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(証拠資料)2018年6月3日付けで、井上が西川克行元検事総長に宛てて送付した「刑事手続即刻始動要求書(2)」全文

平成30年6月3日

東京都千代田区霞が関1丁目1番1号

最高検察庁 検事総長 西川克行様              

          ××××××××××××××××××                        

                            大学講師(現代思想・表象文化論研究)

          告訴権被剥奪者  

          井上 ×××

刑事手続即刻始動要求書(2)

 私、井上×××は、平成30年3月18日付けで「刑事手続即刻始動要求書」を西川検事総長に宛てて簡易書留郵便で送付しました。同書面が、同年同月19日に西川検事総長の元に到達したことを確認しています。

 この日から瞬く間に二カ月以上が経過して平成30年6月に突入し、改正刑事訴訟法の「司法取引」制度が遂に施行されるに至りました。検事総長に就任される直前の西川克行様に宛てて救済要求の強い意思を伝える最初の書面、「意見書・抗議文・要望書」を内容証明郵便で送付してから、あと二カ月半足らずで2年の歳月が経過することになります。完全に失墜・下落させられた法を再び崇高の位置にまで引き上げるために、事実上の解体・崩壊・機能停止を経験することを余儀なくされ続けている法的秩序を再び安定した構築物として再建するために、西川検事総長が殆ど創造的と言っていい知略を駆使し、限界を超える努力を傾注してくださっていると私たちは信じています。西川検事総長の指揮・監督の下、未曽有の規模の本件大組織犯罪の全容解明・全面解決を目指し、検察庁が総力を結集してこの2年近い長期に亘り、類を見ない最高難度の捜査を水面下で辛抱強く遂行し続けていると私たちは信じています。しかしながら、中央大学(橋本基弘、中西又三、福原紀彦、大村雅彦、酒井正三郎たち)、文科省高等教育局私学部(梅木慶治、梅木慶治の隣で私たちへの暴行に及んだ弁護士と思しき男、阿部田康弘、星晃治たち)、東京地裁立川支部(市村弘、太田武聖、須藤隆太、中山直子たち)、東京高裁(田村幸一、浦野真美子たち)、東京地検立川支部(森川久範、二瓶祐司、鈴木久美子たち)、東京高検(瓜生めぐみたち)、最高検(青沼隆之たち)、〇〇合同法律事務所の弁護士たち(渋村晴子、古田茂たち)、南大沢警察署の警察官たち、〇〇法律事務所の弁護士(NN氏――彼の判断と指示に基づく全訴訟行為、告訴人代理人としての彼の全行為は、たとえ過失であっても本件大組織犯罪を幇助する結果にしかなりませんでした)によって法による保護の外=無法状態へと反復的・連続的に強制排除を受け続け、未来=生存可能性へと繋がる一切の希望を暴力的・倒錯的に断たれ続け、社会的生命のみならず生物学的生命まで終焉に向かわせようとする最大限の悪意に晒され続け、そうして法の専門家たちから形成される前代未聞の組織犯罪者集団によって人生の6年間以上を強奪・収奪・非生産化・無化された私たちの大損害は、よくご存知の通りこの期に及んでも実に何一つ回復されないままです。私たちの存在が遂に絶滅する最期の時まで、不当極まりないこの大損害は無限に膨張し続けるのか、空前絶後のこの大損害の(私たちの間接的殺害の成就をもって停止する)無限膨張を阻止できる者は結局誰もいないのかと、もはや本気で信じる以外にはないように無言(=全面解決に向けた決定的徴候がなかなか出現しないこと)の圧力によって強制されているようにさえ思えてきます。

 そのように思うことを私たちにとりわけ強制した最新の出来事が、平成30年4月22日の学長選の再選挙で学長に選出された福原紀彦が、同年5月26日に開催された評議員会と理事会において昨年10月とはなぜか異なり、学長就任を承認されたということです(とはいえ、4月22日の学長選の再選挙についても5月26日の評議員会・理事会による承認についても、それらの外観からは不自然で不可解な印象が極めて濃厚に滲み出ていることも事実です。4月22日に学長選の再選挙は本当に行われたのか、5月26日に評議員会と理事会は本当に開催されたのか、そもそも学長就任を正式決定された福原紀彦は教員としてはもとより学長としての職務遂行に耐え得るだけの精神的・身体的安定を本当に保持しているのか、これらの点について私たちは限りなく深い疑念を抱いています。詳細は後述します)。また、3月18日付けで「刑事手続即刻始動要求書」を送付してから2カ月余りの間に、本件大組織犯罪に深く関係していると思われる多くの出来事が相次いで生起しました。いずれも詳細は後述しますが、3月25日と26日に行われた卒業式の内容が極めて異様であったこと、3月31日付けで最高検の幹部一覧に名を連ねていた城祐一郎氏が検察官検事を辞職したこと、4月3日と4日に行われた入学式の内容も極めて異様であったこと、4月22日に行われた学長選の再選挙の二日後である4月24日に青沼隆之が中央大学を来訪し法学部講演会を行なったことなどです。さらに、本件大組織犯罪とは直接的な関係はありませんが、5月6日に日本大学アメリカンフットボール部の学生が反則タックルを行ったことにより関西学院大学の学生が負傷するという衝撃的な事件が発生し、日本大学の学生が反則タックルを行ったのは常務理事でもある監督とコーチの指示に従った結果であるかどうかをめぐって連日様々なメディアで白熱した議論が展開され、当該事件には未だに収束する兆しが見えません。当該事件の日本大学における背景事情が少しずつ明らかにされる過程で、下位の者には抵抗する選択肢は存在しない絶対的な階層序列構造や恐怖によって命令に隷従させる支配体制、及び極度の隠蔽体質や倫理的態度を欠落させた傲岸不遜な独我論的体質は、中央大学の体質と極めてアナロジカルであると痛感させられました(中央大学の首謀者たちは他の教員たちを始め、裁判官たち・検察官検事たち・弁護士たち・文科省の役人たち・警察官たちに次々と殺人的な「反則タックル」を行わせ、治癒する期間も機会も与えず私たちに連続的に文字通りの致命傷を負わせ続けました)。とはいえ、日本大学の反則タックル事件と本件大組織犯罪とでは、悪質さと残酷さの規模が桁外れに異なり過ぎていて到底比較にはなりません。それにも拘らず、日本大学の反則タックル事件は日本大学という一大学組織全体への仮借ない非難と批判を各方面から執拗に呼び起こすことになり、日本大学の学生たちに就職活動の突然の挫折や入学したことへの激しい後悔など全く予期せぬ苦悩と苦痛をもたらすという極めて深刻な事態にまで発展してしまいました。日本大学の一般学生たちは反則タックル事件を引き起こす実は温床であった大学組織の明らかに被害者ですが、中央大学の一般学生たちも、本件大組織犯罪の元凶である中央大学という反国家的組織(及び中央大学と法曹三者、とりわけ検察官検事との癒着)の紛れもない被害者、潜在的な被害者であることは言うまでもありません。

