平成30年6月3日
東京都千代田区霞が関1丁目1番1号
最高検察庁 検事総長 西川克行様
××××××××××××××××××
××××××××××
井上×××助手(現代思想研究)
告発権被剥奪者 M
刑事手続即刻始動要求書
井上×××先生が、「刑事手続即刻始動要求書」を平成30年3月18日付けで西川検事総長に送付され、この度、最後の書簡となる「刑事手続即刻始動要求書(2)」を西川検事総長に送付されることになりました。「刑事手続即刻始動要求書(2)」に至るまでの全13通の書簡において、本件大組織犯罪の経緯と事実は、既に最高検を始めとする捜査機関の知るところになっており、本件大組織犯罪の全面解決を目指す刑事捜査は大詰めを迎えているものと確信しています。しかしながら、〇〇大学に巣食う組織犯罪者たち、彼ら彼女らと共謀した各公的機関と弁護士たちにより、法権利を全的に奪われ続けている私たちの損害は、本日に至るまで一切回復されておりません。井上先生と同様に、私もこれ以上生存を引き伸ばしていく状況を維持することが不可能になりつつあるため、先生が「刑事手続即刻始動要求書(2)」を作成し、西川検事総長に送付されるこの最後の機会に併せ、私からも西川検事総長に宛てて「刑事手続即刻始動要求書」を送付させて頂くことにしました。
〇〇大学に巣食う組織犯罪者たちが、国家の枠組みの基軸となる各公的機関と弁護士たちと共謀して行った、日本国の法的秩序それ自体を瓦解させる本件大組織犯罪が可視化され、組織的犯罪者たちの責任が追求されたことは今までに一度として起こっておりません。〇〇大学に巣食う組織犯罪者たちは、民事裁判所の裁判官たち・弁護士たちと共謀し〇〇〇〇の虚偽の申し立てに基づき、井上先生と私を冤罪に陥れ極悪無道・冷酷無比な加害者として徹底的に断罪し、井上先生と私が生存していく条件を破壊し尽くすという殺人的暴力を行使してきました。〇〇大学は、民事裁判所の裁判官たちのみならず民事訴訟に偽造証拠を提出させた弁護士たち、文科省の官僚たち、捜査機関の検察官検事たち、検察事務官たちとも共謀し最終的には告訴権・告発権を剥奪することを通じて、私たちを法的権利の適用から除外し、殺人的暴力が作動する状態が維持される無法治状態の内部に私たちを放置し続けることで、私たちが生存可能な限界状態を越えて死に至るまで延々と待ち続けるという殺人的暴力に殺人的暴力を重ねる最大級の殺人的暴力を行使してきました。本書面を作成している本日に至るまで、〇〇大学の組織犯罪者たちが、井上先生と私を冤罪に陥れたことに始まる各公的機関と弁護士たちとの共謀による殺人的暴力の行使という第一の殺人的暴力行使に、彼ら彼女らと共謀した捜査機関による告訴権・告発権の剥奪という第二の殺人的暴力を上塗りする最も破廉恥で無責任極まりない殺人的暴力は一切解除されておりません。殺人的暴力の限りを尽くした〇〇大学の組織犯罪者たちは、最終的には捜査機関と共謀し、告訴権・告発権を私たちから剥奪させ、第一の殺人的暴力を行使された私たちを日本国という法的秩序が維持されている共同体の外部に締め出しました。彼ら彼女らは、平成24年4月11日に井上先生を「寄生虫」と罵った〇〇〇〇の言葉を文字通りに私たちに適用し、私たちを共同体の外部に締め出し私たちを「人間ではないもの」として扱ってきました。
ここで、〇〇大学を核とする組織的犯罪者たちの違法行為の悪質性の本質を、西川検事総長にお伝えさせて頂きたく思います。組織的犯罪者たちの違法行為の途轍もない悪質性は、殺人的暴力以上の殺人的暴力を私たちに行使してきたことにあります。先ず組織的犯罪者たちは、私たちを冤罪に陥れるという第一の殺人的暴力を行使しました。(井上先生と私は、〇〇〇〇ハラスメント防止啓発運営委員会委員長と共謀した○○〇〇によって、〇〇大学ハラスメント防止啓発委員会に虚偽の申し立てをされました。