌を不可避的に曝してしまうためか、中央大学の全体的な意志を挫く力が働いているかのように教員たちの休講は異常なほど増殖する。本年(2019年)に入ると、年間の授業として成立することは明らかに不可能であると確信できてしまうほど、授業を休講にする教員が続出するようになる(しかも、多くの休講理由は「傷病」である)。中央大学の休講情報を絶えず調査する過程で私たちに衝撃を与えた事実があるのだが、そのことにも言及しておく。2012年当時の法学部長・橋本基弘、中央大学通信教育部の部長で私を陥れた元学生の面倒を見ていたらしい法学部教授の遠藤研一郎、そして2019年現在の法学部長・星野智の三人の休講理由が確認した限りではそれぞれ一度だけ「本務校務」となっていたのである。これが何らかの誤認に基づくものでないとすれば、彼ら三人はいつ頃からかは分からないが、もはや中央大学の専任教員(=法学部教授)ではなくなっているという事実を文字通り意味している。指揮系統の不在、あるいは極度の混乱により、外部に対する一貫した隠蔽工作を継続して行なうことが限りなく困難になっていることを、こうした現象はよく伝えていると思う。

 以上のように2016年秋頃からの休講状況を概観してみると、通常状態の外観とは裏腹に、あるいは通常状態の外観を不必要に誇示しなければならないほど、反国家的組織犯罪者集団としての中央大学に対する捜査はおそらく無数の隠蔽の壁を長い時間をかけて少しずつ突破しながら、あらゆる知略に訴えつつ確実に進行しているという確信に私たちは導かれる。中央大学の延命=私の抹殺を企てる主体そのものである通常状態の外観が文字通り狂気を感じさせるほど誇示されたのは2018年6月25日、2012年当時の学長が学長に再就任してからひと月後のことである。同日、中央大学の同窓会組織である学員会の機関紙が発行され、それを中央大学の公式ホームページで見た私たちは、そこから立ちのぼる明らかに私を標的とした凄まじい悪意と殺意の瘴気に圧倒され、吐き気を催すほど気分が悪くなった。2012年に元学生及びその親族と共謀して私を陥れ、退職強要を実行した二人の組織犯罪者(当時の法学部長の橋本基弘と当時の法学部事務室長の土方善明)の写真がまるで凶器のように掲載されていたのみならず、認可も下りていない段階で2019年度4月に新学部開設が決定されたことが過剰なほど宣伝され、何より驚愕したのは「中央大学は世界一」という誇大妄想的な文字が書きつけられてあったことである(私とMは、生理的な不快感を激しく触発されながらも「ついに頭がおかしくなった」と苦笑しないではいられなかった。ついでながら、この辺りのことは西川克行前検事総長に宛てた書簡のなかで詳細に伝えている)。私を解雇したことにされ、そのことを学内及び本人に隠蔽するために不正に解任された2012年当時の理事長・久野修慈氏はこの同窓会組織である学員会の会長であるが、同会機関紙に毎号掲載されていた久野修慈氏の記事が2017年半ば頃から目に見えて減少し始め、次第に会長である久野修慈氏の存在は同会機関紙において限りなく希薄になった。まるで、久野修慈氏を解任した後で組織された第三者委員会により、人権侵害を指摘されて総長を辞任せざるを得なくなった2012年当時の学長が学長に再就任したのち、2012年当時の法学部長・橋本基弘たちとともに久野修慈氏を学員会の会長の座からも追放しようとしているように思われたほどである。

