拝啓
中央大学総長・学長酒井正三郎先生
初めに、今月に入りましてからいかなる事前連絡もなしに、直接、酒井先生と対面して頂く機会を複数回に亘り、強引に持とうと試みました非礼を心よりお詫び致します。私たちが、通常の手続きを踏むことなく酒井先生への働きを行なった理由は、中央大学の教学を司る学長職と、中央大学グループを束ねる総長職を兼任していらっしゃる酒井先生ならば、例え不意の訪問であったとしましても、私たちがお伝えしようと試みた、現在の中央大学が抱えている深刻な危機に対して虚心坦懐に耳をお傾けになり、その対応策を考えて下さるものと無条件の信頼を寄せていたからであります。ところが、私たちは、酒井先生からお話を伺うまでは、中央大学内部に教学と法人という厳然とした区分が存在していることに余りに無知であり、その境界を越境して動くことは、酒井先生と雖も難しいという事実を考慮できないまま働きかけを行ってしまいました。
その結果、酒井先生におかれましては、2015年10月1日に、研究室にてお話を聞いて頂いた上に、2015年10月22日においてもお話を聞いて頂くというお手間を二回に亘ってお取らせしてしまい、多大のご心労とご負担をお掛けしてしまいました。非常に心苦しく申し訳なく感じている次第です。何よりも、事前の連絡すらない状態で、酒井先生の研究室等を訪問させて頂き、ご心労をお掛けしてしまったことにつきましては、極めて不適切な行為であったとの批判を受けても仕方がないと考えているところです。
そのため、この度は、井上×××先生からの依頼を受けて酒井先生宛ての書簡を作成させて頂くという形式を捨て、一卒業生として酒井先生に書簡を作成させて頂くことに致しました。ご無礼極まりないと承知致しているところですが、現在の中央大学を憂え、未来における中央大学の存続を危惧する一介の卒業生として、僭越ながら酒井先生に、現在の真の中央大学の姿をお伝えさせて頂くと共に、併せて幾つかのご質問を行なわせて頂くことをお許し下さい。酒井先生におかれましては、何卒、本文書を現在の〇〇大学の真の姿を証言する文書として、ご一読して下さいますよう赤心よりお願い申し上げます。
2012年4月10日以降、中央大学から、直接の被害者である井上×××先生は言うまでもなく、井上×××先生の下で私たちが被り続けてきた大損害は筆舌に尽くしがたいものでありました。私たちには、到底理解が及ばないところでありますが、中央大学ならば、どれ程の違法行為を犯しても、違法行為が違法行為として認定されることなく、黙認されてしまうのは何故でしょうか。中央大学が、理不尽極まりない暴力を四年近くに亘って井上×××先生を始めとする私たちに行使してきたことは間違いない事実ですが、中央大学が暴力行為の主体になった場合においては、このような理不尽な暴力がまかり通ってしまうのは何故でしょうか。酒井先生にご見解を賜りたく存じ上げます。(2015年9月18日に、井上×××先生は自ら内部監査室公益通報を訪れ、公益通報を行なわれましたが、内部監査室公益通報は、規程に悉く違反する言動を繰り返し、井上×××先生の公益通報に関する調査を事実上行なわないことを明言しました。加えて、2015年9月24日に、公益通報の職員は、無断で簡易鑑定書という財物のコピーを行うという窃盗行為を行ないました。提出証拠の返却を求め内部監査室公益通報を訪れていた私たちの共通了解の下で、O氏が通報を行ない、駆けつけた警察官たちの協力の下で、詐取、横領、窃盗された全証拠を返却させることには辛うじて成功しましたが、警察官たちは「〇〇大学、〇〇大学以上の大学は事件が起こってもプライドが高いから大学内に警察を入れようとはしない。中央大学は警察を馬鹿にしている」と帰り際に話していました。この警察官たちの話からも推察できますが、中央大学には、国家の捜査機関である警察を侮辱し、その介入を阻止できるだけの力があるということなのでしょうか)。
