カテゴリー
未分類

(証拠資料)2021年12月5日付けで、井上が末松信介文部科学大臣に宛てて送付した「請願書」全文

請願書

文部科学大臣 末松 信介 殿

                    2021年12月5日

                         

            大学講師・元中央大学非常勤講師

                    

            ×××××××××××××××

            ××××××

            ×××××××××××××

            井上 ×××

【はじめに】

 末松文科相は、学校法人中央大学が2012年に引き起こして以降、10年近い歳月が経過しても未だに全面解決には至っていない前代未聞、空前絶後の大組織犯罪の存在をご存知でいらっしゃいますでしょうか。

 私は、その規模と悪質さにおいて日本犯罪史上類を見ない本件大組織犯罪の被害者です。2012年4月11日に中央大学多摩キャンパスで強要罪の被害に遭い、不可解極まりない暴力行使を散々受けた挙句、当時の文科省高等教育局私学部に救済を求めましたが事態収拾に向かうことはなく、同年7月26日付で理事長の決済も取らない犯罪首謀者たちにより「偽装解雇」を強行されました。その後、民事と刑事の双方で損害回復を求めてあらゆる努力を尽くしましたが、中央大学は弁護士、裁判官、検察官と共謀し、実行した全犯罪の完全隠滅を謀ろうとしました。犯罪を実行しては隠蔽するという長い犯罪隠蔽の連鎖の過程で、中央大学は最高裁と最高検にまで不正な働きかけをし、遂には当時の最高幹部検事たちによって私と研究助手のM氏から告訴権・告発権を剥奪させ、中央大学の犯罪を二度と申告させないように謀りました。超法規的暴力を行使された私たちは無法治状態、法的保護の外に追放され、法的救済がもたらされる可能性を完全に消滅させられました。2016年9月5日に就任された西川克行元検事総長が漸く刑事手続を開始してくださいましたが、次の稲田伸夫前検事総長が在任中にも全面解決に至ることはなく、2020年7月に就任された林真琴検事総長が全面解決に向けて現在も刑事手続を続行してくださっております。

 様々な徴候から刑事手続は最終局面を迎えており、本件大組織犯罪が全面解決・公式発表へともたらされる日の到来はもう決して遠くないと私たちは少しずつ確信を深めております。しかし、本件大組織犯罪とは、中央大学の全犯罪とその完全隠滅に協力・加担した法律家たちを始めとする全共犯者たちの犯罪の被害者であり、生き証人である私とM氏を自殺へと追い遣ろうとする組織的殺人行為以外の何ものでもありませんでした。私たちは人生の10年間を無惨に奪われ、生活を残酷なまでに破壊され、財産を涸渇させられ、生命の危険に絶えず脅かされてきました。生命維持は既に限界を超えて困難を極めるまでになっております。

 それにも拘らず、中央大学は刑事手続を受けている身でありながら、強要罪実行から10年が経過した現在に至るまで犯罪などとは一切無縁という相貌を崩さず、通常状態の外観を頑迷に装い続けております。実は死に物狂いなのかもしれませんが、中央大学が通常状態の外観演出を行なえば行うほど、それは被害者を標的として執拗に放たれる巨大な悪意・殺意のように感じられ、被害者の側からすれば依然として停止されない加害行為であるとしか受け取れません。そこで私たちは生命を守るため、即ち正当防衛として、インターネットで本件大組織犯罪を「証言」するという活動を始めることを余儀なくされました。2018年7月頃からツイッター(@Belle75875497)による「証言」を開始し、2019年2月からブログ『現代思想と証言』(井上莉絵瑠名義)における「証言」を開始して現在に至っております。林検事総長を始め、古川禎久法相、堺徹最高裁判事・前東京高検検事長、大谷直人最高裁長官、萩生田光一経産相・前文科相なども、私たちの「証言」活動を知ってくださっております。

 岸田内閣で新たに就任された末松信介文科相にも私たちの「証言」活動を知って頂き、刑事手続をかくも長期化させ、被害者に極限的な苦痛を10年近くも強要し続ける本件大組織犯罪の未曾有の恐ろしさを、私たちの「証言」を通じてご実感頂けますことを願っております。『現代思想と証言』のフロントページだけでもご一読頂ければ、本件大組織犯罪の大筋を簡潔にご理解して頂けるものと存じます。

 誠に恐縮に存じますが、本請願書は捜査資料としても大変重要であると考えておりますため、写しを林真琴検事総長にも送付させて頂きます。

 また、「証言」としても現時点での重要性は測り知れないものであると考えておりますため、『現代思想と証言』にも公開させて頂きます。

 甚だ失礼に当たるとは存じますが、生命維持が既に限界的に困難になっている中央大学を元凶とする本件大組織犯罪の被害者の苦境に免じて、どうかご寛恕を賜りますようお願い申し上げます。

【請願趣旨】

 2012年4月11日、当時法学部法律学科2年の学生・和知孝紘(現在、第二東京弁護士会所属の弁護士)の親族と共謀した中央大学は、和知孝紘に対する「ストーカー冤罪」「ハラスメント冤罪」に私をいきなり陥れ、自主退職を強要する壮絶な暴行を1時間50分に亘って加えました。いかなる根拠もなかったので自主退職に同意しないでいると、更に自主退職を強要する不可解極まりない暴力行使を中央大学は連続的に差し向けてきました。同年6月下旬から7月上旬にかけて文科省高等教育局私学部を訪問し、当時参事官付の梅木慶治氏に救済を求めて相談したところ、梅木慶治氏は中央大学に期限付きの回答要求書を送付してくれました。しかし、これが直接的な引き金となって、同年7月26日付で中央大学は当時の理事長・久野修慈氏の決済も取らずにいきなり「偽装解雇」を強行してきました。

 東京地裁立川支部で2012年11月20日に開かれた労働審判(即日打ち切りとなりました)、2013年1月30日から開始された対中央大学訴訟第一審に、中央大学は2012年4月11日の「事実聴取」を録音したものと称して全編に改ざんと編集が施された偽造録音媒体(=偽造CD-R)と偽造反訳書を提出してきました。しかし、中央大学と共謀していた裁判官たちは通常の裁判手続を一切行なわず、録音媒体の鑑定申請も却下し、私の人格を全否定する凄まじい悪意と殺意に満ちた「殺人判決書」(と言うしかない信じ難い文書)を突き付けてきました。第二審では極めて異様な光景が見られましたが(【請願に至る経緯】で詳述いたします)、控訴棄却されました。一方、2013年5月22日、訴訟提起に少し遅れて東京地検立川支部に強要罪の被疑事実により中央大学の犯罪首謀者たち6名を刑事告訴し、同告訴は同年6月24日に受理されておりました。しかし、裁判官たちと同様に中央大学と共謀していた二人の捜査担当検事は、録音媒体を「鑑定に出す」と1年7ヶ月に亘り被害者を欺罔し続け、「鑑定には出さないこと」と「被疑者全員は不起訴になること」を裁判官たちに予め確約していました。そして2015年3月30日付で、捜査担当検事たちは被疑者全員を不正に不起訴処分とし、不真正不作為による犯人隠避と証拠隠滅を実行しました。

 2015年4月9日、法科学鑑定研究所に赴いて偽造録音媒体の鑑定を自費で依頼したところ、同年7月23日に同録音媒体は紛れもない偽造物であるという科学的鑑定結果が出ました。この時点で、中央大学は私電磁的記録不正作出・供用罪、及び私文書偽造・同行使罪という刑法犯罪を実行し、裁判官たちと検察官検事たちは中央大学の犯罪の完全隠滅を謀ったことが証明されました。ところが、偽造録音媒体の科学的鑑定結果が出てからというもの、犯罪隠蔽の強度は極端に激化し、鑑定書を直接証拠としてどこに訴えてみても悉く撃退されるという更に苛烈な受難が私たちを待ち受けておりました。中央大学の当時学長・総長の酒井正三郎氏には私の請願書の受取りを拒絶され、当時最高検の大野恒太郎元検事総長にも鑑定書入りの請願書を完全に無視黙殺され、中央大学内部監査室公益通報(当時の統括責任者は現理事長の大村雅彦氏)では鑑定書をコピーされるという窃盗に該当する犯罪の被害に遭い、東京地検立川支部の検察官検事からは私たちの新たな告訴・告発への意志を挫折させようとする凄まじい妨害行為を受けました。そして2016年3月18日、最高検に二通の告訴状と二通の告発状を提出したところ、同年4月1日に告訴権・告発権を剥奪する趣旨の書面が送付されてきました。偽造録音媒体の作出・提出を直接告発する私電磁的記録不正作出・供用罪の告発状を最高検に郵送したM氏の自宅には、告訴権・告発権を剥奪する趣旨の同一内容の書面が同年4月14日に送付されてきました。ここで私たちは当時の最高検により中央大学の犯罪には法律を適用しないと宣言され、法的保護の外、即ち無法治状態に追放され、法的救済を与えられる一切の可能性を消滅させられました。信じ難いことですが、当時の最高検が中央大学の全犯罪の完全隠滅を謀ったということになります。