 日本大学の反則タックル事件が発生したのは本年5月6日でまだ最近のことですが、本件大組織犯罪の発端となった強要罪が実行されたのは平成24年4月11日で、もう6年以上の歳月が経過しています。本件大組織犯罪の存在とその極端に悪質な違法性の核心を西川検事総長に瀕死の体で漸くお伝えすることが可能になってからも、既に2年近い歳月が経過しています。それにも拘らず、年々増殖する一方の潜在的な被害者である中央大学の一般学生を、本件大組織犯罪の全容解明に既に到達している/しつつあると思われる検察組織はなぜ救済しようとしないのでしょうか。あるいは、いつまで経っても救済することがなぜできないのでしょうか。本書面「刑事手続即刻始動要求書(2)」を遂に作成する必要に迫られたのは、学長の職務遂行に耐えられるなどとは到底考えられない福原紀彦の学長就任が決定したからでもありますが、それ以上に日本大学の反則タックル事件に強い触発を受けて、私の内部に以前からあった上記の問いにいよいよ激しく促されたからに他なりません。中央大学の潜在的な被害者である一般学生を(従って本件大組織犯罪の最大の被害者である私たちを)、検察組織はいつまで経ってもなぜ救済することができないのでしょうか。私の内部には、この限界的な問いに対する二つの理由の可能性が明滅しています。一つ目は、潜在的な被害者である一般学生を顕在的な被害者にしないため(日本大学の反則タックル事件でさえ日本大学を存亡の危機に晒すほどの社会的大問題に発展しているのです。本件大組織犯罪が日本全土に知れ渡るところとなったら、中央大学の一般学生の受ける被害は日本大学の一般学生の受けている被害とは到底比較にならない、文字通り想像を絶するものとなるでしょう)、信じられないことですが本件大組織犯罪を歴史の闇に葬り去る(従って、最大の被害者である私たちの間接的殺人未遂の連鎖の果てに私たちの間接的殺人を完遂させる。即ち、日本国家を反国家的組織である中央大学と地続きの無法状態=例外状態のまま放置しておく)という不正な結論に傾きつつあるという理由(仮にそうであるとしても、勿論そのような最低最悪の不真正不作為は絶対に成功しません。なぜなら、本書面も含めて私たちがマスコミとインターネットに本件大組織犯罪を証明する全資料を必ず殺害される前に、予告なしに公開するからです)。二つ目は、前代未聞の本件大組織犯罪の共謀者の中に複数名の検察官検事が含まれているため、大勢の検察官検事が次々と辞職していったことからも明らかなように、検察庁は「厳正なる捜査機関であること」という自らに課された象徴的命令に根本的に従わない/従えない組織、本来の検察庁と絶対に一致できない検察庁の形骸と化してしまったことから、実際には本件大組織犯罪の全面解決を目指して捜査に邁進しているとしても、法的に無力化させられた(自分自身の力に転移できなくさせられた)検察庁を本来の検察庁と一致させることができるようになるまで(検察庁を自壊させるほどの違法行為によって汚染された一切の痕跡を浄化し、同時に違法行為の発生可能性を根絶する確信が持てるようになるまで)公表する資格はないという理由(実際に法的秩序の根幹である検察庁の再建が不十分なままで公表に臨んだとしたら、日本大学に対する非難どころではない激烈な非難や攻撃に検察庁は晒され、日本国家は収拾不可能な大混乱に陥り、法的秩序を復活させるという本来の目的とは全く逆の方向に不可逆的に突き進んでしまうでしょう)。

 ここまで書いてきて、西川検事総長を信じるという激しい苦痛を伴う心的状態を長期間に亘り耐え凌いできた私は、事実に近いのは後者の理由であるという確信を、弱い確信ではありますが少し抱けるようになりました。この確信を二度と揺らぐことのない確信とするために、本書面において書くことを予定していた前述の幾つかの重大な出来事の詳細を以下に記述し、それらについての厳密な推論と思考を展開していくことにします。検察庁が自信を回復し、司法取引を積極的に活用して本件大組織犯罪を全面解決に導き、公表に臨める日が一日も早く到来することを待望しつつ、そうなることに少しでも貢献できるよう試みてみます。

 平成30年3月18日付けで「刑事手続即刻始動要求書」を西川検事総長に宛てて送付してから1週間後の3月25日と26日に中央大学では卒業式が挙行されました。法学部と文学部の卒業式が挙行されたのは3月25日の午後でしたが、M氏がYou Tubeでライヴ配信される同卒業式の一部始終を、メモを取りながら注視していました。より詳細な報告は、M氏が作成した同封の参考資料1(メモ)及び参考資料1の補填資料をご一読頂きたいと思いますが、ここでは本件大組織犯罪に密接に関連していると思われる幾つかの注目すべき事実のみを取り上げ、それらの事実の重大性の輪郭をより鮮明に描出してみることにします。法学部と文学部の卒業式のみならず、午前中に挙行された他学部の卒業式にも3月26日の理工学部の卒業式にも、久野修慈氏と常任理事の林勘市氏は出席していませんでした。法学部と文学部の卒業式には橋本基弘と福原紀彦が出席していましたが、両者の様子と態度は際立って異様であり、誰の目にも強い印象を残さずにはおかないほどのものでした。他の常任理事たちに挟まれて法人役員席に座っていた橋本基弘は、卒業式の最初から最後まで一度として顔を上げず、延々と下を向いて膝の上に置いた卒業式関係の資料に視線を落とし続けていました。その顔色は赤面しているとしか思えないほど終始赤く染まり、橋本基弘が深く恥じ入っていること――自分がその場所にいることの必然性が皆無であることの絶対的な自覚から分泌される恥ずかしさに全身全霊で耐えていること――は明らかでした。この拷問のような時間、ジョルジョ・アガンベンが「恥じること」の定義として述べている「引き受けることができないもののもとに引き渡されること」を橋本基弘が文字通りに経験していたことは間違いないと思います。「しかし、この引き受けることのできないものは、外部にあるものではなく、まさにわたしたちの内密性に由来するものである。それは、わたしたちの内部の奥深くにあるもの(たとえばわたしたちの生理学的な生そのもの)である。すなわち、ここでは、自我は、それ自身の受動性によって、それのもっとも固有の感受性によって凌駕され、乗り越えられる。しかし、自分のものではなくなり、脱主体化されたこの存在は、自己自身のもとへの自我の極端で執拗な現前でもある。あたかも、わたしたちの意識がどこまでも崩れ、こぼれ出ていきながら、それと同時に、さからえない命令によって、自分の崩壊に、絶対的に自分のものでありながら自分のものでないものに、いやおうなく立ち会うよう呼びつけられているかのようである。すなわち、恥ずかしさにおいて、主体は自分自身の脱主体化という中身しかもっておらず、自分自身の破産、主体としての自分自身の喪失の証人となる。主体化にして脱主体化という、この二重の運動が、恥ずかしさである」(『アウシュヴィッツの残りもの――アルシーヴと証人』第3章「恥ずかしさ、あるいは主体について」、141-142頁。この引用箇所を含む本テクストの一部を参考資料6として提出します)。以前にもお伝えしたように、おそらく深澤武久前理事長の極秘処分によって平成28年4月以降、橋本基弘が中央大学の専任教員ではなくなっていたことは間違いないと思われます。平成29年5月26日の理事会で深澤武久理事長が任期満了を理由に退任させられ、大村雅彦が新理事長に就任したのと同時に、以前からの取り決めによって橋本基弘は常任理事の役職に(形ばかりであれ)就かざるを得なくなったのだと推察されます。しかし、橋本基弘の情報は平成30年1月7日以降殆ど確認することができなくなり、橋本基弘のゼミのフェイスブックの更新が平成29年12月4日で完全に停止していることなどから、平成30年4月以降は中央大学法学部において授業を行う権利乃至資格を遂に喪失した可能性が高いと私たちは考えています(従って、平成24年4月以降、橋本基弘・中西又三・福原紀彦たちが手を染めてきた狂気の沙汰としか言いようがない一連の違法行為が、遂に中央大学の少なくとも法学部の全専任教員の知るところとなった可能性は極めて高いと考えられます。そうであるとすれば、検察による捜査が確実に進行していることの効果の現れであるという説明以外の説明を、この現象に対して私たちは思いつくことができません)。 