井上先生は平成24年4月11日の「事実聴取」の場において殺人的暴力を行使され、〇〇〇〇に対するハラスメント「加害者」の烙印を押されたために、現代思想研究者として探究生活を行う自由、現代思想を教授する自由を奪われたばかりか、社会的生活と交友関係全般に亘って致命的な悪影響が生じました。また、私も同年同月同日に井上先生が殺人的暴力を行使された「事実聴取」における〇〇〇〇の暴力的言説によって井上先生と同様に、〇〇〇〇に対するハラスメント「加害者」の烙印を押され、井上先生の下で探究生活を続けていく自由を奪われました。私の社会的信用は底辺にまで下落させられ、私と交友関係を持っていると自分の身にも危険が及ぶと判断した人間たちは次々と離れていき、私の周りに友人と呼べる人間は一人もいなくなりました。同年同月同日を境に経済状況も悪化の一途をたどり始めました)。しかしながら、組織的犯罪者たちは、自分たちが行使した第一の殺人的暴力に私たちが断固とした抵抗を示し、殺人的暴力が私たちに行使されたことを私たちが自ら証明するに至ると、私たちを文字通り「寄生虫」として扱い、捜査機関と共謀して法の適用から除外し、共同体から締め出すことで、殺人的暴力を歴史から「なかったことにする」(冤罪に陥れられ生存の維持を不可能にされている被害者の存在を、共同体から不可視化することによって完全に抹消する)という第二の殺人的暴力を行使してきました。私たちは、本日に至るまで第一の殺人的暴力(犯罪行為)の行使に、第二の殺人的暴力(犯罪行為の隠蔽)の行使を上塗りするという最も卑劣な殺人的暴力、二乗化された殺人的暴力とでも言うべき、規格外の悪質さを本質とする殺人的暴力を、組織的犯罪者たちから行使され続けています。殺人的暴力以上の殺人的暴力に曝され極限的な不自由を強いられることで、井上先生は、現代思想研究者として探究生活を行う自由、現代思想を教授する自由を奪われ続け、現代思想研究者として活動を再開する条件を全く整えられなくされました。私は井上先生から、「生活を維持していくための最低限の経済状況も満たせなくなりつつあります」という、苦渋に満ちたお言葉を何度も伺っています。経済的には私の状況も逼迫を極めており、この六年間の間、賃借りしているアパートにガスを引けたことはありません。水で頭と体を洗いながら、本件大組織犯罪が全面解決に導かれるまでの時間を稼いでいる状況です。私も井上先生の下で探究活動を続けていく自由を奪われ続け思想的強度が低下させられるばかりか、規格外の殺人的暴力に曝され続ける生活の中で精神的にも限りなく追い詰められたために、極度の鬱病の症状に苛まれことになり、全方位から不特定の人間が理由なく殴りかかってくる幻影が取り憑いて離れません。そして眠りにつけば、ほとんど毎晩、背後に内臓が透けて見える薄汚れた不潔な風景の中で、私の思考を先読みして攻撃を仕掛けてくる無数の敵対者たちから、金縛りにあった私が刃物を突き立てられる激しい悪夢にうなされ、安眠することすら禁止されてしまっています。ある閉鎖的な村の中で、斬首され落下してゆく私の後頭部を私が見ている類の悪夢ばかりです。告訴状・告発状・請願書・嘆願書・意見書等の様々な書面を捜査機関から返戻される度に鳴らされた、インターフォンの甲高い電子音が強烈な外傷的記憶として焼き付き、インターフォンの音を聞く度に心臓が硬直し呼吸困難に陥る症状を抱えながら日々を過ごすことを余儀なくされています。精神クリニックで治療を受け、薬物の投与を続けながら辛うじて最低限の精神的安定が維持できていますがいつまで現状を持ちこたえることができるのか自信がもてません。
これこそが、組織的犯罪者たちが私たちに行使してきた殺人的暴力以上の殺人的暴力の中身です。組織的犯罪者たちが行ったのは被害者の全生活に対する破壊行為です。組織的犯罪者たちは、自分たちが手を染めた大組織犯罪が全容解明に導かれた時に自分たちが曝される社会的批判を想像して恐怖に震えることはあるでしょう。自分たちが受ける法的制裁を想像して恐れ慄くこともあるでしょう。しかしながら、組織犯罪者たちは、私が西川検事総長にお伝えさせて頂いた被害者の生活状況を想像し理解することだけは決してないでしょう。