 2016年8月10日、同年9月5日に検事総長に就任される直前の西川克行元東京高検検事長に宛てて「意見書・抗議文・要望書」と題した大長文の抗議文を内容証明郵便で送付しました。同年12月6日、中央大学多摩キャンパスに大勢の捜査員による家宅捜索が抜き打ちで入り、西川克行元検事総長が暗黙の裡に自殺を強要され続ける私たちの救済要求に応えてくださった一つの結果であると私たちは判断しました。その後も数回、法科大学院も含めて中央大学には家宅捜索が入ったことを確認しております。

 それから5年以上の歳月が経過し、中央大学を元凶とする未曾有の反国家的大組織犯罪の刑事手続が最終局面を迎えていることは、少しずつ顕在化する幾つもの徴候からはっきりと伝わってまいります。ところが中央大学は、既述の通り犯罪とは一切無縁という頑迷な態度を決して崩さず(崩した瞬間に大学全体が崩壊の危機に直ちに見舞われるからとしか思えません)、新学部を二つも開設して通常状態の外観を装い続け、社会・卒業生・在学生・父母・受験生を延々と欺いて毎年学生募集を行い、2021年5月には中心的な犯罪首謀者である橋本基弘(2012年当時法学部長)を再び副学長に就任させました(橋本基弘は強要罪の被疑者でしたが、被疑者であった期間中の2014年11月にも副学長に就任しております)。また、定年退職扱いで、2021年3月31日付で退職した大村雅彦理事長は、後任不在のためとしか思えませんが、現在に至るまで「理事長」として中央大学に存在していることになっております。同じく本年3月31日付で定年退職した酒井正三郎総長も、定年後も「総長」として中央大学に存在していることになっておりましたが、中央大学は10月15日に突然「総長職の廃止」を発表し、酒井正三郎氏は中央大学から姿を消しました。現在の中央大学には健全なガバナンスなど皆無であり、ガバナンス自体がもはや不在であり、犯罪隠蔽のために絶えず死力を尽くさなくてはならない中央大学が法人組織としての体など全く成していないことは明白です。

 死力を尽くすことの一貫として中央大学は法学部の都心移転の現実化をしきりに強調し、茗荷谷キャンパスの2023年4月開設を公表・喧伝しております。しかし、中央大学が司法・刑事司法の領域を壊乱し、法的秩序を破壊し、法律を破滅に導くほどの大犯罪を実行したことは紛れもない事実です。中央大学の大犯罪の生き証人である被害者が、自ずと死に導かれるように法律家の共犯者たちと結託して組織的殺人行為を実行してきたこと、通常状態の過剰演出によって現在に至るまで実行し続けていることも事実です。そして、瀕死の被害者が、中央大学が全力で放ち続ける執拗な悪意と殺意に抗して、3年以上に亘り命懸けで続けてきた「証言」の読者が増えれば増えるほど、通常状態の演出はますます過剰になり、発展と拡大の宣伝はますます誇大化していくように思われます。どれほど過剰演出をしても、どれほど誇大宣伝をしても、刑事手続が終結して公式発表が行われ、中央大学が実行してきた前代未聞の大悪事が白日の下に曝される時が必ず到来いたします。その時は、もう決して遠くない未来に必ず訪れます。

 その最悪の時が到来する前に、中央大学の通常状態の過剰演出と発展拡大の誇大宣伝の犠牲になり、人生を大きく毀損される可能性がある人々・若者を救って頂きたいと願っております。彼ら彼女らが救われることが、中央大学から放たれ続ける悪意と殺意から被害者が救われることでもあります。社会・卒業生・在学生・父母・受験生を延々と欺き続ける中央大学に、文科省の権能が及び得る範囲で可能な限りの批判・指導・処分を行って頂きたいと願い、末松文科相に宛てて請願書をお送りすることを決意した次第です。

【請願内容】

1.現段階で文科省が行使し得る指揮・監督権を最大限に行使することで、社会・卒業生・在学生・父母・受験生を延々と欺き続ける中央大学に対し、本件大組織犯罪の説明責任を果たすよう強い指導を行われますことを請願いたします。

 必要があれば、現検察庁とも綿密に連携しながら、可能な限り早く中央大学に対し説明責任を果たすよう指導が行われますことを願っております。被害者の生命維持にとって不可欠であるとはいえ、私たちの「証言」が中央大学の犯罪に全く無関与である中央大学関係者・在学生たちに中央大学の真実の姿を見せる鏡の役割を不可避的に担い、大きな不安や疑心暗鬼を彼ら彼女らの内部に否応なしに生じさせていると思います。とりわけツイッターには偽造反訳書の一部が証拠として公開されておりますため、中央大学には一日も早く説明責任を果たす社会的・倫理的義務があります。

2.大村雅彦理事長に現在自身が身を置いている状況に対し、回答を要求されることを請願いたします。

 理事長の在任期間を2年残した本年3月31日に定年退職扱いで退職していながら、現在も理事長を続けるという不可解な行動を取り続ける大村雅彦氏は、本件大組織犯罪に対する大学としての責任を一切果たしておりません。

 私たちは、大村雅彦氏が現在でも理事長であるための資格を本当に有しているのかどうか、強い疑念を抱いております。大村雅彦氏が本当に学校法人を代表し、その業務を総理する理事長としての資格を現在でも有しているのであれば、社会に対して、卒業生に対して、在学生に対して、父母に対して、本件大組織犯罪の被害者に対して、法的責任及び倫理的責任を果たすよう徹底した指導を行ってくださいますことを請願いたします。

3.ガバナンスが欠落している中央大学に対し、現段階で文科省が為し得る最も強い指導を行われますことを請願いたします。

 現在、中央大学は本件大組織犯罪の中心的実行者たち、及び加担者たち・協力者たちを大学の要職に配置しております。橋本基弘法学部教授(2012年当時法学部長)が副学長に、武石智香子商学部教授(2012年当時商学部専任講師・ハラスメント防止啓発委員会調査委員)が副学長に、松丸和夫経済学部教授(2012年当時ハラスメント防止啓発委員会委員長)が常任理事に、飯塚恭子(2012年当時ハラスメント防止啓発支援室室長)が選任評議員に就任しております。本件大組織犯罪の実行者・関与者を要職に就けるというこのような異様な人事が全く問題化されず、学校法人の業務を監査する権限を持つ監事も問題解決に向けた行動を一切起こしません。

 犯罪実行者・関与者が大学の要職を占めるというこの異常事態を早期に収束させ、本件大組織犯罪を引き起こしたことに対する法的責任・社会的責任を果たすためにも、中央大学に学校法人としてのガバナンスが回復されるよう強い指導が行われますことを請願いたします。

4.文科省の各審議会の委員に就任している以下の人物たちの解任が行われますことを請願いたします。

 以下の人物たちは被害者の生を10年間剥奪し、現在に至るまで生存を脅かし続ける中央大学に所属しており、本件大組織犯罪を十分に承知しているからです。そもそも萩生田光一前文科相は、中央大学が日本犯罪史上先例のない反国家的大組織犯罪を実行していたことをご存知だったのでしょうか。文部科学大臣が委員の任命権を有していることは存じておりますので、この度は末松文科相の権限をもって以下の人物たちの解任が行われますことを請願いたします。

 学校法人分科会委員である福原紀彦前学長(令和3年12月5日現在)。

 ××××××××××××××××××××××○○○○×××××××(令和3年12月5日現在)。

 ×××××××××××××××××××××××○○○○××××・××××××××××××(令和3年6月28日発令)。 

 とりわけ福原紀彦前学長は文科省を始めとして検察庁、裁判所にまで本件大組織犯罪の規模を拡大させた犯罪首謀者の一人です。また、○○○○××××・×××××××は、中央大学の××××××××として中央大学が犯罪とは無関係であるかのような印象を与えるための宣伝活動の指揮を執る役職に就いております。今月12月10日(金)に予定されている「法学部都心移転を軸とした中央大学の展望」と題された記者懇談会にも中央大学首脳陣の一人として参加することが伝えられており、社会・卒業生・在学生・父母・受験生を欺く意思を依然として示しております。

 10年間の生を根こそぎにされ、生存を限界まで脅かされ続ける犯罪被害者として、中央大学に文科省からの厳正な処分が行われますことを重ねて請願いたします。

【請願に至る経緯】

(1)

