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(証拠資料)2012年5月6日付けで中央大学副学長(当時法学部長)橋本基弘に宛てて内容証明で郵送したが、受取人不在で返送されてきた井上の書簡

中央大学法学部長 橋本基弘先生

前略お許しください。

まことに失礼ながら、早速用件に入らせていただきます。

橋本先生より、「担当科目の閉講について(通知)」なるお手紙を頂戴しました。

内容を拝見いたしましたが、先生のご意向は、私がこれを無条件に受け入れることであると理解いたしました。

しかし、もしかすると先生ご自身もそうお感じになっていらっしゃるかもしれませんが、このお手紙に記されている内容を私が無条件に受け入れ、従うためには、私は途轍もない不条理と非合理と論理的破綻を飲み込まなくてはならなくなります。

このお手紙には、4月27日に開催された法学部教授会において、2012年度に予定されていた私の全担当科目は閉講と「決定」されたと明記されてあります。まさにそのことだけが明記されてあります。

しかし、私の全担当科目が閉講と「決定」され、事務室によってその手続きが強行されたのは、4月10日のことでございましたね。

4月27日の法学部教授会で「決定」されたのではなく、学部長の橋本先生ご自身によって4月10日の段階ですでに「決定」されていたのでございますよね。

そういたしますと、法学部教授会で実際に行われたのは「決定」ではなく、先生がすでに行われていた「決定」とそれに基づく「緊急措置」の事後承認、ないし追認ということになるのではないでしょうか。

私が一番気になっておりますのは、橋本先生が法学部教授会で、私のことを一体何とご説明されたのかということでございます。

本当に、「2012年度に予定されていた井上の全担当科目は、理由は説明できないけれど閉講にすることに決定したい」などとご提案されて、他の先生方全員がそのご提案にどんな疑念も差し挟むことなく同意されたのでございますか?

法学部教授会で「決定」されたという文言は、それを読んだ者に実に単純なこのような認識しかもたらしてはくれません。

これは私の推測ですが、本当は、橋本先生は法学部教授会で、「井上が急遽自主退職を申し出たので、やむを得ず緊急措置として全授業科目を閉鎖した」などとまさに「事後報告」をされたので、他の先生方は「単に」追認されるしかなかったのではないでしょうか。

もし、私の推測が正しいとしますと、橋本先生は法学部教授会で私についてご説明されたこととは「異なる内容」の通知を、私の元に送られてきたことになります。

言い換えれば、橋本先生は法学部教授会で、「虚偽」のご発言をされたことになります。なぜなら、橋本先生ご自身がよくご存知のように、私は「自主退職」などしておりませんし、橋本先生宛てに文書の形で「退職願」を送付したりしてはいないからでございます。

橋本先生が法学部教授会で、私のことを「本当のところ」何とご説明されたのかは、そう遠からぬ日に必ず公的に判明するものと確信しております。

再度、「担当科目の閉講について(通知)」なるお手紙の内容の検討に戻らせていただきます。

言語行為論のJ.L.オースティンの言葉を借りれば、このお手紙の文言は「事実確認的な」効果を持つことができていないと感じられます。「現実有効性」を確保することに失敗していると思われます。なぜなら、「行為遂行的な」言説であること、つまり「演技」または「お芝居」のなかの言説であることを、克服できていないと感じられるからでございます。

「行為遂行的」であるということは、それが現実のことであるのか非現実のことであるのか「決定不可能」であるということでございます。

より具体的に申し上げますと、このお手紙の文言は、私が2012年度の全授業を「閉講」にされなくてはならない理由は「決定不可能である」と、自ら告げてしまっているということでございます。

(あえて付言しておきますが、橋本先生はあのような形で、いったん「(大学)という象徴的組織」から外れた文脈で――組織内の「関係者」以外の人たちには知られては困る文脈で――私と出会ってしまっておりますので、ある意味では橋本先生は、私との「共犯関係」の文脈からもう二度と外に出ることはできません。その意味でも「象徴的組織」への自明な内属だけが可能にしてくれる「事実確認的」の魔法はもう解けてしまっております。ご自分で魔法を解いてしまわれました。対私との関係においては、橋本先生はもう「お芝居」のなかでしか、「非現実」のなかでしか、法学部長であることはできなくなってしまわれたということでございます)。

それでも、「2012年度の全授業は閉講と決定した」という文言を「事実確認的な言説」として受け取らなくてはならないとすれば、その場合には「なぜ?」はない、つまり「理由」はないという途方もない非合理を、無条件に受け入れるよう私は強制されていることになります。

