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(証拠資料)「『最終解決個人版・未遂の記――絶滅を待望された被害者の証言』完成版のためのノート(1)――本件大組織犯罪の本質について」全文(井上作成)

『最終解決個人版・未遂の記――絶滅を待望された被害者の証言』完成版のためのノート(1)――2021年8月8日

本件大組織犯罪の本質について

 井上を中央大学から追放し、あわよくば人間世界からも消滅させるよう(=自殺に追い遣るよう)中央大学に要請するに当たって、和知孝紘とその親族が周到に捏造・編成した虚偽の物語には、その虚構全体を成立させるための絶対必要条件、即ち大前提となる第一の虚偽が書き込まれている。それは虚偽の物語を支える土台であり、それがなければ虚構全体が崩壊してしまうような基盤である。

 和知孝紘とその親族は、その虚偽の物語を中央大学ハラスメント防止啓発委員会及び労働審判に陳述書として提出し、血走ったような剣幕で列挙された「井上から受けた加害行為」をさらに過激に破廉恥にするという偽修正を施したうえで、井上の組織的殺人(未遂)行為の舞台として設定された対中央大学訴訟にあらためて提出した。(偽修正を施したのは和知孝紘とその親族、そして弁護士の渋村晴子であると推察される)。

 それを土台として用いなければ、虚偽の物語全体に一貫性と真実性の効果を曲がりなりにも与えることはできない第一の虚偽とは何か。

 陳述書の主張を、意味作用は変えずにより具体的に再現してみると以下のようになる。

 「舞台芸術の授業を履修したのは、<変わった教師がいる>と炎の塔で噂話を聞いたからで、単なる興味本位でしかなかった。自分は『現代思想入門ゼミ』には全く関心がなく、そんなゼミに行きたいなんて微塵も思っていなかった。偶々フランス語の授業で使用しているデリダの本についての質問に行ったとき、井上先生が<ゼミに来れば、もっといろいろ教えてあげるから>と言って、物凄く執拗に誘ってきて、怖くて断れる雰囲気ではなくなってしまった。『現代思想入門ゼミ』に行かざるを得なくなったのは、全く自分の意思ではない。井上先生に意思に反することを強要された結果である」。

 これが、第一の虚偽である。

 「自分は、『現代思想入門ゼミ』なんて全く行きたくなかった。自分の意思に反して、井上先生に無理矢理入れられたのである」。

 完全な記憶喪失に陥っているのでもなければ、誰よりも和知孝紘自身が覚えていることがある。舞台芸術の授業が行われる大教室の扉を開けて井上が中に入り、階段を降りて教壇に向かおうとすると、大勢の学生を掻き分けて和知孝紘が急激に接近してきたのである。そして熱を帯びた目で井上をじっと見つめ、嬉しそうにこう言った。

 「来年、井上先生のゼミに入ることを希望しています。よろしくお願いします」。

 舞台芸術を受講している段階で、来年のゼミへの参加希望をこれほど熱心に個人的に伝えてくる学生は初めてであり、その熱を帯びた目に若干違和感を覚えたので、井上は名前を聞いた。

 「ワチと言います」と和知孝紘は答えた。自分の名前を印象づけようとするかのように一音一音はっきりと発音して答えた。

 勿論、第一の虚偽はいかにも苦し紛れの虚偽であり、この虚偽を仮にも真実として通用させることなど初めから不可能なのである。仮に、教師にどれほど執拗に入ゼミを勧められても、参加する意思が全くないのであれば、自分の意思で入ゼミ試験を受けなければよい。入ゼミ試験であるレポートなど書かずにさっさと忘れてしまえばよい。魔法でも使わない限り、カタカナの名前以外に個人情報を全く知らない学生に強制的に入ゼミレポートを書かせることなどできるわけがない。和知孝紘が誰よりも鮮明に覚えている真実がある。舞台芸術の授業で学習した現代思想の知識を一部引用することで、『現代思想入門ゼミ』に入りたいという欲望を思い切り伝えるレポートを、純粋に自らの意思で書いて提出したという真実である。

 従って、強要罪の実行犯である中西又三や橋本基弘たちは勿論、彼らと共謀して井上×××の組織的殺人行為を実行に移した裁判官たちも、和知孝紘とその親族が捏造・編成した虚偽の物語の一貫性・真実性を担保する第一の虚偽が紛れもない虚偽であることを当然知っていたが、そんな虚偽は全く眼中にないかのように問題化すること自体を最後までさりげなく回避し通した。

 なぜか。

 井上×××の組織的殺人行為を、裁判という法的形式を利用して完全犯罪として実現させようとした彼ら彼女らの目的は一体何であったのか。

 中央大学の犯罪首謀者たちとその弁護士たち、東京地裁立川支部の元裁判官たち、東京地検立川支部の元検察官検事たち、当時の検察庁の最高幹部検事たちに至るまで、和知孝紘とその親族、及び中央大学の全犯罪の歴史と社会からの完全隠滅を共謀して目論んだのであるが、犯罪実行者たちによって共有されていた前代未聞の大組織犯罪を不可避とする目的とは一体何であったのか。