 私を標的とした凶器を満載した同機関紙が発行されてまもなく2018年7月が訪れる。オウム事件の死刑囚7人の死刑が6日に、6人の死刑が26日に執行された7月である。二度目の死刑が執行された26日の午後20時14分に私は極めて不審なメールを受信した。送信者は中央大学の卒業生を騙る人物で、ある学生に陥れられ、中央大学ハラスメント防止啓発委員会で理不尽な人権侵害を受けて窮状に陥っているので、同じような経験をした私に直接会って対応策を相談させて欲しい(そして、大至急連絡して欲しい)という不可解な要望が書かれてあった。メールの送信者名(というより記号)、及びメールアドレスから真の送信者は弁護士であるとすぐに見当がついた(自分が弁護士であることを暗に悟らせようとしていた)。放置しておくと、翌日の午前10時9分にまた同人物からメール送信があり、私と直接会って話すことの絶対的必要性が前日のメールよりはるかに切迫的に、一刻の猶予もないという激しい調子で(とにかく連絡をしてきて欲しいと)書きつけられていた。要望に応じる意思は一切ないと返信をしたのち、不審メール二通と私の返信メールを証拠資料として直ちに稲田伸夫検事総長に宛てて送付した。弁護士の背後にいるのは明らかに組織犯罪者集団、おそらく中央大学の首謀者たちであり、正当な手段で呼び出せる段階など犯罪実行の当初からはるかに通り越しているので、示談交渉の場に引き摺り出すためにはこんな胡散臭い方法を使うしかないのだと思った。言い方を変えれば、どれほど姑息な手段に訴えてでも時間的に最短距離で私をどこかに引っ張り出して、もちろん弁護士経由で示談交渉を速やかに成立させなければならないほど、中央大学の首謀者たちは追い詰められていた。おそらく起訴寸前まで。

 そうだとすると、2018年夏以降から冬にかけて、あるいは本年(2019年)の春にかけて、組織犯罪者集団にとっては極めて不利な方向に刑事捜査・刑事手続が決定的な進展を見せたと考えるほかはない。しかも、本年(2019年)3月16日には、本件大組織犯罪を証言する本書の第三章までの草稿がブログ『現代思想と証言』に公開されてしまった。2012年当時の学長の学長への再就任と同時に再‐再‐開始された大学組織全体を挙げての犯人隠避・証拠隠滅、それらを手段とする大学の延命=殺人未遂の延長という密かな計画にも拘らず、本年(2019年)に入ってから「傷病」を理由とする教員たちの休講が前年度以上に激増しているのは、もはや抵抗しようのない未曾有の危機的状況に大学全体がついにこのような形で飲み込まれ始めたからであるとしか考えられない。

 本年(2019年)7月10日には、発行が延々と遅延されていた中央大学の同窓会組織・学員会の機関紙が漸く発行され、編集人が変わったことと完全に相即する形で学員会会長の2012年当時の理事長・久野修慈氏が同機関紙に全面的に回帰していることが確認された。同機関紙に掲載された会長・久野修慈氏からは以前のような活力に漲る雰囲気が失われたように感じられ、「学員会会長を本当はもう辞めたかった」という真意を伝える久野修慈氏の言説のなかには、遠からず訪れる中央大学の長年にわたる大悪事の最終的結末を凝視している久野修慈氏の悲しみの視線がはっきりと感じ取れた。同機関紙には、2019年9月8日に開催が予定されている中央大学のホームカミングデーについての記事が掲載されていたが、昨年までに較べるとその規模が驚くほど縮小され、イヴェントなどの中身も極端に質素になっていることが確認された。しかし、同機関紙には真に驚くべきこと、瞠目すべきことが記載されていた。それは、ホームカミングデーに来賓として訪れることが予定されている人物たちの紹介である。そのうちの一人は、久野修慈氏が理事長職から解任された後に組織された第三者委員会の会長を務めた人物、東京地検特捜部長・最高検刑事部長・名古屋高検検事長などを歴任した宗像紀夫氏である。いったん合格した生徒の合格を取り消した2012年当時の学長の行為は人権侵害に相当するという結論を出し、2012年当時の学長が総長職を辞任せざるを得なくなった決定的な契機を作り出した人物である。中央大学が長年にわたり実行してきた大悪事の内情に宗像紀夫氏はすでに通暁しているだろう(この人物が捜査機関による極秘捜査に全面的に協力した可能性は高いと思われる)。したがって、学員会会長である2012年当時の理事長の解任が大悪事の隠蔽という甚だしく不正な意図の下に行われたことにも、今では十分に認識が到達しているだろう。