また、問いの方向性は変わりますが、中央大学が授業の大きな部分を任せている非常勤講師の方々に対する人権侵害としか言えない扱いについて、酒井先生にお尋ねしたく存じ上げます。2015年10月1日に研究室を訪問させて頂いた際に、酒井先生は、現在の役職に就任された時期より前に井上×××先生の事件が起こったため、内容については詳しくご存じないとのご見解を示されました。ところが、私たちが酒井大学の存亡に関わる危機の内容を伝え封筒を手渡そうと試みた際に、酒井先生は、教学と法人という管轄の違いがあると理由は説明されたものの、封筒の受け取り自体は全力で拒否する身振りを示されました。このことは完全な邪推に過ぎないこととは重々承知しているところですが、中央大学という巨大な組織が存続していくためには、非常勤講師が犠牲にされることなどは些事であり問題化するまでもない、という認識を酒井先生もお持ちなのでしょうか。また、2012年10月22日において、酒井先生は、井上×××先生の請願書の受け取りを全力で拒否されたと伺っておりますが、一体、酒井先生にそのような身振りを生じせしめる理由は何に起因しているのでしょうか。教学と法人の厳密な区別を理由に中央大学の存亡に関わる問題に関して知ることを頑なに回避される身振りは、果たして中央大学に資する行為であるのでしょうか。仮にですが、問題の存在を知ること自体を恐れるということであるならば、酒井先生にその恐怖を生じせしめる原因はいかなるものであるのでしょうか。
私は、井上×××先生の下で、本事件に関与した多くの人物を見てきましたが、それらの人物全員に共通することは、本事件に対峙させられた瞬間に、例外なく想像を絶する恐怖に襲われ、必ず正常な判断能力を喪失し思考と言語が幼児化するばかりか、その姿形までもが大きく変貌して、即座に違法行為を隠蔽する側に回るという恐るべき身振りを衝動的に示してしまうということでした。私は、彼ら彼女たちが示した身振りこそが、中央大学が大学内外で犯した大規模な違法行為の隠蔽を引き起こす根本的な原因だと考えておりますが、彼ら彼女らにこのような身振りを取らせてしまう力学はいかなる力によって作動するのでしょうか。この力学を作動させる力とは一体何であるのでしょうか。そして、私たちの訪問を契機として、酒井先生もその力を感知されたために、反射的に一切の関与を避けようとされた様に私には感じられました。そして、この不可解な力こそが私たちを四年近くに亘って苦しめ続けてきた元凶ですので、是非とも酒井先生から、その力に関するご見解をお聞かせ頂きたく思います。
法治国家日本においては、想像を絶することですが、中央大学に逆らうと生存の条件を断ち切られるような圧力が加えられるのでしょうか。また、「中央大学への反逆者」と見做された人物に対して有形無形の恐るべき圧力を加えることが可能な公的法的機関を超えた権力組織が中央大学に味方しているのでしょうか、或いは中央大学自体がそのような途轍もない権力を保有しているのでしょうか。(現に、井上×××先生が提起された対中央大学訴訟の第二審で裁判長裁判官を務めた田村幸一は、判決が言い渡された2014年7月22日に、第一回口頭弁論期日からは想像もできないほど変貌した姿で法廷に現れました。第一回口頭弁論期日でまとっていた裁判長裁判官としての威厳は悉く剥がれ落ち、頬は痩せこけ、髪は抜け落ち、表情は虚ろで焦点が合っておらず、生ける屍としか言えない様相を呈していました。そのため、私たちは、現在に至るまで田村幸一に、中央大学あるいは、中央大学に与する権力組織が裁判官に物理的暴力の行使を含む恐るべき働きかけを行なった濃厚な可能性を捨てきれない状態にあります)。
さらに、本事件に関与する過程の中で、私が対峙した中央大学の各学部・各大学院に所属する専任教員(職員も含みますが)の方々は、「自分の保身さえ維持できていれば、いかなる他者が冤罪に陥れられようとも黙殺しても構わない。だが、自分が犠牲者の側に立つことだけは全力で回避しなければならない。自分たちは決して犠牲者の側には立たないし、中央大学は世界がどれほど変化しても影響は受けない。私たちの安定した日々は、中央大学が存続する限り永遠に変わることなく続いていく。そもそも、私たちが犠牲者になることなど絶対に起こりえない」と盲信しているとしか考えられない、特権意識を事あるごとに示しましたが、彼ら彼女たちの特権意識はどこから生じてくるのでしょうか。特にこの傾向は中央大学法学部において顕著なものでありましたし、私自身も学部生の時期から専任教員たちの常軌を逸した特権意識に基づく暴力的な言説(「成功する人間は25歳までに芽が出るからね」「君たちが社会に出れば、必ずお金の前で土下座をすることになる」「君たちは、カール・シュミットすら読んだことはないだろうね」)に晒され続けてきました。そして、専任教員が持つこのような特権意識が、この度の事件を引き起こした温床となっていることに疑いの余地はないと私は考えております。
