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(証拠資料)M作成による「和知孝紘という固有名を用いた、組織的殺人行為としての本件大組織犯罪」全文

和知孝紘という固有名を用いた、組織的殺人行為としての本件大組織犯罪

                  2022年1月3日

告訴権・告発権被剥奪者

                  M    

 絶対的禁忌が可能ならしめる、和知孝紘という固有名を用いた組織的殺人行為。その中に具体的な精神と身体を有する生命体としての和知孝紘という主体は存在しなかった。和知孝紘という固有名だけが、和知一族と中央大学、及び法律家の全共犯者たち・全協力者たちに殺人行為を許容させる全能の神として、先生と私にとっては最も忌まわしい悪霊として、本件大組織犯罪の実行領域となる不分明地点を幽霊のように徘徊し続けている。先生と私の全生活に憑依し、私たちの生存可能性の全てが完全に死と一致する限界領域へと追い立て続けている。2012年4月11日に実行された強要罪として現実化する本件大組織犯罪に先立つ2012年1月18日に、突然和知孝紘は狂言失踪を遂げた。本件大組織犯罪を確実に開始するための条件を整えるために、和知一族と中央大学の犯罪実行者たちによって、和知孝紘を不在の存在にすることを通して、先生と私が和知孝紘への関心を集中させ続けなくてはならない緊急事態が、意図的に作出された。2011年度の最後のゼミを欠席した翌日、和知が狂言失踪を遂げた2012年1月18日を起点として、先生と私の生存可能性を確実に抉り取り生存可能性のゼロ地点、即ち自殺へと暴力的に誘導する本件大組織犯罪が始まる。2012年1月11日が、極めて錯乱した精神状況に置かれていたといえども、一個の人格を備えた和知孝紘を、先生と私が目撃した最後の日となった。

 2012年1月18日以降、中央大学法学部事務室は執拗に先生を唆し、私たちを和知孝紘の自宅に行くよう唆した。状況を一切把握できない私たちは、何度も話し合いを重ね、和知孝紘という固有名を幾度となく再来させることを余儀なくされた。私たちは、和知孝紘の状況を推測する手がかりを、和知孝紘が抱えていた強烈な相克に求めるしかなかった。法律家になることを強要する和知一族の欲望の分身である和知孝紘と、親族の欲望に一致しきれず自身の逃走不可能な運命からの解放を予感させてくれる先生を強烈な恋愛性転移の対象とする和知孝紘自身との間に開いた深刻な相克の中で、現代思想入門ゼミを受講する和知孝紘は、焦点が定まらない不安定な言動を、常に示し続けていた。その記憶を唯一の手がかりとして私たちは、消息を絶った和知の状況を解釈するという(決して答えが出せない)問いの中に、身を置くことを余儀なくされた。無限に私たちに解釈を誘発するが、決して答えに辿り着くことができない不在の存在として、和知孝紘という固有名は私たちの全生活を侵蝕し始めていた。和知一族と中央大学の犯罪実行者たちの連携の下で、不在の存在と化した和知孝紘は、和知孝紘という固有名としてのみ私たちの記憶の内部に残存し、先生の自殺を終着地点とする一方通行路の上に、私たちを誘導する呪詛としての効力を発動させ始めていた。

 2012年2月22日、先生と共に初めて和知孝紘が住む地域を訪れた私は、全てが灰色にくすんでいて、小さな家々の間には傾いた狭い車道が入り混じった、生気のない薄暗い町並みの中にいた。その場所は、その先に足を踏み入れたら二度と引き返すことができない境界線の向こう側を、私に強く想起させた。和知孝紘の叔父の自宅を訪ねるまでに、地域の人間たちが示した和知一族への怯えと、私たちへの悪意は常軌を逸していた。迷いに迷った挙げ句、私たちは和知孝紘の叔父が経営する事務所に、漸く辿り着いた。しかし私たちに応対した女性事務員は、猜疑心に満ちた視線を私たちに向け、和知孝紘及びその家族に激しい怯えを示しながら、「知りません」という一言だけを繰り返し続けた。女性事務員の否定的身振りは、消息を絶った和知孝紘の安否確認を行う私たちが和知一族に激しく憎悪されていると、私が半ば確信していた不吉な予感を、最悪な形で確認させるに十分であった。

 和知孝紘の自宅に夜一人で先生を行かせることで、ハラスメント委員会に先生を呼び出す口実を作出しようとする和知一族と中央大学の策謀は、着々と進行していた。予め捏造された「和知孝紘に途轍もない人権侵害を行った怪物」という虚像を、実在する先生とは一切関係のない先生の固有名と不可分に連結させることこそが、犯罪実行者たちの狙いだった。私たちに「ストーカー」の冤罪を被せ、その全責任を実在する先生に転嫁し、先生を私もろとも中央大学から追放し、抹殺するという策謀である。2012年4月11日の強要罪に向かって私たちを誘導していく、犯罪首謀者たちの策謀の中に、私たちは配置されてしまっていた。和知孝紘の捜索活動に、身体と精神を限界まで消耗させられながら、私たちは犯罪首謀者たちの殺意が取り憑いた私たちの足に運ばれ、破滅の罠へと続く一方通行路を前へ前へと進んでいたのだった。

 現在に至っては、和知一族と中央大学の犯罪実行者たちの犯罪行為の動機は明白である。一人息子である和知孝紘を、不正な業務に従事する弁護士にしようと欲望する和知一族と、和知孝紘を弁護士にすることで、不正な利権獲得を目論む中央大学は、和知孝紘が法律家になるための危険な障害物と看做した先生を私もろとも、永遠に和知孝紘の世界から排除しなければならないという動機を共有していた。

 2012年3月28日の深夜、和知孝紘のメールアドレスから先生の元に、「先生に男娼扱いされた。ゼミの関係者とは今後一切直接的にも間接的にも関わりを持ちたくない」と断罪するメールが送信されてきた。安否確認だけを願う私たちのどのような連絡にも和知一族、及び和知孝紘は全く応答しなかった。そのため躊躇に躊躇を重ねた私たちは、2012年3月25日に、(中央大学法学部事務室副課長帯部幸子から伝えられていた)和知孝紘の住居を、訪問せざるを得なかった。それこそが和知一族の狙いであり、送り付けられたメールの文言は、後に対中央大学訴訟で私たちが初めて読むことになる、ハラスメント委員会に出されたという和知孝紘名義の「陳述書」の末尾と全く同じであった。則ち、和知孝紘のメールアドレスから、先生のメールアドレスへの送信が行われたときには、すでにハラスメント委員会に提出した「陳述書」が作成されていたことになる。和知一族と中央大学は共謀して和知孝紘を狂言失踪させ、不在の存在にすることで、私たちに和知孝紘への関心を引きつけるよう誘導し、先生をハラスメント委員会に呼び出すための「条件」を、私たち自身の足で整えさせるという凶行に及んだのである。しかしながら、犯罪首謀者たちが「自作自演」の犯罪行為を実行する前提条件を完成させるために、名義としての和知孝紘を「利用」したことは、その意図を完全に裏切る結果となって、彼ら全員の元に回帰していくことになる。