この六年余りの長期間に亘って思い知らされたのは、被害者という存在を、人間の「善性」を盲目的に信じている人間たちは、とことんまで嫌いぬくという事実でした。まるで、本件大組織犯罪が悪いのではなく、本件大組織犯罪を彼ら彼女らに伝えた私たちが悪いというかのようでした。ナチスドイツによって強制収容所に入れられたプリモ・レーヴィは、自身が経験した強制収容所体験の証言に対して真に耳を傾けるものは誰一人いなかったという事実に絶望して自ら命を絶ちます。プリモ・レーヴィが、人間の根源的な悪を執拗に証言する言語に誰も真に耳を傾けず(プリモ・レーヴィの収容所経験を単なる他人事として片付けることで、人間の「善性」に対する「幻想」を強固に維持し)、プリモ・レーヴィが行使された暴力の犠牲者に自分もいつでもなり得ると思考することができる者が誰もいないという事実に直面させられたことは、彼が自ら生命を絶つには十分すぎる理由であったように思います。被害者が永遠に苦しみ続け、時として自ら生命を絶つ事態が発生するのは、被害者の証言を聞くことができる者が世界の内部に誰一人存在せず、無理解という決して打ち破ることができない排除の暴力に晒され続けるからではないのかと私は考えています。真の被害者は世界の中にいながらも世界の中にいないかのように扱われ、居場所がどこにもなくなるのです。しかしながら、私たちがこのような大組織的犯罪の被害者にされたということは、潜在的には私たちと同じ被害に遭う被害者が無数に存在していることになるでしょうし、潜在的には私たちに規格外の殺人的暴力を行使してきた加害者が無数に存在していることになると私は考えています。
だからこそ、私は大きな疑問を抱かずにはいられません。森友問題・加計問題から始まり、日本大学アメフト問題に至るまでの違法行為の疑惑については、日本国全体を挙げた批判が沸き起こり、その勢いは未だ収まる気配を見せていません。誰もが批判に耳を傾け、逸脱行為を行った可能性が高い人物たちに対する責任追及を開始します。私たちは〇〇大学を始めとして各公的機関に法的手続きに基づいた告訴・告発を続けましたが、私たちの告訴・告発に耳を傾けた者は一人もおらず、組織的犯罪者たちに対して責任追及を行う者も一人として現れませんでした。森友・加計問題等が法律事件として社会問題化されるのであれば、被害者の存在を共同体から消し去ることを通して自分たちの全違法行為の隠蔽を目論んだ、〇〇大学を核とした未曾有の本件大組織犯罪は日本社会に甚大な衝撃を与え、組織犯罪者たちは表を歩けない程の轟々たる非難に曝されなければ理が全く通りません。私たちには法律は一切適用されませんでした。
また、およそ去年のハリウッド俳優の告発から始まり、世界規模で急速に拡大しているMe too運動においては、加害者と特定された人物に宗教裁判の如き糾弾を浴びせ、社会的生命を抹殺するまで追い込む告発行為を目にしても、(それは少しやりすぎではないのですか等の)疑問を差し挟むことが決して許されない「絶対的正義」として国家を越えた合意が獲得されつつあります。誰もがMe too運動を行う告発者の言葉に耳を傾けます。Me too運動を行う告発者の言葉は即座に「真実」となり、あらゆる過去のハラスメント行為が告発対象とされ、「加害者」への社会的生命を断ち切るほどの糾弾が、共同体を挙げて行われます。Me too運動における告発の声は瞬時に全世界に届き、誰もがその告発に耳を傾け被害者の言葉に共感し、加害者に対して激しい怒りを示します。しかしながら、組織的犯罪者たちの殺人的暴力によって生活破壊の大損害を発生させられた私たちが、各公的機関に行った告発だけが、看過・黙認され、どこにも届いていないかの如き状況が放置されているのは何故なのでしょうか。