 (1) 

 どれほど違法な手段に訴えてでも和知孝紘を弁護士にしたい、弁護士にしなくてはならないという和知孝紘の親族とその協力者たちの欲望を、彼ら彼女らに代わって実現すること。弁護士にしなくてはならないため、犯罪に関与した一切の汚点と痕跡を和知孝紘の経歴から完全に抹消削除すること。いかなる犯罪とも無縁な、熱心に学業に打ち込む健全な若者という虚像を、犯罪実行者である和知孝紘の実像の上に、二度と脱げない衣裳のように何重もの隠蔽によって固く縫い付けること。

 即ち、犯罪実行者である和知孝紘を弁護士にすること。弁護士を目指すことができる清廉潔白な位相に、犯罪実行者である和知孝紘を無理矢理移動させること。無垢の仮面をつけさせて不正に移動させること。

 

しかし、「弁護士になりたい」という欲望は、和知孝紘自身の内部から自然に発生してきた欲望ではない。

 自然に発生してきた欲望であれば、虚偽の物語全体に一貫性・真実性の効果を担保する苦し紛れの虚偽を、第一の虚偽として陳述書の冒頭に書きつける必要は全くなかった。どれほど見え透いた虚偽であっても、第一の虚偽がどうしても要請されたのは、「弁護士になりたい」という欲望が和知孝紘自身の内部から自然に発生してきた欲望であることにする必要があったからだ。<「弁護士になりたい」という欲望は和知孝紘自身の内部から自然に発生してきた欲望である>という物語だけが、虚偽の物語全体に一貫性・真実性を担保する大前提として機能し得るからだ。それもまた、自明の真実に見せかけられた虚構であっても、それを大前提として冒頭に置かない限り、その後の虚偽の物語という構築物全体が崩壊してしまうのである。

 厳密に言い換える。「弁護士になりたいという欲望が和知孝紘自身の内部から自然に生起してきて、あらゆる時間と文脈を貫いてその欲望は和知孝紘の内部でつねに不変であった」のではない。和知孝紘の内部につねに不安定に宿っていたのは「自分は弁護士にならなくてはならないという変更不可能な運命」の自覚であり、その運命に従う以外の選択肢が自分の生にはないことへの不安と抵抗感であり、その運命への消極的な同意と反発的な不同意との間の絶えざる相克である。「自分は、協力者たちによる違法行為を容易化するため、ただそれだけのため、弁護士にならなくてはならないという変更不可能な運命」であるとすれば、和知孝紘の内部に存在していた相克がどれほど激しいものであったかは想像に難くない。

 (「協力者たちによる違法行為」とは「えせ同和行為」のことである)。

 舞台芸術を受講していた中央大学法学部法律学科1年の和知孝紘をして、舞台芸術(に内包される現代思想)を教える井上に対する強度な転移感情を抱かせしめ、「来年、井上先生のゼミに入ることを希望しています。よろしくお願いします」と個人的に伝えずにはいられなくなる衝動に身を任せしめたものこそ、和知孝紘の内部につねに存在していたこの相克であったと確信する。この耐え難い相克からの、あるいは相克を絶えず強制してくる変更不可能な運命からの解放乃至救済への約束のように、『現代思想入門ゼミ』と現代思想を教える井上の存在は和知孝紘の目に映ったのであると確信する。

 (『現代思想入門ゼミ』の正規受講生であった2011年度に、和知孝紘が井上に送信してきたメールの中には井上を「メシア」と表象する文面が見られる。「メシア」のように感じたからこそ、舞台芸術受講時に思わず接近して話しかけたいという衝動に駆られたのであると。PCが破損したため、犯罪である対中央大学訴訟第一審には提出できなかったが、Mの尽力によりバックアップデータの復元に成功した。「和知くんのメールが出てきたことは大きい」とNN弁護士も言っていたので、第二審の裁判長裁判官、田村幸一が井上を逆転勝訴させるつもりでいた可能性はやはり高いと考える。第一の虚偽を不可欠の土台として構築されている虚偽の物語全体を崩壊させかねないメール、和知孝紘自身が書いたメールが過去から還流してきたので、中央大学の犯罪首謀者たちが駆られた衝撃と焦燥感の大きさは十分に想像できる。

 橋本基弘に宛てて内容証明郵便で送付した書簡の中にも明記したが、『現代思想入門ゼミ』の秋学期も終盤に差し掛かる頃、人格変容を起こしたのかと思われるほど顔つきが変化し、一切の感情が凍結したようになった和知孝紘が井上に向けてボソッと呟いた。「助けてくれる?」。文脈抜きでただ一言、「助けてくれる?」と子どものように呟いた。「助ける? 何から?」と咄嗟に尋ねたが、返事はなかった)。

