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(証拠資料)M作成による「KR氏の証言に対するMの応答中央大学に強要された恐怖による隷従の記憶からの救済」全文

KR氏の証言に対するMの応答

○○大学に強要された恐怖による隷従の経験からの救済

     2020年1月28日 M作成

 私は、KR氏の証言を読み、2012年度の○○大学が組織一丸となって先生に行使したあの怖ろしい暴力を間近で経験した当時の学生たち(犯罪首謀者たちに追従した全教職員も含まれるだろう)が、取り返しようもなく奪われてしまったものについて考えずにはいられなかった。2012年は、○○大学が先生を抹殺するために際限なく振るい続ける根拠がない理不尽な暴力を見せつけられることで学生たちが計り知れない心的外傷を刻み込まれ、思考する意思を蹂躙されていく過程に他ならなかった。ツイッターで○○大学の暴力行使に対して、大学当局に批判的なツイートを行なっていた学生たちが、ロックアウト・教室内での電源遮断という前時代的な暴力行使が継続して先生に行使される異常事態に戦慄し、大学内での生存を図るために次々にプロフィールを変え、大学当局の監視に触れないよう次第に当たり障りのないツイートしか行なわなくなっていく様子は象徴的であった。○○大学は2012年7月26日、先生を偽装解雇する際に学長名で公式発表を出し「これ以上根拠のない風説を流布した場合は法的措置を検討する」との脅迫文を書き添えた。学長名義で死の権力に他ならない法的暴力を用いた脅迫効果は絶大であり、この時期に海外留学を決め日本から離れる学生すら現れた。

 ○○大学の暴力は、○○大学の忠実な機関誌である○○大学新聞学会が既に偽装解雇され大学に存在しない先生に対し、「この事件は一応の決着を見た(=大学は平常通りに運営されている。これ以上この事件を話題にすれば法的措置に訴える)」という名誉毀損記事を掲載した2012年10月15日付けの○○大学新聞1234号を発行し、それを半年間に亘って大々的に配布するに至って完成した。たとえ先生を○○大学から追放しても(=大学内から抹殺した後になっても)事実無根の虚偽の風説を流布し、その虚偽の風説を唯一の事実と思い込むように強要し続ける○○大学の暴力は、学生たちに計り知れない恐怖を与えたことだろう。KR氏が証言した2012年5月31日の描写は典型的である。「私は特に、あの時の押し黙る大学教員達の対応に恐怖を感じました。一人の講師の「取り調べ」と銘打って、数人の教職員 たちが窓のなく重たい黒い鉄の扉を抜けた先の密室のうちに強制的に導こうとする。それに対してなぜ取り調べをしなければならないのか、先生の全授業閉講措置の本当の理由とはなんだったのか、見守る我々学生たちを前にしては何一つ説明することもできない。それでも「取り調べ」と銘打たれたなにかしらの強要行為を反復しようと彼らがそこにたたずんでいることは明白でした」

 何よりも怖ろしいことは、これほどの暴力を行使しながら、犯罪首謀者たち自身が、暴力を行使するに足る正当な根拠を決して説明できないことである。にも拘らず理由なき暴力は際限なく行使され続ける。理由なしに行使される暴力だからこそ、その暴力がいつ自分に向けて行使されてくるのか誰も全く予想できない。理由は分からないが先生を絶対悪にするという犯罪首謀者たちの暴力に同意しなければ自分たちも抹殺される対象にされてしまう。その恐怖は学生たちだけに留まらず、先生に対する犯罪首謀者たちの暴力行使を黙認看過した○○大学の全教職員に共有されていただろう。そして、2012年当時の○○大学は理由なき暴力が惹起する恐怖に支配され、内部にいる誰もがその恐怖に屈服した。だからこそ、恐怖による支配に抗えず、全面的に屈服したという挫折感・自己肯定感の喪失を伴う、陰鬱な隷従の記憶は当時の◯◯大学に籍を置いていた全ての人々の無意識に根深く刻み込まれた心的外傷となり、現在に至るまで全く治癒していない状態にあるだろう。