刑法、及び民法における時効の概念を無視し、刑法で定められた自救行為の禁止の条文をも無視して際限のない告発を行うMe Too運動の危険性について、思想的見地から疑問を抱く者を私は見たことがありません。私たちが法的手続に厳密に従い、法的手続の内部で行った告発が、悉く握り潰される場面を余りにも多く見てきたために、Me too運動による告発は、法的手続よりも効力を有しているのではないかという疑念すら浮かんできます。その一方で、Me too運動の行き着く先は、本件大組織犯罪のような規格外の殺人的暴力が許容される無法地帯ではないのかとも思えてきます。Me too運動においては告発者に「加害者」と断定されてしまえば、法的手続を飛び越し、民事手続き、及び刑事手続きに基づく法的処分が行われる以前に、直接的に「加害者」に対する「被害者」の被害の程度を無視した法外な処罰行為が許容され、称揚されさえします。一人一人の告発者が、法を飛び越して超越的な位置から他者を断罪し、致命的な社会的制裁を加えることが容認・称揚されるのであれば、法治状態などどこにも存在せず、世界のあらゆる場所には例外状態だけが広がっているとしか、私には考えることができません。しかしながら、世界の全土に広がりつつある例外状態を、例外状態として正確に認識できる思考を持ち合わせている者は、誰一人として存在しないようです。仮に、Me Too運動が正確に「加害者」への容赦ない責任追及を可能にする運動であるならば、私たちが巻き込まれた本件大組織犯罪に対する告発は、即座に可視化され全面解決に導かれていなければ、合理的な説明が全く与えられないことになります。私たちの告訴・告発は法律に基づく諸問題への批判から除外されると同時に、法律に基づかないMe Too運動からも除外されています。この恐るべき除外が、本件大組織事件を引き起こした組織犯罪者たちが私たちに行使した殺人的暴力以上の殺人的暴力がもたらした効果であると考える時、私は組織犯罪者たち全員に対する激しい憤りを覚えずにはいられません。
したがいまして、本件大組織犯罪は、森友問題・加計問題、日本大学アメフト問題等の諸事件の解決を求める法的手続がもたらす「救済」からも、Me Too運動に見られる「被害者」による「加害者」に対する法的手続に基づかない告発がもたらす「救済」からも私たちを除外する、極めて特異な悪質性を持つ事件であると私は考えています。この特異な悪質性こそが、西川検事総長が指揮される最高検の徹底的な刑事捜査によって、全面解決に導かれなくてはならない最大の理由になると私は考えます。被害者を冤罪に陥れ、冤罪に陥れられた被害者が犯罪行為の存在を自ら証明したならば、告訴権・告発権を剥奪し法的秩序の外部に締め出すという規格外の殺人的暴力を行使することで、いかなる救済可能性からも被害者を除外し放置する。即ち、殺人的暴力と、殺人的暴力を行使された被害者を徹底的に不可視化することで、被害者からあらゆる救済可能性を剥奪し死んでいくままに任せる。この最も破廉恥で極限的に無責任な悪質性こそが、本件大組織犯罪の核心であると私は考えています。このような恥知らずで卑劣極まりない犯罪手口が許容されるようになるなら、原理上は、どのような犯罪を行っても犯罪と見なされない状況を、容易に作り出すことが可能になります。
簡潔に申し上げますと、以下に述べさせて頂く①から⑤の手順を踏めば原理上はどんな違法行為も簡単に「なかったこと」にできます。(①から③が第一の殺人的暴力の範囲に相当し、④から⑤が第二の殺人的暴力の範囲に相当します)。①ハラスメント委員会に呼び出し被害者に冤罪を着せます。②被害者が民事訴訟・刑事告訴を行ってきたら、裁判所と検察庁に働きかけ偽造証拠の提出を黙認させます。③その後で、民事訴訟と刑事捜査を連動させ、民事訴訟においては不正に勝訴判決を出させ、検察庁においては捜査をしないまま時間を稼ぎ、時効の直前に不起訴処分を出させます。④それでも被害者が抵抗してきたら、上級検察庁が管轄の警察署に「本件事件は捜査するな」と命令を出した上で、告訴権・告発権を剥奪し、訴えの可能性それ自体を潰します。