 和知孝紘名義の「陳述書」には、先生と私を「卑劣で野蛮な加害者」に仕立て上げるために捏造された虚偽が、延々と書き連ねられていた。実在する先生とは無関係の先生の固有名には、「和知孝紘に異常な性的欲望を抱く、汚辱に塗れた怪物的加害者」という「捏造された虚偽」が強力に接着されていた。また、実在する私とは無関係の私の固有名にも、「和知孝紘に異常な敵意を持ち、執着する偏執狂」という「捏造された虚偽」が強力に接着されていた。「陳述書」の全編から滲み出しているものは、私たちへの獰猛な怒りと、冷酷な悪意、そして徹底的な侮蔑感情であった。確かにこの「陳述書」には、直筆で実名が記入され、実印が押されてはいた。しかしながら、この「陳述書」を書いた人物像と、1月11日まで見ていた、個人としての和知孝紘の人物像には、全くと言っていいほど連続性がなかった。その断絶に私たちは大いに戸惑い、大きな違和感を呼び起こされざるを得なかった。

 2011年12月24日に和知孝紘は先生に「処女作」という件名のメールを送信し詩的断章を添付している。

  止まらない、機械仕掛けの猿のおもちゃ、止められない、電池キレルまで。・・・止まらない、機械仕掛けの豚のおもちゃ、止められない、頭サケルまで。・・・緊縛されたkendiは動けない。・・・自家撞着、madness・・・機械仕掛けの辛辣な蛇のおもちゃ、止められない、命ツキルまで 感じなくても、相克。So, 哭す。・・・「だって、僕はおもちゃだから。」

 「磊塊の燻り」と題された詩的断章には多くの分裂表現が、黄色い花糸が突き出したピンク色の2本の巨大な花の画像の上に黒々と浮かび上がっていた。法律家になることを強要する父親たちと、恋愛性転移の対象である現代思想を教える先生との間で、和知孝紘が引き裂かれ、切迫した精神状況の最中にあることは容易に推察できた。2012年1月8日には、身体状況及び精神状況が悪化しゼミ論を作成できる状況になかった和知孝紘は、先生から指導を受けた後に、直筆の手紙を書いて残している。

  あなただけに 良く睡眠がとれ、晴れ晴れとした気分です。(昨日に比べると)不思議な事に、今は心が かき乱されない 前回とは全く違います こうやって「歓待」できるといいな。自分でも気づけなかった 悪霊を追い払ってくれて ありがとう いつ又、取り憑かれるか 分からないけど この「経験」大切にします 本当に嬉しかった。P.S. 色々 お世話になり ありがとう!

 純粋な感謝の意志が書かれている。人格を有した和知孝紘を目撃した最後の日になった2012年1月11日には、穏やかな笑みを浮かべてゼミに出席していた。現在に至っては文中にある「悪霊」とは、和知一族の地盤を引き継ぎ、不正な業務を行う法律家にすることを強要する和知一族の欲望であり、その欲望に同一化した和知一族の分身としての和知孝紘であったと言うしかない。和知一族の欲望の投影機械としての和知孝紘と、その欲望に同一化できず束縛からの解放を予感させる現代思想に惹かれる和知孝紘との間に、強烈な相克が存在したことは事実である。

 和知一族と共謀し、和知孝紘を法律家にすることで、不正な利権を獲得しようとした中央大学が作成した偽造録音媒体には、「現代思想と法律との間のダブルバインドの間で和知君が苦しんでいた」と述べる、先生の発言が残っている。ところが偽造反訳書には「聴取不能」と書かれ、反訳すらされていない。また先生が和知孝紘の直筆の手紙について話した箇所の音声は、決して聴取されないように捻り潰されている。「このテクストに、和知君の感謝の気持ちがすごく表れていると感じる」と先生は話した。ところが偽造反訳書では、テクストと、感謝の気持ちに対して、意味を成さない文字列が当てられている。「この、テプストンにX君のプリンシスシンがすごくあらわれていると感じる……。」和知孝紘が、先生に感謝の気持ちを抱いていた事実が漏洩することを、中央大学の犯罪実行者たちが、なり振り構わずに隠蔽している典型的な箇所である。

 自分たちの捏造した、虚偽の物語を不可能にする証拠の存在を恐れる中西又三は、4月11日の強要罪を実行する中で、詩的断章(写し)を、先生から暴力的に奪い取った。そればかりか、「これが、和知君が書いたという証拠がどこにある!」と怒鳴り声を上げ、その紙を先生に投げつけた上で回収するという蛮行に及んだ。さらに直筆の手紙(原本)を暴力的に奪い取った。

 私たちが見てきた和知孝紘の人物像と、3月28日に和知孝紘のメールアドレスから送り付けられたメールから浮かび上がる和知孝紘の人物像には、一個の固体に備わっているはずの連続性が全く感じられない。和知孝紘を構成する、分裂主体の一面である和知一族の欲望の投影機械である和知孝紘が、和知一族の強烈な欲望にねじ伏せられ、一致したと私は考える。直筆の手紙で本人が書いた「悪霊」に、分裂主体の一面である解放を求め、現代思想に惹かれる和知孝紘が文字通り「取り憑かれ」、二度と先生を「歓待」することができなくなったのである。先生と私に向けられた獰猛にして、冷酷な最大級の悪意を遡れば、自分たちの利権のために、和知を不正な業務を行うための弁護士にすることを欲望する和知一族に辿り着く。3月28日のメールも、後に対中央大学訴訟に提出される和知の名前と印鑑が押された「ハラスメント申立書」、「ハラスメント委員会提出用の陳述書」、(その内容の虚偽性をさらに拡大させた)「裁判所提出用の陳述書」の作成を主導したのは、(本件大組織犯罪の中で隠匿され、不在の存在であり続けた)和知孝紘ではなく、和知一族であると結論づけるしかない。勿論、和知孝紘が私たちに捏造された「冤罪」を被せ、和知孝紘の世界からの追放と抹殺を図る、和知一族の欲望に同意したという現実は変わらない。息子を不正な業務を行う弁護士にするという、和知一族の欲望に絶対に逆らえないのであれば、和知孝紘は、現代思想入門ゼミを受講してはならなかった。和知孝紘さえ来なければ、私たちが10年間の生を奪われることは絶対になかった。和知孝紘という固有名を、犯罪実行者たちに利用されるままに任せ、組織的殺人事件としての本件大組織犯罪を可能にする条件を、完成させることを許したという最も重い倫理的責任、及び法的責任がある。