 ホームカミングデーに学員会会長である2012年当時の理事長とともにこの人物が登場するということは、したがって2012年当時の学長である現在の学長(と他の首謀者たち)の大悪事が露見したということ、現在の学長と決議まで出して彼を学長に再就任させた全教職員たちの大学組織を挙げての犯人隠避・証拠隠滅という延命計画=殺人未遂延長計画が挫折したということである。少なくとも、中央大学の調査を絶えず続けてきた私たちにはそのようにしか考えられない。

 2016年12月6日に家宅捜索の不意打ちを受けて以降、このような破局的結末の到来を回避することが中央大学の首謀者たちの至上命題となったことは明らかである。

 家宅捜索に入られ、刑事捜査の対象となったことは確かであるとしても、同じ反国家的組織犯罪者集団の構成員となった元検事総長の大野恒太郎氏たちとともに自分たちが背負う絶対的な解散不可能性という紐帯を、中央大学の首謀者たちが捜査機関の追及を撃退する強力な武器として依然として考えていた可能性はとても高いと思う。

 瀬木比呂志氏の『絶望の裁判所』によれば、最高裁判事の場合は退官すると裁判所に対する影響力を失って一市民となるのに対し、検察庁の最高幹部検事は退官したのちも検察庁との強い繋がりを保持し、検察庁に対して絶大な影響力を及ぼし続けるのだそうだ。元最高検幹部の弁護士が、自らが弁護を担当していた強制わいせつ容疑で逮捕された男の妻を、当時の検事総長の部屋に自ら入ってそこで会わせたり、担当検事にも会わせたりしたという愚行に及んだ事例がある(2015年11月14日の『日刊ゲンダイDISITAL』に公開された)。この弁護士は懲戒処分を受けることになったのだが、検察に対する国民の信頼失墜に直結するこのような愚行が可能になったのも、瀬木比呂志氏が紹介している検察組織の因襲的慣例に因るところが非常に大きい。

 そして、刑事捜査の対象になってもなお自分たちの延命=殺人未遂の延長を絶対に断念しないための現実的可能性を、中央大学の組織犯罪者たちが検察組織のこの因襲的慣例のなかに積極的に開拓しようとしたとしても不思議ではない。もちろん、大手の〇〇〇〇〇法律事務所の客員弁護士となった元検事総長の大野恒太郎氏を媒介として。

 2012年当時の学長がまだ再就任を果たしてはいなかった2018年3月27日~28日、2012年当時の学長が学長に再就任して以降は2018年10月20日~21日、そして同年12月12日の通算3回、中央大学の首謀者たちは中国に渡航している。公式ホームページを参照すると、これらの中国への訪問は現地の大学と「学問的・文化的交流」をすることが主な目的であったかのように説明されているが、刑事捜査の対象となっている危機の最中にそんなことをする必然性や余裕が彼らにあったとは到底思えない。だから、公式ホームページの説明は「真実」を隠蔽するための飽くまでも表向きの理由であると考えざるを得ない。

 最初の渡航は2018年3月27日~28日であり、現理事長の大村雅彦、当時の学長の酒井正三郎、常任理事の大橋正和、現法学部長の星野智、法学部長補佐の牛山仁、法学部教授の李廷江が中国の精華大学を訪問した。訪問した理由は公式ホームページにも明記されていない上、現理事長の大村雅彦は同年4月3日の入学式で「3月30日から31日にかけて」理由は言えないが中国に渡航してきたと、渡航日程を明らかに故意に誤って学生たちに伝えた(のちに公開された動画では、正確な渡航日程を大村雅彦が最初から伝えたと誰もが信じるように露骨な編集が施されている)。

 二度目の渡航は2018年10月20~21日であり、学長に再就任した福原紀彦と理工学部長の堅山和男が中国の厦門大学を訪問し、“Inauguration Ceremony of the 21st Century Maritime Silk Road and University Presidents’ Forum”なる公開討論会に出席した。