⑤被害者が「いない」し、告訴・告発が「行われていない」のだから、犯罪は「なかったこと」になります。しかしながら、このような違法な手法が容認されるならば、日本は犯罪者天国になります。だからこそ、二度とこのような規格外の犯罪が起こらないようにするために、本件大組織犯罪の特異な悪質性を万人に可視化する徹底的な刑事手続が必要となるのではないでしょうか。本件大組織犯罪が全面解決に導かれ、組織的犯罪者たち全員が厳正な処分に付されれば、今までのどの犯罪類型にも当てはまらない法外に悪質な違法行為を画策している潜在的な犯罪者たちに対しても、絶大な抑止効果が生まれるものと思います。
しかしながら、本件大組織犯罪が、最も破廉恥で無責任極まりない最悪の大組織犯罪であるにも拘らず、最悪の大組織犯罪として可視化されない理由については、さらに思考を推し進める必要があると考えています。本件大組織犯罪が第二の殺人的暴力(殺人的暴力を隠蔽するという殺人的暴力)によって被害者の存在が不可視化されていると指摘するだけでは、この規格外の暴力を過不足なく可視化するに至る言語には到達できないと考えています。本件大組織犯罪の規格外の悪質性を正確に認識できない根本的な理由は、第二の殺人的暴力に先立って、井上先生と私を冤罪に陥れ「加害者」と断定する第一の殺人的暴力が、ハラスメント委員会という擬似法的機関の内部で行使されたことにあります。組織内部の人権問題を解決する場として、厚生労働省が、企業組織・学校組織にハラスメント委員会を導入させたことが、本件大組織犯罪を生み出す遠因となりました。悪用されたハラスメント委員会は、法的秩序の外部にはみ出し、無法地帯に姿を変えます。どれほど理不尽な殺人的暴力が行使されても、法が不在の無法地帯と化したハラスメント委員会の内部では、暴力行使を暴力行使として可視化させることが、原理上不可能になります。法治国家日本の外部に存在する無法地帯、〇〇大学ハラスメント防止啓発委員会に、〇〇〇〇による虚偽の申し立てを受けた井上先生は呼び出され、私は井上先生に付き添いました。そして、まさにこの法的秩序の外部において、井上先生は、〇〇〇〇と〇〇〇〇から第一の殺人的暴力を行使されることになりました。告訴権・告発権の剥奪によって法的秩序の外部に締め出されるはるか以前から、私たちは法的秩序の外部に締め出されていました。井上先生は、〇〇大学に巣食う組織犯罪者たちによってハラスメント防止啓発委員会という法的秩序の外部に呼び出され、法的全権利を剥奪されました。犯罪被害者を「存在しない者」として扱い、歴史から抹消・排除する最も破廉恥で無責任極まりない殺人的暴力が作動し始めた平成24年4月11日以降、私たちは〇〇大学が引き起こした大組織犯罪の被害者となり法的秩序の内部に戻ることは不可能になりました。
ハラスメント委員会には、捜査機関が与えられている捜査権も、起訴裁量権も付与されてはいませんが、ハラスメント委員会が企業組織・学校組織に設置され悪意の他者が要職に就くならば、中世の宗教裁判と同様に、法に依拠することなく申し立てられた相手を恣意的に「加害者」と断定して懲罰を課す権限を先験的に所有しているかのように、暴走し始める危険性が多分にあります。「現代思想なんてものは妄想だ!」と井上先生に言い放った、知性の欠片も持ち合わせていない〇〇〇〇が、ハラスメント防止啓発委員会の内部で権限を持つならば、ハラスメント防止啓発委員会は、いつでも最低最悪の無法地帯に変貌を遂げます。そして、無法地帯と化した擬似法的機関であるハラスメント防止啓発委員会においては、虚偽が真実に反転し、真実が虚偽に反転する例外状態が恒常化することになります。〇〇〇〇のような悪意の他者が、ハラスメント防止啓発運営委員会委員長という要職を占め、〇〇〇〇という悪意の他者と共謀したからこそ、法治国家日本の外部に存在する民法も刑法も適用されない無法地帯において、井上先生は冤罪を着せられ、「加害者」として断罪を受けるという第一の殺人的暴力を行使されることになりました。