 2011年当時、私は中央大学法学部で2年生を対象とする基礎演習「現代思想入門ゼミ」その他を担当しておりました。和知孝紘は同ゼミの2011年度の正規受講生でした。法律家になることを志望していた和知孝紘は「炎の塔」にも所属しておりましたが、1年次の秋学期に私の講義科目「舞台芸術」を受講している期間に私に対する強度な転移感情(恋愛性転移感情)を抱き、法律系のゼミには行かずに純粋に自らの意思で入ゼミ試験を受け、現代の哲学や精神分析などを教える「現代思想入門ゼミ」の正規受講生となりました。頻々と私に接近してきては親しげに話しかける和知孝紘の存在を、他のゼミ生たちは快く思ってはおりませんでした。ゼミが開始された直後から和知孝紘は馴れ馴れしい個人的なメール(時には食事に誘う文言さえありました)を私に送信してくるようになり、ゼミが進行するにつれて私に対する転移感情は強まる一方であることが誰の目にも明らかでした。しかし同時に、私と私が教える現代思想への心酔が深まるにつれて、法律家になるために必要な精神集中及び勉強との間で板挟みになり、ダブルバインドに陥った和知孝紘は心身の不調を恒常的に抱えているように見えました。本人から聞いたところでは、彼が法律家になることを最も切望しているのは両親・親族であり、家には自室はあっても私的空間はなく、勉強すらも両親の目の届くリビングで行わなくてはならないとのことでした。ゼミが終盤に差し掛かる頃には、和知孝紘が両親・親族の絶対的支配下に置かれていることが次第に明らかになってきました。一切の感情が凍結し、恐ろしい無表情になった蒼白の和知孝紘が、私に向けて「助けてくれる?」と無機質な声で呟いたことがあります。「助ける? 何から?」と聞き返しても応答はありませんでした。

 2012年1月11日が、私が和知孝紘を見た最後の日となりました。翌週1月18日のゼミを欠席すると、和知孝紘は突然消息不明になり、音信不通状態が延々と続きました。ゼミの聴講生が虐待、事故、最悪の場合は死の可能性もあると言い出したので、心配になった私は法学部事務室に相談しました。当時法学部事務室事務長の土方善明は「自宅に夜行ってみれば、電気が点いているかどうか確認できるので、先生が夜一人で行ってみてください」「自宅マンションはオートロックではないので、自由に出入りできます」などと言い、和知孝紘の自宅に私一人で夜行くように明らかに唆しました。当時法学部事務室副課長の帯部幸子も「学生は行ってはだめですよ。先生一人で行ってください」と言い、和知孝紘の自宅に私一人で行くように明らかに唆しました。(二人とのやり取りのなかで、土方善明は「このことは(和知孝紘失踪の件は)学部長も知っています」と明言しました)。悪意ある罠に嵌めようとしているという強い直感が働きました。しかし、ゼミの聴講生が主張する悪い可能性も想定しないわけにはいかず、私とM氏は散々逡巡し、苦悩し、限界まで躊躇していましたが、一度だけ安否確認のために2012年3月25日、私とM氏とゼミの聴講生二人の四人で和知孝紘の自宅を訪問しました。和知一家は不在でしたので、同じ階の管理組合長の方に名刺を渡し、何かわかったら電話で知らせてくださるようお願いしました。翌日電話があり、和知一族が帰宅したことを知らせてくださいました。和知孝紘の自宅に訪問した直後、法学部事務室に電話をかけ、一家が不在であったことを帯部幸子に伝えたので、私たちが訪問したこと(=罠に嵌ったこと)を帯部幸子から知らされた和知一族は、翌日早々に帰宅しました。

 現在では全て明らかになっておりますが、和知孝紘の失踪は私を「ストーカー冤罪」「ハラスメント冤罪」に陥れるための狂言失踪でした。和知孝紘を法律家にしたいという巨大な欲望に突き動かされていた両親・親族は、和知孝紘の強烈な転移感情により自分たちの欲望の実現を挫折させかねない「危険な存在」である私を冤罪に陥れ、中央大学と共謀して大学からの追放・抹殺を謀るという周到にして悪質極まりない計画を立てておりました。

(2)

 2012年4月10日、別の出講大学である××××大学××××××××の教員室にいた私は、中央大学ハラスメント防止啓発支援室の山ノ井和哉から翌11日の午後3時に出頭するようにという呼び出しのメールを受信しました。まもなく判明したことですが、ゼミも含めた私の全担当科目の「緊急閉講措置」が、当時法学部長・橋本基弘によりこの日既に取られておりました(こうして橋本基弘は、入ゼミ試験に合格していた学生たち、他の授業の履修を予定していた全学生から、いかなる説明責任も果たさずに私の授業を受ける権利を突然剥奪しました。法学部事務室により「諸事情による」とだけ告げられた学生たちは怒りと混乱を掻き立てられましたが、法学部事務室には箝口令が敷かれていたため、いかなる説明も与えられず、学生たちは極端な不条理を飲み込むことを余儀なくされました)。

 2012年4月11日の午後3時、付き添ってくれたM氏を外に残し、山ノ井和哉に案内されて私は1号館の1321会議室に入りました。同会議室の外には屏風が置かれ、鉄扉の上には「不在」という不気味な二文字が掲げられていました。まもなく当時法学部教授・ハラスメント防止啓発運営委員会委員長の中西又三と総合政策学部教授・ハラスメント防止啓発委員会委員の永松京子の二人が入室してきました(外で待機してくれていたM氏によると、二人は非常に緊張した面持ちで、恐怖と不安が全身から滲み出ているような様子で歩いてきたということです)。二人は私と対面する形で着席し、本日の面談を録音すると言うと、私の承諾も取らずに永松京子はICレコーダーをテーブルの上に置きました。「和知君という学生から申立てが出ている」と言うと、2分もしないうちに中西又三はいきなり恫喝口調で私を激しく非難・罵倒し始めました。和知孝紘に対し私が「ストーカー加害」「ハラスメント加害」を行ったことは明白であり、どんな弁解をしても懲戒免職は免れないと何度となく脅迫しました。私の人格、学問、存在価値(=「尊厳」)を全否定する侮蔑的・差別的発言を恫喝口調で延々と繰り返し、遂には私を「寄生虫」とまで蔑称するに至りました。私が少しでも反論しようとすると、凄まじい怒声が凶器のように飛んできて、私の言説は中西又三の物凄い恫喝によって悉く圧殺され続けました。時には紙片を投げつけられ、尖ったボールペンを目の前に突き付けられるという物理的暴力さえ行使されました。「和知君が、あんたには中央大学には居て欲しくないと言っているんだよ!」と怒鳴りつけられ、自主退職を強要されていることがありありと伝わってきました。「自主退職すればいいということですか」と訊くと、「そうそうそう」と中西又三は遂に落ちたと言わんばかりに強く頷き、「法学部事務室に行って、自主退職する意思を伝えてこい。今日のことは他言するな」と命令しました。幾つもの出鱈目と虚偽を1時間50分に亘り暴力的言動によって強制的に飲み込まされ続けた私は、疲弊と消耗と憔悴で今にも昏倒しそうでしたので、外で待っていてくれたM氏に支えられながら法学部事務室まで辛うじて歩いていきました。法学部事務室の上階にある会議室に案内され、そこで土方善明と共に待機していた橋本基弘に再び退職強要を受けました(私が会議室に入った直後、M氏は会議室の扉を開けて「ハラスメント防止啓発委員会が井上先生にハラスメントを行なっています。井上先生の言い分も聞いてください!」と悲痛な声で訴えてくれましたが、橋本基弘は全く聞く耳を持ちませんでした。土方善明は退職願を学部長宛てに郵送するようにと要請し、橋本基弘は「今日のことは他言しないように」と中西又三と同じ命令を口にしました。しかし、壮絶な退職強要が実行されたこの日、私は中西又三が誰であるかも知らず、橋本基弘が法学部長であることも知りませんでした。橋本基弘は名前を名乗らず、自分が誰であるかを私に明かそうとはしなかったからです。土方善明とは電話でしか話していなかったので、会議室にいた土方善明が誰であるかもわからず、橋本基弘を事務長の土方善明であると思い込んでおりました)。のちに強要罪の被疑事実により刑事告訴することになったのは、橋本基弘・中西又三・和知孝紘・土方善明・帯部幸子・永松京子の6名です。

 暴力的な退職強要という形で強要罪が実行された2012年4月11日、ハラスメント防止啓発委員会に虚偽の申立てをしたのは、押印と直筆の署名により書面上は確かに和知孝紘なのですが、「和知君が、あんたには中央大学には居て欲しくないと言っているんだよ!」と中西又三に怒鳴られた刹那、私は激しい違和感に襲われました。和知孝紘に対し、いかなる加害行為にも及んでいないことは勿論でしたが、2012年1月11日にその姿を最後に見た和知孝紘と、これほど恐ろしい退職強要を中央大学に依頼した和知孝紘が同じ人物であるとは到底思えなかったからです。「本当に和知君がそんなことを?」と中西又三に思わず問いかけました。「そうだよ!」という物凄い怒声によって私の問いかけは瞬時にして封殺されました。