 従って、中西又三・橋本基弘たちが強要罪を実行したとき、自主退職強要に同意しない井上に対して狂気の暴力行使を差し向け続けたとき、適正手続を一切省略して偽装解雇を強行したとき、彼らの目的は井上による「人権侵害」から和知孝紘を保護し、「弁護士になりたいという和知孝紘自身の内部から自然に生起してきた欲望」を実現する条件を整えてやることなどでは全くなかった。

 ここで、先に厳密に提示した問いをもう一度書く。

 中央大学の犯罪首謀者たちと共謀し、弁護士たち、裁判官たち、検察官検事たち、当時の検察庁の最高幹部検事たちが和知孝紘とその親族、及び中央大学の全犯罪を歴史と社会から完全隠滅しようとしたとき、空前絶後の大組織犯罪の実行者となった彼ら彼女らの目的は一体何だったのか。

 勿論、中西又三・橋本基弘たちを始め、彼らの犯罪に加担・協力した中央大学の全教職員及び全関係者が成し遂げることに「失敗」した大悪事を、今度こそ手抜かりなく成し遂げることである(即ち、全犯罪の完全隠滅の裏面である井上×××の組織的殺人計画。井上×××を中央大学からだけでなく、人間世界そのものから消滅させるという殺人計画。「自殺への誘導」という漸近的兵糧攻めによる、自分たちは直接手を下さない「あらかじめの殺害」という方法を採る)。

 しかし、これ自体は彼ら彼女らの目的ではなく、目的を今度こそ実現させるための手段である。

 問いをもう一度書く。

 和知孝紘とその親族、及び中央大学の全犯罪を歴史と社会から完全隠滅しようと謀った前代未聞の大組織犯罪の実行者たちの目的とは一体何だったのか。

 (2)

 和知孝紘の親族と協力者たちの欲望を彼ら彼女らに代わって実現すること。(1)にはそう書き記した。ここからが少し異なる。

 和知孝紘の親族と協力者たちの欲望である「和知孝紘を弁護士にしたい、弁護士にしなくてはならない」のその「弁護士」は、「弁護士職務基本規程 第二章 一般規律」の「(違法行為の助長)第十四条 弁護士は、詐欺的取引、暴力その他違法若しくは不正な行為を助長し、又はこれらの行為を利用してはならない」、及び「(品位を損なう事業への参加)第十五条 弁護士は、公序良俗に反する事業その他品位を損なう事業を営み、若しくはこれに加わり、又はこれらの事業に自己の名義を利用させてはならない」を初めから遵守しない、あるいは遵守することができない「弁護士」なのである。

 <協力者たちによる利権獲得のための「違法行為」、即ち「えせ同和行為」という「違法行為」を容易化(=助長)するため、ただそれだけのために弁護士にならなくてはならないという変更不可能な運命>に従う以外の選択肢が自分の生にはないことが和知孝紘の内部に激しい相克を生み出し、その相克を絶えず強制してくる<変更不可能な運命>からの解放乃至救済への約束のように、『現代思想入門ゼミ』と現代思想を教える井上の存在が和知孝紘の目には映ったと先に書いた。井上に対する和知孝紘の転移が、井上の独占=その生の可能性の全的否定=消滅(中央大学からの、人間世界からの消滅)を遂には本気で願うストーカーに彼を変容させてしまうほど、それほど極端に強くなった根本的な理由は、彼が絶対に逃れられない<変更不可能な運命>、それからの解放乃至救済に初めから不可能の一文字が書き込まれていることであったと確信する。

 (強烈な陽性転移が激烈な陰性転移に変化するまで、<変更不可能な運命>に従う以外に生きる術はないことと、それからの解放乃至救済を求め続けることとの両立を絶対に両立不可能と分かっていながら、それでも和知孝紘は断念しようとはしなかった。例えば春学期末のレポート課題に対する解答として、「ダブルバインドの安定性」と題した異様なレポートを提出してくることで)。

 できるだけ、厳密に書いてみたい。

 従って、未曾有の大組織犯罪の実行者たちの目的は、和知孝紘の内奥の真実、即ち<変更不可能な運命>への消極的な同意と反発的な不同意との絶えざる相克を完全に無視・抑圧し、その<変更不可能な運命>に和知孝紘の精神と身体がもはやどんな抵抗や反発の余地もなく、全面的に従うことしかできなくなるような完璧な状況を外形的に作り出すことである。

 「弁護士になりたいという和知孝紘の内面から自然に生起してきた欲望」を実現するための望ましい環境と条件を、和知孝紘のために準備してやることなどでは断じてない。既述の通り、「弁護士になりたいという欲望」は和知孝紘の内部から自然に生起してきた欲望ではない。