 一方、橋本基弘同様にその雰囲気と様子の異様さが際立っていた福原紀彦ですが、彼は教員席に座っていました。かつて学長の役職を務め上げ、この卒業式のおよそ二カ月後には再び学長就任が決定されることになる人物とは到底思えないほど、福原紀彦の外貌及び雰囲気からはどんな威厳も風格も品位も全く放たれておらず、それどころか視線の焦点がどこにも合わない状態で絶えず首を左右に振り続けていたそうです。平成25年3月の卒業式の時点でO氏が目撃した福原紀彦は、既に認知能力の衰退を明らかに疑わせる言語分節の甚だしい困難を露呈していたのですが(O氏の告発状に明記されています)、5年後の3月にこの状態が多少なりとも改善されていたとは到底考えられず、M氏の目撃した福原紀彦の様子がこの状態のさらなる進行乃至悪化を直接伝えていることは明白であると思います。福原紀彦は、昨年までは学部で金曜日の5時限と6時限のみゼミを担当していたようですが、本年度の4月以降は橋本基弘同様、学部において福原紀彦が担当する授業は遂に消滅したと推察されます(福原紀彦のゼミのツイッターの更新も、平成29年10月17日で完全に停止しているからです)。さらに、福原紀彦は法務研究科教授ということになっていますが、担当科目は「4群特講Ⅱ(支払・決済と法)」と「研究特論」の二コマのみであり、精神と身体の極度の不安定性が既にして可視的になっている福原紀彦に、たとえ二コマであっても法曹志望の大学院生を対象とする高度に専門的な授業をこなす力が残存しているとは、想像することさえ容易ではありません(M氏によれば、卒業式で目撃した福原紀彦の身体は不自然というしかない太り方をしていたそうです)。従って、平成30年5月26日に開催されたとされる評議員会と理事会で福原紀彦の学長就任が承認されたというニュースに接した刹那、M氏が瞬間的に抱いた印象は「(現在の)福原紀彦に学長職が務まるわけがない」というものでした。M氏の抱いた印象は、「同年4月22日に学長選の再選挙は本当に行われたのか?」、「5月26日に評議員会と理事会は本当に行われたのか?」という強い疑念をM氏と私の内部に直ちに呼び覚ましました。大学のプレスリリースには、学長選の再選挙で福原紀彦が選出されたのは、昨年10月28日の評議員会と理事会で福原紀彦の学長就任が否決された理由を「踏まえて」のことであるという、完全に非合理で不条理もいいところの説明が記載されていました(中央大学通信教育部出身の弁護士、〇〇〇〇氏の5月26日のブログに全文が引用されています。写しを参考資料5として提出します)。4月22日に福原紀彦が学長に選出された段階で、既にして強い疑念を抱いていたM氏は、今度こそ福原紀彦が学長就任を承認されて対立状態にあった教職員側と理事会側は和解のテーブルにつくなどという能天気な意見をツイッターで発信していた〇〇〇〇氏の当時最新のツイートに向けて、「初音のウグイス@hatunenouguisu」というアカウント名で〇〇〇〇氏に何とか真実を伝えるべく4月23日に14の連投リプライを発信しました(勿論、大学や人物の実名は一切出していません。全リプライの写しを参考資料3として提出します)。M氏が連投リプライを発信してからというもの、〇〇〇〇氏のツイッターからは中央大学の学長選に関する内容のツイートは全く見られなくなり、5月26日に福原紀彦の学長就任が承認されたという共同通信のニュースをリツイートしただけで、それ以降現在に至るまで〇〇〇〇氏は中央大学の学長に関する内容のツイートを一切行なっていません。連投リプライの中で、M氏は「4月22日の学長選の再選挙は実際には行われていないかもしれない」という推測を可能にする一つの根拠として、上述した〇〇〇〇氏の4月22日のブログの内容に言及しています(同ブログの写しを参考資料2として提出します)。M氏が〇〇〇〇氏のツイートに向けて連投リプライを発信したのが4月23日、日本大学の反則タックル事件が発生したのが5月6日。即ち、中央大学が直面している未曽有の危機の真相を〇〇〇〇氏が知るに至り(ある程度は知っていた可能性はあると思います)、その壊滅的危機と響き合うようにして存亡の危機さえ射程に入る日本大学の受難が連日報道されるようになり、日本大学の壮絶な受難を近い未来に自分たちを待ち受けるさらに壮絶な受難の鏡のようにして恐怖で戦慄しながら見守らなければならなくなり、そしてその鏡を不安そうに覗き込みながら中央大学はまさに5月26日を迎えることになったのです。評議員会と理事会は、昨年否決した理由を「踏まえて」学長に選出された福原紀彦の学長就任を、過去の事情は何一つ変化していないにも拘らず、一体なぜ今年は否決せずに承認するという異様な選択をしたのでしょうか。あるいは、評議員会と理事会がそのような非合理乃至不可思議な選択をしたという「事実」(=見せかけ)を、中央大学は一体なぜ既成事実として今年は必要としたのでしょうか。この問いに対する真の答えを既にご存知でいらっしゃるに違いない西川検事総長に、私たちの答えをお伝えします。日本大学が壮絶な受難を経験するはるか以前から、中央大学は想像上の鏡にいやでも映し出される自分たちを待ち受ける未曽有の受難を恐怖で戦慄しながら見続けていたからです(日本大学が突然被ることになった壮絶な受難が、中央大学が必ず被ることになる受難の規模と残酷さの質を、いっそう鮮明に映し出す鏡としてますます恐怖を煽りながら中央大学の眼前に差し出されただけです)。中央大学は、ありとあらゆる虚飾を剥ぎ取られ、悪質極まりない多数の違法行為という「死に至る病」に全身を蝕まれた剥き出しの身体を日本国全体に(おそらく世界中にも)露出させられ、憎悪と嫌悪と激怒に満ちた痛罵の嵐の中で崩壊し絶命するという運命を、その運命を回避する術はないという事実をもうかなり以前から知っていたからです。おそらく平成28年12月6日に警察官たちによる立ち入り捜査が多摩キャンパスで行われたときから。別の言い方をすれば、その悪質さにおいて比類がない本件大組織犯罪の元凶である中央大学は、2年近い歳月を通じて検察と警察によって水も漏らさぬ徹底的な捜査を受け続けてきたからです。精神的にも身体的にも極めて不安定な福原紀彦を中央大学は一体なぜ学長に選出し、あまつさえ彼の学長就任を一体なぜ承認したのでしょうか。余命幾許もない中央大学の/という犯罪身体があらゆるメディアに露出させられたとき、中央大学が犯してきた前代未聞の全違法行為が完全に露見したとき、遅きに失するという言葉をどれほど積み重ねてもまだ足りないほど、どんな謝罪の言葉も通用する段階を遠い昔に通り越している修羅場で、深々と頭を下げるだけで一方的に罵声を浴びせかけられながら沈黙していることしかできない役割を、加害者であると同時に学長である福原紀彦に担わせるためです。どんな方法によっても取れない責任を取らせる役割を、精神的にも身体的にも極めて不安定な福原紀彦に担わせるためです。(日本大学の場合は、記者会見を開いてどれほど不誠実かつ非倫理的であったとしても、まだ謝罪をする時間的余地がありました)。(従って、昨年10月28日に福原紀彦が学長就任を否決された「本当の」理由が、大学が公表した過去の不正入試事件に関わるものではなく、本件大組織犯罪に橋本基弘たちと共に福原紀彦も関与していたという事実であったことは間違いありません)。これが、上記の問いに対する私たちの答えです。