 三度目の渡航は2018年12月12日であり、学長に再就任した福原紀彦が中国の中国人民大学を訪問し、福原紀彦の専門分野に基づいて日中の仮想通貨や電子商取引事業をテーマとした講義を同大の学生たちに対して行なった。

 確たる根拠がないので断定はできないが、捜査機関による追及が次第に苛烈さを増してきていると想定される2018年を通じて全3回、中央大学の首謀者たち・協力者たちが中国の各大学を訪問しなければならなかった本当の理由は、学問的・文化的交流を行なうことなどでは全くなかったと私たちは確信している。それは、不審や疑念を抱かれないための飽くまでも表面上の理由であり、中国をどうしても訪問しなければならなかった真の理由は、国家の捜査機関による追及にどこまでも抵抗し、抵抗し続けることが困難になったとしても刑事手続の過程において検察権力に対して徹底抗戦・全面対決を挑み、大組織犯罪を実行したという事実そのものから無限逃走を謀るための(=大学全体を挙げての犯人隠避・証拠隠滅を続行し続けるための)「相談」をすること、ないし「計画」を練り上げることであったと思わざるを得ない。

 なぜそう思わざるを得ないか。検事総長を辞職した大野恒太郎氏が大手の〇〇〇〇〇法律事務所の客員弁護士となったからであり、その〇〇〇〇〇法律事務所が中国の北京と上海に支店を構えているからである。2018年3月30日~31日にかけて首謀者たちが訪問した精華大学の所在地は北京であり、同年12月12日に学長の福原紀彦が訪問した中国人民大学の所在地も北京である。同年10月20日~21日に学長の福原紀彦たちが訪問した厦門大学の本部所在地は中国福建省厦門市であるが、こちらは北京より上海の方に近く、一泊すれば容易に辿り着ける距離である。北京と上海の支店に大野恒太郎氏が直接渡航し、現地で合流した可能性もないとは言えないが、あらゆる犯罪と捜査手法に精通している大野恒太郎氏がそんな不用意なことをするだろうかという疑問も生起してくる。もっとも、検察組織の中には因襲的慣例に従い、あるいは従わなくても大野恒太郎元検事総長の命令には依然として絶対服従する検察官が存在していて、警察官も含めた捜査員たちの追及を出し抜くことなど朝飯前であるという可能性もある。さらに、大野恒太郎氏が直接中国に渡航しなくても、現地の弁護士に検察と全面対決する(=自分たちの大組織犯罪を脱犯罪化する)「相談」ないし「計画」のための知的戦略をあらかじめ伝えておくという可能性も十分に想定できる。

 これらは仮説の域を出るものではないが、これらの仮説が事実を不鮮明ながらも映し出す鏡として全く機能していないとしたら、精神的・身体的・経済的・関係的自由の空気がもはやほとんど蒸発して窒息死寸前の限界状態に毎日のたうち回りながら、私とMは8年間の長きにわたり見えない収容所空間になぜ延々と幽閉され続けていなければならないのか。大組織犯罪者集団によって自分たちの大組織犯罪を絶滅させるための、法律を破滅に引きずり込むための「相談」と「計画」が執拗に反復され続けているからではないのか。

 もしそうだとしたら、絶えず再‐開始される犯人隠避と証拠隠滅=殺人未遂延長のための「相談」と「計画」には必ず共謀罪が適用されるだろう。その場合には、中央大学を始めとした大組織犯罪者集団は正真正銘の反国家的組織犯罪者集団として認定されるだろう。

 しかし、2019年になってからは、中央大学の組織犯罪者たちは一度も中国に渡航していない。犯人隠避と証拠隠滅の絶えざる再‐開始を絶対的に不可能にするために、自由の不在のなかで私は本書の草稿を書いた。書くことなど不可能であるという激烈な苦痛に毎日苛まれながら「間奏曲」もついに書き上げた。

 「かくも長き宙吊り」が解除される日は近いという深い余韻、いや強い確信が静かに身体を満たしていく。2019年8月28日午前10時半。

2022年8月25日に実名表記に変更