 2012年2月22日に、和知孝紘の住む地域を訪れた時点で、私は和知一族の殺意に近い憎悪の渦の中に、私たちが飲み込まれているという確信を得るに至った。そのくすんだ町並みの光景は、広島で幼少期を過ごした私が、すでに見ていた光景であった。近隣住民が和知一族に抱く恐怖と、1か月余りを捜索活動に費やした私たちに感謝の意を示すどころか、事実上の門前払いを食らわせた和知の叔父が経営する事務所の対応が、その確信に裏付けを与えた。(2012年3月25日に私たちが和知孝紘の住居を訪れる前に、再度叔父の事務所を訪れインターフォンを押した際には、和知一族の一人であると思われる女性が応じたものの、私の声を聞くと疚しそうな小声をもらし、直後にインターフォンを切った)。2011年4月に正規受講生となったばかりの一見育ちの良さを窺わせる和知孝紘から微かに漏れ出す灰色の翳りに、私は(すでに克服したものと認識していた)過去に受けてきた「人権」勢力に属する者たちから行使され続けた数々の暴力の記憶を触発する「不気味なもの」を感じとっていた。

 私が幼少期を過ごした広島県東部地域は「人権」勢力と「平和」勢力が極めて強大な権力を握っており、学校教育にも公然と介入している。彼ら彼女らが主張する意味の外で「人権」と「平和」を語ることは許されず、私も学校教育の中で「人権」と「平和」が宿す排他性と暴力性を、身をもって経験させられてきた。「人権」勢力に属する者たちの子息らによって、殺害されかけたこともあるし、実際に子息の親族が私の自宅に「差別」を理由として怒鳴り込んできたこともある。私の親族が経営していた私塾で、父親が「少し理解が遅いようだね」と子息に投げかけた一言を「差別」と捉え、激情に駆られた父親が怒鳴り込んできたのである。私が住む自治体の二つ隣に位置する自治体では、「人権」勢力が君臨しており、数日前に自宅に確認を取ったところ、今でも金属製のバッジをつけて堂々と自治体内を練り歩いている。万一「なぜそのようなバッジをつけているのか」などと訪ねようものならば、「人権」勢力の構成員らが集団で家内に乗り込み尋問が開始されたり、時には家屋を破壊するなどの復讐行為に発展したり、集団的追及の中で自殺者が発生する事件も起こる。私が和知孝紘の住む地域を訪れた際に到来したのは、紛うことなきこの自治体の風景であった。「人権」は「差別」と一体化し、禁忌として流通しているため、誰も触れたがらないし直視しようともしない。そのため法律では明確に犯罪として認定される、威力業務妨害罪・強要罪・脅迫罪・建造物損壊罪・殺人罪等に、法律が適用されない事態が発生する。「差別」されたと主張し、その精神的苦痛に対して謝罪と補償を求める私的制裁が、「正当な権利」として文字通り法律の上位規範として固定化されてしまう。代々に渡って人間関係が引き継がれやすい広島県東部に属する小規模な自治体のような地域では、報復を恐れ、泣き寝入りを強いられる住民が発生し続けている。

 私が和知孝紘の住む地域を訪れたときに回帰してきたものは、幼少期に刻み込まれた激しい暴力の外傷的記憶であり、もしも「人権」勢力に属する者たち及びその親族の恨みを買えば、法律を超えた超法規的暴力の餌食にされるという身を切るような、凍てつく恐怖である。外傷的記憶の再来が、心臓に繋がる血管を急速に収縮させ、内臓が赤黒く染められるような、切迫した衝動となって渦巻くことも幾度となく起こった。私も「人権」勢力の関係者である者たちから、単なる「暇つぶしの遊び」として暴力を行使され、中学に設置された自動販売機の中に監禁され、殺害される危険に曝されたが、率先して「人権教育」を進める担任は事件を黙認し、また私の家族が彼らの行為を問題化することもなかった。「人権」勢力が用いる暴力が発動し始めたら誰にも止められないし、殺人事件にまで容易に発展しうる。和知一族と共謀して中央大学が私たちに行使してきた殺人的暴力は、幼少期に私が経験し伝え聞いてきた「人権」勢力、及び「人権」「差別」を用いて私的制裁を行う者たちが行使する暴力と、完全に同質の暴力であった。彼ら彼女らは、法律的救済が極めて不十分であるのだから、「差別者」と認定した相手には、実力行使を伴う私的制裁を加え、謝罪や慰謝を求め「差別」を撲滅していくことが、自分たちには先験的に許されているという認識を共有しているように思える。

 法務省は「人権」「差別」を用いる者たちがこわいという意識に付け込んで違法な利益を要求する行為を「えせ同和」行為と見なし、従わないように強く注意を促している。しかし、「では何故こわいと感じるのか」という根本的な問いに対する見解は示していない。私には法務省が見解を示さないのではなく、示せないのではないかと考えている。多くの人々が「人権」勢力に恐怖を抱くのは、彼ら彼女ら自身が自分たちを、「絶対的に差別されており、法的救済が届いていない」存在と定義し、立ち位置を法的秩序の外部に置いているためである。その上で「人権」勢力は法的救済の不十分さを理由とし、法的にではなく実力行使によって「人権」の回復を図ろうとする。日本国が憲法により法の下の平等が認められた法治国家である以上、法務省は、法の外部に住んでいると主張する者たちの存在を「特別な存在」として位置づけることはできない。「えせ同和行為」に焦点をしぼり、強力に注意を喚起することが、現状に即した最大限の対応であると思われる。

