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(証拠資料)2018年1月15日付けで、西川克行元検事総長、及び城祐一郎元最高検検事に宛てて、Mが送付した「元共闘仲間に関する証言」全文

〇〇〇〇氏に関する証言

平成30年1月15日

東京都千代田区霞が関1丁目1番1号

最高検察庁 検事総長 西川克行様     

最高検察庁 検察官検事 城祐一郎様

           ××××××××××××××××××

           ×××××××

           ××××××× 

           井上×××研究助手(現代思想研究)

           告発権被剥奪者 M

 この度は、〇〇〇〇氏が、本件大事件の被害者である井上先生の許可を取らず、<「証言」および「詳細事情報告書」撤回書>(証拠資料1)を、平成30年1月10付けで、西川検事総長と城検事に宛てて送付するという事態が発生してしまいました。同書面において〇〇〇〇氏は、虚偽の事実を記載し、加害者である〇〇〇〇氏を被害者とし、被害者である井上先生、並びに私を加害者として貶める典型的なモラルハラスメントを行っています。同書面が、捜査機関において着実に進められている徹底的な捜査を実質的に妨害する意味内容・根拠を僅かばかりも含んでいるとは、全く考えておりませんが、事実無根の同書面が、最高検察庁に送付され、私たちに事実無根の暴力が行使されている状態を、このまま放置しておくわけには断じて参りません。井上先生が〇〇〇〇氏の豹変を突きつけられて疲弊と消耗の極地にあり、加えて学年末の業務を遂行しなくてはならない限界的状況の最中にあるため、私が井上先生の許可を得た上で、私たちの元に送信されてきた当該撤回書、及び作成者〇〇〇〇氏に関する証言を郵送させて頂くことに致しました。

 平成30年1月11日の午後7時過に、私は井上先生から緊急のお電話を受け、〇〇大学と、〇〇大学と共謀した各公的機関が引き起こした大組織犯罪の全容解明を成し遂げるために、平成24年4月11日以降、共に闘ってきた〇〇〇〇氏が、突如、「共闘関係から離脱する」旨を伝える「ご連絡」という件名のメール(証拠資料2)を、井上先生と私に送信してきたことを知らされました。すぐさま、PCの受信トレイから同メールを開いた私は、同メールに、〇〇〇〇氏が、西川検事総長に宛てて送付した「証言」と、城検事に宛てて送付した「詳細事情報告書」を撤回する<「証言」および「詳細事情報告書」撤回書>が添付されていることを確認し、瞬時に言語化が不可能な程の悪意がもたらすおぞましさを掻き立てられて戦慄しました。私が、〇〇〇〇氏から、井上先生と私に対して途轍もない暴力を行使されたという事実を、深く認識するに至ったのは、電話口から状況を詳細に検討しようと思考されている井上先生の声を聞きながら、繰り返し両文書を精読し直した数日後でございました。そして、〇〇〇〇氏から、常軌を逸した暴力を行使されたことを受け入れる心的状況が整い始めるにつれて、〇〇〇〇氏が、上述させて頂いた暴挙に及んだ理由には明確な必然性が存在し、西川検事総長と城検事には、その事実を過不足なく証言させて頂く必要があると考えるに至った次第です。

 平成24年4月11日に本件大事件が発生させられて以降、〇〇〇〇氏は、学部時代の恩師であり強烈な尊崇の念を抱いていた井上先生の全権利回復を望むと同時に、〇〇大学大学院法学研究科で「学業」を続け、〇〇大学の内部で教職を得るという強烈な欲望の間で、絶えず引き裂かれながらも、自らの自由意思で「共闘関係」の中にその身を投じていました。〇〇大学の価値が完全に否定されない限りにおいて〇〇大学を批判する、〇〇〇〇氏の自己同一性の根拠である大学院生という「身分」に危機が及ばない限りにおいて、井上先生の権利回復に力を尽くすという、両義的な(=ダブルバインディングな)存在様態に、井上先生と私は、闘いの当初から苦しめられ続けてきました。〇〇〇〇氏の両義的な存在様態は、〇〇大学に巣食う組織犯罪者たちによって井上先生に加えられた暴力に対して、先生が徹底的に責任を追求していく思考の働きを度々妨げるばかりか、時には、明らかに誤った選択肢を井上先生に与え、井上先生を疲労の極地に追い込むことで、〇〇大学が存続していける範囲にまで先生の思考力を低下させようと目論む抑圧として作用しました。結果として、〇〇〇〇氏の存在様態に基づく様々な言動が、〇〇大学が延命するために相当程度寄与してしまったことを、私はこの場を借りて証言しないわけには参りません。