(3)

 しかし、労働審判に初めて提出された和知孝紘のハラスメント被害申立書には、押印と直筆の署名があったため、中央大学ハラスメント防止啓発委員会に虚偽の申立てをし、大学からの私の追放と抹殺を依頼したのは和知孝紘本人と両親・親族であるとしか考えようがなく、実に10年近く私たちはそう考え続けておりました(和知孝紘の申立書は、中央大学ハラスメント防止啓発ガイドラインに違反して、2012年4月11日に私に開示されることはありませんでした。しかも、同申立書の被害申告欄には「ストーカー被害」としか書いてありませんでした)。

 本年2021年7月20日、10年近く私たちの内部に沈潜し続けていた疑惑に、全く想像もしていなかった方角から突如として真相が、真実の答えがもたらされました。その真相は、私を冤罪に陥れて大学からの暴力的な追放・抹殺を謀ったのは中央大学の犯罪首謀者たちと共謀した和知孝紘の両親・親族であり、和知孝紘は犯罪に協力するよう強要されたのであると私たちに告げていました。2020年12月16日に司法修習を終えた和知孝紘は、出身地である×××××に法律事務所を開設していました。真実の答えはその法律事務所のホームページの弁護士経歴紹介の中にありました。和知孝紘は中央大学の法科大学院ではなく、私の出身大学でもあり出講大学でもある××××大学の法科大学院に進学しておりました。わざわざ「××法曹会会員」とまで明記しておりました。私が×××××大学でも授業を担当していることを、2012年の段階で和知孝紘は既に知っておりました。「直接的にも間接的にも一切の関係を断つ。二度と自分に近寄るな」という趣旨のことが和知孝紘の陳述書には書かれ、まるで醜悪な怪物のように私をいかに嫌悪し、憎悪し、恐怖しているかがこれでもかと綴られておりました。これが和知孝紘の本心であるならば、「恐ろしいストーカーである」私が出講している、従って突然遭遇するかもしれない偶然を未然に排除できない××××大学の法科大学院に進学するという選択肢は、最初から想定することすら不可能であったと思います。和知孝紘の私に対する強力な転移は、強要罪実行と偽装解雇によって私が中央大学を追放されたのちも、解けることなく密かに続いていて、転移対象である私の属性を体内化する(=転移対象と一体化する)という無意識の働きに導かれ、××××大学の法科大学院に進学したとしか考えようがありません。その意味で、私を無意識に追いかけ続ける「真のストーカー」は和知孝紘であり、強要罪実行に和知孝紘が加担したとすれば、その動機は両親・親族、及び中央大学の犯罪首謀者たちとは全く異なるものでした。「愛の対象」を殺害してしまうストーカーの心理についてフロイトが考察している通り、「対象の愛が自分以外の誰にも注がれることがないように、愛の源泉である対象そのものを殺してしまう」に限りなく近く、私の授業を受けられる学生がもう一人として存在することがないように、中央大学からの私の追放・抹殺に和知孝紘は協力したのだと思います。それだけが、両親・親族も知り得ない和知孝紘の真の動機だったのだと確信しております。

 ところで、弁護士になった和知孝紘の法律事務所のホームページは、本年7月20日に私たちが発見する以前から、本年5月31日から更新がずっと停止したままであり、和知孝紘が弁護士として業務を行った形跡は一つも存在しておりません。刑事手続を受けている可能性は十分にあります。私は、一切の感情が凍結し、恐ろしい無表情になった蒼白の和知孝紘が私に向けてぼそっと呟いた「助けてくれる?」という言葉を思い出します。和知孝紘を弁護士にしたいという両親・親族の凄まじい欲望を、中央大学法学部の犯罪首謀者たちも共有していたと現在では確信しております。しかも、両者は通常の業務に従事する弁護士ではなく、不正な業務に従事する弁護士に、どんな手段を使ってでも和知孝紘をならせたかったのだと思います。(この点については、これ以上詳細をお伝えすることが叶いません。古川禎久法相にも請願書をお送りしておりますので、状況が許す折に古川禎久法相にどうかお問合せになってくださいませ。また、『現代思想と証言』に公開中の「本件大組織犯罪の本質について」を、どうかご一読賜りますようお願い申し上げます)。

 和知孝紘を専ら不正な業務に従事する弁護士にすることで、和知孝紘の両親・親族と中央大学法学部の犯罪首謀者たちが本当に目論んでいたのは、不正な「利権獲得」以外の何ものでもなかったと思います。その深層事情を知り尽くし、自分の「変更不可能な運命」を受け入れきれない和知孝紘が、その残酷な運命からの解放の約束のようにして「現代思想入門ゼミ」に純粋に自らの意思で入り、現代思想を教える私に強度な転移感情を抱いたとしても、それは全く不思議なことではありません。しかし、和知孝紘の私に対する転移感情、私が教える現代思想への傾倒は、それが強くなればなるほど自分たちの欲望を挫折させかねない深刻な危機であると、和知孝紘の両親・親族と中央大学の犯罪首謀者たちに映ったであろうことは容易に推察できます。そして、自分たちの欲望実現にとって邪魔な存在である私を中央大学から追放・抹殺するために、和知孝紘の狂言失踪から始まる「ストーカー冤罪に井上を陥れる策略」を考案したのだと確信しております。

 それが、2012年4月11日以降、中央大学が和知孝紘を周囲の学生たちが誰一人近付けないように厳戒態勢で隠匿し続けた理由、そして労働審判、民事訴訟全体を通じて、事件には全く無関係な存在であるかのように和知孝紘を一切関与させず、民事手続から一貫して徹底的に排除し続けた理由です。

(4)

 2012年4月11日以降、「井上は自主退職をした」と橋本基弘は法学部の専任教員たちに虚偽の報告をしましたが、私の自宅には「本年度は貴殿の全担当科目の閉講が教授会で決まった」という通知を送付してきました。いかなる根拠もないので自主退職には決して同意せず、法学部事務室に赴いて暴力行為の説明を要求しましたが、一切の対話を拒絶されました。それ以降も、様々な抗議活動を行いましたが事態は一向に収束せず、中西又三から自主退職を更に強要する脅迫文が何通も送り付けられてきました。学生たちの強い要望に逆らえず、授業を行なう正当な権利を二度行使しようとすると、橋本基弘の命令により一度目はロックアウト、二度目は大教室で電源遮断という信じ難い暴力行使を受けました。いかなる説明も行わず、一切の対面・対話も拒絶し、不可解極まりない暴力行使だけを差し向け続けてくるので、私とM氏は同年6月下旬に文科省高等教育局私学部を訪問し、中央大学の排除的暴力行使からの救済を求めました。真剣に相談に乗ってくれた当時参事官付の梅木慶治氏は、不可解で異様な暴力行使の実態に衝撃を受け、7月上旬に中央大学に期限付きの回答要求書を送付してくれました。しかし、既述の通りこれが直接的な引き金となり、同年7月25日に中央大学は当時の久野修慈理事長名義で解雇予告通知をいきなり送り付けてきました(のちの民事手続に中央大学が提出してきた稟議書には久野修慈理事長の決済印だけがなく、橋本基弘を始めとした犯罪首謀者たちが久野修慈理事長に隠れて「偽装解雇」を強行したことがわかりました。民事訴訟に中央大学側の代理人弁護士が提出してきた準備書面には、2012年1月11日以降一度も会っていない和知孝紘から「救済願」が当時の福原紀彦学長に宛てて出されたので、和知孝紘を保護する「事態の緊急性」が生じたため「危険な加害者」である井上の解雇が急遽決定されたといったおよそ信じ難い出鱈目が書かれてありました。当の「救済願」は証拠として提出されず、これは完全に後付けの作り話です)。解雇日は翌日の7月26日とあったので、M氏が文科省の梅木慶治氏に電話をかけて状況の激変を伝えると、梅木慶治氏は驚愕した様子で数秒間絶句し、「中央大学から回答がきています。明日、文科省においでください」と言いました。梅木慶治氏の絶句が何を意味していたのか現在に至るまでわかりません。