 しかしながら、自分たちが主権在民の原則・基本的人権尊重の原則が保障された法治国家の中に住んでいるという前提の中で行動している多くの人々は、法律が及ばない暗がり地帯に、敢えて自己を排除する人々が存在することを知らないように思える。それゆえに、「人権」「差別」を理由として、私的な実力行使に出てくる者たちが、法律の暗がり地帯から行使してくる暴力が存在することも、認識できないように思える。それは裁判官たち、検察官たちも同じであるだろう。自分が法律に「守られている」と信じ込み無防備に行動する人々が、自らを「差別された者」と排除的に定義し、法律の外から私的制裁を加えるために、常に臨戦態勢を整えている相手に実力行使を受けたならば、正確に対処することはまず不可能である。不意打ちを受けた人間は致命的打撃を受ける。また致命的打撃を受けた被害者を見た者たちは、巻き添いにされることを恐れて離れてゆく。被害経験が蓄積されないために、暴力行使に対抗する手段を持つことができず、法外の暴力が延々と生き延びていくという悪循環が延々と続いていくことになる。

 上述してきたこれまでの考察を踏まえれば、和知孝紘を不正な業務に従事する弁護士にしようと欲望する和知一族と、和知孝紘を弁護士にすることで不正な利権獲得を目論む中央大学が、共謀して私たちに用いた暴力行使の手順が、具体的に浮かび上がってくる。(1)和知孝紘を不正な業務を行う弁護士にする上で障害となる先生と私を追放・抹殺することで、和知孝紘の世界から消滅させる必要がある。(2)しかし、法律の内部で殺人的暴力を振るえば即座に犯罪になるため、殺人的暴力行使の場を法律の外に移し、暴力行使が犯罪にならない状況を作り出さなくてはならない。(3)法律の外で暴力を行使するために、存在としての和知孝紘から固有名としての和知孝紘を切り離し、その固有名に「途轍もない人権侵害を受けた絶対的な被害者」という虚構の人物像を捏造する。(その条件を整えるために、先生と私を和知孝紘の住居に行くよう誘導する)。(4)さらに「絶対的な被害者」としての和知孝紘の対立項として、実在する先生と私とは全く関係ない、「絶対的な加害者」という人物像を捏造し、先生と私の固有名が語られる際の唯一の意味として固定化する。(5)その上で、法的機関ではなく、私的制裁機関である中央大学ハラスメント委員会に先生を呼び出し、殺人的暴行の不意打ちを加えることで、私もろとも大学から追放・抹殺する。

 2012年4月10日、ハラスメント支援室副室長山ノ井一哉からメールを受け、先生はハラスメント委員会に呼び出された。先生の身を案じた私も同行したが、1321会議室の前で先生を待ち構えていた山ノ井一哉は、先生を見て「井上先生ですか?」と確認を求め始めた。先生の姿すら知らずに呼び出しており、先生の実在が始めから徹底的に締め出されている事は明白だった。先生が1321会議室に誘導された後、中央大学の犯罪首謀者の一人である、ハラスメント運営委員会委員長中西又三(当時:法学部行政法教授)と防止啓発委員永松京子(総合政策学部教授)の二人が恐ろしいほどの緊張感を漂わせながら、同会議室の隣部屋から出て来た。私の姿に気付いた中西又三は「君、ここで何してるの?」と尋ねてきた。私の姿も勿論全く認知されていなかった。1321教室に2人が入った後の1時間50分の暴行については、私たちがすでに幾度となく証言しているので、核心部分だけを証言する。

 中西又三は先生を「寄生虫」と激しく罵った。中西又三は、人間という種の内部で起こる「差別」を完全に逸脱し、人間という種の外に先生を締め出すことで、人間が生まれながらに有しているとされる「人権」と呼ばれるものから、先生を完全に切り離した。「人権」の完全否定、より正確に言えば「人権」の抹消をやってのけたのである。私に対しては「このMも和知君を批判してやがる!」「今後Mが大学に立ち入ったら、不法侵入で警察を呼んで逮捕させるからな!和知君に絶対に近づけないようにしてやる!」と怒鳴った。私について何も知らず、禁止を命じる法的根拠も全くないにも拘わらず、吐き出されたこれらの発言は純粋な暴力の発露に他ならず、中西又三は私の「人権」など歯牙にもかけていなかった。シベリアに抑留された石原吉郎が著した書物『望郷と海』に登場する囚人鹿野武一が、取調官に対して突き付けた、「人権」の不在を告知する呵責なき言葉が否応なく想起される。「もしあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」。

 その上で中西又三は、「とにかく今後は、あんたと、あんたのゼミ生の奴らがもう二度と和知君に近づけないように、和知君に公的なボディーガードを付けるからな!」と先生を徹底的に恫喝した。和知孝紘という固有名を用い、私たちを「絶対的な加害者」に仕立て上げた中西又三は、個人としての和知孝紘が犯罪行為の真相を話してしまうことで、自分たちの犯行が即座に露見することを何よりも恐れていた。したがって「公的なボディーガード」は私たちが和知孝紘に接近することを防ぐための護衛ではなく、一人では抱えきれない大犯罪の中心に据えられた和知孝紘が、私たちを始めとする他者(とりわけ元ゼミ生たち)に接近してしまい、罪悪感の重圧から逃れるために犯罪の真相を吐露しまうことを阻止するために付けられていた見張りと考える他はない。

 当日の暴行、脅迫、恫喝は果てしなく激化し、1時間50分の殺人的暴力を行使された先生は、一人では歩くこともできないほどの疲労困憊状態に追い込まれた。思想に支えられた強靱な精神を有していなければ、この途轍もない外傷的暴力に曝された後に、精神疾患を発症し生活能力が破綻したり、自殺に追い込まれていたことは十分に起こり得る。計画を練り上げた上で、「差別者」と看做した人間とその関係者を徹底的に批判して、心的外傷を与えたり、自殺に追い込む実力行使は、「人権」勢力の用いる最も危険な私的制裁の手段である。中央大学ハラスメント委員会による、法を用いない私的制裁の手段は「人権」勢力の用いる手段と酷似していると言うしかない。しかし、犯罪実行者たちが用いた行為はさらに悪質である。法外な暴力の全ては虚偽を前提として行使されているからである。何より、虚偽を作り出したのは犯罪実行者たち自身である。