 とりわけ、〇〇〇〇氏は、平成24年7月25日に、井上先生を偽装解雇する解雇予告通知を私たちと共に確認するやいなや、その場で「これで訴訟ができますね」と力強く口にし、〇〇大学内部で先生の権利回復を求める闘いが断ち切られたことに安堵しながら、明白な刑法犯罪の被害者とされた井上先生に、知力の限りを尽くして被告の違法性を徹底的に追求することを得意とする刑事と民事の両方の業務に精通した弁護士ではなく、「和解」を得意とする民事訴訟専門の弁護士を紹介しました。〇〇〇〇氏は、弁護士を紹介した後は、訴訟に関わる大部分の業務を被害者である井上先生と私に丸投げし、〇〇大学大学院法学研究科に通い続けました。〇〇〇〇氏の紹介の結果、被害者である井上先生は、「和解」を得意とする弁護士の下で、時にはパワーハラスメントに他ならない暴力的な事情聴取を受けるという深刻な人権侵害を加えられるばかりか、被告代理人〇〇〇〇と〇〇〇、そして裁判官たちの機嫌を損ねないように最大限の配慮を示す同弁護士の下で、井上先生の提示した訴訟戦略は殆ど採用されないまま、民事訴訟は完全敗訴に終わりました。そして、私も、東京地裁立川支部、東京高裁に提出する証拠作成のために250時間以上の労力を奪われることになりました。

 〇〇〇〇氏は「共闘関係」の内部で行われる「作戦会議」と民事裁判所の傍聴には欠かさず参加していたものの、着々と論文(証拠資料3)を作成しながら、指導教員の下で刑務所見学等の見聞を積み重ねて全単位を取得(本人談)し、インストラクターという大学内の職務までをも与えられ、現在に至るまで、〇〇大学通信教育部にて刑法の講義を続けています(証拠資料4)。〇〇〇〇氏は、<「証言」および「詳細事情報告書」撤回書>の中で、「「共闘関係」に内部告発者として身を置き続けるため、私は大学院に形式的には籍を置きながらも、実質的には学業のほぼ一切を断念し、本件の解決のためだけに精神と身体の集中を研ぎ澄ませて参りました」等と主張していますが、西川検事総長と城検事に明白な虚偽を述べていることを証言致します。

 従いまして、〇〇〇〇氏が、組織犯罪者たちの巣食う〇〇大学法学研究科博士後期課程に在籍する意思を断念しているとは、私には、到底考えることはできません。私は、平成29年8月20日に、井上先生が、西川検事総長に送付なさった「救済要求確認書(3)」に同封された井上先生の書面による紹介を受け、〇〇〇〇氏が、私と共に「証言」を送付して以降、〇〇〇〇氏が最終的な覚悟を決めて、全面的に被害者である井上先生の側に立ったものと認識しておりました。しかしながら、私は、〇〇〇〇氏の存在様態を完全に見誤っていたことを認めないわけには参りません。「救済要求確認書(3)」が西川検事総長の元に到達したその2週間後にあたる同年9月4日に、〇〇〇〇氏が所属する〇〇大学法学研究科の後輩から、○○大学〇〇キャンパスに城検事がお出でになり、訴訟研究会にて報告を行われることをメールで知らされて以降、〇〇〇〇氏は、深刻な精神的、身体的不調に陥り、言動にも大きな混乱が現れ始めました。〇〇〇〇氏は、自らの意思で〇〇大学を始めとする組織的犯罪者たちの違法性を「象徴的テロリズム」と断じた「証言」を送付した後であるにも拘らず、同年10月上旬には「10月21日に〇〇大学法務研究科で開催される判例研究会にて報告を行なう予定でいます」との信じ難い発言を井上先生に対して行いました。井上先生が即座に「あれ程の「証言」を書いておいて、法科大学院で開かれる〇〇大学内部の学会に出席などしていたら、捜査機関にどう思われるか分からないので、止めたほうがよいのでないですか」と〇〇〇〇氏を説得されたため、出席は辛うじて回避されましたが、この日を境に〇〇〇〇氏の顔色が、目に見えて黒ずんでいったことを私はこの目で確認しております。