 だからこそ、大勢の卒業生の視線が向けられているにも拘らず、卒業式で大村雅彦は来賓の一人であるフェンシングの銀メダリストの話を聴いている最中に突然泣き始めたのです。大村雅彦が極めて情緒不安定であることは明らかでした。大村雅彦には最盛期の垢抜けた知的な雰囲気は微塵もなく、その姿と顔はいかにも陰鬱で暗い陰りを帯びていました。上に展開してきた福原紀彦の学長就任にまつわる推論は概ね的中していると私は確信していますが、卒業式で大村雅彦が中央大学法学部に関わる話を一切せず、法学部という言葉すら一度も口に出さなかったことは、私の推論が的中していることの一つの根拠になると思っています。大村雅彦は法務研究科で「研究特論」という授業を一コマ担当しているだけであり、昨年5月26日に理事長に就任して以降現在に至るまで公式ホームページに正式な理事長就任挨拶を一向に掲載せず、理事長に就任した直後辺りから昨年は大村雅彦の消息が全く掴めない状態が延々と続き、中央大学には理事長がつねに不在であるという印象が長期に亘りつきまとっていました。大村雅彦が長期間表舞台に姿を表せない理由があったとすれば、捜査機関に半年から1年以上もの長期に亘って過酷な取り調べを受けていたという理由以外のどんな理由も、私たちには思いつきません。そうであったとすれば、その事実も福原紀彦の学長就任にまつわる私の推論が的中していることの強力な根拠となるでしょう。

 次に取り上げたいのは、本年4月3日と4日に挙行された中央大学の入学式において生起した本件大組織犯罪に密接に関連していると思われる幾つかの重大な出来事です。

 しかし、その前に是非とも言及しておかなければならないことがあります。入学式が挙行される直前である本年3月31日に、M氏は最高検の幹部一覧に名を連ねていた城祐一郎検事が同日付で「退職」したという記事を毎日新聞紙上に発見しました。後日法務省人事をあらためて確認したところ、城祐一郎検事は「退職」ではなく3月31日付で「辞職」したことが判明しました。このニュースは私たちに大きな衝撃を与え、背景事情が全く分からないために答えのない疑問だけが不毛に湧出する茫漠とした不安のなかを、暫くの間私たちは彷徨い続けることを余儀なくされました。確信を持てるほどではありませんが、本件大組織犯罪の捜査に加わってくれていると信じていた城祐一郎検事が突如として検察官検事を辞職するに至った経緯の発端には、大学院生たちだけで構成される非公式の研究会に参加するために城祐一郎検事が単身で中央大学多摩キャンパスを来訪したことにより、A氏が恐慌状態に陥るほどの恐怖心に襲われたという事情があると思っています。実際に、その凄まじい恐怖心がA氏から冷静な判断力と理性的な態度を奪い、遂には共闘関係から離脱して反国家的組織である犯罪者集団のなかに、どんな躊躇もなく戻るという倒錯的な選択をさせてしまいました。A氏は、6年近い長きに亘り私たちと共有していた本件大組織犯罪に関する極秘の全資料・全情報を携えて(私が最後のメールで依頼したように直ちに破棄することをしなかったとすれば)、犯罪者集団の中に戻っていったのです。現在では、A氏が勿論積極的なスパイではなかったとしても、私たちの動静についての最低限の情報を橋本基弘たちの協力者である刑事法の教員たちに、中央大学における教員ポストの提供という約束と引き換えに6年間を通じて漏洩していた可能性はあると思っています。西川検事総長は勿論既にご存知ですが、もしそれが事実であったとすれば、6年間を通じてA氏は精神を破壊するほどの極端なダブルスタンダードを行なっていたことになります。共闘関係の内部にもいたA氏は、6年間を通じて殆どつねに最悪に近い体調で作戦会議やその他の集まりに参加していました。5月に入ってから中央大学の通信教育部の運営に大きな乱調が生じているらしいことがホームページから窺われ、5月13日にA氏が担当する予定であった〇〇支部でのインストラクターの仕事をA氏が本当に実施したのかどうかを確認しようとしても、同支部のホームページの記載はまるで真実を隠蔽するかのように甚だしく曖昧で整序されていないため、確認することができません。同支部のホームページやツイッターの内容から私たちが強く受ける印象は、A氏は公にすることが憚られる何らかの深刻な事情により、5月13日のインストラクターの仕事を辞退せざるを得なかったというものです。深刻な事情とは精神と身体の極度の不調なのか、あるいは犯人隠避などの被疑者乃至重要参考人として捜査機関との関わりを持たなくてはならなくなったことなのか、もしくはその両方なのか、西川検事総長は勿論真相を既にご存知です。

 それでは、あらためて本年4月3日と4日に挙行された中央大学の入学式において生起した幾つかの重大な出来事に言及し、それらについての推論を以下に展開していきます(You Tubeでライヴ配信された両日の入学式の一部始終も、M氏がメモを取りながら注意深く視聴していました)。