 このような法外な暴力行使の方法は、「人権」勢力の行う私的制裁の手段に通じていなければ、到底思いつけるものではない。私たちが「法科の」中央大学と「人権」勢力が癒着・一体化していると証言する所以である。「一切の差別を許さない」を、戦後一貫して教育理念とする中央大学は、「人権問題講演会」等を通じて、「人権」勢力との関係性を深めてきたものと私は確信している。中央大学は、2013年度報告書の一部をPDFファイル化(report2013_06-01)して、ネット上に公開している。同ファイルは、「第6章 学生生活支援」を掲載したものである。そして2013年は、中央大学から恐怖の圧力を受けた裁判長裁判官市村弘(口頭弁論第1回期日~第4回期日)と太田武聖(口頭弁論第5回期日~判決期日)が、先生に殺人判決書という凶文を突き付けるためだけに、対中央大学訴訟を進行させた年である。

同ファイルのp825には「3)ハラスメント防止啓発活動等」の項が設けられ、「学内各所におけるハラスメント防止ポスター「NON HARASSMENT MOVEMENT」の掲示」との一説がある。ここに中央大学と「人権」勢力との癒着・一体化を読み取らないわけにはいかない。「NON HARASSMENT MOVEMENT」と題されたポスターは、「ハラスメントとは」との一節を設け、ハラスメントを定義している。「本人の意図に関わらず、相手方が不快に思ったり、不利益を受けたと感じた場合、その発言や行動はハラスメントです。ハラスメントは人権侵害行為であり、その発生によって、被害者の修学、就業環境は大きく損なわれます」(下線作者)。これが中央大学のハラスメントに対する定義であるが、この定義は巨大な「人権」勢力の委員長であった朝田善之助氏が確立した闘争理論を忠実になぞっている。いわゆる朝田理論とは、「不利益と不快を感じさせられたら全て差別」「差別か否かというのは被差別者しか分からない」との認識の下で、何が差別かと認定する主導権は「差別された側」にあり「差別された側」が不利益と感じたら何でも差別と認定できるとする理論である。(下線作者)中央大学は同ファイルをPDFファイル((3251_11025152))化して公開している。(すぐに改ざん、もしくは削除されるかも知れない)。

 類似した文言は、教職員編と銘打たれた同じ題名のポスター「NON HARASSMENT MOVEMENT」(aboutus_efforts_harassment_04)にも発見される。「ハラスメントは、受け手の判断が重要視されます。こちらに悪意はなかった「つもり」でも、相手が不快に感じたら、それはハラスメントとなりえます。この言動をしなければハラスメントにならないと言う絶対の安全基準はありません」。さらに学部生・院生編と銘打たれた同題のポスター「NON HARASSMENT MOVEMENT」(aboutus_efforts_harassment_03)にも類似した文言が発見される。「本人の意図に関わらず、相手方が不快に思ったり不利益を受けたと感じた場合、その発言や行動はハラスメントとなり得ます。ハラスメントは人権侵害であり、その発生によって、被害者の修学、就業環境は大きく損なわれます」。(これらも、すぐに改ざん、もしくは削除されるかも知れない)。

 「日本国憲法の精神に則る」と謳う中央大学ハラスメント委員会の活動方針が、朝田理論に基づいていることは明白である。ハラスメント委員会の委員たちが、「ハラスメント」の有無を決定する際の「判断基準」として「朝田理論」を用いていることに、疑いの余地はない。しかしながら朝田理論に基づけば、真偽は関係なく「差別された側」が不利益と感じたら何でも「差別」となるのであり、事実上、申立を受けた時点で申立を受けた相手方の運命は絶たれることになる。「ハラスメントを受けた」と主張する申立人(疑似検察官)と、ハラスメントの有無を決定するハラスメント委員(疑似裁判官)が共犯関係にあり、守秘義務を課される相手方(被告)には身を守る手段がない。中央大学ハラスメント委員会において、推定無罪の原則は一切通用しない。日本国憲法と朝田理論の区別が付かない不分明地帯、法律の外部に、中央大学ハラスメント委員会は存在する

 同理論を悪用すれば、「差別された側」が「差別された」と主張すれば、真偽を問わず「差別された側」の主張が通ってしまう。簡単に他者を「差別者」として断罪し、私的制裁を加えることが可能になる。他大学のハラスメント委員会の多くは、「ハラスメント」を捏造して、「不都合な他者」を陥れることを禁止している。虚偽の申立を禁止し、違反者に対しては学則並びに法律を適用して罰することを、規程で定めている。ところが、朝田理論を行動原理とする中央大学ハラスメント委員会は、虚偽の申立を一切禁止していない。

 「差別された側」の判断を絶対化する朝田理論に基づけば、他者との関係性を取り結ぶことは不可能になる。それゆえに朝田理論を用いて「差別する側」を追及し謝罪と補償を要求することは、「差別」を減少させるどころか、却って「差別」を激化させ、「差別される側」の孤立化を招く、との批判が絶えない。個々の関係性の内部で起こる齟齬を全て「差別」として断罪することができるのなら、最終的には、行き着くところまで殺し合いを続けるしかなくなる。「人権」勢力の外部のみならず、「人権」勢力の内部からも批判が上がっている朝田理論を、無批判にハラスメント委員会に持ち込んでいる中央大学ほど、危険な大学は存在しない。

 中央大学の犯罪首謀者の一人である橋本基弘(当時:法学部長・現副学長)は2012年1月18日の和知の狂言失踪から約3か月をかけて隠微に推し進めた自分たちの策謀が、必ず成功すると確信していただろう。ゆえに強要罪が実行されていないにも拘わらず、2012年4月11日の前日の2012年4月10日に、橋本基弘は、法治状態を停止させる際の常套句として用いられる「緊急の措置」という文言を用いて、先生が担当する全講座の閉講措置を強行した。憲法で保障されている、先生の教授の自由を躊躇なく停止したのである。その直後に橋本基弘は法学部に箝口令を敷き、自身の超法規的措置に対する異議申立を、法律の裏付けを伴わない純粋な暴力で圧殺した。十分な法的救済が果たされていないことを理由として、法に依拠しない私的制裁に踏み切ることを容認する「人権」勢力と、(先生と私という未知の他者を冤罪に陥れた上で)和知孝紘という「人権侵害を受けた被害者」が発生したとして、法学部に「緊急の措置」を執ることで、法の効力を停止させ、暴力行使に法律が適用されない非常事態を法学部に出現させた橋本基弘は、極めて近い位相に存在している。橋本基弘は、法の効力を停止させることによって、「人権」勢力は、法的救済の無効性を根拠に法の効力を停止させることによって、直接的な殺人的暴力行使が可能になる非常事態を作り出す。何れもが、通常状態では不可能なことが、全て可能になる例外状態に存在の足場を置く暴力の独占者に他ならず、その暗がり地帯から、何憚ることなく殺人的暴力を行使する。両者の振るう殺人的暴力が交差する極限地帯こそが、中央大学ハラスメント委員会であった。

