陳 述 書
平成25年12月9日
東京地方裁判所立川支部民事第3部合議B係 御中
原告
1. 「法学部兼任講師解雇問題」の記事初見時の衝撃について
2012年11月7日、労働審判第1回期日を11月20日に控えて緊張がもっとも高まっている頃のことでした。中心的支援者の一人であり、当時中央大学法学部法律学科4年生であったO氏から、「中央大学新聞」第1234号を原告は初めて見せてもらいました。限界的に過酷な状況に身を置くことを余儀なくされ続けていた原告の反応を繊細に気遣いながら、心ならずもそれを原告に見せなくてはならない苦痛に苛まれつつ、O氏が思い切ってそれを広げ、問題の箇所を見せてくれたときのことをよく覚えています。
その瞬間に原告が味わった衝撃を、一体どんな言葉で表現すれば他者にもっともリアルに伝えられるのだろうと今でも思います。被告中央大学新聞学会(以下、被告新聞学会)に「精神的にレイプされた」、あるいは原告の社会的人格を思い切り「凌辱された」、「損傷された」、「下落させられた」とでも表現するしかない激烈なショックを受けました。中央大学新聞は、原告にどんな取材もしていないにも拘らず、「A氏が解雇の決定を受けてから具体的行動を起こしていない現状などに鑑みて」などと真実とは全く異なる、正反対の事実を前提として、「A氏が全くの潔白であるとも言えないのでは、という意見が現在では支配的となっている。4月から始まった一連の騒動も、これで一応の決着をみた」などと、私がハラスメント行為を行ったことを認め、今回の問題が暗に決着がついたかのように、全くの未知の他者である原告に関する「真実」を(まるで原告自身よりもよく知っているかのように)「代弁」しているとしか思えないこれほど大それた内容の記事が書かれていました。中央大学新聞の被告和田も被告〇〇も取材もせずによくこのような極めて一方的な内容の記事を書けたものだと心底呆れ果て、原告の他者性と歴史性の被告らによる驚異的かつ恣意的な無視=抹消=再構成の暴力に、ほとんど悲鳴に近い絶叫を上げそうになりました。実のところ、吐き気を催すほどの不快感と嫌悪感で当該記事を見るのも読むのも耐えがたく、見せてくれたO氏や同席していたMやA氏の手前、何とか冷静さを装って辛うじて字面を追うのが精一杯で、原告の精神は当該記事の文面の意味作用を受け入れることを拒絶していました。
原告は、ハラスメント行為など一切していないにも拘らず、「ハラスメント行為の加害者」であるかのような暴力的な表象を被告新聞学会によって押しつけられたばかりか、その表象と実在の原告が一致していることがまるで「真実」であるかのように流通させられてしまったことが、全身の血が胃に流れ込んでくるほどの恥辱感で原告を打ちのめしました。まるで、「ハラスメント行為の加害者としての羞恥心」を「感じるべきである」と被告新聞学会によって強制されているかのようであり、記事を書いた被告〇〇と被告和田に(つまり学生たちに)信じがたいハラスメントを行使されたと感じないではいられませんでした。実際、本新聞が配布された直後に、「学生たちによる教員へのハラスメントというものもあり得る」というつぶやきがTwitter上に出現しました。
被告〇〇と被告和田によって一方的かつ独断的に原告に押しつけられた「ハラスメント行為の加害者である」かのような表象、ないし意味付けが、21年間も勤務してきた中央大学の在校生・卒業生・教職員・父兄に実在の原告の「真実」として加速的に誤認され、共有されていく最悪の可能性のなかにいつまでも滞留し続けなくてはならなくなったと思うと、想像を絶する恐怖と不安で首を絞められるような気がしました。喉が詰まり、目眩と吐き気がし、動悸が激しくなり、全身に脂汗が滲み出てきて窒息しそうになりました。