 2012年7月26日、偽装解雇された当日に文科省高等教育局私学部に赴いた私とM氏を待ち受けていたのは、4月11日に実行された強要罪の再現ともいうべき拷問のような時間でした。このような暴力行為が文科省の密室で実行されたことを末松信介文科相には知って頂きたいと思います。梅木慶治氏に通された密室には、梅木慶治氏の他に名前を名乗らない男がもう一人いました。「中央大学からの回答をオフレコで伝える」と言って男が語り始めた「回答」を聞いているうちに、私たちは衝撃のあまり血の気が引いて倒れそうになりました。「①2012年4月11日には何もなかった。ハラスメント委員会など開かれなかった。②4月下旬にハラスメントに関する調査が行われた。③ハラスメント事案はもう停止している。④双方にとって不利益となるので、中央大学は井上が訴訟を起こさないことを望んでいる」。①と②は完全な虚偽回答であり、「他言するな」と中西又三と橋本基弘が命令してきたように、中央大学は2012年4月11日の退職強要をなかったこととして秘密裏に葬り去るつもりでいたことがわかりました(しかし、私に提訴されたので、2012年4月11日の強要罪を隠蔽する偽造録音媒体を作出することを余儀なくされました)。退職強要に失敗し、文科省に告発されたために偽装解雇まで余儀なくされた中央大学は、私に提訴を断念させるためにおそらく中央大学関係の弁護士であるこの男を送り込んだのだと思いました。M氏は中央大学の不正を何度も論理的に証明しようとしましたが、その度に男は中西又三を思わせる恫喝口調でM氏の言説を封殺しました。M氏が何度試みても、男の滅茶苦茶な論理で暴力的に阻止され、否定され、圧殺され続けました。暴力男の隣に座っていた梅木慶治氏は、50分近く続いた拷問のような時間ひと言も語らず、ずっと押し黙ったままでした。このときの梅木慶治氏が既に中央大学の不正に加担していたのか、それとも中央大学の不正を証拠として残すために密かにICレコーダーに録音していたのか、今でもわかりません。その後、梅木慶治氏は数年間文科省を離職し、柴山昌彦元文科相の在任中に復帰したことを確認しております。現在、梅木慶治氏はどうなっておりますでしょうか。

(5)

 2012年11月20日に労働審判の第1回期日が東京地裁立川支部で行われました。中央大学側からは、経営陣でもない橋本基弘と中西又三が出席し、土方善明も傍聴人として出席していました。久野修慈理事長は「不正入試問題」を口実として同年10月29日に理事長職を解任されておりましたので、中央大学の代理人弁護士たちが久野修慈理事長から訴訟行為を行なう授権を与えられていないことは明らかでした(理事長に隠れて、理事長の名義で訴訟を主導しなくてはならなくなったため、「不正入試問題」を口実として久野修慈理事長は不正に解任されたのであると私たちは思っております)。労働審判の証拠として中央大学は偽造録音媒体と偽造反訳書を既に提出してきておりました。一度聴取しただけで、全編に改ざんと編集が施された偽造物であることが強要罪の被害者である私にはすぐにわかりました。橋本基弘はひと言も話さず、ずっと下を向いていましたが、その顔色が7ヶ月ほど前の4月11日に見たときとは別人のように黒ずんでいることに衝撃を受けました。「電源遮断の命令を出したのはあなたですか?」という裁判官の質問に子供のようにコクンと頷いただけでした。申立人側の主張と中央大学側の主張が真っ向から喰い違うため、和知孝紘の証人尋問が不可欠であると裁判官が要請しました。しかし、中央大学側が頑迷に拒絶し続けたため、労働審判は即日打ち切りとなり、直ちに正式民事訴訟に移行しました。1年8ヶ月近く続いた全民事手続を通して、和知孝紘の証人尋問の必要性を指摘したのは、実に労働審判の裁判官ただ一人でした。

 東京地裁立川支部で2013年1月30日から開始され、2014年2月26日に原告全面敗訴で終結した対中央大学民亊訴訟第一審は裁判などでは全くなく、中央大学の全犯罪を完全隠滅し、原告である被害者を自殺へと誘導するために画策された「あらかじめの殺害」としての(法廷を犯罪現場として利用した)組織的殺人行為以外の何ものでもありませんでした。解雇無効と損害賠償請求を争う訴訟のはずでしたが、第2回口頭弁論から明確にハラスメントの有無のみを争う訴訟展開となりました。裁判官たちは原告側の主張には全く耳を貸さず、厳密で真正な証拠など存在しなくても中央大学側の主張のみを全面的かつ無条件に受け入れ続けました。和知孝紘と同期のゼミ生たち、ゼミ関係者たち5人が和知孝紘の陳述書を読んで事実に即した陳述書を書いてくれましたが、最も信頼できる第三者証言でもあるにも拘らず、またこれらの陳述書に反論する和知孝紘自身の陳述書は二度と出されなかったにも拘らず、全て無視黙殺されました。中央大学の代理人弁護士・渋村晴子は、世にもおぞましい「加害行為」「人権侵害」を和知孝紘に対して行った醜悪な怪物にいかにして原告を仕立て上げるか、悪意で充満した非難・罵倒・存在否定を執拗に繰り返して原告の精神をいかにして破壊するか、耐えられる閾値をいかにして超えさせて自殺へと誘導するか、この恐ろしい目的だけに集中して毎回の準備書面を書いてきました。裁判官たちは弁論準備手続を一度も行わず(原告の代理人弁護士だけを個室に呼び出して訴訟の取り下げを強要しました)、原告自身と直接対面・対話する機会を一度も作らず、証人尋問・本人尋問も却下し、偽造録音媒体の鑑定申請も却下しました(第2回口頭弁論の前に、私とM氏は17時間余りを費やして偽造録音媒体を偽造反訳書と突き合わせながら徹底的に反復聴取しました。2012年4月11日の退職強要の記憶と異なる箇所を全て偽造反訳書に赤字で書き込み、それを「精査された反訳書」と名付けて証拠として提出しましたが、これも完全に無視黙殺されました。その一部が私のツイッターアカウントの「固定されたツイート」に掲げられております)。原告の世にも恐ろしい「加害行為」の「被害者」とされている和知孝紘の存在は裁判の全文脈から排除され続け、何をどう主張してみても原告は最初から最後まで和知孝紘に対する「加害者」としてのみ扱われ続けました。実は中央大学と両親・親族の加害行為、人権侵害の被害者である(中央大学にとって最も危険な存在である)和知孝紘を、いかなる形であれ裁判の文脈に関わらせることなどできるはずがなく、私を和知孝紘に対する「加害者」に仕立て上げ、和知孝紘を私の「加害行為」の「被害者」に仕立て上げて中央大学の犯罪を完全隠蔽すること、犯罪の生き証人である私を自殺へと誘導する「あらかじめの殺害」としての組織的殺人行為を実行すること、それがこの前代未聞の犯罪裁判の唯一の目的であったからです。

 2014年2月26日、第5回口頭弁論から裁判長裁判官を交代した太田武聖による「殺人判決書」がとどめの一撃のように私に突き付けられました。渋村晴子の準備書面が殆どそのまま使用され、私に対する悪意と憎悪と殺意で全編が貫かれ、人格と存在の全否定がこれでもかと反復され、法律への参照も判例の引用も全くない「判決書」の名を借りた「殺人文書」からは、「死ね」という沈黙の恫喝だけが延々と聞こえてきました。(昨年2020年12月22日に初めて判明したのですが、太田武聖は中央大学法学部出身の裁判官でした。裁判官の人事を決定する権限は最高裁事務総局に帰属しております。対中央大学訴訟が係属中に最高裁の事務総長であったのは最高裁の現長官である大谷直人氏です。従いまして、当時の最高裁長官あるいは大谷直人氏、もしくは両名に中央大学からの働きかけがあり、対中央大学訴訟の裁判長裁判官を太田武聖に交代させるよう圧力をかけた可能性は極めて濃厚です。この件につきまして直接問い合わせる請願書を大谷直人最高裁長官にも既に送付しております)。

 審理不尽で直ちに控訴し、第二審の第1回口頭弁論が2014年6月5日に東京高裁で開かれました。裁判長裁判官の田村幸一は証人尋問の必要はないと考えるとだけ言い、偽造録音媒体については鑑定に出すとも出さないとも言わず、一切言及しませんでした。すると奇妙なことが起こりました。第一審では閉廷後、例外なく速やかに立ち去った中央大学の二人の代理人弁護士が法廷に隣接する待合室の椅子に座り、いかにも不安そうな表情を浮かべて岩見という名の私がその顔をよく知る中央大学の事務職員と三人で、何やらひそひそと話し合いをしておりました。偽造録音媒体の鑑定についての言及が一切なかったことを中央大学の逆転敗訴の暗示として受け取ったからだと思いました。私の代理人弁護士も逆転勝訴の可能性は3割か4割はあると言っておりましたし、実際に田村幸一は控訴人を逆転勝訴させるつもりでいたと私は確信しております。ところがひと月半余りが経過した2014年7月22日、判決言い渡しのために法壇に登場した裁判長裁判官をひと目見るなり、控訴人側の誰もが激しい衝撃を受け、裁判長は交代したのかと思いました。たったひと月半余りの間に田村幸一の姿は別人のように変わり果てておりました。毛髪の半分が顔に影を作って長く垂れ下がり、目は虚ろで面立ちには生気が全くなく、まるで直前にひどい物理的暴力を受けたとしか思えませんでした。現在では確信しておりますが、第1回口頭弁論からひと月半余りの間に、中央大学関係者から判決を捻じ曲げるように田村幸一はおそらく数回に亘り脅しや圧力を受け、時には物理的暴力さえ受けることもあったのだと思います。控訴は棄却されましたが、脅しや圧力、物理的暴力を受けて判決を捻じ曲げるよう強要されたことの「証拠」として、田村幸一は極端に変貌を遂げた自身の姿を法壇に曝したのだと思っております。事実、第二審判決は第一審の「殺人判決」とは好対照を成してひどく弱々しく、極めて申し訳なさそうな文体で書かれておりました。