 KR氏は証言の中で「正常性バイアス」という人間の特性に触れ、「「〇〇の〇〇」と銘打たれた大学が、組織的な犯罪行為を行うという「ありえない」事実を認識しようとした瞬間、私の脳に「そんなはずはない、考えてはいけない」という無意識の命令が響いてきたのです」という精緻な言語化を行なっている。私には、この過去の経験と対峙しながら精緻な言語化を行なおうとする意志こそがKR氏の証言の核心をなす勇気ある思考であるように感じられる。KR氏が描出した無意識の命令という言語が、正常性バイアスの言い換えであるとするならば、その防衛規制を駆動させる原因は観念的な死の恐怖それ自体であると私は考えている。2012年の○○大学は、「自分が死という「異常事態」の内部にいるはずはない、即ち自分は生という「通常状態」の中にいるという「正常性バイアス」と呼ばれる「知覚の呪縛」の中に留まっていなければ、お前たちの生命も刈り取られることになると思い知れ」と命じる強大な暴力が呼び起こす圧倒的な死の恐怖によって大学全体が汚染され尽くされていた。思考する意志が根絶やしにされた2012年の段階で、○○大学は大学としての生命を自ら断ち切っていたのだと言わざるを得ない。○○大学は、学生たちが自ら「問いを立てること」、「疑問を感じたことに異議を申立てること」、「自分の目と耳で確かめたものに対して誠実であること」を法的脅迫にまで至る有無を言わせぬ強大な暴力を用いて粉砕したのである。

 家庭において両親が争う姿を見せつけられることが、子供に大きな心的外傷を与えることになるという多くの研究報告が人口に膾炙し始めているが、○○大学は大学という組織的規模で先生に殺人的暴力を行使するのみならず、眼前で殺人的暴力の行使を見せつけられた学生たちにもおそるべき虐待を加え深い心的外傷を刻み込んだ。その致命的な影響は2012年当時、○○大学に関係していた全ての人から「問う力」まさしく「生きる力」を剥奪し、その甚大な悪影響は現在に至るまで解除されてはいない。本件大組織犯罪が全面解決に導かれた後にもこの癒やしがたい心的外傷の痕跡は残り続けるであろう。KR氏が、「その空気と、大学組織の人間達のすべてを隠し通そうと押し殺した表情が、もはやここが、私がいままで知っていたはずの通常状態の〇〇大学ではないということ、つまり、〇〇大学という空間が一人の人間の生を握りつぶす完全犯罪を目指す空間へすでに変化しており、〇〇大学という組織が恐ろしい犯罪組織へと変貌を遂げてしまっているという現実を、否応なく私に実感させました」と証言している状況こそが異常事態である。その異常事態を「通常状態」と思い込むように、力ずくで叩きのめすことを通じて暴力的に認識を反転させようとする犯罪行為に手を染めた時点で、○○大学は大学として死んだのである。そればかりか、2012年当時に○○大学の関係者であった全ての者が○○大学の犯罪首謀者たちの振るう暴力によって「生きる力」を剥奪され事実上抹殺されたのだと私は考えている。

 しかしながら、KR氏の証言には、加害者の側に立ち被害者に暴力を加える状態が「正常である」と思い込むように強要された後遺症が残り、今もその「知覚の呪縛」から逃れられない人々を解き放つ大きな力が宿っている。事実と異なる出来事を事実と思い込むようにどれほどの暴力を加えても、諸個人の認識の全領域を支配し虚偽を真実に一致させることは不可能である。虚偽と真実の間には埋めきれない距離が存在し、諸個人の精神と身体はその距離を違和として感じ取ってしまう。KR氏の証言は、諸個人がどれほど呪縛されていようとも、呪縛され尽くされないままの状態で残っているその残りの部分を(ある者はそれを違和感と言うかもしれないし、不一致と言うかもしれない)強烈に喚起してくるだろう。その喚起力が大きくなればなるほど、○○大学に諸個人が抱いているあらゆる慣例的・伝統的・歴史的イメージには亀裂が入り、○○大学の真の姿が開かれて立ち表れてくることだろう。KR氏が証言している「あの恐ろしい黒い扉」の前に立ちながら、その姿を直視することを勇気というのだと私は思う。その勇気が本件大組織犯罪に全面解決をもたらす最大の力になるだろう。2012年当時、○○大学が行使し続けた規格外の暴力に屈してしまい、先生への暴力を黙認看過してしまう加害者の側に立ってしまった人々にも敗北の経験から救済される可能性が生起してくるだろう。その救済のイメージを強く喚起するジョルジョ・アガンベンの言葉を以下に引用させていただきたい。

  「脱創造とは、黒い翼にのみ頼った不動の飛翔のことである。この翼が羽ばたく毎に、現実の世界(○○大学が世界一正しい大学であるという一つの物語しか存在しない虚偽の世界)は存在しない権利へと導かれ、可能世界(○○大学は唯一絶対ではなく、○○大学に恐怖により隷従させられ生きる力を剥奪された者も恐怖により隷従させられなかった状態へと回復される過去の撤回可能性)は存在する権利へと導かれる」

(ジョルジョ・アガンベン『バートルビー 偶然性について』、邦訳85頁、(     )内はMによる挿入)

 KR氏による万人に開かれた証言は、読み手の全員にその可能性を与えると確信している。KR氏の証言が一人でも多くの人々に読まれることを望むばかりである。

                                 了