また、原告は2012年7月26日付けで学校法人中央大学を解雇されており、解雇されてからすでに三ヶ月以上も経過しているというのに、なぜ今頃になってこのような(読者に対して)「扇情的な」、あるいはまるで「印象操作」をするような(と原告には感じられました)記事をわざわざ掲載する必要があるのか、そこに凄まじい悪意と暴力性をいやでも感じざるを得ず、被告新聞学会の理解を絶した行動に震撼させられました。
現在に至るまで、原告は「中央大学新聞」第1234号の当該記事はおろか、中央大学新聞自体も視野に入るなり、不快感と恐怖で身体が竦んで硬直するので、見ることも読むことも触れることさえも絶対にしたくなく、またできない状態が続いています。そこには、暴力的に抹消=再構成された原告の歴史、2012年4月11日から開始された「偽りの歴史」が書かれているからです。
2. 白門祭期間中に当該新聞が配布されたことにより、原告の精 神状態・生活状況に発生した甚大なる被害について
「中央大学新聞」第1234号の発行日は2012年10月15日ですが、それが現物として学内に配布されていたのは、ちょうど白門祭(中央大学の大学祭)の時期(10月31日~11月3日)と重なっていたとO氏から聞きました。しかし、O氏は自分で現物が配布されているのを発見したのではなく、O氏の知人である当時中央大学文学部4年生の学生が白門祭開催中に現物の当該記事を発見し、事態の重大性に直ちに気づいて11月4日にO氏に知らせてくれたのだそうです。当該記事は原告を「A氏」として匿名で記述してはいますが、このように法学部ではない文学部の学生が読んでも、「A氏」とは原告のことであると実に容易に瞬間的に判ってしまう以上、少なくとも中央大学内部の関係者(在校生と教職員)に対しては「A氏」という匿名は匿名の役割を果たし得ず、当該記事の見出しと文面が「A氏」という匿名の背後に原告の実名を即座に透視させる機能を担っていることは明らかであると言えます。文学部の学生にこれほど容易に透視できてしまうのですから、ましてや法学部の学生が当該記事を読めば、ほぼ全員が「A氏」という匿名の背後に原告の実名を直ちに透視してしまうことは不可避だったと思われます。
さらに、被告新聞学会が白門祭の期間中に現物を配布したことにより、白門祭に訪れていた他大学の学生にも当該記事の内容が知られ、その学生たちを通じて他大学の教員たちにも知られるかもしれないという、原告にとっては生存権の脅かしに直結するような不吉な「効果」の現われを、絶えず激しい恐怖を伴って想定しないではいられなくなりました。被告新聞学会が白門祭開催中に当該名誉毀損記事が掲載された「中央大学新聞」第1234号の現物を配布していたことを知ったことを発端として、原告にもたらされ始めた精神的・身体的被害は一気に極点にまで達し、原告の生活と生存様態の全般に渡って甚だしい悪影響が恒常的に出現してくることとなりました。
①原告は、〇〇〇〇大学と〇〇〇大学にも非常勤講師として出講していますが、両大学の教員や学生たちに原告は中央大学において「ハラスメント行為を行なった」という事実に反する当該名誉毀損記事が事実として認識されてしまい、両大学における信用が失墜し、ついには両大学の雇用契約にまで深刻な影響が及ぶのではないかという測り知れない不安と恐怖に囚われ続けました。
②原告は当時、解雇無効・未払い給与の支払い・慰謝料の支払いを求めて労働審判を起こす直前でしたが、たとえ労働審判によってこれらの請求が認められ、中央大学に復職することになったとしても、被告新聞学会が掲載した名誉毀損記事のおかげで中央大学の学生たちに原告は「ハラスメント行為を行なったのかもしれない」という印象が残存し、後の中央大学における授業に深甚なる悪影響が出てしまうかもしれないという極めて切迫した不吉な予感に囚われ、戦慄的な恐怖を抱き続けました。