 4月3日の午前に法学部と文学部の入学式が挙行されました。久野修慈氏と林勘市氏は入学式にも出席していませんでしたが、卒業式には出席していた橋本基弘と福原紀彦も入学式には出席していませんでした。私たちの切実な訴えを悉く無視し、私の請願書の受け取りを頑なに拒絶した酒井正三郎は、自分が行なったこととは正反対のことを行なうよう新入生たちに奨励する冗談もいいところの内容の式辞を読み上げました(参考資料1)。次に理事長の大村雅彦が祝辞を読み始めたのですが、その瞬間にM氏は大村雅彦の健康状態が極めて悪いことに気付きました。顔色がひどく悪く、頬もこけて、何よりも祝辞を読み上げる声がかすれていることにM氏は驚きました(参考資料1の補填資料)。祝辞を読み始めてまもなく、大村雅彦は「中央大学は国際的に活躍する弁護士を数多く輩出してきました」と口にし、そのような弁護士が所属する4つの大手法律事務所の名前と各事務所の代表弁護士の名前を続けて読み上げていきました。「シティユーワ法律事務所、代表弁護士は〇〇〇〇」、「TMI総合法律事務所、代表弁護士は〇〇〇〇」、「ベーカー&マッケンジー法律事務所、代表弁護士は〇〇〇〇」、「ユアサハラ法律特許事務所、代表弁護士は〇〇〇〇」、これらが、大村雅彦が読み上げた4つの大手法律事務所と各事務所の代表弁護士の名前です。翌4月4日に挙行された理工学部の入学式でも同内容の祝辞を大村雅彦は読み上げたのですが、この日には前日の入学式の祝辞にはなかった言葉を、4つの大手法律事務所と各事務所の代表弁護士の名前を読み上げる直前にアドリブで挿みました。「私が親しくさせて頂いている」という言葉を大村雅彦は口にしたのです。4月3日の入学式を視聴していたM氏は、大村雅彦が読み上げた4つの大手法律事務所のうち前半の2つの大手法律事務所の名前を耳にした瞬間に驚愕しました。なぜなら、その2つの大手法律事務所の名前は本年3月18日付けで西川検事総長に宛てて送付した「刑事手続即刻始動要求書」のなかに、シティユーワ法律事務所は青沼隆之との関連で、TMI総合法律事務所は森川久範との関連で、私が明記した名前に他ならなかったからです。詳細は後述しますが、「私が親しくさせて頂いている」という言葉を大村雅彦がアドリブで挿んだ(意図的に挿んだのかどうかは定かではありませんが)4月4日の入学式から20日後の4月24日に、シティユーワ法律事務所に所属する弁護士となった青沼隆之が母校の中央大学に招かれて講演を行ないました。3月19日に西川検事総長の元に到達した「刑事手続即刻始動要求書」→4月3日と4日に挙行された入学式における大村雅彦の祝辞→4月24日に中央大学多摩キャンパスで開催された青沼隆之の講演会。即ち、シティユーワ法律事務所は僅かひと月余りの間に、このように中央大学(を元凶とする本件大組織犯罪)という共通の公分母を持つ三つの場所に連鎖的に出現しているということに私たちは直ちに気付いたのです。シティユーワ法律事務所という固有名の出現のこのような短期間における連鎖が偶然であるとは到底思えませんでした。出現した最後の場所が青沼隆之の講演会であったことから、青沼隆之と中央大学(の組織犯罪者たち)との間に贈収賄を媒介として成立・継続している切断不可能な共謀関係を完璧に立証するために、青沼隆之を中央大学に確実に誘き寄せる壮大な計略を捜査機関が張り巡らしたことを連鎖は示唆していると、私たちは直感的に思いました。もしこれが事実だとすると、大村雅彦は入学式で(捜査機関の要請に従って)意図的に4つの大手法律事務所の名前を読み上げたことになります(4月3日の法学部と文学部の入学式には、捜査機関の人間かもしれないと思わせる中年の男の姿がありました。その男は法人役員が座る三列の座席の一番後ろの席に座り、大村雅彦が読み上げる言葉の一言一句をメモしていました)。ライヴ配信された入学式の動画を中央大学は直ちに(少なくとも4月7日には確実に)削除してしまったので、青沼隆之がこの動画を視聴した可能性は限りなく低いと思われます。言い換えれば、中央大学の入学式で大村雅彦がシティユーワ法律事務所とその代表弁護士の名前を口にしたことを、青沼隆之が知っていた可能性は限りなく低いと思われます。一体誰が、シティユーワ法律事務所を通じて(おそらく代表弁護士を通じて)青沼隆之に講演会の依頼をしたのかは分かりません。大村雅彦自身、あるいは共謀関係の外には絶対に出られない組織犯罪者たち(大村雅彦・橋本基弘・福原紀彦)が依頼した可能性が一番高いと思います。講演会の依頼に応じるよう代表弁護士から指示を受けたとき、講演会は自分を中央大学に誘き寄せる口実であると青沼隆之には咄嗟に分かったはずですが、どんな疑いを抱かれるか分からないので断るという選択肢は青沼隆之にはなかったと思います。それでも、4月24日に中央大学多摩キャンパスに足を踏み入れたとき、そして講演会の会場である8号館の8204教室に入ってみたとき、大村雅彦も橋本基弘も福原紀彦も誰一人として共謀者が姿を現さないので、極めて入念に仕組まれた計略に嵌められたことを青沼隆之はあらためて確認することになったのではないかと思われます。青沼隆之が中央大学の組織犯罪者たちの共謀者であり、自分たちの全違法行為の完全隠滅を目論んだ首謀者の一人であるという最終的で絶対的な確信を、M氏が録音してきれくれたICレコーダーの音声記録全編に耳を通し、M氏から講演会の様子を細部に至るまで説明して貰ったとき、私は漸く抱くことができました。青沼隆之の講演会の詳細な内容、そして私を絶対的な確信へと導いた幾つかの微細な徴候については後述します。

 4月3日の入学式における大村雅彦は、従って精神的にかなり不安定で相当に動揺していたと推察されます。なぜなら、「3月30日から一泊二日で北京に行ってきました。内容は申しませんが」と大村雅彦は発言したのですが、大村雅彦が酒井正三郎たちと一緒に北京の〇〇大学に一泊二日で出張してきたのは、実際には同年3月27日から28日にかけてのことだったからです(中央大学の公式ホームページにもそう記載されていましたし、〇〇大学の公式ホームページでもそのことが確認されました)。これほど極端に錯誤的な言い間違い(あるいは、祝辞を読んでいたのだとすれば書き間違い)を、入学式という晴れの舞台で大村雅彦は一体なぜしてしまったのでしょうか。28日に帰国した直後に、3月30日から31日にかけて絶対に秘匿しておかなければならない事情により、決して公にはできない場所に自由を奪われる形で拘束されていたからではないでしょうか。大村雅彦のかすれた声や極度の体調不良を考えてみても、それが捜査機関に関係する場所であることに疑いを容れる余地はないように思います(捜査資料1の補填資料)。大村雅彦が青沼隆之を中央大学に誘き寄せるための協力を捜査機関から要請されたとすれば、そのときだったのかもしれません。卒業式と入学式の情報を公式ホームページから即座に削除した中央大学でしたが、同時に卒業式の動画も入学式の動画も殆ど直後に削除しました。ところが本年5月28日にM氏が確認してみると、入学式の動画に大胆な改ざんと編集を施した全く別物の動画を、5月7日に公式ホームページ内の「白門ムービー卒業式・入学式」というページにあらためて公開していることが分かりました(5月7日には、青沼隆之の講演会はもう終了しています)。「3月30日から一泊二日で北京に行ってきました。内容は申しませんが」という大村雅彦の極端に錯誤的な言い間違いが、「先週一泊二日で北京に出張する機会がございました。仕事の中身については申し上げませんが」に改ざんされています(捜査資料1の補填資料)。この改ざんは、3月30日から31日にかけて大村雅彦が大学外部には勿論内部にも決して知られてはならない場所に拘束されていたという仮説を、強力に裏付けていると思います。

 本当に実施されたという信憑性が甚だ乏しい学長選の再選挙が行われた本年4月22日の二日後の4月24日、「法学部講演会」という名目で青沼隆之の講演会が中央大学多摩キャンパスで開催されました。学長選の再選挙について調査していく過程で、青沼隆之の講演会が開催されるという予告をM氏が公式ホームページに発見したのは、講演会が開催される日のおよそ一週間前の4月18日のことでした。公式ホームページ上のポスターには、講演会の題目は「あとに続く学生諸君へ 検事人生を振り返って~中日新聞連載コラム『轍(わだち』より~)と紹介され、「予約不要(どなたでもご参加いただけます)」と明記されており、下方には青沼隆之の略歴が記載されてありました(参考資料4――参考資料4には公式ホームページの予告、公式ホームページ上のポスター、4月24日当日の講演会全編を録音したICレコーダーの音声記録をコピーしたCD-R、及び福原紀彦の学長就任が決定した5月26日に公式ホームページに掲載された青沼隆之の講演会の報告が含まれています。なお、上記公式ホームページの予告やホームページ上のポスターは、青沼隆之の講演会が終了すると同時にいったん全て削除されました)。