このことが何を意味するかと申しますと、学部長の権限は事実上(カール・シュミットの言う)「主権者」の権限と完全に同一であるということを意味しております。「法の外から法の外はない」と宣言する者、「非常事態宣言」を発令してある空間を「例外状態」=「無法地帯」にする権限を独占している者を、シュミットは「主権者」と呼んでおりますが、その「主権者」には「理由」を説明することなく命令を一瞬にして「法」に変容させる絶対権力が備わっております(アウシュヴィッツの生き残り証人たちが、自分たちの受難には「なぜ?」はないんですよ、と一様に証言しておりますとおり)。

学部長という役職には、そのような「主権者」の権限、ないし「総統」の権限が、本当に保証されているのでございますか?

しかし、そうとでも考えない限り、頂戴したお手紙の文言を「事実確認的な言説」として受け入れることは到底不可能でございます。

もし、私がそれを「事実確認的に」受け入れるとすれば、それは中央大学法学部という空間が「例外状態」である、あるいは「無法地帯」であると私が認識する限りにおいてでございます。

しかし、一方で頂戴したお手紙には、法学部教授会では何とご説明されたのかはともかく、さすがに私の「自主退職」云々という馬鹿げた文言は一言も見当たりませんでした。

そのことによって、このお手紙の文言はさらに別の、決定的に重要なことを自ら認めてしまっております。何を認めているかと申しますと、それは次のことでございます。つまり、「井上の自主退職への同意」は、4月11日に極秘で執行された「拷問裁判」における「強要」の産物であるということでございます。

そのことは、法学部教授会で「事後報告」をするというわけにはさすがにいかなかったのでございましょう。

私といたしましては、あの「拷問裁判」が一部始終録音されているミニハードディスクレコーダーを、是非法学部教授会で再生していただきたかったのでございますが、もしかすると録音も「狂言」だったという可能性もございますね。

想像を絶するパワーハラスメントの「証拠」でもあるわけでございますから。

確認のために申し上げておきますと、録音が「狂言」であったとすれば、極秘の「拷問裁判」は、私のために「あらかじめ」捏造していただいていた「セクシュアルハラスメントの罪人」という「役」を、手段を選ばず「現実」と一致させるための「狂気の法廷」であったということになりますね。

捏造されていた「役」が恐るべき威嚇と脅しと断罪によって、とうとう「現実」と一致させられてしまったとき、そのとき初めて井上の「自主退職への同意」という学部長たちが望んでいらした「効果」が発現してきたわけでございますよね。

そういたしますと、録音が「狂言」であった場合、井上が強制的に一致させられた「セクシュアルハラスメントの罪人」という「役」も(中西教授のパワーハラスメントと同様に)存在しなかったことになり、その「役」との一致によって辛うじて引き出された井上の「自主退職への同意」も完全に存在しなかったことになりますよね。あるいは、民法第96条1項を持ち出すまでもなく、完全に無効ということになりますよね。

このことを、くれぐれもお忘れにならないようお願い申し上げます。

ここで、再度思い出していただきたいと存じます。

私の全担当科目が閉講と「決定」され、事務室によってその手続きが強行されたのは、4月10日のことでございましたね。

橋本学部長がそのように「決定」され、まるで「非常事態宣言」を発令したかのように私の全授業を閉鎖するという緊急措置を、事務の方たちに無条件に命令して強行させたのでございますね。

法学部教授会で「決定」されたと名目上はなっている私の全授業の閉講が解除されない限り、中央大学法学部は依然として「例外状態」=「無法地帯」であるという認識が、大勢の学生たちの間で大きな怒りと悲しみとともに延々と分有され続けることになります。

このことにつきましては後述させていただきます。

ここでは、上記のことに関しまして橋本先生には次のようにお尋ねしたいと思います。

4月10日の時点で、事実的に私は退職などしておりませんし、「拷問裁判」の前日でもありましたから「自主退職」への「強要」された同意も、もちろん表明してはおりません。

そうであるにもかかわらず、4月10日になぜ橋本学部長は私の全担当科目を閉鎖することを「決定」し、事務の方たちにその手続きを強行させることができたのでございますか?

言い換えれば、橋本先生は私が必ず「自主退職する」という前提で全授業の閉鎖を「決定」されたわけでございますが、私が「自主退職する」というそれほど強固な前提をどうして持つことができたのでございますか?