③当該名誉毀損記事が掲載されている「中央大学新聞」第1234号を被告新聞学会が白門祭開催中に配布したということは、白門祭に来訪する不特定多数の人間たちを配布の宛先にしているということであり、原告のことを全く知らない中央大学の専任教員・非常勤講師・職員・同大学のOB/OG・父母、さらには白門祭に来訪した事情を全く知らない他大学の学生や一般人たちにまで、原告が「ハラスメント行為を行なった加害者」として同定されてしまうのではないかという不快極まりない恐怖に身動きが取れないほど縛り付けられました。また、周囲の人間たちは誰もがみな、原告のことを「ハラスメント行為を行なった加害者」という当該名誉毀損記事が創り出した表象を通して見ているのではないかという強い疑心暗鬼に絶えず囚われ、激しい人間不信に陥らざるを得なくなりました。
3. 原告とM氏の抗議にも拘らず、被告新聞学会が当該名誉毀損記事掲載の「中央大学新聞」第1234号を大学の各部署に大々的に再配布したこと、そのことに伴って原告が受けた二次的な精神的・身体的被害について
原告は、原告に関する「真実」に対して全く無知であるにも拘らず(どんな取材もしていないのですから)、それを堂々と捏造して憚らず、原告とは無関係の「物語=虚構」を原告の「真実」として暴力的に占有している被告新聞学会の名誉毀損記事がおぞましくて堪らず、当該記事は言うに及ばずそれが記載されている新聞ですら二度と視野に入れたくないという激烈な嫌悪感を抱いていたため、原告の助手であるM氏に依頼して、「中央大学新聞」第1234号を完全に回収するよう求めるメールを被告〇〇宛てに送信してもらいました。しかし、当該名誉毀損記事を書いた張本人である被告〇〇からはM氏に対しどんな返信もなく、被告〇〇の代わりに被告新聞学会の総裁を務める被告和田から、極めて不明瞭で歯切れの悪い、当該名誉毀損記事掲載に至る過程をいかにも隠蔽していることが窺われる、謝罪の意思が全く見られない不快極まりない文面の返信が送られてきました。M氏から報告を受けた原告は、再び猛烈な屈辱感と怒りに駆られ、被告和田に宛てて当該名誉毀損記事掲載にまつわる真実を問い糾し、当該名誉毀損記事が掲載された「中央大学新聞」第1234号を完全に回収して原告に謝罪することを強く求める抗議のメールを自ら送信しましたが、原告に対しても被告和田は、M氏に返信したのと同様の全く誠意の見られない極めて不明瞭な返信(甲21)を送ってきました。
そして、被告新聞学会は、原告の抗議に誠意ある反応を示し謝罪を行なうどころか、原告に猛烈な精神的・身体的打撃を与え、生活全般に甚だしい損害をもたらした「中央大学新聞」第1234号をあろうことか2012年12月上旬頃に再び配布する、それも中央大学の各部署に大々的に配布するという到底信じがたい、途方もない名誉毀損的暴挙に出てきました。すなわち、白門祭後の11月中旬頃に確認したところによれば、中央大学新聞第1234号は学部事務室前や大学生協の前には全く残っておらず、教員食堂の隅の方に数部残っていたに過ぎなかったのが、原告らが被告新聞学会に抗議のメールを送った11月下旬から10日ほど経過した12月上旬頃には、各学部の事務室前の目立った場所のラック内に「法学部講師解雇問題」と手書きの広告が張り出されて大々的に配布されていました。被告新聞学会のこの倫理の欠片もない極めて悪質な振る舞いを知るに及んで、白門祭期間中に当該名誉毀損記事掲載の新聞が配布されていることを知ったときに被った凄まじい衝撃が、あまりにも深刻な心的外傷(トラウマ)として残存している状態で、その傷をさらに深く抉られるような大打撃を原告は受けることになり、その規模において前回をはるかに上回るほどの激烈な損害を二次的に発生させられることとなりました。被告新聞学会による当該名誉毀損記事掲載の新聞の大々的な再配布により、原告はもう一度、前回とは比較にならないほどの激烈な精神的・身体的損害を、生活全般の最低限の維持さえ困難になるほどの壮絶な損害を被ることになりました。