第二の殺人的暴力が作動するはるか以前から、第一の殺人的暴力が作動していました。告訴権・告発権を剥奪され、私たちが法的秩序の外部に締め出されるはるか以前から、私たちは既に法的秩序の外部に締め出されていました。組織的犯罪者たちは、私たちとは無関係な私たちの虚像を捏造し、その虚像に基づいて私たちを断罪する殺人的暴力を行使した上で、被害者である私たちに、その殺人的暴力を「なかったこと」として受け入れるよう強要しました。組織的犯罪者たちが、私たちに剥き出しにしてきた類を見ない規格外の殺人的暴力こそが、本件大組織犯罪を駆動させる原動力です。本件大組織犯罪の最も破廉恥で無責任極まりない悪質性は、ハラスメント委員会という法的秩序の外部で、井上先生とは全く関係ない井上先生の虚像を捏造し、その虚像を井上先生に押し付けた上で断罪の限りを尽くし、その目論見が失敗すると、告訴権・告発権を私たちから剥奪し、共同体の外部に締め出すという極限的な他者否定の暴力・最大級の他者排除の暴力にあると考えます。(〇〇〇〇から直接的な殺人的暴力を行使されなかったとはいえ、私も、〇〇〇〇の虚偽の申し立てに基づく〇〇〇〇の言葉の中で「加害者」と断定されている意味においては、間接的な殺人的暴力の被害者となり、告訴権・告発権の剥奪に至って井上先生と同じく共同体の外部に締め出されました)。組織的犯罪者たちが私たちに差し向けてきたものは、これ以上ないほどの完全で純粋な殺意に基づく桁外れの殺人的暴力です。
組織的犯罪者たちが私たちの生命や生活をどのように破壊しても構いはしないが、私たちが組織的犯罪者たちに抵抗することは理不尽であり、私たちが組織的犯罪者たちに告訴・告発を行うことは不当であるとでも言わんばかりの、組織的犯罪者たちの傲岸不遜で恐るべき非対称性に基づく、私たちへの善意の強要が、本当にまかり通るとでも組織的犯罪者たちは考えているのでしょうか。とりわけ、〇〇〇〇・〇〇〇〇に対しては、これほどの殺人的暴力を行使したとしても、私たちが抗議することは起こり得てはならない不当な行為であり、私たちが〇〇〇〇・〇〇〇〇が捏造した物語に押しつぶされ、打ちひしがれた状態で死んでいくことが先験的に正しいと盲信できたのは何故なのかと、厳しく問い糾したく思います。
根拠なく他者に暴力を行使すれば、他者は怒り、不当な暴力に対しては徹底抗戦を挑んでくるという自明の論理が、本件大組織犯罪に加担した組織的犯罪者たちからは、完全に抜け落ちています。そもそも、未知の他者である井上先生と私に対していかなる事実確認も行わないまま、殺人的暴力を行使してきたことを棚に上げ、私たちに無限の「善性」と「寛容さ」を強要してくる度し難い無神経さは常軌を逸しています。自分たちは殺人的暴力をいかなる躊躇もなく、井上先生と私に差し向ける悪意の他者であるにも拘らず。
イタリアの思想家パオロ・ヴィルノは、『ポストフォーディズムの資本主義』という書物の中で、ドイツの政治哲学者であったカール・シュミットの著作『政治的なものの概念』で用いられた言葉を引用して、人間の本性に対する最も呵責ない診断を下しています。「すでに何度か述べた事柄であるが、いわゆる権威主義的な理論と無政府主義的な理論との差は、次のような表現に還元することができるだろう。[……]はっきりとした無政府主義において、ラディカルな国家の否定と「性善説」との間に緊密な関係のあることは明らかで、両者は通底して互いに支え合っている。[……]国家に敵対するラディカリズムは、人間の本性が根本的に善良であるという信頼の深さに比例して増大するのだ。[……]それゆえ、まともな政治理論のいずれもが、「悪」としての人間を前提とし、人間とは極度に問題的な存在、むしろ「危険」でダイナミックな存在と見なしたのであり、例え不快に感じようともその驚くべき評価を受け入れなくてはならない」(『ポストフォーディズムの資本主義』「いわゆる悪と国家批判」、181頁)。