 4月24日は生憎火曜日で、井上の〇〇〇〇大学の出講日であるのみならず、新学年が始まったばかりで現代思想の初歩的な知識を集中的に導入しなくてはならない時期であったため、休講にすることは限りなく困難でした。それでも、青沼隆之との直接的な対面・対峙・対決が可能になる千載一遇のチャンスを絶対に逃したくないと思った私は、4月24日当日の朝まで休講にできる可能性を延々と探り続けましたが、どう足掻いてみても不可能であるという結論に達し、唯一の信頼できる助手であり共闘仲間であるM氏に最も重要で危険でさえある任務を託すことに決めました(「どなたでもご参加いただけます」と予告に記載されてあったので、千載一遇のチャンスを私たちに提供してくれたのは捜査機関であり、西川検事総長であるかもしれないという可能性の想定にはリアリティがあると感じました)。

 4月24日当日14時20分、ICレコーダーを携えて中央大学多摩キャンパスに足を踏み入れたM氏は、15時から開始される青沼隆之の講演会の会場に向かう前に大学構内を調査して回りましたが、上記ポスターなど同日に青沼隆之の講演会が開催されることを告知する看板や掲示物などは、一切どこにも確認できませんでした。しかしその後、講演会の会場である8号館の8204教室に赴いてみると、教室の入り口前の廊下が大勢の学生や大学院生で埋め尽くされている光景に遭遇したので、M氏は驚愕しました。教室に入ったM氏は、中央列の最前列から5列目左端の座席に腰掛けました。まもなく、教室後方右側の入り口から青沼隆之、〇〇〇氏、及川京子氏、そして男女二人の事務員が入ってくるのをM氏は目撃しました(但し、この時点でM氏が同定できたのは青沼隆之だけであり、〇〇〇氏の名前も彼が誰であるのかも、及川京子氏の名前も彼女が誰であるのかも分かりませんでした。公式ホームページの予告にもホームページ上のポスターにも、○○〇氏のことも及川京子氏のことも全く記載されていなかったからです)。この5名は教室の右翼最前列まで移動してきて講演会の打ち合わせを始めたのですが、青沼隆之と〇〇〇氏が極度の緊張状態に陥っていることはひと目で分かり、M氏の顔を知っているはずはないにも拘らず、二人は何度もM氏に視線を向けて彼の様子を不安そうに窺っていました。とくに〇〇〇氏の緊張の程度は甚だしく、8204教室に続々と入ってくる学生たちに向けて早く席に着くよう、険しい顔をして怒ったような口調で何度も注意しました。それにも拘らず、〇〇〇氏は青沼隆之の講演が自分の授業である民法総則の第2講として行なわれると位置付けたあとに、自分は青沼隆之とは面識がなく一切関わりがないということを強調するかのように、及川京子氏を中央大学出身の検事であると紹介し、青沼隆之を学生たちに紹介する役目を及川京子氏に全面的に任せました。M氏は、私立大学の学部の授業になぜ国家公務員である検察官検事がやってくるのか、しかも民法の講義の一環として青沼隆之が自らの検事としての経験を語る講演を行なう必然性が一体どこにあるのか、この段階では全く理解することができませんでした。

 しかし、青沼隆之の講演会が終了したのちにM氏と私は一連の状況の徹底的な吟味・検討・分析を重ねることで、漸く次のような推論を導き出しました。即ち、青沼隆之の講演会が開催されることは実質的には〇〇〇氏が担当する民法の授業の受講生にしか伝えられておらず、大学構内には青沼隆之の講演会が開催されることを告知するどんな看板も掲示物も存在しなかったことから、中央大学は青沼隆之の講演会を飽くまでも〇〇〇氏の民法の授業の一環としてしか位置付けていない/位置付けられないということです。中央大学は、青沼隆之の講演会が開催されることを広く公開することができない事情があるからこそ、青沼隆之の講演会を〇〇〇氏の民法の授業の一環としてしか位置付けることができないのです。そうであるとすれば、青沼隆之の講演会は確かに開催されたけれども、それは飽くまでも〇〇〇氏の民法の授業の一環としてであって、純然たる青沼隆之の講演会としては開催されたことにはなっていないし、またそのようなものを中央大学が開催することは絶対にできないのです。青沼隆之の講演会は青沼隆之の講演会のシミュラークル乃至フェイクであり、その場にいる必然性が事実上全くない及川京子検事が来ていることからも、青沼隆之の講演会は刑事捜査の一環として開催されたとしか考えようがありません。入学式にまつわる推論のなかでも述べた通り、中央大学の組織犯罪者たちと青沼隆之の贈収賄を媒介とした共謀関係を立証するために入念に張り巡らした壮大な計略の一環として、捜査機関はシミュラークルとしての青沼隆之の講演会の陰の制作者・演出家になったのであり、その大芝居のプロンプターとして中央大学出身の及川京子検事を送り込んだのだと推察されます。〇〇〇氏も、中央大学の組織犯罪者たちも、シティユーワ法律事務所の代表弁護士も、その壮大な計略のおそらく基軸を成す同大芝居の制作に、それぞれに与えられた役割を果たすことで密かに協力していたと考えられます。〇〇〇氏は自分の授業の1回分を舞台として提供しコーディネーターという役を演じるという形で、代表弁護士は青沼隆之に絶対に断れない講演会の依頼を受けるように指示乃至命令するという形で、大村雅彦は入学式で「自分が親しくしている」シティユーワ法律事務所とその代表弁護士の名前を公表するという形で、そして青沼隆之との共謀関係から二度と出られなくなった大村雅彦・橋本基弘・福原紀彦という組織犯罪者たちはその大芝居に決して姿を現さないという形で。前述したように、代表弁護士を通じて青沼隆之に講演会を依頼したのがこの組織犯罪者たちのいずれか乃至全員であったとすれば、中央大学多摩キャンパスに到着した青沼隆之は、自分を迎えたのが彼らのいずれでもなく〇〇〇氏と及川京子検事であったことにそれなりの衝撃を受けたのではないかと推察されます(「それなりの」というのは、ありとあらゆる捜査手法に精通している青沼隆之は、既述の通り自分が「嵌められた」ことに既に気付いていたと思うからです)。橋本基弘たちのおそらく協力者であった刑事法の専任教員たち(曲田統氏、只木誠氏、安井哲章氏など)も、8402教室に誰一人として姿を現さないという形でこの大芝居の制作に協力させられていたと考えられます。

 そうすると、青沼隆之自身も「嵌められている」ことを知りながら「嵌められている」ことを知らないふりをして、従って「犯罪者」であるという自らの真の同一的意味(=剥き出しの姿)を身体の奥深くに隠して、自分を陥れるために設えられた偽りの舞台で華々しい経歴の「元検事」の役を演じるために、中央大学多摩キャンパスにやってきたということになります。そのことを何よりも雄弁に裏付けているのが、講演中(=演技中)の青沼隆之の顔が上気しているかのように異様に赤く染まり、端的に青沼隆之が1時間半の大芝居が続いている間じゅう赤面し続けていたということです。「元検事」の役をできるだけ自然に演じるという苦行の渦中にいた(実は「犯罪者」である)青沼隆之の赤面は、本年3月25日の卒業式で延々と下を向き続けていた(実は「犯罪者」である)橋本基弘の赤面と完全に同質のものです。本書面5頁に引用したジョルジョ・アガンベンの「恥ずかしさ」についての透徹した洞察を、どうかもう一度精読してみてください(参考資料6)。人生の成功者である「元検事」の役をひたすら自然に演じ続けなければならないこの拷問のような時間、青沼隆之もまた「引き受けることができないもののもとに」、即ち「犯罪者」としての彼の真の同一的意味が生きたまま埋葬されている彼の身体の「内密性」に、延々と引き渡され続けることに全力で耐え抜かなければならなかったのです。身体の奥底に埋葬してあるはずの「犯罪者」としての真の同一的意味が、青沼隆之が被っている「元検事」の仮面を酸のように浸蝕して外側へと溢出し、「元検事」という同一的意味が既に無効乃至不在であることの執拗な自覚として(「自分自身の破産、主体としての自分自身の喪失の証人」という「恥ずかしさ」となって)、青沼隆之の顔を終始赤く染め続けたのです。従って、「元検事」という役を演じているに過ぎない青沼隆之の講演内容が、学生たちの内部にどんな触発も知的好奇心も呼び覚ますことは絶対にないだろうと一度聴取しただけで深く納得できてしまうほど、密度が恐ろしく希薄で散漫で退屈この上ない代物であったことは至極当然なのです。