2012年12月中旬以降、被告新聞学会によるハラスメント、その想像を絶する悪意の凄まじさに心身が猛烈に反応して、圧倒されるような恐怖と不安に覚醒している間じゅう苛まれ続け、動悸が絶えず激しくて息苦しさに襲われ、不快な吐き気に頻繁に見舞われて食事を摂ることもままならない状態が続くようになりました。さらに、物凄い疲労感と消耗感に全身が支配され続け、生活に必要なことをするために起き上がることも容易にはできない状態がひと月以上も続いて、〇〇〇〇大学と〇〇〇大学を3週間ほど休講にすることを余儀なくされました(休講回数は計6回)。他大学に出講して、教員たちと会ったり学生たちの前で授業をしたりするための最低限の気力と社会的ペルソナを纏うための意志さえ、被告新聞学会の二重の名誉毀損的暴挙により根こそぎにされたと言うほかはありません。原告の生活は完全に解体し、住居は散らかり放題で、掃除も洗濯も食事の支度も仕事の準備も、その他生命を維持していくために必要な一切の社会的行為も、ひと月以上もの間ほとんどできない生活不可能状態が続きました。
ちなみに、大々的に再配布された中央大学新聞第1234号は、翌2013年3月上旬の卒業式の頃まで、大学内に設置されたラック内で配布されていました。
4. 精神的・身体的被害の回復を求めて精神科・心療内科を受診したこと
極度の疲労感と消耗感、絶えざる不安感と恐怖、食欲不振と吐き気、睡眠困難と無為に縛り付けられた状態が、当該名誉毀損記事掲載の新聞が大々的に再配布されて以降ひと月以上も続き、このまま放置しておくとついに他大学に出講することも完全に不可能になるという極限的な恐怖に原告は苛まれ始めました。日常生活を営むために最低限必要な身体的・精神的状態を回復しなくてはならないという切迫した思いに駆られた原告は、2012年12月中旬頃、〇〇市内で開業している精神科・心療内科の〇〇メンタルクリニックを訪れ、院長の〇〇〇医師の診察を受けました。○○医師は、被告新聞学会が二度に亘り、原告の名誉を著しく毀損する記事を掲載した新聞を配布するという名誉毀損的暴挙に出た直後に、原告の精神的・身体的状態が極端に悪化したことを認め、原告が被告新聞学会から受けた精神的・身体的損害が極めて重大なものであることを指摘しました。〇〇医師は、2013年1月13日に、原告が生存を続けるために実行しなくてはならない日常的・社会的な業務に甚だしい悪影響が生じている原因は、被告新聞学会が掲載した当該名誉毀損記事であることを認定し、原告の症状は重度の適応障害であるとの診断を下して、診断書を作成してくれました。原告が、恒常的に身体的・精神的に極度の不快感を伴う適応障害などに罹患せざるを得なくなったことも、被告新聞学会が当該名誉毀損記事を掲載したことにより原告に発生した重大な損害であることは言うまでもありません。
5. 本事件に関する原告の見解
本事件は、被告新聞学会が、原告の名誉を甚だしく毀損する記事が掲載された新聞を、不特定多数の人間たちが来訪する中央大学の大学祭期間中に合わせて配布したことを発端とする事件です。原告は、被告新聞学会が行なったハラスメント行為に他ならない極めて悪質な名誉毀損により、測り知れない損害を被ることとなりました。