(6)

 太田武聖が書いた「殺人判決書」には、断定することは絶対に不可能であることが不可能を無視して断定され、有無を言わさぬ剣幕で書きつけられてありました。それは、「2012年4月11日には中西教授の恫喝などなかったし、脅迫も強要もなかった」という断定です。なぜ不可能であるかと申しますと、第一審の裁判官たちは偽造録音媒体の鑑定申請を却下しているので、その真正性を証明する根拠がないからです(「殺人判決書」の中では、偽造録音媒体を根拠なく「真正」なものとして扱っております)。それだけではなく、2013年11月27日の第6回口頭弁論に私は既に受理されていた強要罪の告訴状を証拠として提出していたからです。従いまして、判決期日である2014年2月26日の時点では、橋本基弘・中西又三を始めとした被疑者6人の起訴/不起訴の処分は未定であり、「脅迫も強要もなかった」と民事訴訟の判決書の中で断定することは絶対に不可能であるからです。しかも、強要罪の告訴をするに当たり、私はまだ鑑定に出される前の偽造録音媒体、中央大学が民事訴訟に提出してきた偽造CD-Rを証拠として提出していたからです。

 断定することは絶対に不可能であることを、不可能を猛然と無視して太田武聖がなぜ断定的に書きつけることができたかと申しますと、既述の通り、強要罪の捜査担当検事(あるいは、この者に命令を出した当時の最高幹部検事たち)に強要罪の被疑者たちは捜査されずに「不起訴となること」、「偽造録音媒体は鑑定には出さないこと」をあらかじめ確約乃至保証されていたからです。言い換えれば、第一審の裁判官たちも強要罪の捜査担当検事たち(あるいは、この者たちに命令を出した当時の最高幹部検事たち)も、中央大学が民事訴訟に提出した録音媒体は偽造物であること、即ち中西又三たちが強要罪を実行したことは真実であること、中央大学が幾つもの犯罪を実行したことを早い段階から知っていたということです。そして民事と刑事は密かに連動し、相互に協力し合って中央大学の全犯罪の完全隠滅を謀ろうとしていました。中央大学の全犯罪の痕跡を歴史と社会から抹消削除するために、全犯罪の生き証人である被害者を消そうと謀り、巧妙に自殺へと誘導する「あらかじめの殺害」としての組織的殺人行為を反復的に実行しました。最高裁のみならず、当時の最高検にも中央大学が不正な働きかけをし、全犯罪の完全隠滅と被害者の抹殺を依頼したことはもはやあまりにも明らかです。

 強要罪の刑事告訴は2013年6月24日に東京地検立川支部に受理されましたが、森川久範という最初の捜査担当検事は偽造録音媒体を「これから鑑定に出す」と被害者を欺罔し続けました。「もう見積もりも済んで決済も下りている」とまで言いながら、その後の経緯を曖昧にしたまま東京地検本庁に異動してしまいました。「これから鑑定に出す」と被害者を延々と欺罔し続けたのは、係属中の民事訴訟において被害者が自費で鑑定に出す可能性を完全に潰しておくためでした。2014年8月に着任した後任の捜査担当検事である二瓶祐司も、もう第二審も終わっていたにも拘らず、偽造録音媒体を「これから鑑定に出す」と森川久範同様に被害者を延々と欺罔し続けました。二瓶祐司が被害者を延々と欺罔し続けたのは、強要罪の時効(2015年4月11日)を無事に迎えられるまで、被害者に自費で鑑定に出されないようにするためでした。鑑定には3ヶ月半ほどの時間を要するので、今から鑑定に出しても時効までには絶対に間に合わないという時期になるまで、二瓶祐司は被害者を延々と欺罔し続けました。2014年12月中旬になっても、私の代理人弁護士を通じて「これから鑑定に出す」と伝えてきました。そして2015年1月中旬過ぎに「処分が決定した」と代理人弁護士を通じて伝えてきて、1月27日に私と代理人弁護士を東京地検立川支部に呼び出すと、「不起訴処分に決定した理由説明」なるものを行いました。中身など何もないおよそ空疎な「理由説明」でしたが、ここで初めて「鑑定には出しませんでした」と白状し、その理由は「自分の耳で聴いたけれど、おかしなところはなかったからです」という子供でも騙せないようなお粗末なものでした。2015年1月30日付で強要罪の被害者全員が不正に不起訴処分とされ、二瓶祐司から処分通知書が送付されてきましたが、処分理由は「嫌疑不十分」即ち「証拠不十分」でした。「証拠不十分」は森川久範と二瓶祐司が不真正不作により自分たちで作り出した結果であり、従いまして彼らは犯人隠避罪・証拠隠滅罪を明白に実行したことになります。

 森川久範は、不正に不起訴処分が決定された日から3ヶ月後の2015年3月31日付で検察官検事を辞職し、(中央大学法学部の出身者が代表弁護士を務める)TMI総合法律事務所に弁護士として入所しました。二瓶祐司は、まもなく福岡地検飯塚支部に支部長として異動になりましたが、2017年4月1日付で東京地検本庁に戻ってきていることが確認されました。そして本年2021年3月31日付で検察庁を離職し、福岡市の法律事務所に弁護士として入所したことが判明しました。しかし、法務省人事には二瓶祐司の離職理由の記載はなく、刑事手続の途中で懲戒解雇された可能性が極めて高いと私たちは考えております。更に、法律事務所のホームページには二瓶祐司の出身大学の記載がなかったことから、二瓶祐司は中央大学法学部出身ではないかと私たちは推察しております(民事も刑事も、最後の大悪事を決行する役割を担うのは、中央大学法学部出身の者であるという多少の規則性があるように思われるからです)。

(7)

 鑑定には莫大な費用がかかるのですが、自費で鑑定に出す以外に生き延びられる可能性を中央大学と法律家の共犯者たちによって完全に潰されましたので、2015年4月9日、西新宿の法科学鑑定研究所に赴いて鑑定を依頼しました。同年7月23日に鑑定結果が出て、中央大学が民事訴訟に提出した録音媒体は完全なる偽造物であることが科学的に証明されました。最終録音日は2012年10月17日、オリジナル音源はICレコーダーではなくパソコンであることが分かりました。民事訴訟第一審に提出された証拠説明書(1)には、「録音日:2012年4月11日」「現」(写しではなく現物)と記載されていたのですが、渋村晴子が露骨な虚偽を記載したことが分かりました。更に証拠説明書(1)には、反訳書の作成日は2012年5月15日、作成者は「山田速記事務所」と記載されていたのですが、最終録音日が同年10月17日である音声記録の反訳書が5ヶ月も早く作成されているなどということは全くの不可能事であり、これも虚偽であることが判明しました。同時に「山田速記事務所」が実在していようと非実在であろうと、偽造録音媒体の録音内容を反訳した反訳書も、「山田速記事務所」の名義を冒用した有形偽造の私文書であることが判明しました(架空名義であっても有形偽造は成立します)。労働審判に申立てられた直後、中西又三は2012年4月11日にICレコーダーに録音した壮絶な退職強要の一部始終を「山田速記事務所」(を装ったおそらくハラスメント防止啓発支援室の誰か)に反訳させ、全編に改ざんと編集を加えて新たな「台本」を作成しました。そしてその「台本」に基づいて、4月11日の「事実聴取」の「再上演」を何度かに分けて、私の役を演じる人物も入れて行いました(鑑定結果によれば、2012年10月17日にはもう中央大学には存在していない私の音声もところどころ含まれていたので、4月11日に録音しておいた私自身の音声も使用しました)。数回に分けて行った「再上演」の音声をパソコンに録音し、それをCD-Rにコピーしたものを4月11日に録音したものと偽って民事訴訟に提出しました。これで中央大学が強要罪に加えて私電磁的記録不正作出・供用罪、無印私文書偽造・同行使罪を実行したこと、裁判官たちと検察官検事たちが中央大学の複数の犯罪を完全隠滅するために犯人隠避罪と証拠隠滅罪を実行したこと、更に裁判官たちが中央大学の犯罪の幇助を実行したことも証明されました。