 より厳密に書くと、和知孝紘の内奥の真実とは全く無関係に、彼の親族と協力者たちの欲望を実現するための条件と環境を整備してやること、即ち「えせ同和行為」という「違法行為」を容易化する(=助長する)ために必要とされる「弁護士」に、弁護士職務基本規程に明白に違反する「弁護士」に、和知孝紘がどんなことがあってもなることしかできなくなるような完璧な状況を作り出すこと。

 和知孝紘の内奥の真実など完全に無視して、彼の親族と協力者たちが必要としている「弁護士」に、「えせ同和行為」という「違法行為」を容易化する(=助長する)ことにその業務の大部分が特化された「弁護士」に、なることしかできなくなるように和知孝紘の生を外部から完全に決定=限定してしまうこと。手段を選ばず、利権獲得のための「違法行為」の遂行の円滑化に貢献する「弁護士」に和知孝紘をならせること。

 (だから、どんなことがあっても和知孝紘を犯罪である対中央大学訴訟に関与させることはできなかった。とりわけ証人尋問に和知孝紘を召喚するなど言語道断であった。そんなことをすれば、共謀して犯罪行為を実行している者たちの目的は、和知孝紘本人によって挫折させられるという致命的な危険に曝されることになっただろうし、目的自体に宿る前代未聞の違法性が露見することになるという危険性もあった。葛藤や相克、あるいはダブルバインドという心的機制を完全に秘匿した状態で、「弁護士になりたいという欲望は自分の内部から自然に生起してきたものである。井上先生は、子どもの頃からの自分の夢を破壊するという重大極まりない人権侵害を犯した」などという出鱈目を、即ち完全な「偽証」となる虚偽物語を、法廷で平然と澄まし返って語ることなど和知孝紘にできるわけがない。ゆえに、渋村晴子はお決まりのフレーズを用いて和知孝紘が犯罪裁判に関与する可能性、即ち自分たちにとっての危険性を撃退した。「2次被害が発生するおそれがあるから」というのがその定番フレーズである)。

(3)

 前例のない大組織犯罪の実行者たちは、司法制度の解体・法的秩序の破壊・法律の破滅を最初から内在させている「目的」を実現させるに当たり、共謀して悪魔的な「手段」を画策し、実行に移した。

 そして、「目的」を実現させるための悪魔的な「手段」自体も、失敗は絶対に許されない一つの大掛かりな「目的」となった。

 <変更不可能な運命>に対する絶えざる相克の和知孝紘の内部における生き延びを無限に可能にしてしまう井上×××から、二度と接近できないように和知孝紘を果てしなく遠ざけること。

 井上×××との間に、僅かにでも狭めることなど絶対にできないような、想像的に無限に開いた距離を設定し、井上×××の動きも和知孝紘の動きも完全に封じてしまうこと。

 和知孝紘の生における井上×××の絶対的不在、恒久的不在を確定させ、<変更不可能な運命>にもはやどんな迷いもなく、従って生きる以外の選択肢はないという状況を和知孝紘に徹底的に受け容れさせること。

 そして、井上×××を和知孝紘に対する「ハラスメント冤罪」に陥れる。

 井上×××から、二度と接近できないように和知孝紘を無限に遠ざけるため、中央大学の犯罪首謀者たち、橋本基弘・中西又三たちは、井上×××を和知孝紘に対する「ハラスメント冤罪」に陥れ、中央大学における井上×××の恒久的不在を強要罪の実行・偽装解雇の強行によって実現させた。人間世界における恒久的不在=消滅も、彼らによる狂気の暴力行使の射程圏内には入っていただろう。

 和知孝紘の「人権擁護」のため、井上×××の「加害行為」からの救済のためと、橋本基弘は自分自身を欺き、大勢の教職員を欺く大嘘を至るところで吹聴したようだ。

 <変更不可能な運命>からの解放乃至救済を、それが不可能であると分かっていても密かに希求し続けることが和知孝紘の内奥の真実であるならば、橋本基弘・中西又三たち、彼らに騙された中央大学の教職員たちは、和知孝紘の精神的自由を侵害したことになる。

 (「ダブルバインドの安定性」という奇妙なレポートは一体何だろう。両立不可能と分かっていても、<変更不可能な運命>からの解放乃至救済を求め続けたいという願いの表明でないとしたら一体何だろう。それからの解放乃至救済を求め続けることによってのみ<変更不可能な運命>を引き受け、それに耐えていけるという密かな告白でないとしたら)。

 <利権獲得のための「えせ同和行為」という「違法行為」を容易化することにその業務の大部分を特化した「弁護士」になることしかできなくなるように、和知孝紘の生の可能性を剥奪し、行動を徹底的に制限・管理せよ。変更不可能な運命への不同意を触発してくる井上という教師を追放・抹殺せよ>。