酒井先生には、中央大学を根底から蝕む専任教員の特権意識に対して、一切の妥協を排した全体批判を差し向けて下さいますよう赤心よりお願い申し上げます。私には、中央大学の専任教員であるというだけで、彼ら彼女たちも同じ世界の内部に存在しているにも拘らず、あたかも、別世界に存在しているかの様な特権意識に包まれていること自体が信じられません。イタリアの思想家ジョルジョ・アガンベンは、『アウシュヴィッツの残りのもの』という書物の中で限界的な思考を推し進め、「強制収容所とは、不可能を可能にする芸術である。強制収容所の中では、あらゆる出来事が死に向かって直進する。アウシュヴィッツの中では誰もが誰もの代わりに生きたり死んだりする」と書いていますが、現在の中央大学が、ジョルジョ・アガンベンの言う強制収容所の定義からかけ離れたところに位置しているとして、無数の犠牲者の存在を視界から捨象して他人事のように振る舞うことは、極めて非倫理的な態度と言えないでしょうか。
2012年9月20日から開始された井上×××先生の違法解雇撤回を求める民事訴訟において被告の弁護士たちは、中央大学には「非常勤講師には就業規則は存在しない」と法廷で回答してきました。一定数の従業員が働いている企業において就業規則が存在しないことは、明確な労働基準法違反ですが、中央大学では、非常勤講師の方々には就業規則による保護すら存在していないのでしょうか。
また、井上×××先生が違法解雇される以前の段階でしたが、2012年の中旬に学生有志の方が、教職員組合委員長に先生に対する大学当局の違法な扱いに対する調査を要求したところ、委員長は学生有志の方に、「井上×××先生は非常勤講師であるため教職員組合に参加する資格がなく、従って教員組合が動くことはできない」という解答を臆面もなく返してきたことが確認されています。中央大学の教職員組合は、労働条件の向上を目指して定期的に会報を出したり、絶えず大学当局に働きかけていると伺っていますが、彼ら彼女たちの視界の中に非常勤講師の方々は存在していないということです。
そして、非常勤講師に対する中央大学の人権意識が完全に欠落していることを最悪の形で示した事件が、2012年4月11日に行なわれた、中西又三(当時、中央大学ハラスメント防止啓発運営委員会委員長・現、中央大学法学部名誉教授)、永松京子(当時、中央大学ハラスメント防止啓発委員会委員・現、中央大学総合政策学部教授)による、井上×××先生への自主退職への同意を猛烈に迫る1時間50分に亘る精神的、身体的虐待の限りを尽くした暴力行使でした。
2015年10月1日に研究室を訪問させて頂いた際に、当日の中西又三と永松京子の様子を伝える私に対し、酒井先生は、「その様には認識していない」とのご見解を示されました。しかしながら、酒井先生のご認識を可能にしていたのは、中西又三と永松京子に加え、2012年4月11日にハラスメント防止啓発委員会にて強要という違法行為が行なわれる前日の2010年4月10日に、井上×××先生の全授業の閉鎖を強行し、井上×××先生が違法解雇されるまで法学部教授会に虚偽報告を繰り返した、橋本基弘(当時、中央大学法学部長・現、中央大学副学長)が大学内部に違法行為の隠滅を徹底的に諮ったためです。
橋本基弘、並びに中西又三たちは、対中央大学訴訟においても、自分たちが強要罪の被疑者とされた刑事捜査においても違法行為の隠蔽を繰り返しましたが、最近では、酒井先生も「新入生のみなさんへ」との題名で激励の文章を掲載しておられる2015年6月号『中央評論』を利用して、違法行為の隠蔽を行なっています。特に、中西又三が、井上×××先生が提起した対中央大学訴訟を指しているとしか考えられない文脈を持ち出して、中央大学ハラスメント委員会が提起された裁判に言及した箇所は明示的です。中西又三たちは、①強要罪という違法行為を隠蔽するために新たに作成した偽造CD-Rと②偽造CD-Rの発言内容に変造を加えて作成した偽造反訳書を提出して、違法に勝訴判決を出させたにも拘らず、「中央大学のハラスメント委員会は裁判所の要求を満たすだけの手続きを行なっていると言っていい」などと明確な虚偽を述べています。