 しかし既述の通り、強要罪実行の背後には中央大学が秘匿しておかなければならない大悪事が存在しているため、その大悪事を露見させかねない偽造録音媒体の鑑定結果が出てからというもの、鑑定書という直接証拠を携えて中央大学の犯罪の実在をどんなに訴えてみても、どこに行っても撃退され迫害されるというさらなる受難が私たちを待ち受けておりました。裁判官たちを告訴する告訴状、検察官検事たちを告訴する告訴状、無印私文書偽造・同行使罪を告発する告発状などを東京地検特捜部に提出しましたが、悉く返戻されてきました。大野恒太郎元検事総長に宛てて、鑑定書と告訴状・告発状を同封した請願書も提出しましたが、完全に無視黙殺されました。中央大学の当時の酒井正三郎学長に二人の元教え子が私の請願書を渡そうとしてくれましたが、頑迷に拒絶され、恐怖を露わにしながら学長は二人の前から逃げていったそうです。中央大学の犯罪を詳細に知らせる当時の深澤武久理事長に宛てた書簡と証拠資料を、理事長に渡して欲しいとM氏は二度に亘り総務部に依頼しましたが、二度とも中央大学からM氏の自宅に返送されてきました(同封されていた書面には「録音媒体は2012年4月11日の事実聴取を録音したものです」などという信じ難い文言が見られたため、送り主は橋本基弘以外に考えられません)。内部監査室公益通報では、鑑定書のコピーをされるという窃盗の被害にあったばかりか、調査のためと称して中央大学が民事訴訟に提出した偽造CD-Rの現物を危うく奪い取られるところでした。

 大学を崩壊の危機に曝しかねない大悪事の発覚を恐怖する中央大学から散々迫害を受けた私たちは、2015年11月4日に再び文科省高等教育局私学部を訪問し、当時の参事官付の阿部田康弘氏と参事官の星晃治氏に中央大学が実行してきた数々の犯罪を告発しました。二人とも大変真剣に私たちの受難に耳を傾けてくださり、阿部田康弘氏が「自浄作用を促すように働きかけてみます」と約束してくださったので、膨大な証拠資料を二人に手渡して文科省を後にしました。ところがその後、阿部田康弘氏から電話を一度頂戴したきり、まるで突然忘れ去られたように何ヶ月待っても二度と連絡を頂けることはありませんでした。2017年6月4日、大村雅彦氏が理事長に就任した直後、私は文科省の二人に宛てて約束を反故にされたことに対する抗議の書簡を送付しました。しかし、だいぶ後になってから判明したことですが、阿部田康弘氏は2016年4月1日付で小樽商科大学に異動になり、星晃治氏は2016年3月31日付で文科省を辞職して弘前大学に勤務先を移しておりました。膨大な証拠資料と共に中央大学の数々の犯罪を知ってしまったことが、私たちに唯一救済の手を差し伸べてくれた二人の運命を大きく変えてしまったのだと確信せざるを得ませんでした。この頃、国家公務員の人事に関する決定権を掌握している内閣人事局の局長であったのが萩生田光一前文科相でしたので、萩生田光一前文科相に宛てた請願書のなかでは、そのことを直接問い合わせました。

 末松信介文科相には、私たちが阿部田康弘氏と星晃治氏にどれほど感謝しているかを知っておいて頂きたいと願っております。そして、本件大組織犯罪が全面解決へともたらされた暁には、大変優秀で誠実なお二人を文科省に是非復帰させて頂きたいと心より願っております。

(8)

 このとき、私たちは既に法的保護の外に、無法治状態に「あらかじめの死体」(=いずれ自殺以外の選択肢はなくなる)として事実上「遺棄」されているも同然でした。それが、中央大学と共謀した当時の最高幹部検事たちにより超法規的暴力として現実的に行使される運命の日が、即ち2016年4月1日と4月14日がおよそ4ヶ月後に迫っておりました。

 その序曲とも言うべき加害行為を2015年12月9日から約半月に亘り、私たちは当時東京地検立川支部の受理担当検事、鈴木久美子から執拗に行使されることになりました。同年11月18日に東京地検立川支部に再び赴いて、裁判官たちを告訴する告訴状、検察官検事たちを告訴する告訴状、無印私文書偽造・同行使罪を告発する告発状などを提出したところ、鈴木久美子から呼び出しがあったので、同年12月9日に東京地検立川支部に私たちは足を運びました。ここでおよそ50分に亘り鈴木久美子によって行われたことは、私たちに自分たちの意志で告訴と告発を取り下げるように強要する、実質的な告訴・告発妨害でした。検察官検事たちを告訴する告訴状を除く全ての告訴状と告発状に、とりわけM氏が作成した無印私文書偽造・同行使罪の告発状に、犯罪の構成要件を満たしていないと言って論理的にとても明晰とは言い難い難癖を、威圧的な口調で次から次へとつけていきました。「よく考えてみます」と言って私たちはいったん東京地検立川支部を後にしました。しかしその後も、鈴木久美子はM氏の自宅に何度も電話をかけてきて告発状を取り下げるように強要し、とりわけ同年12月22日には「鑑定結果は忘れてください!」という暴言を、証拠を最重要視する検察官検事の発言とは到底思えない暴言を口にして、M氏を「もう、自殺するしかありません」と言わせるまで追い詰めました。しかし鈴木久美子の告訴・告発妨害に屈してしまったら、もう本当に自殺するしかなくなるので、徹底的に考え抜いて全告訴状・告発状を彫琢した上で同年12月25日に再度提出したところ、鈴木久美子にはもはや受理する以外に為す術がありませんでした。(同年12月21日、中央大学の当時理事長・深澤武久氏の印鑑が封筒に押された脅迫状が内容証明郵便で私の自宅に送り付けられてきたので、12月24日にも東京地検立川支部に赴いてその脅迫状を検察事務官の野村に見せたところ、一読した野村は「企業でもこんな悪質なことはやらない」と言って正直に驚愕し、深い溜息をつきました。深澤武久前理事長の名義を冒用し、作成・送付してきたのは橋本基弘以外にはあり得ないと私たちは確信しております)。

 2016年3月6日に、私たちの自宅に鈴木久美子の名義で被疑者全員の不起訴処分を知らせる処分通知書が送付されてきました。自分は受理担当検事なので捜査は行わないと何度も明言していたので、2ヶ月余りどんな捜査もせず放置しておいて、自分の名前で不起訴処分を出す以外にはなくなったのです。森川久範、二瓶祐司と同様に、鈴木久美子も不真正不作為による犯人隠避罪・証拠隠滅罪を実行したことは明らかでした。更に、森川久範、二瓶祐司と同様に鈴木久美子もまた、中央大学と共謀した当時の最高幹部検事たちから絶対に逆らえない不正な任務遂行を命令されていたことも明らかでした。一度横浜地検に異動になった鈴木久美子は現在東京地検本庁におり、長期に亘り刑事手続を受けているものと推察されます。

 そして運命の日が近づいてまいります。2016年3月18日、私たちは霞が関の検察庁に赴き、限界まで彫琢を重ねた全告訴状・告発状を最高検に提出しました。また、鈴木久美子の出した不起訴処分に対する不服申立書を東京高検に宛てて提出しました。10日ほどして最高検から通知があり、全提出資料は特捜部に回送したとだけありました。そして同年3月31日、「有斐閣 六法全書」と書かれた段ボール箱に詰め込まれて、提出した全証拠資料が特捜部名義で暴力的に送り返されてきました。最高検から回送されてたった一日で受理/不受理が決定できるわけがなく、特捜部が一切目を通さずに送り返してきたことは明らかでした。実は、当時の最高幹部検事たち(大野恒太郎検事総長と中央大学法学部出身の青沼隆之次長検事)は特捜部になど回送せず、中央大学の全犯罪の揉み消しを最終的に完結させるため、「死ね」と言わんばかりに暴力的に送り返してきたのであると私たちは確信しております。そして翌日の4月1日が運命の日となります。証拠資料の返送よりわざわざ一日遅らせて、当時の最高幹部検事たちは裁判官たちを告訴する告訴状、検察官検事たちを告訴する告訴状を私の自宅に返戻してきました。同封されていた書面には「本件告訴には刑事訴訟法に規定された扱いをせず、何度告訴状を送付してきても無駄である」と要約できる文言が記載されていました。即ち、当時の最高幹部検事たちは「中央大学の全犯罪、共犯者たちの全犯罪に限っては法律の適用から外す。従って、彼らのいかなる犯罪も犯罪にはならず、彼らの犯罪を申告する一切の行為は初めから中身を抜き取られており、完全に無益かつ無意味である」と宣言してきました。いわば局所的例外状態(法が宙吊りにされ、法律は適用されない)を宣言してきました。自分たちも局所的例外状態、無法治状態に身を置く当時の最高幹部検事たちから、犯罪を申告する国民の当然の権利である告訴権・告発権を私は反永久的に剥奪され、「あらかじめの死体」として法的救済が絶対に訪れない法的保護の外に、無法治状態に遂に現実的に「遺棄」されました。同年3月31日付で偽造録音媒体の作成・提出を直接告発する私電磁的記録不正作出・供用罪の告発状を最高検に郵送したM氏も、同年4月14日に同じく特捜部名義で返戻され、告訴権・告発権を半永久的に剥奪するという超法規的暴力を私に続いて受けることになりました。更に自殺に向けて追い打ちをかけるように、2016年7月上旬に、東京高検の瓜生めぐみという検察官検事から、「鈴木久美子が出した不起訴処分に対する不服申立ては認められない」という処理結果通知書が送付されてきました。