 このような趣旨の要請、乃至脅しを含んだ強制命令を、橋本基弘・中西又三たちは和知孝紘の親族と協力者たちから受けていた。

 <変更不可能な運命への不同意を執拗に触発してくる井上という教師を追放・抹殺せよ>という要求は、激烈な陰性転移に突き動かされた和知孝紘自身も強く共有する要求であったとしても、親族と協力者たちからの上記のような趣旨の強制命令に橋本基弘・中西又三たちは無条件に従ったのである。

 「人権擁護」の美辞麗句の下に橋本基弘・中西又三たち、彼らに協力した中央大学の全教職員が和知孝紘に対してしたこと――生の可能性の剥奪、行動の徹底的な制限と管理――は、本当に「人権擁護」なのか。

 橋本基弘・中西又三たちは、和知孝紘自身とその親族・協力者たちが捏造・編成した虚偽の物語を信じるふりをして、壮絶な暴行の連続である強要罪を実行し、狂気の暴力行使を延々と繰り返した挙句、理事長の決済を執らない偽装解雇を強行した。

 <変更不可能な運命>に和知孝紘の精神と身体を完全に縛り付けるため、「違法行為」の容易化(=助長)が業務の大部分を占める「弁護士」に、弁護士職務基本規程に初めから違反している「弁護士」に和知孝紘をどんなことがあってもならせるため。

 これは違法行為である。

 つまり、「違法行為」を実行することにしかならないことが完全に予見できていながら、和知孝紘がそのような「弁護士」になることに反対するどころか、全面的に協力する。「人権擁護」の美辞麗句の下、大学を挙げて助力する。 

 (長年に亘り「同和」勢力と癒着・一体化することで利権を分配してきた中央大学には、和知孝紘がそのような「弁護士」になれば、自分たちもいずれ利権獲得の恩恵に与れるという計算があったかもしれない)。

 これで漸くはっきりする。

 和知孝紘の親族・協力者たち、彼らと共謀して橋本基弘・中西又三たちが井上を陥れた「ハラスメント冤罪」は、「違法行為」の助長にその業務を特化した「弁護士」に和知孝紘をならせるという違法な目的を隠蔽するため、隠蔽しながら実現に向けて推し進めるため、巧妙に捏造されたのである。

 和知孝紘を保護するためでもなく、彼の「人権擁護」のためでもなく、「違法行為」の容易化に貢献する「弁護士」に和知孝紘をならせるため、<変更不可能な運命>からの解放乃至救済の約束である井上を和知孝紘から恒久的に切り離すため、「ハラスメント冤罪」というグロテスクな虚構が必要とされた。

(「「弁護士」になりたいという願望は和知くんの内部から自然に湧き起った願望である。ところが井上は法律を批判し、和知くんの願望を否定し、和知くんにハラスメントの限りを尽くした。そんな奴に中央大学に居て貰っては困る。和知くんも、井上とは二度と関わりたくないと言っている。さっさと出ていけ」というグロテスクな虚構。「第一の虚偽」が不可欠とされた所以だ。

 ところで2012年4月11日、強要罪実行の最中に井上が念のためと思い持参した和知孝紘の私信、井上に宛てた直筆の私信を見せると、中西又三ははっきりと苦笑し、その私信を井上から奪い取った。これは、NN弁護士が言うような井上の任意提出ではない。中西又三による井上の所有物の窃盗である。その私信の冒頭にはこう記されてあった。「悪霊を追い祓ってくれてありがとう」。犯罪である対中央大学訴訟第一審ではこの私信の返還を求めたが、渋村晴子も古田茂も、そして勿論裁判官たちも完全に無視した。強要罪実行以前、井上はやはり念のためと思い、この私信の文面を一字一句ワードに写し取っておいた。それを引用した陳述書も犯罪裁判に提出したが、勿論完全に無視黙殺された。それは、ハラスメントが存在しなかった証拠、ハラスメントの存在を和知孝紘自身が否定する最強にして最悪のアリバイであったから)。

 そうであるなら、井上の追放・抹殺を中央大学に要求する虚偽の物語の捏造・編成になぜ和知孝紘も加担したのか。

 誰よりも虚偽であることを知っている和知孝紘がなぜ井上たちをストーカーに仕立て上げる策謀に加担し、「井上から受けた加害行為」を血走った剣幕で並べ立てた陳述書を提出することで、井上の大学からの追放を不可避とする強要罪を実行するよう中央大学に要請したのか。

 一連の犯罪の筋書きを具体的に考案したのは和知孝紘の親族・協力者たちであったとしても、陳述書の原型を作成したのは和知孝紘であり、提出した陳述書とハラスメント被害の申立書に署名・押印したのも和知孝紘であり、強要罪を始めとした一連の犯罪の主犯は和知孝紘ということにしかならない。

 すると、問いは自ずと次のようになる。

 2012年1月から3月の期間における和知孝紘は、中央大学からの井上の追放のみならず、井上の生の可能性の全的否定、即ち人間世界からの井上の追放と消滅を本気で望んでいたのか?