 〇〇〇〇氏が、後輩から同年9月4日に案内のメールがあり、城検事が同年9月20日に〇〇大学〇〇キャンパスにお出でになられたことを私たちに漸く話したのは、同年10月22日のことでした。井上先生から、「何故、ここまできて、〇〇大学が全面的に違法行為を犯しているという事実が認められないのですか?」との趣旨の質問を受けた〇〇〇〇氏は、顔色が真っ白となり、声を震わせながら「西川検事総長が信じられないからです。その理由は城検事が〇〇大学に来たことです」という発言を行い、井上先生が西川検事総長に送付された全8通(当時)もの書簡の効力と、西川検事総長の指揮の下で行われている徹底的な捜査の存在を真っ向から否定しました。同日以降、〇〇〇〇氏の言動からは首尾一貫性が急激に失われていきました。同年の11月に入る頃には、「城検事が来たことで〇〇大学はもう終わりだと思った。それを否定するために西川検事総長が信じられないと言いました」と〇〇〇〇氏は先生に対して、本当に語りたかった自分の欲望を明言しました。〇〇大学の存続が断ち切られれば、自身の未来が断ち切られるから絶対に容認できない。たとえ違法行為を犯していても〇〇大学は絶対に存続してもらわなければならないという、〇〇〇〇氏の剥き出しの欲望を目にして、私は、近い段階で〇〇〇〇氏との「共闘関係」は不可能になるとの確信めいた予感を覚えました。併せて、〇〇〇〇氏の体調不良の度合いは目に見えて悪化の一途を辿り、そして、同年12月3日の正午過ぎに、〇〇駅付近の喫茶店に集まった私たちに、〇〇〇〇氏は、有無を言わさぬ口調で「実家に帰らせて頂きます」と言い放ち、数日後、〇〇にある実家に帰省しました。帰省した〇〇〇〇氏は、同年12月13日の午後9時に、実家より「東京には明日戻る予定でございますので、改めてこちらからお電話差し上げたく存じます」とのメール(証拠資料5)を送信してきました。しかしながら、同年12月3日に〇〇大学通信教育部学生会〇〇〇〇支部のHPが更新され、〇〇〇〇氏が平成30年1月28日に、同支部のインストラクターとして刑法の講義を行うことを確認していた私は、〇〇さんから連絡があることはおそらくないだろうと予感していました。本件大事件が発生した後も、〇〇〇〇氏から「通信教育部はいろいろな人がいます、元社長だった人もいますよ」、「教えることはやりがいがある」、「○○大学から賃金が入った封筒をもらった時に自分が肯定された様な感覚になる」等と話すのを聞いていた私は、〇〇〇〇氏が通信教育部学生部で教えることに、並々ならぬ満足感を抱いており、その満足感を手放すことはおそらくないことを確信していました。〇〇〇〇氏が実家に帰省した後、「共闘関係」から離れ、たとえ、どれ程の違法行為が行われている場所でも、自分はそこに戻りたいという欲望に従う意思を固めたことの証拠として、私は、更新された同部同会同支部のHPの写真をPCのフォルダに収めました(証拠資料6)。

 予想していた通り、翌日の平成29年12月14日に〇〇〇〇氏からの電話はなく、同日の夜半に私は井上先生から電話を受けました。連絡がないことを心配された井上先生からの電話を受けた〇〇〇〇氏は、「これまでは内部告発者であったことは否定しません。ですが、これからは違います」、「犯人隠避と取られるならば、それはそれで仕方がないですね」、「両親に梯子を外されました」、「私がどう見られているかは分かっています」等と、同一人物からでたものとは考えられない程の変貌を遂げた拒絶の言葉を、話し続けたと井上先生は私に告げました。この日以降、年末に〇〇〇〇氏が再び実家に帰るまで、私は2回ほど〇〇〇〇氏と電話で話しましたが、〇〇〇〇氏からは、「共闘関係」にあった被害者である井上先生と私への共感が全面的に消え失せ、〇〇〇〇氏は、そこがどれほど違法な場所であっても〇〇大学の博士後期課程在籍の大学院生という身分に留まりたいという強固な欲望と完全に一体化していました。感情を欠落させ、他者の言葉が入り込んでくる余地を排した冷酷で無機質な語りが続きました。〇〇〇〇氏の声には、〇〇〇〇氏が修学する機会を奪った加害者であると私たちを見做して責め立てる自身の怨嗟の感情と、〇〇〇〇氏の父親の井上先生と私への怒りが共に乗り移っているかの様に私に響きました。欲望との距離を保った静謐な自分自身の意思を根絶やしにされた無機質な機械人形のような声だけが聞こえてきました。「共闘関係」の中で「作戦会議」に出席している限り、〇〇大学の暴力による被害者である井上先生の前では、決して表には出せなかった真の欲望が語りに宿り、その欲望が乗せられた声に晒されている内に、私は軽度の吐き気に襲われました。「長年に亘り(〇〇大学で「学業」に励んでいると)両親に嘘をつき続け、家の金を使い込んだと激怒された」、「報告が遅れたことが一層父親を激怒させた」、「年齢的にも経済的にもお前には余裕がない。回り道をしている余裕はない。早く仕事を見つけろと言われました」、「言いにくいのですが(井上先生とMさんとの)縁を切れと言われました」、「(会ってしっかり話す機会を持ちたいと言われても)会って話すこともできません」、「今更なのですが、〇〇の両親と私の両親は似ています」。そして、平成30年の1月に入って以降、〇〇〇〇氏への電話は決して繋がることがなくなり、井上先生と私は、平成24年1月17日以降狂言失踪を遂げ、沈黙の内に閉じ篭って私たちを誘い寄せた〇〇〇〇との驚くべき類似性に衝撃を受けながら、突然、内部告発者であることを否定し、「共闘関係」を解消して電話に出なくなった○○〇〇氏の状況を延々と解釈するという苦痛と疲労を反復させられました。その挙句の果てに、平成30年1月11日の午後6時34分に、〇〇〇〇氏から冒頭で証言させて頂きました「ご連絡」という件名のメールが送信され、私たちは、○○〇〇氏と〇〇〇〇氏の父親から、〇〇〇〇氏への加害者と断定される暴力行使を受けるに至りました。