パオロ・ヴィルノは同書の全体を通じて、人間の本性は悪でありかつ極めて危険な存在である、その事実を無視して人間を「性善説」に基づいて扱うことは決定的な誤りであると述べています。本件大組織犯罪は、犯罪被害者を徹底的に法的秩序の外部に締め出すことを通して、犯罪被害者の存在と大組織犯罪の存在を不可視化する規格外の殺人的暴力の行使に他なりません。私は、組織的犯罪者たちが井上先生に行使し続けている常軌を逸した殺人的暴力を目撃し、私も殺人的暴力の直接的な標的にされるに及んで、人間の「善性」に対する信頼が粉々に砕け散りました。私が、本件大組織犯罪が引き起こされる以前の「私」に戻ることは、二度とできないのではないかと思えてなりません。組織的犯罪者たちによって私たちが規格外の殺人的暴力を行使され、徹底的に不可視化される存在にされたからこそ、私たちを徹底的に不可視化する殺人的暴力を行使してきた人間たちの悪が、誰よりもよく見える位置に私たちは身を置くことになったのだと思います。法的秩序の外部に締め出された私の視点から見れば、本件大組織犯罪は、刑事弁護が成立する余地が全く残っていない100対0(=弁護の余地なし)の完全にして純粋な悪に基づく犯罪であり、本件大組織的犯罪の如き刑事犯罪は、法治国家日本においては決して出現してはならない事件だと考えます。被害者を法の適用から除外するという文字通り法外な違法行為に手を染めた以上、組織的犯罪者たちに、刑事訴訟法に基づく刑事弁護を受ける資格などはありません。また、組織的犯罪者たちを弁護すべき余地も、全く存在しません。本件大組織犯罪において私が差し向けられた殺人的暴力と殺意は、人間に対する一切の信頼、人間社会に対する一切の信頼、そして人間社会に存在する全ての公的機関への信頼を、取り返しが付かないまでに崩壊させるものです。
だからこそ、西川検事総長が指揮される最高検を始めとする捜査機関が、本件大組織犯罪に対する徹底的な刑事手続を行い、本件大組織犯罪を全容解明し、全面解決に導くことが絶対に必要であると思います。本件大組織犯罪を全面解決に導くという闘いは、刑事手続きを行う側にいる人々さえもが、人間存在の持つ危険性・悪から無関係には存在できないという制約を抱えながらも、人間存在固有の危険性・悪から捜査機関に属する自己自身の思考を独立させ、厳密極まりない刑事手続を積み重ねることで、人間存在の危険性・悪それ自体に対して闘いを挑むという最も苛烈な闘いになると思います。この闘いは、被害者の声に忍耐強く耳を傾けて下さった、唯一の人物である西川検事総長以外には、誰も行うことができない闘いであると私は考えています。本件大組織犯罪それ自体が持つ規格外の悪質性、並びに本件大組織犯罪に関与した組織的犯罪者たちの最も恥知らずな危険性・悪を開示することは(パオロ・ヴィルノがいう人間本性の危険性・悪を、本書簡を作成している私を含める誰もが保有しているために)、私たちがいつでも犯罪行為の加害者になり得るし犯罪行為の被害者にもなり得るという事実を、日本国に住む人々の全員に対して、他人事としてではなく、まさに自分自身の経験として開示することではないでしょうか。私は、井上先生から、現代思想を徹底的な暴力批判の方法論として学ばせて頂いております。この点において、現代思想と、本件大組織犯罪を全面解決に導くように私たちが強く求めることと、西川検事総長が指揮される最高検を始めとする捜査機関が、国家に対する犯罪を処罰し、被害者を救済する刑事手続を徹底的に推し進めることは、完全に一致するのではないでしょうか。人間存在の危険性・悪を直視する最大の好機として本件大組織犯罪が使用されるならば、法治状態を食い破り日本国のあまねく場所に拡大しつつある例外状態を押し留める、絶対的抑止力が作動し始めることになると考えます。本件大組織的犯罪の全面解決をもって、本件大組織的犯罪に関与した組織的犯罪者たちによって最底辺にまで下落させられてしまった法が、再び崇高の位置にまで引き上げられることになると私は確信しております。
以上