 (因みに「悪霊を追い祓ってくれてありがとう」から始まる私信は、2012年1月8日に書かれたものである。和知孝紘が狂言失踪を謀った日は、その僅か10日後である)。

 本気で望んでいた。どんな迷いもなく私はそう断言する。

 但し、親族・協力者たちとは全く異なる理由で、本気で望んでいた。

 親族・協力者たちとは全く異なる理由、それは一体何なのか。

 

 端的に書く。

 <変更不可能な運命>からの解放乃至救済への約束を、井上が破ったからである。果たすことなど本来不可能な約束、それも一方的な約束を井上が破ったと、少なくとも和知孝紘には強烈に感じられたからである。

 (2012年1月中旬頃に、ゼミ論考、ゼミ論集にまつわる不幸な偶然や誤解が重なり、それら一連の経緯から和知孝紘は巨大な悪意を読み取った。正確には誤読した。自分を傷つけ、自分に屈辱を与え、自分に大いなる不利益をもたらすという性急な誤読。その巨大な悪意の中心には井上がいると、話し合いを拒絶し続け、理解することを拒絶し続ける和知孝紘は頑なに思い込んだ。――ゼミ論考にまつわる詳細事情については、2017年11月23日付で西川克行元検事総長に宛てて送付した「救済要求最終確認書――本件大事件深層事情徹底究明」を参照のこと)。

 不幸な偶然や誤解の原因となった出来事も、<変更不可能な運命>からの解放乃至救済への約束であり、どれほど不可能な約束であっても井上がそれを破ったことは一度もない。しかし、『現代思想入門ゼミ』が和知孝紘ただ一人のためのゼミでない限り、即ち和知孝紘ほどの強度は伴わないにせよ、それぞれの無意識の働きに応じて井上に転移している他のゼミ生たちが存在している限り、<変更不可能な運命>からの解放乃至救済への約束を井上が破ったかどうかは、和知孝紘の感情的判断に全面的に依存する。そして、ゼミ論考をめぐる不幸な偶然や誤解が重なる状況が他のゼミ生たちの関与により出現したとき、井上は和知孝紘によって<変更不可能な運命>からの解放乃至救済への約束を、取り返しがつかないほど破ったと判断されたのである。

 このとき、和知孝紘の井上に対する強烈な陽性転移は激烈な陰性転移に変化した。<変更不可能な運命>への消極的な同意と反発的な不同意の相克が一時的に消滅し、井上に地獄の受難を味わわせるため、<変更不可能な運命>への限りなく積極的な同意で和知孝紘の内部は満ち溢れた。即ち、「違法行為」の円滑化に貢献する「弁護士」にどんなことがあってもならせたいという親族と協力者たちの欲望に、このとき初めて全身全霊で一致した。しかし、和知孝紘が激しく一致したのはその欲望の裏の顔である。親族と協力者たちの欲望の実現を挫折させかねない井上を中央大学から追放し、その生の可能性を全否定し、その未来を到来不可能にし、零落の極限で人間世界からも追放・抹殺してやるという欲望にこそ、和知孝紘は激しく一致したのである。

 しかしまた、親族と協力者たちの欲望の裏の顔との激烈な一致は、<変更不可能な運命>からの解放乃至救済への約束として井上を捕獲し、保存し続けておくための欲望を、ストーカーとしての欲望を実現させる千載一遇の機会への強烈な覚醒でもあった。

 (2010年度、舞台芸術を受講していた時期に井上に対する強烈な転移感情を抱き始めたときから、和知孝紘のストーキングは既に開始されていた。教壇に立つ井上と最も視線が合う位置の座席を自らの指定席とし、他の学生を掻き分けてまで井上に接近しようとする衝動に身を任せ、必然性のない質問を考え出して井上に接近するための手段とした。質問するために教壇に向かって走り寄る和知孝紘の様子は「喜びで満ち溢れ、大変嬉しそうであった」と、目撃したMが証言している。2011年度、ゼミ受講生だったときは、和知孝紘だけが井上に頻々と纏わりついて親しげに話しかけ、他のゼミ生たちの不興を買った。ゼミ開始当初から、和知孝紘だけが親しげなメールを何度も井上に送り付けてきた。虚偽の申立てをする際、勿論それらのメールを和知孝紘は提出していない)。

 他のゼミ生、井上の全授業を受講する他の学生が存在し、これからも存在し続ける限り、<変更不可能な運命>からの解放乃至救済への約束を井上は破り続けるだろう。<変更不可能な運命>からの出口への(魂の)道案内人という自分だけの役割を放棄し続けるだろう。