 M氏が録音してきてくれたICレコーダーの録音内容全編(参考資料4のCD-R)に耳を通し、私の印象にまず強く残ったことは、講演を行なっている青沼隆之という人物には成熟した大人の雰囲気、洗練された知的な雰囲気が全く感じられないということでした。検察官検事として自分が扱った事件を三つほど、それらの事件を自分がどのように経験したかについて青沼隆之は語ったのですが、朗々とよく通る澄んだ美声に誤魔化されそうにはなるものの、語彙と表現力が極めて乏しい上に思考の運動領域が狭く、語り方がかなり乱暴で野蛮でさえあるという印象を受けました。言葉の連なりの輪郭が相当に不鮮明で、破綻や裂け目や矛盾に言葉が絶えず食い荒らされ、その結果全体として首尾一貫性と統合的な立体感を甚だしく欠き、不明晰で分裂的で雑然としていて平板であるという印象を禁じ得ませんでした。その一方で、「元検事」としての青沼隆之は、以前お伝えしたような「自分が即自分であることを疑わない者、自分自身に対して弁証法的な距離をおくことができない者」、自分が検事であるのは「自分自身もその一部である相互主体的な関係の網によって彼に課せられた象徴的な命令なのだとは考えない」典型的な検事であったことを、これ以上はないというほどよく伝えてくる語り方をしました(スラヴォイ・ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』、邦訳74頁)。例えば「日本の検事は証拠があっても起訴猶予にすることができる。起訴に関する大きな裁量を与えられている。この起訴裁量権を自由に行使できることがまさに醍醐味なのだ」という趣旨のことを、青沼隆之は恐ろしく傲然と言い放ちました。他方で、本件大組織犯罪の黒幕の一人であるということを間接的に自白していると解釈することも可能である「語るに落ちた」的なことも、青沼隆之は「うっかり」語っていました。「自分は2012年から2014年まで東京高検の次席検事であったのだが、東京高検の次席検事が全国の検察の人事を行なう。だから、東京高検の次席検事は全ての検事の家族関係や検事としての成績を全部知ることができる」という趣旨のことを語り、「だからここにいる及川さんのことも知ってる」と続け、その言葉にはまるで及川京子検事を「脅迫」しているような含蓄があると感じました。2012年はまさしく本件大組織犯罪の発端となった強要罪が実行された年であり、2013年と2014年は民事訴訟と刑事告訴が同時進行していた歳月であることを思えば、青沼隆之に文字通り生殺与奪の権を握られていた森川久範と二瓶祐司には、命令された違法行為を実行に移す以外にはどんな選択肢もなかったことがあらためて分かりました(勿論その事実が分かったからといって、森川久範と二瓶祐司を私が許すことは絶対にありません)。

 こうして「元検事」の役を、青沼隆之は大芝居の舞台で赤面しながら全力で演じ続けたのですが、検事として扱った過去の事件を自分がどのように経験したかについて語る青沼隆之の言葉には、言葉自体の傲岸不遜さや尊大さとは裏腹に、青沼隆之という人物からの遠さ乃至距離、あるいは青沼隆之との間に開いた「もはや無関係」という深淵が明らかに宿っていました。言い換えれば、もはや「犯罪者」でしかない青沼隆之は、検事であった頃の事件をめぐる諸経験の記憶を自分自身の個人史的所有物としてもはや自然に抱くことができなくなっているのであり、検事であった過去の自分との連続性がもう絶望的なまでに断たれているために、現在の青沼隆之には過去の事件をめぐる諸経験をまるで他人の諸経験のように語ることしかできないのです。青沼隆之による殺人的な暴力行使の最大の被害者である私とM氏の耳は、検事としての過去の自分に絶対に一致できないこの遠さ、過去の青沼隆之と現在の青沼隆之との間に開いた深淵の音を決して聞き逃すことはありません。言葉自体はどれほど粗暴で威圧的なものであったとしても、彼を赤面させ続ける「恥ずかしさ」が無力さ・弱々しさ・自信の欠如・怯え・諦念などとなって言葉にも連続的に宿り続けている微かな音を、私たちの耳が聞き逃すことは決してないのです。

 「以上!」と青沼隆之が吐き捨てるように言って、「元検事」の役を演じている「犯罪者」の講演が終わり、大芝居は質疑応答の時間になりました。M氏が青沼隆之に勝るとも劣らぬよく通る声で、青沼隆之に向けて直接質問を差し向けました。「とある大学の事件で、ある非常勤講師の方が冤罪に陥れられて、自主退職を強要されました」と切り出し、「民事訴訟を起こすと大学側に偽造証拠を出されて不正に勝訴判決を勝ち取られ、刑事告訴を行なってもその偽造証拠が鑑定に出されず、加害者たちには不起訴処分が出されて事件が握り潰されました」と続け、「その偽造証拠の中ですら、非常勤講師は寄生虫だと罵られているのです」とさらに続けたあと、「私たちが自費で偽造録音媒体を鑑定に出したら、法科学鑑定研究所からそれが偽造物であったという鑑定結果が出されました」と畳み掛けました。M氏がそこまで語った刹那、突然〇〇〇氏が駆け寄ってきて青沼隆之にほんの数秒間、何事かを耳打ちしました。次の瞬間、青沼隆之を凝視していたM氏は激しい衝撃を受けました。なぜなら、〇〇〇氏から耳打ちを受けた直後、講演中に青沼隆之が必死で取り繕っていた紛い物の威厳が、沈黙の大音量とともに彼の顔と身体から一瞬にして剥がれ落ちたからです。別の言葉で言えば、「元検事」の役を演じていた青沼隆之が瞬時にして消滅し、彼の身体の奥深くに生きたまま埋葬されていた「犯罪者」としての青沼隆之が、その剥き出しの顔と姿が突如として露出したからです。衝撃を受けながらもM氏はさらに言葉を続け、「偽造録音媒体は4月11日にICレコーダーから録音されたものではなく、10月17日に録音されたものでした」と語りました。その言葉が語られた瞬間に、〇〇〇氏が「これは一、二年生に向けた講演ですし、あまり個別の事件を話しても皆さんの参考にはならない」という全く根拠にならないことを言って、M氏の発言を制止しました(しかし、このとき〇〇〇氏はM氏の顔を決して正視しようとはせず、学生たちの方を向きながらM氏の発言を制止しました)。〇〇〇氏の言葉に臆せず、M氏は「(参考に)なると思います!」と断言し、制止を振り切って「じゃあ、一つだけ」と切り出したあと、告訴権・告発権を剥奪する旨が記載された書面を取り出してそれを朗々と読み上げ、「刑事訴訟法に基づく扱いをせず、なんて言う権利がどこにあるんですか。告訴状・告発状として扱わないなんて言う根拠が!」と言って青沼隆之に向けて強く抗議しました。すると、青沼隆之が「それも個別的な事件ですよ。これは答えられないですね。ぼくは案件を知らないですから」と露骨な虚偽を述べたので、M氏は「最高検に出したんですよ、この告訴状は!」と語気を強めてさらに抗議しました。これに対し、青沼隆之は「ぼくは今検察庁を外れてますんでコメントはできません」と逃げるように答えました。聴くべきことは全て聴き、話すべきことは全て話し、見るべきものは全て見たと判断したM氏はここで質問を終えました。M氏の次に、一人の学生が「何で検察官から弁護士になろうと思ったんですか」という質問を青沼隆之に差し向けると、「あの、ぼく? いやあ定年になっただけなんだけど」という学生の質問の答えには全然なっていないことを青沼隆之は吐き捨てるように言いました。青沼隆之は定年退職の日を迎える前に辞職したので、勿論この言葉は虚偽です。