わかりたくございませんが、大変残念なことに、伺わなくてもお答えはわかっております。

翌日の4月11日の極秘の「拷問裁判」で、私が中西教授から猛烈な攻撃、威嚇、恫喝、脅し、断罪を受けまくり、疲弊と消耗と衰弱の極限で「自主退職に必ず同意する(させられる)」、つまり私は「必ず落ちる」という絶対的な確信を持っていらっしゃったからでございますね。

1時間40分も続いた「拷問裁判」の直後に、中西教授に行けと命令されて赴いた事務室の上の会議室で、すでに待機していらした橋本学部長と、そのときは橋本学部長であるとはまったく存じ上げずにお会いしたわけですが、中西教授の暴力的態度とは打って変わった橋本学部長の神妙な面持ちに、そのあまりの落差に、限界的な疲弊のなかでさえ私はほとんど驚愕いたしました。

橋本学部長は、長時間にわたって「リンチ」をさんざん受けてきた哀れな「生贄」の顔を直視することに耐えられないといった風情で、終始伏し目がちでございましたね。「後ろめたさ」や「申し訳なさ」、あるいは端的に「罪悪感」のようなオーラが橋本学部長のお顔全体から滲み出ていることを、そのときの私は限りなく異様に、また極めて不思議なことのように感じました。はっきりとそう感じました。

ですが、今ではよくわかる気がいたします。

橋本学部長は、ご自身が露骨に「悪」に加担していらっしゃることそれ自体に、耐えがたい思いを禁じ得なかったのでございましょう。

ジュディス・バトラーは、「非難は、判断される者との共同性を否認して自己を道徳的だとする限りで、自己についての知に対立するかたちで働いている」と言っておりますが、橋本学部長は「悪」を実践するための条件である「自己についての無知」のなかに、中西教授のようには没入することができない方なのだと今では思っております。

フロイトやハイデガーを待つまでもなく、人間に倫理的契機をもたらすものは(人間を人間にするものは、と言っても同じことですが)、自分の内部に確実に「悪」が宿っているという「知」にほかならないのでございますから。

橋本先生の「憲法」の授業の直後に、ある学生が私の「公開質問状」を持って先生に「読みましたか?」と尋ねたそうですが、私の名前を出した途端に先生の態度が劇的に豹変し、「読んではいない。読む気もない」とほとんど激怒されている様子でお答えになられたと、数名の学生たちから聴く機会がございました。

「読む気もない」。なぜ、そのように語気荒くお答えにならざるを得なかったのでございましょう。

「公開質問状」に詳細に描写されている「拷問裁判」のグロテスクさ、「悪」、さらに言えば「違法性」(の可能性)にご自身が加担されていることの大変なストレスに、つまり「罪悪感」に耐えられなかったからではないかと私は推察いたしております。

極秘の「拷問裁判」の執行を可能ならしめた何らかの「秘密の事情」にも、平素は温厚であると伺っております橋本先生の劇的な豹変の理由が隠されているのではないかと、私が疑っておりますこともついでながらお伝えしておきます。

その「罪悪感」をさらに刺激することになって大変申し訳ないのでございますが、それは具体的にどのような「悪」であるかと申しますと、まさに「違法性」を持つかもしれない「強迫」、ないし「脅迫」、そして何よりも「強要」という「悪」でございます。

法律の専門家でいらっしゃる橋本先生に、このようなことをわざわざ申し上げるのは愚の骨頂であるということは重々承知しておりますが、念のため、先にも申し上げたことを再度、しっかりと確認させていただくことをお許しください。

「民法第96条1項。詐欺または強迫による意思表示は取り消すことができる」。

そのような次第で、「井上の自主退職への同意」は「拷問裁判」による「強迫」ないし「脅迫」、そして「強要」の産物であり、そうでしかあり得ないことを、法律の専門家でいらっしゃる橋本学部長は誰よりもよくわかっていらっしゃるはずでございます。

そうであるとすれば、もし橋本学部長が法学部教授会で「井上が急遽自主退職を申し出たので、緊急措置として全授業閉鎖を行った」かのようなご発言を「本当に」なさったのだとすれば、橋本学部長は「民法第96条1項」が自動的に私を守っている、つまり「井上は自主退職などしていない」という厳然たる事実をお忘れになっていたとしか考えようがございませんね。

さらには、上のほうで述べさせていただいたことと重複いたしますが、4月27日の法学部教授会に出席されていたすべての専任教員の先生方に、「虚偽の報告」をされたということになってしまいますね。

もし、本当にそうであるならば、なぜ私のところに送ってこられたお手紙にも、法学部教授会でご報告されたとおりのことを書いてこられないのでございましょうか?