(9)

 末松信介文科相に明確にお伝えさせて頂きたいと存じます。

 学校法人中央大学の犯罪首謀者たちは、私に「殺人判決書」を突きつけさせる(=自殺に追い遣る)目的で最高裁に働きかけ、中央大学法学部出身の裁判官・太田武聖を文字通りの犯罪裁判に途中から送り込ませました。更に学校法人中央大学の犯罪首謀者たちは、自分たちと法律家を含む全共犯者たちの全犯罪を歴史と社会から完全隠滅する目的で当時の最高検に働きかけ、大野恒太郎元検事総長と中央大学出身の青沼隆之次長検事に私とM氏から告訴権・告発権を半永久的に剥奪させ、自分たちの全犯罪が決して露見することがないように私たちを法的保護の外に「あらかじめの死体」(=いずれ自殺以外の選択肢はなくなる)として「遺棄」させました。従いまして、学校法人中央大学が弁護士たち・裁判官たち・検察官検事たちと共謀し、私とM氏を間接的に殺害するための組織的殺人行為を長期に亘り実行してきたことは明白な事実です。

 精神的・身体的・経済的にもはや延命を引き延ばすことができなくなり、自殺以外の選択肢が遂になくなる最後の時が訪れる前に、2016年8月10日付で私は最後の力を振り絞り、同年9月10日に就任される直前の西川克行元検事総長に宛てて「意見書・抗議文・要望書」と題した大長文の抗議文を内容証明郵便でお送りしました。同年12月6日を始めとして中央大学に数回家宅捜索が入ったことにより、西川克行元検事総長が私たちの絶体絶命の救済要求に応えてくださったことが明らかになりました。しかし、西川克行元検事総長の在任中にも、次の稲田伸夫前検事総長の在任中にも、残念ながら本件大組織犯罪が全面解決にもたらされることはありませんした。中央大学の犯罪が司法・刑事司法の存在理由を根本から失わせ、法的秩序を壊乱し、法律そのものを破滅に導きかねない法治国家に対する「沈黙のテロリズム」であるからであり、中央大学の犯罪首謀者たちが犯罪隠蔽の規模を手の施しようがないほど拡大し過ぎたからであり、公的機関にも私的組織にも膨大な数の共犯者たち・犯罪関与者たちが存在しているからにほかなりません。けれども、誰の想像も超えた前代未聞・空前絶後の本件大組織犯罪の刑事手続はいかに長期化しようと着実に進んでおり、現在の林真琴検事総長の在任中には必ず全面解決・公式発表の時が到来すると私たちは確信しております。

 中央大学で忌まわしい強要罪が実行されてから10年が経過し、西川克行元検事総長が刑事手続を開始してくださってからも既に5年の歳月が経過しております。私たちは、外形的には依然として法的保護の外に「あらかじめの死体」として「遺棄」されたままですが、本件大組織犯罪をよく理解してくれている友人の支援者による真に倫理的な実践のおかげで、辛うじて延命を引き延ばすことができております。そして3年前から開始した「証言」は、ある時期から生命を守るために実名表記に踏み切りましたが、外部からの攻撃を受けることなく「証言」の空間が維持されているのは、明示的にではなくても法的保護が復活している証左であると思っております。ブログ『現代思想と証言』を訪問してくだされば直ちにお分かり頂けると存じますが、被害者の3年に亘る「証言」活動により、誰の想像も超える中央大学の未曾有の大組織犯罪はいかなる隠蔽工作の砦も突き抜けて、丁寧に読んでくださった読者の皆様方全員に既に露見しております。読者の数は既に膨大であり、増え続ける一方ですので、中央大学が実行した大組織犯罪は今後ますます拡散され、伝承も手伝ってますます大規模に露見していくことは間違いありません。

 それにも拘らず、法律の破壊者である中央大学は法学部の都心移転をしきりに喧伝し、法律を教える資格を自分たち自身で抉り取ったというのに、「法律の破壊者として法律を教える」という狂気に等しい行為を現在に至るまで実行し、2023年4月開設予定の茗荷谷キャンパスでも実行し続けると、死に物狂いで社会全体に向けて発信し続けております。社会的信頼を根本的に喪失するような狂気の大犯罪を実行してきたのは自分たち自身であるというのに、社会的信頼を確実に喪失しつつあるという現実、次第に相手にされなくなりつつあるという現実に、頑なに目を閉じて中央大学は決して覚醒しようとはしません。私には一切認めなかった「推定無罪の原則」の呪文をひたすら唱えながら頑なに目を閉じて、存在しないことが本当はわかっている中央大学の「未来」の存在を全力で信じ、自分自身を騙すまでに信じ切るふりをしないと、真の現実に一瞬でも覚醒したら中央大学はたちどころに崩壊してしまうのだと思います。

 中央大学は、実は現在に至るまで無法治状態のなかに存在し続けております。中央大学が元凶となって引き起こされた反国家的大組織犯罪の被害者には、無理に無理を重ねて通常状態を装い、「未来」を全力で宣伝する中央大学のあらゆる所業が、もはや限界的な苦行にしか見えません。中央大学は、想像を絶する大組織犯罪を実行することで社会的秩序の外、象徴的秩序の外に絶望的かつ不可逆的に逸脱してしまいました。

 末松信介法相にお願い申し上げます。中央大学を社会的秩序の内部に、象徴的秩序の内部に引き戻してください。大犯罪を実行していながら、しかもそのことを膨大な数の人々に知られていながら、犯罪とは無縁であるかのように演じ続けなくてはならない狂気の苦行から、中央大学を解放してください。その方法は、中央大学に社会に向けて、卒業生に向けて、在学生と父母に向けて、本件大組織犯罪の説明責任を果たさせることしかありません。たとえ中央大学が崩壊することになったとしても、中央大学が狂気の苦行から解放される道はそれしかありません。不可能を不可能と知りつつ、それでも不可能を幻想的に乗り越えたつもりになり、忌まわしい過去の大悪事が一瞬で消え去る奇跡を信じて存在しない「未来」に突進していくならば、中央大学はさらなる巨大な狂気に飲み込まれていくだけです。

【おわりに】

 あまりにも長い請願書となり、ご多忙を極める末松文科相に大変なご負担をおかけしましたことを心からお詫び申し上げます。

 

 私とM氏は、中央大学と全共犯者たちによって人生の10年間を奪われ尽くしました。10年の間にできたであろうあらゆる可能性――読書、思想的探究、言語的創作活動、評論活動、研究会、映画鑑賞、音楽鑑賞、友人たちとの交流、より良き生の追求となる一切の行為――を悉く消滅させられました。それどころか、生活空間を再建不可能なほど破壊され尽くし、財産も涸渇させられ、自宅マンションの共同責任を果たすことも不可能にさせられました。何度も脅迫状を送り付けられ、中央大学と共謀した捜査機関から提出した書類を複数回に亘り暴力的に返送・返戻され続けたため、現在に至るまで度々フラッシュバックに襲われ、PTSDの苦痛から一向に脱け出すことができずにおります。私たちが10年間を通じて、中央大学の偽りの生の存続のために犠牲になることを強制され続けた限界的な苦痛に免じて、どうかお許しください。

 また、私たちの「証言」を読んでいる在学生たちは言うに及ばず、読んでいないゆえに中央大学を信じている在学生たちも、中央大学の犯罪隠蔽のために存在しているのではありません。私たちは、中央大学が在学生たちを通常状態を偽装するために、また犯罪とは無縁であるという外観演出のために「利用」しているように思われてなりません。

 2022年度の入試が行われてしまう前に全面解決・公式発表の日が到来することをひたすら願っております。どうか、もうこれ以上、そう遠くない未来に必ず訪れる中央大学の幻想崩壊に伴う大混乱、精神的衝撃の深甚なる影響を受ける在学生を増やさないよう、中央大学に対し一日も早く厳正なる処分を行われますことを最後に重ねて請願し、末松信介文科相に宛てた請願書の結びとさせて頂きます。

以上

(【請願趣旨】の二段落目の最後の一文にある「2015年3月30日付で」は「2015年1月30日付で」の誤りです。本件大組織犯罪があまりも長期に亘るため、生じてしまった誤りです。末松文科相にはこの場を借りて深く謝罪いたします)