 犯罪実行者たちが組織的に差し向ける暴力の標的は、勿論先生と私である。彼ら彼女らの殺人的暴力に法律を適用させないために橋本基弘が用いた言葉が、(犯罪実行者たちが捏造した虚偽の物語の中にのみ存在する「深刻な人権被害を受けた和知孝弘」という固有名に対する)「人権擁護」である。2012年5月31日に私たちがハラスメント調査委員会への抗議に赴いた際には、職員専用通路から学生と称する、遠藤なる暴漢が現れた。暴漢は私を特定した上で、襲撃に及んできていた。「お前かあ。Mというのはお前かあ。いいかあ。お前らのやってることは学生への人権侵害でなあ。名誉毀損だぞお。中西じゃないだろうが。中西先生と呼べ。中西先生がハラスメントをやったと言えばハラスメントになるんだよ!」と物凄い剣幕で私を恫喝した。「先生への措置勧告(=解雇処分)を行うために調査委員会を開く」と明言した調査委員野澤紀雅(当時:法科大学院教授)は、和知孝紘の「人権擁護」を絶対化する一方で、目の前で起こっている暴漢による私への「人権侵害」は、全く問題化しなかった。調査委員市村誠(商学部助教授:現准教授)と、調査委員武石智香子(当時:商学部専任講師・現副学長)も同様の態度を示した。調査委員たちに同行していたハラスメント支援室室長飯塚恭子(現選任評議員)に至っては、「あたしたちが井上先生の話を聞く必要はない!」と声高に言い放ち、威圧してくる始末であった。橋本基弘が出現させた非常事態は、当然中西又三が支配下に置くハラスメント委員会にも及んでいた。私たちの「人権」は、始めから存在しないものとして全否定されていた。

 勿論橋本を始めとする中央大学の犯罪実行者たちも、「人権」勢力も緊急事態を宣言することで、法の効力を停止させる権限など有してはいない。日本において緊急事態宣言を発令できるのは、内閣総理大臣だけである。対中央大学訴訟の中で、原告代理人のNN弁護士が正確に指摘したとおり、橋本を始めとする中央大学の犯罪実行者の暴力行使は、単なる権利の濫用である。虚偽の物語を捏造した上でそれを根拠として、権限を有さない者たちが、法の効力が停止される非常事態を自由に発生させることを許容してしまうならば、国家秩序は根底から瓦解することになる。国家秩序は領空・領土・領海の全範囲に、法の効力が及ぶことで維持され、国家が独占的に有する秩序維持暴力が、法の効力を担保している。ゆえに最高法規である憲法が保障する「人権」は、法的秩序の内部において、法との関係性を保持されている限りにおいてしか存在できない。和知孝紘の固有名を利用した和知一族及び「人権」勢力と癒着・一体化した中央大学が、私と先生に「捏造された冤罪」を被せ、非常事態の中で行使した殺人的暴力は、国家・法・「人権」が成立する条件を、根底から破壊する最も危険な暴力である。そして、ある特定の他者の「人権」を完全消滅させるということは、「人権」は存在しないという事実を完全に証明することに等しい。

 だからこそ彼ら彼女らは4月11日の強要罪を失敗させるわけにはいかなかった。すでに前日に橋本基弘が緊急事態を宣言してしまっているのだから。私もろとも先生を追放・抹殺しない限り、非常事態を収束させることができなくなるのだから。ハラスメント委員会への申立を主導したのは和知一族であり、個人としての和知孝紘ではない。和知孝紘の固有名に接合された虚偽の物語は、4月11日に使用するためだけに捏造された。異なる時間と空間で使用することなど、和知一族も橋本基弘たちも一切想定に入れていなかった。和知孝紘という固有名に追加する虚偽の物語に、肉付けを与える資源は枯渇している。存在する和知孝紘は、取り返しの付かない罪に怯える抜け殻に過ぎない。彼らが停止させたのは法の効力だけではない。時間そのものを停止させてしまい、4月11日を終わらせることができなくなった。4月11日を終わらせる唯一の条件は、先生と私を追放・抹殺することだけである。4月11日に磔にされ動けなくされたのは私たちだけではない、中央大学もまた4月11日に磔にされているのである。唯一にして最大の違いが存在する。私たちは全く犯罪を実行していない。権限を持たないにも拘わらず、非常事態を宣言してしまった中央大学は、4月11日という十字架への磔刑という罰をもって、その大罪を贖い続けるしかなくなった。永遠に終わらせることができない非常事態を生きるという苦しみの中から、二度と外に出られなくなった。

 自殺に追い込めたはずの者たちがまだ生きている。完全に抹殺しなければならない。非常事態を終結させ、通常状態を中央大学に回復する生け贄にするために。したがって4月11日を終わらせるために、中央大学はあらゆる日付の中に4月11日の完成を求めることになる。(2018年4月11日に構内に「中央大学は世界一!」と書かれた立て看板を衝動的に設置したりもする)。(2018年6月25日付け学員時報に「中央大学は世界一!」との一文を掲載してみたりもする)。(2019年12月に新宿駅構内を、真っ赤な広告で埋め尽くしたりもする)。(2019年12月18日には「法的機関である」警視庁と、連携協定を締結してみたりもする)。

 和知孝紘という固有名の中にのみ存在する虚偽の物語に登場させた、汚辱に塗れさせた私たちの固有名の物語に、実在する私たちの身体をねじ込み圧死させるために、中央大学は私たちに対して4月11日の殺人的暴力を際限なく反復する。絶え間なく送り付けられる中西又三の脅迫状、5月31日におけるハラスメント委員会の再演、橋本基弘によるロックアウト・電源遮断、7月26日の偽装解雇、文科省への暴力男の派遣である。