中西又三、永松京子、橋本基弘は、虚偽の申し立てを行い、井上×××先生を大学から追放するよう依頼した〇〇〇〇(当時、中央大学法学部法律学科学部生)という真の加害者を終始「被害者」として扱い、井上×××先生に「加害者」の冤罪を着せ、井上×××先生を「加害者」とする風説を流布し、法学部教授会に虚偽報告を繰り返しました。その結果として、井上×××先生は、2012年7月26日付けで、中央大学から違法に解雇されてしまいました。自分たちの犯した違法行為を隠蔽するために、井上×××先生を犠牲にして生き残りを諮るという、恥を知らない橋本基弘たちの非倫理的行為を、中央大学法学部の専任教員が止めようとするどころか、全会一致の挙手を行うことで橋本基弘たちに加担したことに、私は、激しい落胆の念を覚えずにはいられません。
そして、何よりも私が憤りを覚えるのは、中西又三と永松京子と共謀して、面識もなければ、研究分野すら知らない全くの他者である井上×××先生に、理由なく冤罪を着せ、遂には井上×××先生を違法解雇にまで追い込んだ橋本基弘が、現在、副学長の役職にあり、あろうことか「憲法学者」として「人権」「統治」を講義し、更には複数のゼミを担当し、学生たちを欺いていることです。
中央大学は、いかなる違法行為に手を染めていても、露見しない限りは(=例え暗黙の了解で全員が違法行為の存在を知っていたとしても)、専任教員の権利は、全力で保護する一方で、非常勤講師には一切の保護を与えず、学生の虚偽の申し立てが行われた瞬間に、事実確認を行う前に全授業を閉鎖し、自主退職に同意するよう強要した上、従わなければ、躊躇なく解雇するという非対称を許容する大学なのでしょうか。またこの様な非対称的扱いを正当化できる根拠を中央大学は示せるのでしょうか。そして、酒井先生は中央大学がこのような大学のままでよいとお考えなのでしょうか。
既に、2015年7月23日に法科学鑑定研究所により発行された簡易鑑定書により、「被告中央大学が民事訴訟に提出したCD-Rは、ICレコーダーから複写されたものではない。また作成日時は2012年10月17日であり、録音媒体が2012年4月11日に録音された形跡は見られない。また、コンピューターなどのソフトを用いてヘッダー情報に編集を加えているため、ICレコーダーの機種情報も検出できない」とする鑑定結果が出され、併せて、偽造CD-Rを反訳したとする反訳書も同様に偽造反訳書であることが科学的に証明されています。なお、被告が提出してきた反訳書の作成年月日は、2015年5月15日とありますが、これは、偽造CD-Rが作成される2015年10月17日以前に、偽造反訳書が作成されているという事実を示しており、時間軸上決して起こりえないことであります。
従いまして、このような違法行為が、中西又三が言うところの「裁判所の要求を満たす手続き」などであろう筈がありません。中央大学が、偽造証拠を提出して民事訴訟に臨んだことは打ち消しようがない事実ですし、反訳書という事実確認のために必要とされる文書を偽造して民事訴訟に提出することは私文書偽造罪に該当する違法行為です。
本事件の全容については、中央大学外部の組織から近い内に明らかにされることになると考えておりますが、ここで、一卒業生として私は、酒井先生に、重ねて質問させて頂きたく存じ上げます。中央大学では、非常勤講師の方々を「寄生虫」と看做す認識が共有されているのでしょうか。中央大学の非常勤講師には人権も、教授の自由も保証されていないのでしょうか。偽造CD-Rの中では幾分「寄生虫」という侮辱発言を用いる文脈に編集が加えられていましたが、2012年4月11日に、中西又三は、井上×××先生を「寄生虫」と侮辱し自主退職に同意するよう激烈に迫る虐待を行ないました。他にも中西又三は、「あんたは、他でもこんなことをやってるんだろ!」「現代思想?ふんっ!知るかっ!あんたは全部妄想で教えているんだよ!」「学生を心配していただと?あんたがやっていることは立派なストーカーなんだよ!」