 M氏と集合した大勢の学生という観客を除けば、誰もがそれぞれの役を演じているあまりにも空疎で無内容で貧寒たる大芝居はこうして終演となりました。何とか自然に見せかけようとしている大芝居の空間に、何としてでも真実を見極めようとするM氏が放った「事実確認的な」発言が、大芝居の空間に亀裂を生じさせて舞台裏の究極の真実を、たとえ一瞬であれ剥き出しにする効果を持ったことは明らかであると思います。おそらく大芝居の空間に不意に生じた予期せぬ亀裂を縫合しようとして、〇〇〇氏は青沼隆之の元に慌ただしく走り寄り、何事かを耳打ちしました。一体何と耳打ちしたのでしょうか。「あの人が言っているのは6年前に中央大学で起きた事件のことですよ」、「退職強要を受けた非常勤講師って井上×××さんのことですよ」、大体このようなことを囁いたのだと思います。「犯罪者」としての青沼隆之の剥き出しの顔と姿が、威厳ある「元検事」の役の表皮を食い破って、青沼隆之の身体の内部から突然現れ出てくることを可能にする言葉は、大体そのような言葉ではないでしょうか。青沼隆之が殺意をもって告訴権・告発権を剥奪する書面を送り付けてきた人物に関係すること、あるいはその人物の固有名が含まれている言葉ではないでしょうか。

 いずれにしても、青沼隆之の講演会という大芝居にM氏が観客の一人として足を運び、大芝居の空間に亀裂を走らせる事実確認的な質問を「元検事」の役を演じる「犯罪者」に投げかけてくれたおかげで、青沼隆之は本件大組織犯罪の中心的な黒幕であるという最終的で絶対的な確信に私は遂に辿り着くことができました。

 青沼隆之の講演会が終了すると同時に、その予告とポスターを直ちに公式ホームページから削除した中央大学でしたが、前述した通り5月26日に福原紀彦の学長就任が決定するのとほぼ同時に、青沼隆之の講演会の報告が公式ホームページに掲載されたことを付言しておきます(参考資料4)。

 大変長くなりました。本年3月18日付けで西川検事総長に宛てて「刑事手続即刻始動要求書」を送付してから、2カ月余りの短期間に本件大組織犯罪に関係すると思われる実に多くの出来事が立て続けに起こったからです。異様な卒業式、城祐一郎検事の辞職、異様な入学式、福原紀彦が選出された学長選の再選挙、青沼隆之の講演会、そして昨年と同じ理由で福原紀彦の学長就任が否決されたのではなく承認されたこと。これらの出来事には、最高検を始めとした捜査機関が本件大組織犯罪の全容解明・全面解決にとって最も効果的である捜査手法を通じてそれぞれ関与していると思われ、本書面で展開してきたことは多くの誤差や誤認があるとしても、捜査機関にとっては既知のことばかりであると思っています。だからこそ、私たちが調査してきたこと(従って私たちが知っていること)、そこから導き出した推論と洞察、それに基づいて実践された思考の経緯などを、西川検事総長に全てお伝えしておきたいと思いました。しかしとりわけ、本「刑事手続即刻始動要求書(2)」を西川検事総長に宛ててできるだけ早く送付するよう私を切迫的に促したのは、福原紀彦の学長就任決定と青沼隆之の講演会です。私たちの調査とそれに基づく推論及び思考の過程が、捜査機関は殆ど知っていることばかりだとしても、それでも本件大組織犯罪の全容解明・全面解決を一日も早く成し遂げて頂くための一助となることを切実に願っています。本書面を作成することは過酷を極める作業でしたが、それでも西川検事総長に読んで頂きたい一心で書き上げました。M氏も今回ばかりは極限的な苦悩と苦痛に背中を押されるようにして、悲痛極まりないがゆえに感動的でさえある「刑事手続即刻始動要求書」を書き上げましたので、どうか最後までお目通しくださいますようお願いします。

 Xデーはまだ未到来であることを確認する3月下旬が過ぎ、4月下旬が過ぎ、5月下旬が過ぎて、そして遂に平成30年6月に入り、「司法取引」制度が施行されるに至りました。私たちの生存可能性という空はもうとうに尽きており、私たちは今や、死の呼び声が至る所で反響している虚空のなかを飛んでいます。私たちは反国家的組織である中央大学の存続のために、組織犯罪者たちの自己欺瞞的でグロテスクな生の存続のために、象徴的秩序と法的秩序は安泰であるという人間たちの非現実的な幻想の存続のために、犠牲になって死んでいかなくてはならないのでしょうか。

 そのような文字通り法外なことを私たちに求めないでください。生から死への境界を私たちが超えてしまったら最後、捜査機関に属する人間たちも含めた全ての人間たちはもう二度と、法治状態と無法状態を区別することができなくなります。例外状態における人間たちの狂気を見分けられる者は誰一人として存在しなくなります。

 万一、6月が過ぎてもXデーの未到来が延々と続き、私たちに犠牲になれという根拠なしの命令と同義である沈黙があまりにも長引くならば、私たちは日本大学の事件などとはその規模と悪質さにおいて到底比較にならない本件大組織犯罪を証明する全資料を、今度こそ予告なしにマスコミとインターネットに公開します。

 私たちを見捨てることは人間世界を、象徴的秩序を、法的秩序を見捨てるということです。共通の行動規範を失った人間たちは、事実的に誰もが神=主権者であり、いつでもどこでも一触即発で剥き出しの生(=暴力)の発現を自分自身にいとも容易く許容します。本件大組織犯罪は、生から死への境界を私たちに超えさせようとするそのような暴力の連続だったのではないでしょうか。そのような暴力を行使するとき、裁判官も検察官検事も自分の剥き出しの生の発現を自分の職権の行使と混同する狂気のなかに、例外状態のなかに紛れもなくいたのです。

 例外状態の外に出られる人間が捜査機関に所属する人間も含めて遂に一人もいなくなる前に、限界まで下落させられた法をどうか崇高の位置にまで引き上げてください。それを成し得る力を持っているのは西川検事総長ただ一人であると思っています。ですから、本「刑事手続即刻始動要求書(2)」を最後の救済要求の意思表明としてお送りします。

 本件大組織犯罪の公表というXデーの一日も早い到来を、起訴と公判という後半の刑事手続の一日も早い始動を待っています。

                                 以上