上に書いたことが部分的にでも事実と合致すると仮定すればの話ではございますが、橋本先生がそのようなことをおできにならない理由は、極めてわかりやすいと私には思われます。

それは、「井上は自主退職した」という「虚偽の報告」をしないと、4月10日の段階で私の全授業の閉鎖を強行したことについて、他の専任教員の先生方に「合理的な説明」をすることができないからでございます。

4月18日に、私を支援してくれている勇気ある学生たちが、私の「公開質問状」を持って事務室に問い合わせに行ってくれました。当然ご存知のことと思います。

その際に、対応された土方事務長は次のように明言されております。

「井上先生の<自主退職願>は受理しています」。

「そのことは、教授会で事後承認をします」。

これらの発言は、学生の記憶に基づく証言ではなく、学生が持参した機械にしっかりと録音されている発言でございます。

土方事務長が、私が橋本学部長であるなどとは夢にも思わず、土方事務長だと思い込んでいた橋本学部長の前で、「自主退職に同意する」旨を告げたことを完全なる根拠として、上記のような発言をされたことは疑う余地がございません。

私を錯誤に陥らせ、橋本学部長の目の前で「自主退職に同意する」発言をするように、事務室と橋本学部長とハラスメント防止啓発委員会が連携して周到に計画したのでございましょうから、土方事務長が「自信をもって」上のようにお答えになることができたのも当然のことだったと思われるのでございます。

しかし、土方事務長は、橋本学部長とは比較にならないほど「民法第96条1項」が私を自動的に守っていることをご存知なかったとしか言いようがございません。

しかも、土方事務長の発言は、学生が持参した機械にしっかりと録音されている以上、打ち消すことはもはや絶対にできません。

そうなってまいりますと、橋本学部長は法学部教授会で、それがどれほど非合理で法的にも無効である滅茶苦茶な内容であっても、「井上は自主退職をした」という「虚偽の報告」を4月10日のように強引に押し通すしかなかったという仮説が、にわかに現実味を帯びてくるのでございます。

万一、4月27日の法学部教授会に出席されていた専任教員のどなたかが、橋本学部長の強引さを怪訝にお思いになられ、井上について「本当のところ」どのようなご説明をされたのかを勇気をもって私に知らせてくださったとしたら、どうなさるおつもりでございましょうか?

仮に、どなたもお知らせくださらなかったとしても、橋本学部長が私のところに送ってこられたお手紙の内容との過激な不一致、ないし齟齬に気づかれたとしたら、法学部教授会に出席されていた先生方は、少なくとも「虚偽」を分有させられていたことぐらいにはお気づきになられることでございましょう。

この過激な不一致、齟齬、ないし甚だしい矛盾を、整合的に架橋する奇跡のような「物語」の捏造は、目眩がするほど困難であると私には思われます。

橋本先生がそれほど単純な方でなければ、転移という言葉ぐらいはご存知だと思います。

和知くんがどれほど私に転移していたかは、多くの学生が証言してくれることでございましょうし、本当は和知くん自身が一番よく知っているはずでございます。

ですから、「ハラスメント」という概念自体が、そもそも和知くんと私の関係においては成立する余地がございません。

中西教授は「和知くんから訴えが出ている」とおっしゃいましたが、正確には「和知くんのお父様から」でございますね。

和知くんのお父様は、和知くんが「私」と「私との区別がつかない私の教える思想」とにどれほど強力に転移し、圧倒的な影響を受けてしまっているかをよく存じ上げていると私は思っております。

和知くんが弁護士になることを唯一の夢にしていらっしゃるお父様の目に、それがどれほど危機的な事態に映ったかは、十分に想像することができます。

しかし、「舞台芸術論」を受講していたときから、和知くんの私に対する転移はすでに始まっており、この時点で和知くんは私の「現代思想入門ゼミ」に入りたいと自ら申し出てきております。そして、実際に自らの意思で「現代思想入門ゼミ」に入りました。

「お父様の願望に応えること」と「私と、私との区別がつかない思想に牽引されてしまうこと」との間で、和知くんはつねに激しいダブルバインドに苦しんでいたと思われます。

想像の域を出るものではございませんが、おそらくある時期に、和知くんはお父様からの精神的な自立を遂げたい願い、お父様の願望を「裏切る」ような発言をしたのだと思います。