 ここまで、証言させて頂いた次第でございますが、〇〇〇〇氏に激怒の感情を向け強烈な圧力をかけた父親も、激怒され父親からの圧力に同調した〇〇〇〇氏も、〇〇〇〇氏が「学業」を続けていける条件を断ち切ったのは、私たちではなく、違法行為に手を染めた〇〇大学であるという事実を全く考慮に入れておりません。〇〇大学が井上先生に対して殺人に等しい暴力行使を差し向けてこなければ、当時、井上先生を尊崇していた〇〇〇〇氏が、井上先生の権利回復のために「共闘関係」に入る必要もありませんでしたし、井上先生の現代思想入門ゼミを聴講し続けながら、〇〇大学の内部で職を得るために「学業」に励むこともできていました。先生に殺人的暴力を行使し続けている真の加害者である〇〇大学の違法行為を黙認・看過した上で、真の被害者である井上先生と、井上先生と共に闘っている私を、〇〇〇〇氏の学業を邪魔した加害者と断定し、「ご連絡」という件名のメールと、<「証言」および「詳細事情報告書」撤回書>を一方的に送信し、強引に飲み込ませようとする手法は、本件大事件に関与した組織犯罪者たちが先生に行使し続けている最大規模のモラルハラスメント、殺人的暴力と同質の暴力であります。私がこの場を借りて証言したかったことは、〇〇〇〇氏が、井上先生と〇〇大学法学部との間で常に引き裂かれていながらも、〇〇〇〇氏の欲望は常に〇〇大学の側にあったということです。故に、井上先生の生命の存続と、自身の欲望の投影対象である〇〇大学の存続が共に可能にならない絶対的な極限状態に追い込まれた時、〇〇〇〇氏が、一挙に反動化し、その内実を全く問うことなく、違法行為の中心的主体である〇〇大学に自身の存在を一体化させていき、急速に「共闘関係」から離脱したことは、その存在様態から導き出される必然的帰結であったとしか考えることができません。○○〇〇氏からのメールを受信した井上先生は、同年1月11日の夜半まで私との詳細な相談を行われた後に、同年1月12日、〇〇〇〇氏に「全て了解しました。最後に一つだけ申し上げます」という件名のメール(証拠資料7)を〇〇〇〇氏に返信され、既に、強い抗議の意思を伝えておられます。

 しかしながら、私は、6年近い長期間に亘って組織犯罪者の殺人的暴力を受け続けている井上先生が、この期に及んでまで、暴力行使を受けるなどということは絶対に起こってはならないと考えます。最高検察庁の指揮の下で、本件大事件に関与した組織犯罪者のみならず組織犯罪者に迎合するあらゆる加害者からの、被害者である井上先生に差し向けられる暴力が一刻も早く停止されると共に、井上先生の全権利が速やかに回復されるために、速やかなる法的措置が取られるよう改めてお願い申し上げることで、本証言の結びとさせて頂きます。

以上