しかしながら、本事件には、上述してきたような損害論だけには回収しきれない極めて不透明で不可解な側面が存在することも、原告の眼から見れば明らかであると思われ、そのこと自体からも原告は強烈な精神的苦痛に苛まれることを余儀なくされ続けています。即ち、被告新聞学会が当該名誉毀損記事を掲載するに至る過程には、原告の不審感を煽って余りある極度に不明瞭で、合理的な理解を甚だしく逸脱する側面が幾つも見受けられます。まず、2012年6月に発行予定であった「中央大学新聞」は突如として発行が中止されました。当該名誉毀損記事を書いた被告〇〇は、当時メール(甲14)でM氏に伝えているように、6月に発行予定であった「中央大学新聞」の発行が差し止めになったのは、被告新聞学会内部の事情に因るものではなく、被告新聞学会の外部に存在する大学組織を統轄している一つの組織・人物の圧力に因るものであることを暗に指摘しました。この圧力を受けて、当時掲載予定であった原告に関する記事の掲載が不可能になったことを、被告〇〇のメールの文面(甲14)は明確に示しています。また、原告が被告和田に直接送信した抗議を表明するメールに対し、被告和田が「現在時点で詳細をご連絡することが難しい状態にある」(甲25)という内容の返信を送ってきていることも、上記の事実を強く示唆していると考えられます。つまり、被告〇〇と被告和田の返信メールの内容は、原告に関する記事の掲載にまつわる「中央大学新聞」の発行については、どうしても隠蔽しておかなくてはならない不都合な事実が存在していることを濃厚に暗示しています。
さらに、本件訴訟においても、被告代理人は当該名誉毀損記事の作成経緯や掲載に関わる事実確認、及び新聞の発行過程などを一切明らかにすることなく訴訟を進行させています。証人尋問に関しても、被告代理人は証人尋問を曖昧に回避しようとする動きを見せたかと思うと、一転して証人尋問には記事を書いた被告〇〇ではなく、記事作成には一切関与していない(はずの)被告新聞学会顧問森光准教授を申請しようとするなど、極めて不可解な態度を取りました。
そのような次第で、本件訴訟には、原告を「ハラスメント行為の加害者」としてどうしても位置付けておかなくてはならない人物が、自分の違法行為を大学組織と大学関係者に隠し通しておくためにだけ、被告新聞学会を利用したとしか考えられない側面があることを強調しておきたいと思います。
原告は、2012年4月から2012年7月に至るまで、中央大学内の各組織に絶大なる影響力を持つ前中央大学法学部学部長・前中央大学理事である橋本基弘氏によって激烈な退職強要を加えられ、常軌を逸したパワーハラスメントを次から次へと行使されてきました。
原告が解雇されてから三ヶ月以上も経過しているというのに、これでもかと追い打ちをかけるように被告新聞学会が当該名誉毀損記事を掲載した新聞を大学祭期間中に合わせて配布し、さらには原告による抗議の表明を完全に無視して、12月に入ってから(まるで、非公開の労働審判の審理が打ち切られ公開の正式訴訟に移行したことを大学内部に隠蔽しておこうとするかのように)ますます大々的に再配布するに至った不可解極まりない経緯、そしてその経緯を全く明らかにしようとはしない被告新聞学会に対して、原告は激烈な不快感と測り知れない不審感を到底拭い去ることができません。
そして、現代思想と表象文化論の研究者としての原告に対し、被告らにとって全くの未知の他者である原告に対し、明白な名誉毀損を行ない、原告の全生活を解体させるほどの損害を発生させておきながら、当該名誉毀損記事に関わる重大極まる事実を隠蔽し続けていることが幾つもの状況証拠から明らかであるにも拘らず、そのミッシングリンクを裁判の俎上に載せられないことが耐え難い重圧となり、現在に至るまで原告を極度の苦しみのなかに閉じ込め続けていることも申し上げておきたいと思います。
被告新聞学会の背後には、被告新聞学会を利用して、自らの違法行為を隠蔽するために「ハラスメント行為の加害者」として原告の意味を対外的に同定し「宣伝」することで、原告を利用し続けることを不可避とした人物の影が浮かび上がってくることを、原告は最後に指摘しておきたいと思います。
以上