もし、そのとおりだとしましたら、お父様が和知くんから私を無限に遠ざけたいと本気で考えられ、そのためには私を大学から追放するしかないと思われたとしても、まったく不思議ではございません。

今回の事件の発端は、間違いなくそこにあると私は思っております。

「ハラスメント」が成立する余地などないことを、一番よくわかっていらっしゃったのは、和知くんをつねに傍で見ていらしたお父様でございます。

「ハラスメント」が仮にも成立する見込みがあるのであれば、文字通りにそれを使って私を大学から追放することも不可能ではなかったことでございましょう。

不可能だったからこそ、不可能であることを熟知していらっしゃったからこそ、「見せかけ」の、「狂言」の、「おとり」の、絶対に外部に知られてはならない一回限りの極秘の「ハラスメント拷問裁判」で、私を大学から追放するという途方もない計画におそらくは捨て身で打って出るしかなかったのだと思います。

発覚したら前代未聞の大スキャンダルになるかもしれないその法外な計画が、どのような経路を辿って大学関係者に持ち込まれ、計画を実行に移すためにどのような策謀が和知家と大学関係者の間で張り巡らされ、具体的にどのような手順を踏んで実行されていったのか、その全貌が明るみに出る日はそう遠くないと私は確信しております。

その計画に関与した大学関係者は、私や支援者の推理によりますと、和知くん本人を除いて7人おります。

計画に関与したと推察される大体の順番で申し上げますと、土方事務長、帯部副課長、橋本学部長、中西教授、総合政策学部の女性のハラスメント防止啓発委員会の委員(名前は忘れました)、事務室から会議室まで私を案内した男性の事務員、およびハラスメント防止啓発委員会の取調室に私を案内した男性です。

この場合、「証拠」がないとはなかなか断言しづらいものがあるのではないでしょうか。

私自身が実際に経験した取調室での「おとりの拷問裁判」、会議室での「真の裁判」、そのなかに上に挙げた人物のうち6人が入っております。

土方事務長は、消息を絶った和知くんの安否を心配して探し続けていた私と、いかにも同調するような口調で電話を通じて何度か話をなさいました。

帯部副課長は、実に易々と和知くんの自宅の住所と電話番号を教えてくださいました(このとき、「なぜこんなに簡単に教えるのだろう?」という強い違和感を喚起されました)。

さらに、帯部副課長から、土方事務長と二人で和知くんのお父様の事務所を訪問したけれども、インタフォンで追い返され、自宅にも行ってみたけれども不在の様子であったというメールを頂戴しました。

その直後に、法学部事務室に電話をして帯部副課長を呼んでいただけるようお願いすると、なぜか土方事務長が出てまいりました。

土方事務長は大体こんなことをおっしゃいました。「外から見ても、他の家は洗濯物が干してあるのに干してないんです。夜、行ってみると、電気が点いているかどうかわかるから、夜も不在なのかどうか確認することができると思いますけれどね」

この発言は注目に値すると、事態が進行するに連れて次第に思えてまいりました。

「証拠」はありませんが、可能性としては、のちに私に「セクハラ嫌疑」の伏線として「ストーカー」の汚名を着せるために、私に夜、和知くんの自宅に行くよう唆した発言と解釈することは十分に可能でございます。

いずれにしましても、「井上が自主退職した」(してはおりませんが)理由を、「ハラスメント」に求めようとしても、「ハラスメント」が成立する条件をそもそも満たしてはいないわけですから、それは完全に不可能でございます。

それでは、「井上が自主退職した」(と教授会で「本当に」ご報告されたとして)、その理由を橋本先生は一体「何に」求められるおつもりなのでございましょうか。

井上の教える現代思想が、橋本先生がその拡大と充実を求めていらっしゃるらしい(と伺っております)「司法試験合格のための勉強機関」としての法学部の今後の方向性と合致しないということでございましょうか?