 <変更不可能な運命>に従属する以外に、「違法行為」の容易化に貢献する「弁護士」になる以外に自分の生を存続させていく方法はない。

 そしてその過酷な生を維持していくためには、「ダブルバインドの安定性」が、<変更不可能な運命>からの解放乃至救済への約束がどうしても必要なのである。

 ならば、様々な状況を利用して井上を「ハラスメント冤罪」に陥れ、汚辱に塗れた状態がどこまでも続く流れから、井上が絶対に脱け出せないようにしてやろう。

 井上を中央大学から追放し、人間世界全体からも井上がその生を自由に展開できる一切の可能性を剥奪してやろう。学生だけでなく、自分以外のあらゆる人間(とりわけジェンダーが男性である人間)との関係性のなかに井上が自由に入り込んでいける一切の通路を切断し、破壊してやろう。<変更不可能な運命>からの解放乃至救済への約束として以外に、井上が存在することのできる余白を井上の生から抉り取ってやろう。

 即ち、井上の生き延びがもはや一ミリたりとも可能にならないように、<変更不可能な運命>からの出口への(魂の)案内人として自分のためにだけ存在することしかできなくなるように、井上にとって真に破滅的な状況を作り出してやろう。

 つまり、井上を殺してやろう。

 井上を殺すことで、その生の一切の可能性を破壊することで、井上を「体内化」する、井上との完全な同一化=一体化を遂げる。「体内化」とは、象徴的な「食人化」であり、間接的殺害行為によって和知孝紘は井上を自分の内部に取り込んだ。井上をというより、<変更不可能な運命>からの解放乃至救済への約束そのものである井上を自分の内部に取り込んだのである。

 これが、和知孝紘が中央大学からの井上の追放のみならず、人間世界からの追放と消滅を本気で望んでいた理由、親族・協力者たちとは全く異なる理由である。

+++++

 2021年7月20日、私とMは、和知孝紘が「弁護士」になっているという事実を突き止めた。幾つもの犯罪の実行者、主犯である和知孝紘がなぜか「弁護士」になれているという驚愕すべき事実を。

 しかし、2020年12月16日に司法修習を終えた和知孝紘は、どこかの法律事務所に入所して実務経験を積むという過程を省略し、いきなり独立したことがまもなく判明した。

 狂言失踪した和知孝紘の安否確認のため、私たちが一度だけ訪れた和知孝紘の生まれ故郷である地元の町に法律事務所を開設したことが分かった。

 <お世話になった地元の方々にご恩返しをするため、生まれ育ったこの町に法律事務所を開設した>という趣旨の「御挨拶」がホームページに掲載されていた。

 「弁護士」の経歴を一瞥すると、さらに驚愕すべき事実が私たちを待ち受けていた。和知孝紘が進学したのは中央大学の法科大学院ではなかった。井上の出身大学であり、授業も担当している他の私立大学の法科大学院であった。

 上に探究と洞察を展開してきた「本件大組織犯罪の本質について」は、約3年に亘り証言を続けてくる過程で少しずつ接近し、おぼろげながらもその輪郭を既に掴みかけていた衝撃的な内容であったが、「弁護士」になった和知孝紘の実状を知るに及んで輪郭は一気に鮮明になり、衝撃的な内容は確信に変わった。

 和知孝紘は国家秩序を致命的に崩壊させかねない本件大組織犯罪を、2012年4月11日から連綿と続いている悪質極まりない「違法行為」の連鎖を終わらせるため、「弁護士」になったのではないか。

 ――などという錯覚を思わず抱きそうになったほどだ。

 しかし、あながち錯覚とは言えないかもしれない。井上の出身大学であり、授業も担当している他の私立大学の法科大学院に進学するということは、井上から「深刻な加害行為を受けた」という物語が虚偽であったことを自白するに等しい。虚偽であると知っていながら真実であると断定した中央大学・弁護士たち・裁判官たちの行為を、犯罪行為であると暴露するに等しい。

 なぜなら、展開してきたように「えせ同和行為」という「違法行為」の助長に貢献する「弁護士」にならなくてはならないという<変更不可能な運命>からの解放乃至救済への約束である井上を、自分の内部に取り込むために和知孝紘は幾つもの犯罪を実行したのであるから。

 「違法行為」の容易化に貢献し続けなくてはならないという<変更不可能な運命>から不可能を乗り越えて解放されるため、救済されるため、幾つもの犯罪を実行しなくてはならなかったのであるから。

 和知孝紘は、陳述書の中であれほど怪物のように嫌悪し、憎悪し、罵倒の限りを尽くした井上の出身大学であり、授業も担当している他の私立大学の法科大学院になぜ進学したのか。