 2012年7月26日、私たちは救済を求め文科省を訪れたが、そこで待ち受けていたのはハラスメント運営委員会委員長として現れた暴力男であった。梅木慶治氏(当時:高等教育局私学部私学行政課参事官付)に同席した暴力男は、暴力的威圧により先生を沈黙させ、意義を申し立てる私の言説を徹底的に圧殺した。梅木慶治氏とは異なり、私たちに名刺を渡さなかった暴力男は、話し始めてから5分も立たない内に、「言葉の定義は厳密に!」と私たちを怒鳴り始めた。暴力男は、「違法手続を申し立てるための用意が足りない!」等と怒号を浴びせ続ける一方で、私の指摘の悉くを「条文を断片的に拾い読みした様に感じられる」という言葉を用いて否定した。暴力男は暫く時間がたつと「一個人として言わせてもらえば」とわざわざ前置きし、1時間余りに亘って先生と私への断罪を続けた。この途轍もない「人権侵害」に対して、梅木慶治氏は一切抑止の行動を示さず、終始沈黙したままだった。全身を恐怖で縛られ、疚しさを全身にたたえる梅木慶治氏は、その日私たちと一切視線を合わせなかった。

 暴力男の言動は、中央大学の殺人的暴力行使の正確な反復であり、それ以降も私たちに向けられ続ける殺人的暴力行使の予告でもあった。橋本基弘が中央大学に出現させた非常事態は、すでに文科省にも拡大していたのである。その後、舞台は文科省から法的機関へと移動していく。それは法的機関の内部に中央大学が出現させた非常事態が持ち込まれることに他ならなかった。

 非常事態の中で、恐怖の圧力に屈服した裁判所・裁判官の下で、憲法で保障されている、先生の裁判を受ける権利が停止された。ハラスメント委員会の代行機関になり果てた裁判所の中では、和知孝紘の「陳述書」と、提出された偽造録音媒体と偽造反訳書が唯一の真実とされた。裁判所を、異端審問庁に変容させることを通して、ハラスメント委員会の再現が行われたというわけだ。法律が届かない暗がりの中で、中央大学の弁護士渋村晴子と古田茂は、和知孝紘という固有名の物語を、和知孝紘自身として語る「ハラスメント申立人」として、裁判長裁判官市村弘と太田武聖は、私たちを確実に抹殺することを目的とするハラスメント運営委員会委員長として振る舞った。裁判所は、私的制裁の場所でしかなかった。渋村晴子と古田茂は答弁書・準備書面を用いて、「学生Aを激しく糾弾し」「Aの尊厳若しくは人格を侵害し」「Aの親族の名誉を毀損し」「妄想を垂れ流し」「支離滅裂な発言を繰り返し」「言い逃れを続け」「助手と称するMが」等の、憎悪で充満した侮蔑的表現を用いて、先生と私の全人格否定を執拗に繰り返した。市村弘と太田武聖は、私たちへの暴力の効果が最も高くなるように訴訟を指揮したばかりか、法律・判例を一切用いず「自身の見方を優先し、他者を軽視する独自の見解に基づき」「縷々主張するが」「言語道断である!」「論外!」等の罵詈雑言で埋め尽くされた、殺人判決書を突き付けてきた。

 中央大学単体では、裁判所に非常事態を持ち込むという途轍もなく高いハードルを越えることは、勿論到底不可能である。法律の外部に身を置く和知一族と、「人権」勢力が加わることで、法治国家の中で法律を乗り越えることが可能になったのである。和知孝紘という固有名は、裁判所を法律から守る禁忌の護符であった。和知孝紘本人を裁判所に呼ぶことは、「二次被害」という「人権」侵害になり、偽造録音媒体を鑑定に出すこともまた「和知孝紘を疑う」という「人権」侵害になると非難されるため、事実確認が行えないのである。第1回口頭弁論期日(2013年1月30日)には、適正な裁判指揮を行っていた市村弘が、中央大学に怯えきり態度を豹変させたのは、2013年4月10日に開かれた第2回口頭弁論期日からである。最高裁事務総局の意向を受け、(中央大学を被告とする裁判であるにも拘わらず、)中央大学出身の裁判官太田武聖が異動してきたのは、第5回口頭弁論期日(2013年10月2日)である。朝田理論を行動原理とする、中央大学と「人権」勢力による恐怖の圧力を用いた司法への介入が(「ハラスメント防止ポスター「NON HARASSMENT MOVEMENT」の掲示」が開始された、)2013年に端を発することは疑いようがない。

 また、中央大学と「人権」勢力による恐怖の圧力を用いた介入が、2013年6月24日に強要罪の告訴状を受理していた東京地検立川支部に行われたことにも、疑いの余地はない。和知孝紘という固有名は、絶対的禁忌の護符として検察庁に対しても絶大な効力を発揮した。「真偽は関係ない。「和知孝紘を疑うこと」自体が人権侵害になる」というわけだ。それゆえに、和知孝紘を始めとする強要罪の被疑者たちは一度も呼び出しを受けなかった。偽造録音媒体が鑑定に出されることなどあるはずもなかった。実際に、恐怖の権力に屈服した二甁祐司は、2015年1月27日に来庁した先生とNN弁護士に「録音媒体は鑑定に出さなかった」と述べた。なお、強要罪が不正に不起訴処分にされた2015年1月30日だが、(告訴状が受理された)2013年6月24日から2015年1月30日まで、東京高検次席検事→東京地検検事正に在任していたのは、中央大学出身の検察官である。そして強要罪の被疑者であった橋本基弘は、2014年11月に中央大学副学長に就任した。

 この時期に、中央大学 ソーシャル・メディア・ガイドライン(学生用)及び(教職員用)による情報統制が強化され、中央大学全領域を恐怖の箝口令が覆いつくした。①「【法令遵守】ソーシャル・メディア上の表現も、日本国憲法をはじめとする法令の下にあります。ネット上といえども、決して治外法権ではありません」。非常事態の中にあるからこそ、憲法を停止しておきながら、憲法に依拠して情報統制を図るという途轍もない出来事が、当たり前のように起こってしまう。橋本基弘を始めとする中央大学の犯罪実行者たちが大学内で処分され、現検察庁による厳正な刑事処分に引き渡されるまで、中央大学の非常事態は解除されない。朝田理論の複写である「NON HARASSMENT MOVEMENT」により、「この言動をしなければハラスメントにならないと言う絶対の安全基準はありません」(下線作者)と宣告されている、中央大学の内部に安全地帯は存在しない。法の効力が停止され、朝田理論が法の台座を独占した限界空間だけが広がっている。「ハラスメント」を用いれば、法律の外で、自身の生を他者の生に対して、剥き出しにすることが可能になる危険地帯が現在の中央大学である。中央大学関係者が意識している、いないに拘わらず、この事実は変わらない。中央大学の影響力が及ぶ全領域が、誰もが誰に対しても、生殺与奪の権を握ると同時に握られている限界空間と一致している。同時に、恐怖の情報統制によって、その全てが隠蔽されている。橋本基弘が緊急事態を宣言した2012年4月10日以降、「法科の」中央として知られる、中央大学の内部に法は存在しないのである。