本気でそうお考えになっていらっしゃるとしたら、それは率直に間違っているとご指摘させていただきます。

なぜ、中央大の学生が司法試験の一次試験では大半が合格しても、論文と面接の二次試験では不合格になってしまうのかという問いの答えは、論文を書くためには不可欠の思考力、洞察力、論理構成と概念操作の力が圧倒的に不足しているからでございます。加えるに、深い教養と広い視野と他者の経験に対し共感する力でございましょう。

司法試験を目指す中央大の学生に欠落している能力を、触発し覚醒させ、鍛えていける学問領域こそが現代思想でございます。

今回の事件をインターネットで知り、真っ先に心配のメールを書いてきてくれたのが、今年中央大のロースクールを卒業して司法試験を受ける女子学生でございました。彼女は、4年生のときに私の「舞台芸術論」を受講してくれたのですが、法律家を目指す者にとって現代思想は社会や資本主義に対する視野を広げ、等質的で画一的な思考をより複雑で多次元的にしてくれる、真に有意義な学問領域であり、私は先生の授業によって救われたと言ってくれました。彼女は、そのことを「証言」してくれてもいいと約束してくれました。

他にも、同様のことを言ってくれる司法試験の受験生や現在司法修習生として勉強を続けているかつての教え子など、沢山存在しております。

さらに、私の「現代思想入門ゼミ」を「魂のセイフティネット」と呼んでくれる卒業生もおりまして、それ以来その呼称がかなり定着してきた感があります。

私はこの数年間、休講ということを一度もしたことがなく、授業も1時間半限界までやり、授業アンケートのコメントも(ご覧いただければお分かりになっていただけると思いますが)誰よりも真剣に長文を書いておりますし、授業のために消費する体力と思考力はほとんどつねに限界値に達していると感じております。

この度の事件に際し、これだけ多くの学生たちが授業を受けられないことを嘆き、怒り、大学側の対応に深い疑念を抱いているようですが、そのような反応を学生たちから示してもらえる教師が一体どれだけいるのだろうと、私は正直に思います。

先ほどご紹介しました、この5月に司法試験を受ける女子学生は、授業アンケートにこう書いてくれました。「中央大学は、この教師を絶対に手放してはならない」と。

橋本先生、ご自分が何をなさっているのか、本当にわかっていらっしゃいますでしょうか?

どうか、もうこれ以上、不自然で不可解極まりない無理な所業を押し通そうとされることはお止めください。

もう、その無理が確実に破綻しかかっております。

ご自分を欺き、学生たちを欺いて、「悪」に加担しているという「罪悪感」の過大なストレスに、いつまで耐えられる自信がおありなのでございますか?

私を抹消することは、先生にはおできになりません。

なぜなら、私が不在となった中央大学には確実に魅力がなくなるからでございます(ご存知でしたか? 今回の事件に対しては高校生も憤りを感じているのでございますよ)。

私が、あの程度の「リンチ」に屈服して引き下がる「か弱き女」だと思っていらっしゃいましたか?

橋本学部長たちの唯一の「誤算」は、私の思想的鍛錬の深さと凄まじい経験値をご存知なかったこと、私の力をまったく見誤っていらしたことでございます。

大変申し訳ないのですが、橋本学部長たちの「不正」は遠からず露見すると思います。

「理由」のないことを押し通し続けられる「理由」がついに発覚してしまうと思います。

その前に、橋本学部長らしい最後のエチカを実践してくださいませんか。

緊急の教授会を開いて、井上摂は「自主退職などしていないこと」をはっきりと告知し、そのうえで井上摂の「理由のない」閉講を即刻解除してください。

待ってくれている大勢の学生たちに、私の授業を受ける権利を返してください。

履修登録の変更が可能な期限までに、このことを実行してください。

そうしてくださらない場合は、この書簡をインターネットの「証言置き場」に掲載させていただきます。

ツィッターで「拡散」しますので、中央大学法学部のほとんど全学生が読むことになります。

それだけでなく、元教え子のジャーナリストにこの度の事件に関する全情報を開示させていただきます(彼は、ほとんどあらゆるマスコミに顔が利きます)。

最後に書かせていただきます。

今、私から無限に遠ざけられて、和知くんは本当に「健全な就学環境」を手に入れられましたか?

大勢の学生から私の授業を受ける権利を奪ったことと引き換えに、「健全な就学環境」を手に入れられましたか?

「不正」を隠し続ける大人たちにだけ見守られて、絶えずSP同伴で、和知くんは感情が完全に涸渇した鉛の人形のようになってしまったのではありませんか?

和知くんは、子どものように私にこう言ったのです。「助けてくれる?」

私は彼を助けられなかった。もう、二度と助けられなくなった。

あなたたちのせいで!

あなたたちが彼を壊したのだ。

それを私の責任に転嫁するな。

一日も早く、「自主退職などしていない」井上の不当極まりない全授業の閉講を解除してください。

あなたたちの「不正」が暴露されないために、その犠牲にされ続けるのはもうたくさんなのです。

        2012年5月6日     井上 ×××