 <変更不可能な運命>からの出口への(魂の)道案内人である、既に自分の内部に取り込んでいる井上に導かれ、井上の属性をさらに体内化することで「違法行為」の助長に貢献し続けるという<変更不可能な運命>から解放・救済されたかったからかもしれない。

 

 「弁護士」にならなければ、自分が実行し続けることを運命付けられている「違法行為」の助長の連鎖から脱け出すことができない。

 犯罪実行者としての「弁護士」にならなければ、<変更不可能な運命>からの不可能な解放・救済を可能にすることはできない。

 そうでないとしたら、名前で検索すれば必ずヒットする「弁護士」になり、個人情報を自ら開示するホームページをなぜ開設したりするのか。

 少なくとも私たちには、<変更不可能な運命>に完全に同化し、「あれほどなりたかった弁護士」になったことを和知孝紘が喜んでいるようには全く思えない。

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(まとめ)

 和知孝紘とその親族・協力者たち、及び中央大学が実行した全犯罪を、中央大学と共謀した弁護士たち・裁判官たち・検察官たちが完全隠滅しようとした。

 「えせ同和行為」という「違法行為」の助長に貢献する「弁護士」に和知孝紘をならせること。それがただ一つの目的であった。司法制度の解体・法的秩序の破壊・法律の破滅を初めから内在させている恐ろしい目的だ。

 和知孝紘に対する自分たちの「違法行為」、「人権侵害」を隠蔽するための手段として和知孝紘に対する「ハラスメント冤罪」に井上を陥れ、自分たちの「人権侵害」を井上に全面的に転嫁し、自分たちは和知孝紘の「人権擁護」をしていると自分たちを欺き続けた。

 「ハラスメント冤罪」は、「違法行為」の容易化に奉仕する「弁護士」に和知孝紘をならせるため、即ち彼ら彼女ら自身の「違法行為」を隠蔽するために捏造され、利用された。

 和知孝紘から井上を無限に遠ざけなければならないのは、和知孝紘を井上の「人権侵害」から、「加害行為」から保護するためなどでは全くない。和知孝紘に対する彼ら彼女ら自身の「違法行為」を実現するため、和知孝紘を「えせ同和行為」に奉仕する「弁護士」にならせるためである。

 そのために、「人権擁護」の美辞麗句の下、橋本基弘・中西又三たちは井上に対する強要罪を実行し、狂気の暴力行使を反復し、偽装解雇を強行した。

 そのために、渋村晴子は井上を醜悪な怪物に仕立て上げる罵詈雑言を浴びせかけ続けた。

 そのために、太田武聖は井上の人格を全否定する狂気の殺人判決書を書いた。

 そのために、二瓶祐司は強要罪の被疑者たち全員を不正に不起訴処分とした。

 そのために、2016年3月~4月当時の最高検は井上とMから告訴権・告発権を剥奪し、井上たちを法的保護の外に遺棄した。

 和知孝紘を、犯罪である対中央大学訴訟に一切関与させなかったのは、実は彼こそが自分たちの、中央大学・弁護士たち・裁判官たち・検察官検事・当時の検察庁の最高幹部検事たちの「違法行為」の標的、つまり「被害者」であったからだ。解雇無効を争う裁判が、速やかに「ハラスメントの有無」を争点とする裁判に変化したのもそのためである。

 国家秩序を潜在的には崩壊させているこの狂気の大組織犯罪に、最高裁も関与している濃厚な疑いがあることを強調しておく。

 和知孝紘には、確かに犠牲者の側面がある。

 しかし、自分に対する「違法行為」の隠蔽装置である「ハラスメント冤罪」の捏造に、親族・協力者たちや中央大学とは全く異なる理由で加担し、井上とMの人生の10年間を奪った。この長い歳月の間に為し得たあらゆる可能性を潰し、生活も手の施しようがないほど破壊した。

 和知孝紘には、実行した犯罪の法的責任を取ることを私もMも強く望む。

 「えせ同和行為」の容易化に奉仕する「弁護士」にならなくてはならないとう<変更不可能な運命>に和知孝紘を縛り付けているのは、親族や協力者たちばかりではない。

 「ハラスメント冤罪」に井上を陥れ、自分たちの「人権侵害」を「人権擁護」であると中央大学全体に見せかけるために井上を利用した中央大学も、その<変更不可能な運命>の残酷さを和知孝紘に引き受けさせようとした。法律の侵犯者になることしか待っていない未来を、総力を挙げて和知孝紘のために用意しようとした。

 従って、和知孝紘の最大の倫理的罪は『現代思想入門ゼミ』に来たことである。

 どんな変更も未来や生き方に加えられず、どんな弾力も可塑性も精神に禁じられているのであれば、現代思想を学ぶことによるいかなる喜びの情動の出会いも誰とも遂げられず、双方に致死性の猛毒を与える悲しみの情動の出会いしか遂げられない。

                              (未完)