 それゆえに私たちは、偽造録音媒体を自費で鑑定に出すしかなかった。ところが、またもや中央大学は恐怖の圧力を検察庁に行使し、偽造録音媒体が真に偽造物であることを、科学的鑑定結果によって証明した先生と私から、最終的に告訴権(2016年4月1日)、告発権(2016年4月14日)を剥奪させた。「人権」勢力と癒着・一体化した中央大学は、検察庁の頂点にまで恐怖の圧力をかけ、捜査機関の内部に非常事態を持ち込んだ。(最高裁ばかりか最高検にまで恐怖の圧力をかけるにあたり、法外の暗がり地帯を政治空間にも持ち込む、絶大な権限を要していた中央大学の守護神たちの助力を求めた可能性はある)。ハラスメント委員会運営委員長としての役割を、今度は検察庁の最高幹部検事に担わせたのである。私のアパートの扉が、郵便配達員によって何度も強く叩かれ、告訴権・告発権を剥奪する書面が手渡された。賃貸しアパートが建ち並ぶ、灰色がかった風景が扉の隙間から垣間見えた。その日は、アパートを揺らすほどの強風が吹き荒れる曇り日であった。鼓膜を震わせる強風のざわめきの中で、私は自分が法的秩序の外に、完全に追放されたことを知った。

 和知孝紘を弁護士にする邪魔物と看做した先生と私を、自殺に追い込んでまで、和知一族と中央大学が手に入れようとした不正な利権とは何だったのだろうか。ここまで証言してきて、漸くその中身を書くことができる。それは、時間と場所を問わず、自分たちだけが自由に緊急事態を出現させる特権を独占する絶対者として振る舞うことを、国家に許容させるという、法外な利権である。「人権」勢力と癒着・一体化した中央大学が用いる朝田理論は、「差別」問題を口実として、「会社・個人や官公署などに不当な利益や義務のないことを求める」(法務省公式HP)「えせ同和行為」を可能にする闘争理論として用いられてきた経緯がある。本件大組織犯罪においては、裁判所と検察庁を恐怖の圧力で屈服させ、自分たちの殺人的暴力に法律を適用させないという、不可能なことを可能にする暴力として、最大規模の「えせ同和行為」が行われた。その結果、彼ら彼女らは、「犯罪行為に法律を適用させない」という「不当な利益」を獲得した。それどころか、恐怖の圧力で屈服させた裁判官たち・検察官たちに、「自分たちの代行者として、殺人的暴力を行使させる」という「義務のないこと」を行わせた。すでに最悪にして最大規模の「えせ同和行為」が行われ、国家秩序の維持装置である法的機関が、法的機関としての活動を停止させられ、犯罪に手を染めさせられるという破滅的損害が発生してしまっている。法の効力の停止に伴い、「人権」も抹消された。その意味では中央大学は不正な利権を、(手に入れようとしていたのではなく)「すでに獲得していた」とも言える。本件大組織犯罪が全面解決に導かれ、和知一族及び「人権」勢力と癒着・一体化した中央大学に、厳正な刑事処分が行われるまでは、国家規模にまで拡大させられた非常事態が、延々と続くことになる。あらゆる人々がいつでも「人権」を抹消される、潜在的な被害者としてしか存在することができない非常事態は、深刻化の一途を辿ることになる。本件大組織犯罪の犯罪実行者たちによって、和知孝紘という固有名に宿された全能の神/最大の禁忌・悪霊としての効力が非常事態と化していく一方の世界を徘徊し続けることになる。

 しかし、2016年8月10日付けで、先生が西川元検事総長に郵送された内容証明郵便(「意見書・抗議文・要望書」)の到達以降、犯罪実行者たち全員に対する刑事手続が開始された。現在に至っては、林検事総長を始めとし、法務相、文科相、そして最高裁長官も本件大組織犯罪の全容を把握している。中央大学は今年の後半に入り、2023年の法学部都心移転を発表したが(2021年10月12日、2021年12月10日)、殆どの報道機関は関心を示していない。

 そして和知一族と中央大学が、本件大組織犯罪を実行することを可能にしていた、絶対的禁忌としての固有名=和知孝紘は、すでにこの世界から消滅してしまっている。2012年4月4日に提出されたとする、和知孝紘名義の「ハラスメント申立書」には「ストーカー被害」とあり、「一切の接触が無い様にして欲しい」、「Mを始めとするゼミに関わる人間とも直接又は間接的にも接触を持ちたくない」との表記がある。しかし、和知孝紘自身が、和知孝紘という固有名に接着された「ストーカー被害者」という物語を裏切ってしまった。正規受講生であった時期に、先生から出身・出講大学を聞き出していた和知孝紘が、先生の出身・出講大学の大学院 法務研究科に進学し、自ら先生への接近を図ったのである。和知孝紘は先生の多数の属性が宿った場所で、数年間同大学院 法務研究科に通い続けたのである。

 和知孝紘という固有名に対する、和知孝紘自身の裏切り行為により、「ハラスメント申立書」に書かれた申立内容は、完全な虚偽であったということが、証明されてしまった。NN弁護士は対中央大学訴訟の中で「中央大学=和知君になっているよね」と述べ、「和知君の陳述書と、録音媒体を崩していく」という訴訟戦略を立てていた。和知孝紘名義の陳述書は破綻し、録音媒体は完全に偽造物であった。和知孝紘という固有名を用いた組織的殺人行為が、前代未聞の反国家的大組織犯罪であるという事実が完全に証明されてしまったのである。犯罪実行者たちにとっては全能の神として、私たちにとっては最も忌まわしい悪霊として存在した、和知孝紘という固有名に宿された効力は消え去り、犯罪実行者は犯罪実行者の位置に、犯罪被害者は犯罪被害者の位置に正しく配置され直した。本件大組織犯罪は失敗に終わったのである。和知孝紘という固有名に宿された効力の消滅が象徴的に確認される、その時は近付いている。現在の検察庁、法務省、文科省、最高裁に、「人権」を用いた恐怖の圧力が通用する余地はない。

                                 (了)