等、井上×××先生の人権を極限的に貶め、侮辱の限りを尽くすばかりか、中西又三が全く知らない学問領域である現代思想を「妄想」と断定し、現代思想入門ゼミを担当されていた井上×××先生の教授の自由までも徹底的に否定しています。なお、これらの言葉は、中西又三が井上×××先生に差し向けた暴言の中でも氷山の一角に過ぎず、当日、中西又三は、丁寧語を一度も使わず、終始、井上×××先生に対して「あんた」という蔑称を差し向け、先生から一切の人権を剥奪した上で恫喝を続けました。加えて、中西又三は、物理的な暴力行使に及び、井上×××先生の眼球の前で鋭い用紙や細いボールペンを振り回し、井上×××先生の両眼球が切断されそうになる深刻な危機を引き起こしたり、手にした書類を投げつけ獰猛極まりない威嚇を行なったり、井上×××先生から自主退職への同意を引き出すために、戦中の特高警察さながらに、ハラスメント防止啓発委員会が開かれた1321会議室の机を叩き続けました。ハラスメントガイドラインには「パワーハラスメントは犯罪です」と記載してありますが、中西又三の暴力行為は犯罪ではないのでしょうか。中央大学ハラスメントガイドライン、及び同規定には、虚偽の申し立てを禁止する条文が存在していませんが、酒井先生は、ハラスメント委員会をこのまま放置しておいてもよいとお考えでしょうか。
なお同日、中西又三の隣の座席に座っていた永松京子は、中西又三の暴行に対して一切静止する身振りを見せませんでした。この人物は、ジェンダー論の授業を担当しており、トマス・ハーディーやオスカー・ワイルドに通じた人物と紹介されていますが、中西又三が行い続けた人権侵害の極みである強要を平然と見過ごすばかりか、時には、中西又三と共に強要を行なっておきながら、現在に至るまで、何事もなかったかの様に特殊講義という講座名で授業を行っています。橋本基弘も同様に授業を行っていますし、ハラスメントガイドライン、及び同規定に完全に違反して、本来は学長・理事長しか出せない措置勧告を出すために井上×××先生を呼び出し、2012年5月31日の調査委員会を開こうとした野澤紀雅(当時、中央大学ハラスメント委員会委員・現、中央大学法科大学院教授)、市村誠(当時中央大学ハラスメント委員会委員・現、中央大学商学部准教授)、名前不明の女性委員の三人も何憚ることなく授業を続けています。
私には、彼ら彼女らが、一体どのような根拠に依存して自己正当化を図っているのか全く理解出来ません。そして、中央大学はこのような人物たちに学生を教える権限を付与し続けていていいのでしょうか。先の大戦において、中国大陸で、兵隊として現地の方々を殺戮してきた日本兵たちも一生自分の行為に対して苦悩し続けたと聞いていますが、中央大学の専任教員たちには、そうした倫理も恥ずかしさも存在しないのでしょうか。
この度は、私信として酒井先生に宛てて書簡を作成させて頂いた次第ですが、私は、井上×××先生の請願書の受け取りを拒否された酒井先生のご対応にも大きな疑念を感じずにはいられません。例え、刑事犯罪を犯して収監されている囚人でも請願書を提出することは、憲法によりその権利を十全に保証されているところです。酒井先生にとって、井上×××先生の存在は刑法犯罪を犯した囚人以下とでも言うのでしょうか。このような扱いは、純然たる人権侵害に相当すると言わざるを得ないところです。しかも、井上先生は中央大学から冤罪を着せられ、現在に至るまで全生活が解体させられる程の損害を発生させられた被害者です。教学と法人の区別以前に、中央大学総長・学長という役職に就いておられる以上、酒井先生には井上先生の請願書を受け取る倫理的責任があるのではないでしょうか。中央大学から研究者としての名誉と研究生活の自由を剥奪された上に、違法裁判にまで付き合わされ生活資金までも奪いつくされた井上×××先生が、請願書を提出するという希望すら断ち切られ自殺でもされようものなら、酒井先生はどのように責任をとられるおつもりでしょうか。最後に酒井先生の人権感覚に対するご見解を求めることで私信の結びとさせて頂きます。
敬具
2015年10月24日
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